テレビがヤクザになったわけ

Tomoka Kaneko「英語表記」

第1話 ヤクザとテレビ

なぜここまで、頑なにテレビをみなくなったのか。多くの読者はもう理解しているように、誇大広告を祭の花火のようにブラウン管からうちあげ、視聴者に無駄遣いさせることしかしなくなってしまったヤクザのテレビ。


まず、ないてしまうこいだのが誰もほしがらない値段なうえ、書き込みがお金でよくかくように買われたAmazonのコメント。


AmazonのなかにTBS...


そしていまだ桃の番組...


うれなくなりサーバーがおちているのに、なぜAmazonのなかにTBS...



また本広克行...


だからやなんだよ、日本の制作者は、と

日本人の番組の登録を削除しきるまえ、玄関先にあったトナーのようなものを拭き掃除してベランダをみたら、いた...



花束もってうろついていた茶髪が...


バレていることにおじけずき、こちらの

ベランダをちらちらみながらグレーの綿パンのジャージでうろついてサンダルをはき、またか...

まだ糸井重里の手先がいるのか、と、警備のひとに電話をいれ雨戸の隙間から見ている。


ぽけもりでナンパはする、スイッチもってつきまとう、いじのきたないよだれだらけの

おとなとは、縁をきり、同じあやまちを断じてくりかえさない!


はなたばみたいな、と、はなたば、は別物であり

みたいな、は、たとえ。比喩。


ほんとうに花束をもちあるいたり花だらけにしたりお姫様をやりたがっても、はい却下。


せっかく広告につかっていただいておきながらうらでやっていることが汚さすぎて、

東芝にきりすてられ、シャープもダイナブックも東芝は作っていない。


なお、花束がそこまで気になるならうそうそだのぬんぬんだのファイルファンタジーだのフィラきてれば採用されるだのといった、

あさましい浅知恵はやめ、アルジャーノンに花束をのあらすじでも、おまえたちが好き勝手かきかえているWikiでよみ、

そぼくとは、ということをしっかり考え、

そぼくにいきるひとにつけこむようなまるで愛は地球をすくうだの毎年偽善をのたまう

24時間だの27時間だの一過性のもののような

付け焼き刃のことをするのではなく、

つねひごろから彼らのこころの瞳に目を向け行動し、彼らにも寄り添っている生き方ができてからぬりたくっていただきたい。


一人称のぼくだらけにするまえに、

そぼくについて学んでいただきたい。


2020/5/7 0:51




0:56


加筆


1:02 さらに加筆


加湿がいいかね?

いやでも梅雨もくるし、五月雨は雨です。


去年もわたしのじゃんけんであっけなく視聴率でもわたしにまけたのに、品のないいじきたないひとは、赤字にまみれジタバタしすぎていていとおかし。

お菓子いる?


1:06


1:09


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