14
本宅に戻るのが時間ギリギリになってしまったため、先日と同じ付け下げで文代は三者会談にのぞんだ。
狭霧も、
誰にとっても負担にならないよう、極力すみやかに会議を終わらせるべきだろうと思いながら、文代は口火を切った。
「この前、連絡人どのに調べ直しをお願いした件だけど。
そんなわけで、イリーガルな進め方になるけど、連絡人どのが今の時点で把握してる情報を全部もらって、後は空蝉に任してほしいのだけど」
「そういう事情でしたら、異存ございません」
「引導対象のかたわれが『失踪』してくれてるけど…」
「ご心配なく。潜伏場所は把握できております」
連絡人がアタッシュケースから取り出した書類に記載された住所に、思わず苦笑いする。
「えらくいい隠れ場所を見つけたもんだわねえ」
「引導対象がここを拠点にしだしたのは『失踪』してからですが、それを想定して、あらかじめ確保してあったように思います」
「同感ね。すぐに手に入れられる場所じゃないし」
連絡人がしっかりと佐々木を捕捉してくれていたのは、大きなプラス要因だ。これのおかげで、安心して
「ところで、ひとつ確認させていただきたいのですが。
御前のおっしゃっていた『引導対象と同姓同名の別人の知り合い』というのは、この方でしょうか?」
連絡人から差し出された写真は、画像は荒いが樟葉のものだった。
「そう。彼女が、私が知ってる方の『赤城樟葉』さん。引導対象の『失踪』の重要参考人にされちゃってる人」
「彼女に関しては、
「そのあたりの事情も把握してる。彼女は引導対象の企みに巻き込まれただけだっていうのも確認できてるわ」
「引導対象のほうの『赤城樟葉』の素性を再度洗い直したのですが…これをご覧いただけますか」
連絡人から新たに差し出された紙を目にするなり、文代は絶句した。
「こんなことって…」
「私の調査は依頼内容の正当性の確認が主眼ですので、本来の目的からは外れますが、引導対象の片方が御前のお知り合いと同姓同名と聞いて、引導対象ふたりの戸籍謄本を取り寄せました。
引導対象のかたわれの、戸籍上の名前も『赤城樟葉』です」
「………こんな偶然も、あるものなのねえ………」
あまりにも出来すぎた事実に、それ以上の言葉が出てこない。
「その『偶然』が身近に出てきたから、引導対象のかたわれが悪だくみを思いついたのでしょうな」
狭霧が静かにそう口を挟むのに、文代も頷く。二人の『赤城樟葉』と、多賀の存在が、おそらく佐々木を動かすきっかけになったのだろう。
偶然とは、本当に恐ろしい。
連絡人が辞した後、文代は狭霧に切り出した。
「狭霧、どうして轟さんの訴えかけに動かなかったの?」
「………ご存じでしたか………」
「把握したのはわりと最近だけどね」
ここは、今朝がたに知ったとはおくびにも出さず、狭霧に圧力をかけるべき局面だ。
もっとも、それが大した効力を発揮していないのは、狭霧の顔色を見れば明白なのだが。
「放置したわけではございません。
少し探りを入れただけで、轟の訴えが正しいことは判りました。ただ、多賀の性格からして、そのうち自滅するだろうと見て、あえて策を講じずにおりました」
「そうね…」
多賀が
「私の判断は誤ってなかったと考えますが、多賀が意外と持ちこたえて、結果として御前にご迷惑をおかけしたのは申し訳なく思っております。
轟の消息が途絶えたのは全くの予想外でして、私が直接指揮をとって足取りを辿っております」
「前の三者会議の時に取り込んでたのは…」
「左様です。轟の件でした」
「収穫はあった?」
「いいえ。ですが、空蝉なら調査で佐々木の存在に辿り着くのは難しくありません。単独探索でなにか失敗して、運が悪ければ既に手遅れですが、運が良ければ…」
「私も、佐々木のこの潜伏先に捕らわれてるかも知れないっていう気がしてるわ。条件ぴったりだもの」
先刻、連絡人から渡された書類に視線を落とす。
改装中のマンション一階のテナントなど、人や物の出入りが激しくても不審に思われない。加えて、外から様子が分からないように窓がふさがれているなど、人を隠すにはうってつけではないか。
「狭霧のことだから、静観してても多賀の強請り相手はちゃんと調べてたんでしょ?」
「はい」
「佐々木のバックになにが居るのか、当然調べてあるわよね」
個人が一企業を強請るというのは、単なる
まして、相手は政治家との強い癒着を囁かれるところである。それなりの後ろ盾がないと、強請る以前に潰される。
「最明寺と関係がある官僚につながる政治家と、敵対する方面です」
「政治屋さんたちのパワーゲームを利用したというか、利用されているというか。
まあ、そういう事情なら、私たちが佐々木を潰しても、黒幕さんはおおっぴらには出てこないわね」
「はい。下手に動けば、自分が絡んでいるのが我々に勘づかれることになりますから」
「じゃあ、遠慮なく動かせてもらいますか。
多賀で佐々木をおびきだして、
「それでしたら、偽物の証拠を多賀に持たせれば…」
「本物じゃなきゃ意味がないわ。
ダミーだと、どうしても扱う時に気が緩む。そこをつけこまれないとも限らない」
「――二日、いただけますか?」
「分かった。空蝉はそっちに全力を注いでちょうだい。佐々木の潜伏場所の間取りや何かは、秋津のほうに探らせるから」
「かしこまりました。
話は変わりますが。多賀の件に関係して、御前に申し上げたいことがございます」
狭霧が文代をひたと見すえる。
「多賀を捕らえる時、御前みずから多賀に対峙されたとうかがいました。ご自身が進んで危険なことをなさるのはおやめ下さいと、何度私が申し上げましたでしょうか」
「はい………」
話の出所は、確認するまでもない。狭霧に何を訊かれても聞き流す穂積と、うなだれて素直に答える長田の姿が目に浮かぶようだ。
文代とて、何も考えずに多賀に向かったわけではない。気迫で多賀に凶器を抜かせない自信はあったが、セーターの下に防弾・防刃チョッキを着用していた。
それに、多賀が自分に危害を加える素振りを見せたら、穂積が躊躇なく多賀を排すると確信していた。成東とて、そういう局面でただ突っ立っているわけがないだろう。
とはいえ、あの時、自分が一番最初に多賀に姿を見せたことには変わりない。
「空蝉の代わりはいくらでもおりますが、御前の代わりはございません。その自覚を、いつになったらお持ちいただけるのですか。
御前のご気質を考えて黙認しておりますが、本来なら危険の伴う表稼業もお考え直しいただきたいのです」
狭霧の説教がはじまってしまった。
言われていることは正論なので、うなだれて拝聴するしかない。
不意に、帯にはさんだスマートフォンが鳴り出す。三者会議の間は、不急の連絡は来ないはずだ。急いで取り出したスマートフォンの画面を見ると、連絡人からの着信だった。
狭霧に断りを入れてから電話を取る。
『依頼対象の女が、自宅を出たところで拉致されました』
「な…!」
『女が連れ込まれた車を、私の手の者がいま尾けてます。その車のナンバーを調べて、豊洲のバラシ屋のところのものだというのも確認が取れています。
いかがしますか?』
連絡人が、いつになく早口でたたみかけてくる。文代は目を閉じ、しばし逡巡した。やがて、腹を決めて目を開く。
「何もしないでいいわ」
それは、バラシ屋に『赤城樟葉』の身柄が渡るのを黙認するということだ――バラシ屋に連れていかれた彼女が、どうなるのかを判った上で。
『赤城樟葉』がバラシ屋の車に乗せられる前なら、連絡人に彼女を助けるよう指示していただろう。だが、自分の意志でなくても、乗ってしまった後では手出しができない。
正当な理由がない限り、相手のテリトリーに入った者を力ずくで奪取するのは、暗黙の協定に反してしまうからだ。
スマートフォンをしまい、狭霧に今の通話の内容を説明する。
「ほうぼうから恨みを買っていた人物ですから、御前が引導くより前に天の采配が下ったのでしょう。
御前が気に病まれることはございません」
「そうね…彼女に貢がされたあげく、借金で首が回らなくなって自殺した人や、会社のお金に手を出して逮捕された人もいるから、その中の誰がバラシ屋に頼んだとしてもおかしくないわよね」
そう言いながらも、何かが文代の中で引っかかった。何だろうか…と内心で首を傾げる。
理由に思い当たったのは、狭霧との打ち合わせを終え、和室に戻って帯を解いている時だった。
帯を
バラシ屋のママに会った時に、ママは樟葉のことを「あんな危険な女はさっさと放り出せ」と言った。その言葉は、樟葉よりも、資料で見た『赤城樟葉』のほうにこそ当てはまる。
佐々木が、『赤城樟葉』の所行を樟葉のものだと偽って、ママに依頼したのではないだろうか。そうした事情なら、『赤城樟葉』の始末は別のバラシ屋に頼んでもおかしくはない。
確証はない。今のところはただの想像だ。
だが、同じ人物の周辺にいた同姓同名の人間が相次いで同じ職種の連中に連れていかれているのだ。偶然にしては重なりすぎる。
別々に依頼されたというより、いずれも佐々木の差し金だと考えるほうが自然ではないだろうか。
頭を振って、着替えを再開する。
答えの出ない仮説を立てて悩むよりも、引導人にしかできない引導の下準備をするほうが大事だ。
真相は、二日後に佐々木本人に問いただせばいい。
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