第56話春の女神

翌朝、ゼウスはハデスとデメテル、コレーを呼び寄せた。

ため息をつきながら彼は3人に言った。


「姉上。決め事は変えられない。だからコレーは冥界に属さないといけない」


「そんな……!」


デメテルが絶望したようにゼウスを見つめる。

だが、彼の話には続きがあった。


「でも姉上がいなくなったらこの世界は滅びる。だから……」


「だから?」

「だから……?」

「何のお話ですかね……?」


デメテルとハデスが聞き返す。

コレーは誰からも事情を説明されていないため何が何だか分からなくなっていた。


「あのね、コレー。冥界のものを食べた者は冥界で暮らさないといけないの」


デメテルが悲しげな表情でコレーに告げる。


「私まさかこんなことになるだなんて思ってもみなかったから…… あなたに教えておけばよかった!」


「そ、そうだったんですか!? お母様が言ってたのはこのことだったのね」


納得したように彼女は言うと、ゼウスのほうに向きなおった。


「お父様、お話の続きは……」


ハッとしたようにゼウスは3人のほうを向く。


「えっと、だから……1年の3分の2は姉上と一緒に暮らして。豊穣の季節まで」


そして彼はハデスのほうを見た。


「残りの1年の3分の1は兄上のところ。コレーが天界に戻ったら芽吹きの季節の始まり。それでいい?」


ハデスがうなずく。

デメテルも、仕方ないといったようにうなずいた。


「えっと……つまり私は季節の変わり目だからすごく重要と……?」


少し戸惑った様子でコレーがゼウスに問う。


「あー、まあそうだね。おめでと、今日から君は春の女神さまだよっ!」


何とも気軽に言うものである。

かくして彼女は春と花の女神となった。

彼女が冥界から帰ってくれば春。

彼女が冥界に下れば冬。

地上にいる間はコレー。

冥界にいる間はペルセフォネ。

ちらりと彼女はハデスのほうを見上げる。

だがすぐに目をそらした。


「話はそれだけか。ならば帰る」


ハデスはゼウスにそう言うと踵を返した。

そしてそのまま廊下の奥へと消えていった。


「お母様……」


コレーがぽつりと呟く。


「私、1年の3分の1もお母様と会えないのね……」


寂しげな表情で彼女は言った。

彼女はハデスのことが好きではない。

そのためその「1年の3分の1」は大好きな母親に会うことのできない日々を送ることになるのである。

彼女はため息をついた。


「私がもっとしっかりしてればよかった……」


「貴方のせいじゃないわ」


そんなコレーにデメテルは優しく声をかける。


「帰りましょ? だってあなたと一緒にいられる時間が減ってしまったんだもの。本当は誰にも渡したくないわ」


デメテルは彼女をきつく抱きしめた。


芽吹きの季節が来て、暑い夏が来て。

世界は豊かな実りにつつまれていた。

麦の穂が黄金色に輝く。

今年も豊作である。


「お母様-! ここも豊作ね!」


「ええそうね。こんな日は気持ちがいいわ」


デメテルがコレーに笑いかける。


「……貴方もう行ってしまうのね」


彼女はぽつりと呟いた。

少し悲しげに笑いながら。


「あら……」


彼女の頬を涙が伝った。


「あらあら、どうしたのかしら」


必死に涙を止めようとするデメテルだが止まるはずもない。


「おかしい、わね。どうしちゃったのかな……」


「お母様? どうしたの!?」


心配そうにコレーが声をかける。

だが彼女は首を横に振りながら答えた。


「大丈夫よ。うん、大丈夫。もうすぐ……貴方がいなくなってしまうと思ったら少し悲しくて。心配しないで。準備していらっしゃいな」


自分に言い聞かせるかのように彼女は大丈夫、大丈夫と繰り返す。

そんな彼女をコレーは抱きしめた。

驚いたようにデメテルは目を見開く。


「お母様っ! 私も、私も悲しい! お母様に会えないんだもの。悲しくないわけがないわ! でもね、」


涙をこらえながらコレーは言葉を紡ぎだす。


「でもね、絶対帰ってくるから。約束よ。絶対に帰ってくる。だから待ってて? 私が帰ってくるのを」


コレーは笑った。

自分が泣きそうだということを隠すために。

自分の母親を悲しませないために。


その次の日。

コレーは冥界に下った。

辺り一面が荒野となった。


目も眩むような光ペルセフォネ。私の光。この日をどれほど待ちわびたことか」


冥界にやって来たペルセフォネをハデスが迎える。


「よろしく、お願いします……」


あまり浮かない顔で彼女は言った。


冷たく厳しい、冬の始まりである。

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