第57話メンテー

冥王ハデスは自分の愛する者を妃にできたもののその「愛する者」から好かれてはいなかった。

ペルセフォネは部屋に籠りきりでほとんど出てこない。

それでも彼は一途に彼女を思い続けた。

毎日毎日部屋に贈り物を置いていく。

だが、彼女は彼に心を開こうとはしなかった。


「ペルセフォネは」


おもむろに彼はヘカテに話しかける。


「私のことが嫌いなのだろうな……」


「そうじゃないですか? 聞いたことがないので確かではありませんけど」


仕事の手を休めずにヘカテは答えた。


「そうか……」


ため息をつきながら彼は言う。


「少し出てくる」


彼は仕事場をいったん抜けると冥界を流れるコキュートス川の方へと向かった。

ペルセフォネに贈る花を摘みに。



明るい声だった。

彼女の姿は美しかった。

優しかった。

そして彼のことを愛してくれた。

メンテー。

コキュートス川のほとりに宿ったニュンペーである。

彼はすっかり彼女に夢中だった。

愛しい人からはもらえない「愛」を、彼女が彼に与えてくれたから。

彼女が彼の愛に応えてくれないという寂しさを、メンテーが埋めてくれたから。

仕事の合間を縫って彼は誰にも知られぬようにコキュートス川のほとりにやって来ていた。

彼女との時間は彼にとって至福の時間だった。


わざわざ仕事を早くに切り上げ、毎日どこかへ出かけていく。

ヘカテは違和感を覚えていた。

ただ、彼は毎回ペルセフォネへの贈り物を抱えて帰ってくる。

それだけのために出かけているのならばいいのだが。

彼女はそう思って気に留めないようにしていた。


だがペルセフォネは違った。

彼女の勘は鋭かった。

ペルセフォネは心優しいハデスにほんの少しだけ心を開きかけていた。

少しぐらいなら彼の気持ちに応えてあげないこともないかな、と思っていた。


「……ヘカテ様、叔父様……ハデス様はどこに……?」


「えーっと……花でも摘みに言ったのでは?」


贈り物のことは伏せ、彼女は答える。


「そう……どこにいらっしゃるか知ってますか?私も行きたいの」


「コキュートス川の方だと思いますよ。わかりますか?」


この広大な地下の王国で彼女が迷ってしまわないか心配するヘカテだが、彼女はほんの少しだけ微笑んでからこう言った。


「わかります。大丈夫よ」


彼女はそのまま一人で館を出るとコキュートス川へと向かった。


信じられない光景だった。

彼の隣に、自分ではない別の誰かがいたから。

絶対に彼に一番愛されているのは自分だと思っていたのに、そうではなかったから。

楽しそうに笑う彼女を見てペルセフォネは怒りに震えていた。

どうして。

そこは私の場所でしょう。

あんたなんかがいていい場所じゃない。

彼に会うことだって許さない。

彼女は浮気をしたハデスではなく浮気相手のメンテーに怒りの矛先を向ける。


「許さない……許さない、ただのニュンペーのくせに。私のほうが綺麗なのに。あの人は私のものなのに」


二人に気づかれないぐらいの声量で彼女は言った。

一人で館に帰り、自室に戻る。

大きな音を立てて扉が閉まった。


「ペルセフォネ様? どうかなさいましたか?」


ヘカテが心配そうに尋ねるが彼女は答えない。

私のハデス様を返せ。

誰の許可を得て誘惑している。

許さない。


「殺してやる、もう二度とあの人に会うことができないように」


彼女ははっきりとそう言った。


次の日、ハデスが仕事をしている間に、彼女はそっと館の外に出た。

真っ暗な大地をひたすら進み、コキュートス川のほとりまでやってくる。

メンテーは花を摘んでいた。

時折、ハデス様はまだかしらと呟きながら。

そんなメンテーにペルセフォネは近寄る。

メンテーが振り返った。

その時だった。

ペルセフォネがメンテーを踏みつけた。

にっこりと笑いながら彼女はメンテーに話しかける。


「ねえ、あなた。誰の許可を得て私からハデス様を奪おうと言うの?」


彼女が冥界の女王だと気が付いたメンテーは必死に彼女に許しを乞う。


「お許しを、ペルセフォネ様、はぁはぁ」


踏みつけられているせいで心臓を圧迫され次第に過呼吸になっていくメンテーだが、ペルセフォネはやめようとしない。


「許して、はぁ、許してくださっはぁ、ごめんなさい……!」


「哀れね」


彼女は不敵そうに笑った。


「私のハデス様を返してもらうわ。どうやって彼を誘惑したのかしら? 私の方があなたより美しいのが分からない? 身の程をわきまえて欲しいわ。あなたと私では天と地ぐらいの差があるの」


メンテーは自分が徐々に緑に覆われていることに気がついた。

いや、正確には彼女が植物に変わっていっているのだ。


「可哀想に。彼に手を出さなければこうはならなかったのにね。あなたはあの人の目にもとまらないようなただの雑草になるの。あなたはもう一生彼に会うことが出来ないの。いい?」


「っはぁ、はっはぁはぁ……」


メンテーはもう瀕死の状態である。

そんな彼女にペルセフォネは最後の言葉を告げた。


「さようなら。私のハデス様に手を出したらどうなるか、わかってくれたかしら?あの人は私のものなの。無力なニュンペーのお前が恋してはいけないの。この私と張り合おうなんて無理だったのよ。だってあの人が愛しているのは私だけなんだもの」


メンテーはペルセフォネが言った通り「ただの雑草」になっていた。

彼女はその葉を摘み取ると言った。


「この雑草でお茶を入れたら私はもっと魅力的になれるわよね。そうでしょう?ミントメンテー

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