男 ー2ー
……少々強引過ぎたであろうか。
すまぬ、そんなに怯えてくれるな。
とにかく、まずは落ち着いて……、とはいえ腰を下ろそうにも、この部屋の中には寝台しか見当たらぬ。
あ、ああ、そうだな。
こんな宿なのだから、それだけあれば事足りる。
おかしなことだ、わかり切っておることに私はなぜ狼狽えたのか。
よい、よい。
可笑しければ笑えばよい。
年若い娘ごのほころぶ花のかんばせはどんな石より美しい。
さてに娘よ、名は何という?
コウシュン?
春の香りとな、それは良い名だ。
……香春、香春……。
……なあ香春、実はな、私は同じ名の娘を知っていた。
お前を見た時、その娘を思い出した。
顔の造りもよく似ている。
まるで生き写しのようだ。
ただ、目が違う。
私を見るまなざし。
あの娘はきっとそんな目をしないだろう。
そんな柔らかいまなざしを受ける資格は私にはないのだから。
ああ、服を脱ぐ必要はない。
元よりそんな気はなかったのだ、ただ主人の手前な。
お前を見ているとあの娘を思い出して、とても抱く気にはなれぬ。
妻?
いや、違う。
恋人?
それも違う。
だが、とても大事な女だった。
そう、香春が亡くなったのはもう三十年も前の話だ。
私の年か?
とうに五十を数え終え、黄泉路へ向かうを待つばかり。
なんと、それより老けて見えたとな?
まあ仕方なかろう。
私は香春を失ってから人としての生き方を見失い、散々堕落した生活を送って来た。
己の体だというのに、己の自由にもならぬ、くたびれ果てたこの身体は使い古されたがらくた同然。
おっと、酔うと咳がなかなか止まらぬ。
すまぬな、不快であろうに。
そうだな、ここは寝台だ。
さればありがたく横にならせてもらおうぞ。
……なあ、香春よ、病みびとと同衾など辛くあろうが……、その、隣に寝てはもらえぬだろうか。
いや、服は脱がなくてよいと言うに。
襟を直して、……苦しくはないか。
簪も曲がってしまったか、どうれ見せてみよ。
痛くはないか。
ほら、これで良い、直ったぞ。
さあ、横におなり。
そして懐かしい話を聞いてくれないか。
香春に似たお前に聞いて欲しい。
あの頃のように、私の傍らで。
そう、庇護された子供のように私を信用しきったその顔を、演技でも良いから見せておくれ。
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