男 -10-

姫は憎い敵の私を前に何を言うべきか考えているようだった。


緑の双眼はただじっとこちらを見つめ、私はと言えばただそれを見返すよりほかどうしようもない。

しんと静まり返る台所で、時間はいつとも変わらず過ぎているはずだがとても長いように感じる。


やがて、姫はその赤い唇を開き、小さな声を出した。


「私を笑うか」


考えもしなかった言葉に戸惑い、息を飲む。


「箝西の王宮はさぞかし風通しが良かったであろうな。討てば良いと人を払い、攫えばよいと開け放ち。お前の差し金だったのならば、なんとまあ、愚かな結果よ」


違う、と叫びたかった。

だが、違わないと心が止めた。


「大切な人を失い、国を失い、果ては思い出までも失い。なぜ父の亡骸の前にいたお前を信じてしまったのか。赤子のごとくまっさらだったとはいえ、私は、何故」


絞り出すような声に目を伏せる。


姫を愛し大切に守り慈しんだ。

妻のように、娘のように、いや、ただ一人の人として私は心の限りを尽くした。

父を奪い、国を奪い、思い出を奪った償いを込めて、出来うる限りの愛を注いだ。


だが、そんなものは私の欺瞞。

私の償うべき相手は今目の前に立つこの姫であり、無邪気に応えたあの娘ではない。

偽りの娘を相手に、私は自分を騙し、一人荷を軽くした。

姫の荷を下ろすことには何の尽力もしなかった。


私はその場で膝を着くと深々と頭を下げた。

項をさらけ出し、腕は胸の前に交差させる。


服従の印。


姫が目を覚ましたあの時、私は生涯を賭けて姫を守ると誓った。

部族伝来の誓いを立てた時から私の命はもはや私のものではない。

父王の仇を討つも、私を生かし従属を許すも全て姫の意思一つ。

そして恐らく、姫は私の罪を命であがなわせようとするだろう。


私はそれを受け入れるつもりでいた。


姫は動かない。

私もまた動かない。

頭頂部にひしひしと視線を感じる。


「お前は……」


いつも聞いていた声は、高く涼やかで、明るく弾んでいた。

しかし、聞いた声は高く涼やかなのは変わらずとも落ち着いた静かな声だった。

父の敵と知っているのだ。

今までのように無邪気な声を上げるわけがない。


私と数年を、親子のように兄妹のように、そして恋人のように密に過ごした姫が永遠に失われてしまったことがじんわり胸に染みて私は思わず鼻を啜った。


その時悲鳴にも似た声が響き、私は顔を上げた。


「なぜお前が泣く。父を殺して私を攫い何年も連れ歩いた。逃げぬ私はさぞかし楽な獲物であったことだろう。全てお前の思い通りになっていたのであろう。 記憶のない私はお前に従順であった。愚かにも父を殺したお前を慕い、お前に嫌われぬようにといつでも心を割いていた。ずっとお前の側にいたいが為に私は……!」


まるで愛の告白のようだと思う自身の軽率な思考を恥じた。

違うだろう、これは恨みごとだ。

敵にまんまと身を委ねていた姫自身の苛立ちと、私に対する憤り。


その証拠に、姫はいつも私の食事を作る為に常に研ぎ光らせている包丁をこちらに向けているではないか。


姫の瞳は憎しみに燃えていた。


ああ、初めて会った時と同じ、意志の強い緑の瞳。

長く見続けた優しげなまなざしは愛しくあったが、これが本来私に向けられるものなのだ。


もう、よかろう。

二人が一緒に過ごすのはこれで終いだ。


私は姫の顔をもう一度確かめると、再び頭を垂れ目を閉じた。


「姫君のお心のままに」


その瞬間、ドサリと何かが落ちる音がした。

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