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 樟葉が起きている間は、当然ながら当人を調査しているのを気取られるわけにはいかない。

 樟葉が就寝したのを監視カメラで確認してからも、いつアラームが鳴るか用心しつつ、文香の部屋でやっと調査結果の精査がはじまった。

 「きのう頼まれた、赤城さんが在籍する派遣会社の登録データがこれ」

 文香がずいとノートパソコンを差し出してくる。

 「サンキュ。仕事が早くて助かるわ」

 「派遣会社のサーバーのセキュリティが、甘すぎて忠告してあげたくなるレベルで、全然楽勝だった」

 文香がそのサーバーから探し出してきたデータを確認する。そこに表示された樟葉のパーソナルな経歴は、多賀に調べてもらったものと違いがない。

 「出身校のデータも当たってみて、派遣会社のデータに書いてあるとおりの年に『赤城樟葉さん』が在籍してたのは確認した。

 学生の顔写真データまではサーバにいなかったから、ほんとにご本人さんだったのかまでは、今のところ不確定」

 「そこんところは、名簿図書館で確認するしかないわね。

 文香が調べてくれたデータと、私のほうの調査結果を合わせると、うちにいる赤城さんと引導対象の『赤城さん』は、かなりの確率で別人と考えていい気がしてきた」

 昨晩、本宅から戻ってから文代も調査に動いていた。

 連絡人の報告書には、「赤城樟葉」がキャバクラでの源氏名で開設しているブログのアドレスが記載されていた。そのブログに、店に出勤した日にはその旨が書かれているのを見つけたのである。

 その日付と、文代が樟葉と夜間に会っている日を照合したところ、その時には「樟葉」が出勤しているのが確認された。

 ただ、隠されていた樟葉の双子がアリバイ工作をした、などという推理小説めいた小細工をしていないとは限らないので、まだ結論は断定しない。

 また、両者の名乗る「赤城樟葉」が本名かどうかも、今は無視する。重要なのは、その気になればいくらでも付け替えられる名前ではない。

 「これでひとつ、問題がだいたい片付いたけど、疑問はまだまだ大量に残ってる。でも、材料が少なすぎて判断が難しいっていうのが、たまらないわねえ」

 「姉さん、言っていい?」

 「なに?」

 「赤城さんはうちにいて、外に出られない。でもって、赤城さんちの住所が分かってて、鍵を姉さんがあずかってる。なのに、どうして動かない?」

 「それはやっちゃ駄目でしょうよ」

 文代は揺るぎなく即答する。

 「住所知ってて鍵あずかってるからって、赤城さんちをあさりに行ったら、表の仕事と引導人さばきの仕事の線引きが崩れちゃうでしょうよ。引導さばくためなら何を犠牲にしたっていいっていうのなら、引導対象に探偵としての私に仕事を依頼させるようにし向けて、あれこれ細工しちゃうのも許されることになる。

 引導人がそんな邪道に走っちゃおしまいよ」

 「引導人が清廉潔白じゃないのに?」

 「だからこそ、よ」

 「石頭め」

 ぽそりと呟く文香の声は、言葉とは裏腹にあたたかい。

 文代のスマートフォンが鳴った。

 「お疲れさま。………分かった。すぐ行きます」

 それだけで電話を切る。

 「穂積くんが戻ってきたから、報告聞かせてもらってくるわ。

 文香もお疲れ。今日はもう休んで」

 文香の部屋を辞すと、自室からタータンチェックのショールを引っ張り出し、急ぎ足で玄関に向かいながら羽織る。ドアを開けて廊下に出ると、エレベータの前、オフィス側の玄関ドアの前に穂積がいた。

 秋津たちが同僚に聞かれたくない話を文代にしたい時は、この場所を使うのだ。

 「お疲れさま」

 「きのう御前からもらった愛のホカロンが、すげーいい仕事してくれたっすよ」

 まったく普段どおりの口ぶりだが、急ぎ足で文代が近寄った後、ダウンジャケットのポケットからデジタルカメラを取り出すのには少し間が空いた。

 「………いいっすか?」

 文代が頷くと、穂積は写真を次々と開きながら標的ターゲットの今日の状況を報告する。

 聞き終えた文代は、大きく嘆息した。

 「初日から大収穫…って、いいんだか悪いんだか。

 ともかく、お疲れさま。やりにくい相手で大変だったでしょ?」

 「いやあ。空蝉も奴さん尾けてて、奴さんと会ってた奴を連絡人つなぎどのが尾けてたもんで、そっちに見つからないようにする方が面倒でした」

 「空蝉が? なにそれ。聞いてないわよ」

 「あ、やっぱり。御前が空蝉に尾行頼んでるんなら、オレっちにまで頼むわけないよなーって思って、急いで隠れたんすけど」

 「ありがとう、いい判断だったわ」

 連絡人が当該人物を尾けていた理由は分かる。しかし、空蝉がを尾ける理由が分からない。

 ただ、狭霧がそれを自分に伏せているという一点だけ見ても、状況はかなり芳しくないと言えるだろう。

 「どっちにしても………荒れるわね、この件」

 苦々しく呟けば、穂積も表情を引き締めて頷く。

 「で、オレっちはこの先どう動けばいいっすか?」

 「狭霧より先にカタをつけるけど、もうしばらく標的を泳がせておいて。尾行もそのまま継続で。

 大変だろうけど、穂積くんの負担にならないように、私もバレない範囲で手を回してくから、ちょっとだけ我慢してね」

 「了解っす」

 これから当番としてオフィスに詰める穂積を見送ってから、文代は壁にもたれて瞑目した。

 止められない嵐が来る。

 その影響はどこまで広がるのか。どこまで食い止められるのか。

 思惟が錯綜して、頭も胸も熱い。暖房のない廊下の冷えた空気も、それらの芯にまでは届かなかった。

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