『夕凪』に隠されたイレギュラー

 半弓を家の中に招き入れ、それぞれの前にお茶が置かれて少しの沈黙。警戒しているうつつを見て半弓が1枚の写真を差し出した。肩越しに少しだけ振り向いたうなじのひと房だけを長く伸ばした黒髪の女性の写真だ。

 「彼女です。僕はこの人以外目に入りません」

 写真に注ぐ視線が言葉以上に雄弁だ。優しく愛し気に目を細めている。聞いている方が照れるほど本気が伝わる様子にまひろも頬を染めた。

 「大切な方なんですね」

 「ええ、結婚はしていませんが、結婚してもしなくても僕は彼女ひと筋です」

 

 空気が目に見えて緩んだ。うつつの過剰な警戒は消え、誰かを思う気持ちに逆立っていた気持ちが宥められる。そんな空気に和み束の間の休憩。もちろん、半弓はお茶しに来たわけじゃない。とすれば、この空気が長く続かないのも必然で。

 「お話よろしいですか」

 その一言で空気が少し緊張を帯びる。半弓は手にしたカップのお茶の水面を揺らして見つめた。揺れが落ち着いた時が口火を切る時と決めているように。

 「今回のことに関しては浅井先生の采配が早過ぎて、ツナギさんの学科総括としては完全に出遅れてしまいました。面目次第もありません。彼の思惑はどうあれトラブル対応としては悔しいですが完璧です。だから、僕はもうひとつの対応についてツナギさんとご両親とお話したいです」

 「もうひとつの対応というのは?」

 「ツナギさんが今後狙われる可能性があるということです」

 「⁉」

 ツナギは目を見開いて硬直した。予想だにしない発言だった。同じく驚いているうつつとまひろは少し驚きの種類が違うようだ。誰に質問するかを考えて結局無難な半弓へと目を向ける。

 「半弓先生、どういうことですか? シールド保有がないからですか?」

 「それも大きいです。シールド保有がないのは鳩村もしくは夕凪ツナギさん、日本においてただ一人です。シールドの変型保有の人、シールド弱い人はいますが全く持たないという例は少なくともデータ上存在しないんです」

 「珍しいから狙われるってことですか」

 「それに加え、異能開花研究学科の中で特定の名字の人間へ興味を示しているという話を聞きました。ツナギさんも含まれている」

 「…………それは、夕凪ですか」

 ぽつりと妙に乾いた声が落ちた。まひろが虚ろな目で半弓を見上げていた。

 「夕凪は他の違う能力を保有しやすいと聞いたことがあるけど、大きく見れば誰もが固有の能力を持っているものなのに……」

 「まひろさん、落ち着いて」

 外から強い風の音がして窓が揺れた。いや、家ごと軋んだ。うつつがまひろをしっかりと抱きしめる。切実な祈りに見えて介入できないツナギと半弓はただ抱擁が解かれるまで見守るのみ。

 「まひろさんには妹がいるんですが、彼女はかつて研究対象として囚われていたことがあるんです。息子までと思えば冷静ではいられません。もちろん、僕も」

 口調は穏やかなまま、見据える瞳は強く。見返す半弓は気圧されることなく静かに頷いた。

 「僕も非人道的なことを認めようとは思いません。そんなこと僕の生徒にも、僕に関わる人全てにさせないつもりです。そのための情報を頂けませんか。お願いします」

 情報処理が追い付かず黙って考え込んでいたツナギの視界で半弓が頭を下げる。さらさらと綺麗な髪が動きに合わせて揺れるのを見ていたツナギは突如びくりと身を震わせきょろきょろと周囲を見る。突然の挙動不審に周囲も驚いた。

 「どうした?」

 「今、声が……」

 「声? テレパシー?」

 「なんて?」

 「えっと、『誰がまひろを害したか』って聞こえた。すごく、なんていうか、静かな声なんだけど……怖かった」

 「ああ、それならきっとお義母さんだね」

 ツナギの言葉にうつつがあっけらかんと笑った。

 「え⁉ そんな、なんでお母さんが」

 「だって、まひろさんのお母さんだよ? 気付くでしょ。まさか、孫に聞かれちゃうとは思ってなかったろうけどね。ツナギの受信能力は強いから」

 「……今の声、その、僕のおばあちゃんって、こと?」

 「そうだよ。今度は怒ってない声を聴けるといいね」

 「…………うん」

 響いた声は、そこに秘められた感情はものすごく怖かったが母を大事に思ってくれているからと思えばうれしいと感じた。この強い受信能力は誰かが隠していた本当の思いに触れることもできるんだろうか。だとすれば、色々欠けているとされてもその代わりに強い受信能力を持っていることを誇れる。

 「半弓先生、正直今日は色々あり過ぎて、初めて知ることも多くて混乱もしています。でも、僕が何か特殊な能力を保有している、もしくは今後する可能性があるにせよ今日まで折り合いをつけながら生活してきたことを害されたくないのは確かです。かといって、特別に保護されたり、積極的に対抗したりもしたくないです」

 「うん、わかる気がする。つまり……」

 「はい、僕はいつも通り生活をして、手に余る時は相談させてください」

 「ご両親は……ご両親も同意見のようだね。わかったよ、ツナギさん。君は、強いね」

 ツナギは首を傾げる。両親は頷いているけれど自分では自分が強いなんて思わないから。夕凪のこと、囚われていた過去を持つという叔母のこと、どこからか母を気にしている祖母のこと、狙ってくる人間のこと知りたいことはたくさんある。それでも可能な限り平穏な日常で在りたい。それだけだ。

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