男 -11-
金気の混じる嫌な臭いが立ち込めた。
もう、予想はついていた。
目を開くと私の足元まで赤いものが流れている。
姫はその細い喉に、不似合いな大きな包丁を突き刺していた。
深く突いた為にもう事切れていて、私はその横たわる体をしばし呆然と見つめていた。
やがて陽が落ち、家の中は真っ暗になった。
私はまだ呆然としたままであったが、身に着いた習慣に助けられ、のろのろと部屋に火を入れた。
蝋燭の揺れる炎の中に横たわる姫は血に塗れ、頬を汚していた。
清めてやらねばならぬと台所の土間から板張りの床に寝かせ、湯を用意し、その服をそっと脱がせていく。
何年も一緒にいたのに、そんな風に姫の体を見たのは初めてだった。
その体と、常に外気にさらされていた顔や腕の色の違い。
そういえば初めて会った時の姫は日に焼けておらず、この乳房と同じ抜けるような白い肌をしていた。
毎日南の地の強い日差しの元にいたせいか、いつの間にか幾つかのそばかすが出来て、肌は町の娘達と大差無く傷んでいた。
私が連れてこなければ、姫は今もこの服で覆われた場所と同じく白く美しい肌をその顔に持っていたことだろう。
元々の整った造りには、この艶やかな肌が相応しい。
悔恨の念は、じわりじわりと私の頭を覆っていった。
なるべく姫の体に触れぬようにと気遣いながら拭き清め、傷口を縫いとめ、一番上等な服を着せてやった。
そして髪を一房切り取ると油紙に丁寧に包み懐にしまった。
母の形見の櫛と共に。
翌朝、遺体を燃やし灰は川へ流した。
姫に何かがあったときを全く想像しなかったわけがない。
縋るか、泣くか、後を追うか。
少なくとも今のように淡々と処理を行うことなど考えもしなかった。
だが、私にはそれが出来る。
知らずに覚悟をしていたのかも知れぬと火葬の間ぼんやりと考えていた。
焼け残った骨のうち数個を拾い、髪を包んだ油紙と同様に懐に入れた。
遠い異国に連れてこられた姫を、せめて戦の為に既に失われた箝西の城跡に埋めてやりたいと、そう思ったのだ。
旅支度を整え、その日のうちに家を出た。
だが、私はなかなか彼の地へ行くことができなかった。
川を上らねばならぬと言う地理的な問題もあったが、それよりは気持ちの問題が大きかった。
姫を箝西に帰した時、それが私達の本当の意味での決別になるのだ。
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