男 -12-
父を亡くしたときには諦めの中にいた。
母を亡くしたときは憎悪の中に。
だが、その中に空虚はなかった。
父を失った母を助けなければ。
殺された母の仇を討たなければ。
その時々でまだ私には生きる意味があった。
だが、どうだ。
たった数年、偽りの時間を共にしただけだというのに、姫を失った私に訪れたのは、凪いだ海の水面のごとく、ただ、ただ静かな心持ち。
けれども決して平穏などない。
その平坦な直線を破ろうと鬱々とくすぶる何か、私にはわからぬものが蠢く気味の悪さ。
私が笑おうが嘆こうが、それに応える者はもうおらぬ。
働いても労う声はなく、私の為に作られた料理を褒めたときに応じる輝くばかりの笑顔もない。
姫を生まれた土地に送り届けた後、私はどうすれば良いのだろうか。
死ねば良いのか生きれば良いのか。
いつの間にかそんなことすら考えることが出来なくなっていた。
姫の前ではほとんど飲まなかった酒に手を出し、足が立たなくなるまで飲んで夜を明かす毎日が始まった。
働きがないので金はすぐ底を尽く。
だが酒のせいで朝も夜も酩酊していてまともな仕事などできるわけもない。
ふらつく足で薄暗い裏道を彷徨い、行き交った他人を襲い金を手に入れ、また酒に更ける自堕落な日々を繰り返す。
卑劣の限りを尽くした。
汚い事を平気で行い人を傷つけることに鈍感になるばかりであった。
それは甘えだったのだろうか。
自分の傷の痛みさえ見失いながらも、その程度の不幸など私の苦痛に比べればなどと言い放つ、独りよがりの陶酔。
そこにはもう、無き故郷への郷愁もなく、古武術の使い手としての矜持もない、ただの屑なちんぴらがいるだけだった。
酒も薬も盗みも暴力も厭わなかった私だが、一つだけしなかったことがある。
いや、出来なかっと言ったほうがいいのだろう。
暗い場所にはその手の商売がある。
それでなくてもその気になればいくらでも手に入る。
他人を蔑ろにしていたのならば尚更容易い。
だがそれだけが出来なかった。
行きずりの女を腕に抱き、甘い言葉すらなくただ性急に求める。
しかし服を脱がせ隠された乳房を目にすると決って姫の白い肌が頭に浮かんだ。
そうするとそれまで欲していた目の前の女が急に色褪せて見えて何もすることが出来なくなった。
ああそうだ。
私は姫に初めて会った時から一度も女を抱いていない。
何年も一つところに過ごした娘は私を疑うこともなく、無条件に慕い甘えた。
年頃の娘らしく多少の恥じらいを見せながら、一歩前を歩く私の左手を取りはにかんで俯いた。
艶やかな髪に手を伸ばせばくすぐったそうに首を竦ませた。
柔らかな頬を撫でれば気持ちが良さそうに目を閉じ、無防備な様をさらけ出した。
私を信頼して。
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