第55話訴えと掟

「……言ってる意味がよくわからなかったわ、もう一度言ってくれる?」


デメテルはコレーに笑いかける。

今のはきっと自分の聞き間違いなのだろう、と。

だが、彼女の答えは変わらなかった。


「だから、お母様が心配するといけないから少しでも、と叔父様にざくろを頂きましたよ?」


「……で……?」


震える声でデメテルは彼女に問う。


「まさか食べたの……?」


「え……美味しかったですよ……?」


彼女はその場に崩れ落ちた。

まさかあの子が、あのハデスが。

うわ言のように彼女は呟く。


「そんな、そんな……」


「お母様!?」


彼女の表情は絶望に染っていた。

ああ、この子にちゃんと教えておくべきだった。

まさかこんな事になるだなんて想像もしていなかった。

彼女の口からは後悔の言葉しか出てこない。

もっとコレーの行動に気をつけていれば。

必ず誰かと一緒にいるようにすれば。


「私がもっと貴女と一緒にいたなら、こんな事にはならなかったのに!」


彼女は叫んだ。

頬を涙で濡らしながら。

とめどなく溢れてくる涙に、コレーは慌てている。


「お母様、お母様、どうしたの!?」


だがデメテルにその声は届かない。


「どうして、どうして! どうして私から娘を奪うの!」


彼女はコレーの腕を掴んだ。


「ゼウスのところに行くわ。訴えてやる!」


「え、ちょ、お母様!」


状況を理解出来ていない彼女に構うことなくデメテルは彼女を連れてゼウスの宮殿に向かう。

デメテルは怒りに震えていた。

もう一度世界を荒野に閉ざしてしまうほどの勢いで。


「ゼウス!」


「どどどど、どうしたの姉上!? コレーはちゃんと帰ってきたんだよね!?」


コレーをちゃんと彼女の元に返したというのに今度はそのコレーを連れて怒鳴り込んできたことにゼウスは驚き慌てる。


「ねえ、騙されたのよ? この子は何も知らなかったの! 知らないことをいい事にこんなのってないわ! ねえ貴方も思うでしょう? ゼウスはこの子が可哀想じゃないの!?」


「落ち着いて! どうしたの?」


なんのことかも告げずにいきなり話し出した彼女を、ゼウスはなだめる。


「コレーが、コレーが……」


「うんうん」


「知らずに冥界のものを食べさせられたって……!」


彼の前で彼女は泣き崩れた。

信じられないという顔でゼウスはコレーとデメテルを交互に見つめる。

やがて彼はため息をつきながら口を開いた。


「姉上、掟は掟だ。それは変えられない」


「そんな……! この子は騙されたのよ!?」


悲痛な叫びにゼウスは悩んだ。

掟は変えることが出来ない。

コレーは冥界に属さなくてはならない。

だがデメテルは騙されたと言う。

コレーがいなければ彼女はもう一生職務を放棄するだろう。

それだけは避けなければならない。


「ちょっと考えるから、」


彼は彼女に言った。


「少し待っててくれる?」


もしかしたらコレーは冥界に属さなくてもいいかもしれない。

彼の言葉に彼女は淡い期待を抱く。


「ええ、待つわ」


彼女は言った。


「貴方がちゃんとした答えを出すまで」



「あー、どうしよー!」


誰もいなくなった部屋でゼウスは叫んだ。


「っていうか兄上が食べさせるはずないからヘルメスとかタナトス、ヒュプノスあたりだよね!? うーん姉上怖いしかと言って掟破るわけにもいかないし…… なんでこんなことになったのー!?」


すべての元凶は彼である。

ハデスは彼の助言通りコレーを攫った。

彼が最初からちゃんとデメテルに話していたならこうはならなかっただろう。

だが彼はそれをしなかった。

巡り巡って彼の元にその代償が返ってきたわけである。

はあ、と彼はため息をついた。


「コレーがいなくなれば姉上は職務を放棄する。でも掟があるから彼女は冥界に属さないといけない。なら……」


彼はそっと空を見上げる。

青空が広がっていた。

太陽は光り輝いていた。

荒れ果てた地は見違えるほどに美しい花畑になっていた。

そよ風が吹き、草花が揺れる。

ニュンペー達が花を摘みはしゃぎまわっていた。


「……なら……どっちにも属してもらうしかないかなあ……」


ぽつりと彼は呟いた。

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