彼の基準は時と場合によって危険だろう。
外堀を埋めると言っても大した情報はなく、これ以上時間を無駄に引き延ばすのも非効率的という結論の元、半弓が端末から文面を送った直後に救護室の扉が開いた。あまりの速さに鼻白む。
若くも老いても見える長身の男は雪を冠した山のように白髪と黒髪が印象的だ。衆目の中、細い銀縁眼鏡の片手で調整しながら淡々と口を開く。
「ずいぶんと呼ぶのが遅いな。30分以上も待つとは思わなかった」
「浅井先生、まさか部屋の外に?」
「半弓先生はずいぶんと悠長だ。うちの科の國見 コウ、菅野 優斗、相沢 斗真、加納 秋、若木 セナの5名が未来進化研究学専攻のひとりを追い回し、けがを負わせた。その後、助けに入った綾辻 柊斗により、菅野、加納、若木が負傷。打撲と軽い脳震盪で問題はないが、そっちの被害者はそうではないようだ。データを見せていただこうか」
気圧された様子で綾瀬が椚の目配せを受け資料を取ってきて手渡した。礼も言わず浅井は資料に目を通し頷く。周囲を全く無視してツナギを手招いた。ツナギが話に付いて行けず目を瞬かせると僅かに苛立ちを目に宿らせ浅井はため息をついた。
「送ろう。ご両親に詫びを入れねばならない」
「浅井先生、そんな急に」
「もう彼の家には連絡を入れてある」
「ええ!?」
「國見は明日にも退学になるだろう。他は厳重注意とうちの精鋭が監視する。綾辻は能力使用は救助という名目で今回は不問だ」
展開が早すぎる。半弓が同行を申し出たら当たり前のことに許可を求めるなと言い捨てられ完全に押されている。従うしかない状況に流されながら完全に置いてけぼりになっている奥園達を気にしていると浅井が振り向いた。
「今回の件でまともな活動ができなかったと思われる未来進化研究学専攻木曜メンバーは違う曜日でも補講という形で申請可能だ。やむ得ない事情ということで教務にはすでに話は通してある。落ち着いたら相談して決めるといい。それと綾辻」
「はい!」
「君の人を見る目はなかなかに的を得ているようだ。今後にも期待しよう」
柊斗の顔色が目に見えて青ざめた。先ほどの浅井に対する言葉は聞かれていたということだ。浅井は怒っているように見えないだけに逆に怖い。
「鳩村もしくは夕凪ツナギ、あまり待たせるとご両親が心配するんじゃないか」
「はい、あの、ありがとうございます」
「君のためではない」
どういうことかと聞く前に浅井は早々に救護室を出てしまう。ツナギは仕方なく半弓にも促され軽く頭を下げるだけで後を追った。
すたすたと足早な浅井に追いつくのは少し小走りにならねばならなかった。職員駐車場と思われる場所に出て、真っ黒い外車にさっさと乗り込みエンジンがかけられる。重厚な音だ。最近では珍しいのではないかとツナギが思わず立ち止まり眺めていると少し車が進んだ。置いて行くぞと言わんばかりの行動に半弓と慌てて後部へと乗り込む。すぐに車が動き出した。とても静かな運転だ。音楽もかけずギアを変える音だけが時折響く。この様子だとツナギの家までのルートも把握済みと思われた。程なく家の前に車が止められると同時に玄関から2人が駆け寄ってくるのが見えた。とても心配している。気遣うように肩に手をのせて頷く半弓に励まされゆっくりとツナギも車を降りた。
「ツナギ!」
「母さん、父さん、ごめん、心配かけて」
「彼は悪くありません。お初にお目にかかります、異能開花研究学統括、浅井
「幼稚なことと言うのは?」
うつつの顔が珍しく険しい。まひろも硬い顔でツナギを抱き寄せながら浅井を睨んでいる。それでも浅井の表情は変わらない。
「ツナギ君はシールドを保有していませんね。それに気付いた彼らは追い詰めることで新たな能力の獲得が見られないかと考えたようです」
「なんてことを! 誰も助けなかったんですか⁉」
「同じ科の者が気が付き、彼らを撃退、ツナギ君を保護しました。一応断っておきますが、うちの科全てがバカ揃いとは思わないで頂きたい」
「その相手は謝罪には来ないんですか。ツナギにも謝っていないんでしょう?」
「謝る頭もないバカなようなので首謀者は退学、他は厳重注意の上監視が付きます。バカは何をしでかすかわからない。なので、あえてここには連れてこないことを選択しました。逆恨みでご自宅に攻撃したら事ですので」
全てが浅井の采配で終わっていた。此方の思いも、相手のことも、ぶつけようもない状態で。ツナギは浅井を見上げた。淡々と義務的に事務的に事を運ぶ男を。
「浅井先生、ひとつお聞きしてもいいですか」
「何かな、ツナギ君」
「どうして退学はひとりだけなんですか?」
「國見 コウは今までも同じようなことを繰り返していたようだ。そして、それがことごとく隠蔽されている。いわば何らかの権力を振りかざす人種ということだ。それは我々の研究の妨げになる」
周囲もツナギも絶句した。僅かに熱量を感じさせた答えはこの謝罪が、采配が一切の罪悪感を持たず、ただ彼の利益のためだけのお膳立てと断言したも同然だ。震えるまひろの声がした。
「あなたは、一切悪いと思っていないんですか」
「もちろん、悪いと思っているから謝罪に来て、被った不利益を補填する算段を立て、提案しにきたのです。医療費は大学が全て払います。怪我が原因、もちろん精神状態も含め助けが必要な部分は全てフォローできるように計らいます。……何か問題が?」
この人は危険だ。こちらの理屈が通らない。今回はたまたま相手の方が彼にとって切り捨てる基準になっただけ。状況が違えばツナギが排除される可能性もある。もしくは、自分の邪魔にならない連中はいい手駒になると考えているとしてもおかしいと思わない。
「それでは、事後処理もありますので私は帰らせていただきます。何かあればいつでも連絡を。ツナギ君、お大事に」
ツナギの持つ端末が音を立てた。浅井が連絡用アドレスを送ったらしい。踵を返した浅井の背を追いかけるようにしてまひろが叫んだ。
「私はあなた達がツナギにしたことを忘れませんから! 絶対に!」
車のドアを開けた浅井が振り向いて、微笑った。
「それもまた仕方のないことです。おやすみなさい、良い風が吹くといいですね」
どういう意味かと疑問に思うツナギの横から、うつつが飛び出し棒立ちになったまひろを背に庇って浅井を睨みつけた。無表情に戻った浅井は何事もなかったように車を発進させて返っていった。うつつはその影が見えなくなるまで睨みつけていた。
「父さん、母さん……?」
我に返ったように身を震わせ、うつつがそろりとこちらを見る。まひろがどんな顔をしているかはここからじゃわからない。うつつと目を合わせて頷き振り向いた時には痛ましげな顔はしているがいつものまひろだった。
「ツナギ、家に入ろう」
「うん」
歩き出そうとして、気まずそうな声がツナギ達を止めた。
「あの……」
「あ、半弓先生、置いて帰られちゃったんですね」
「それはいいんだけどね、あんな人に送ってもらいたくないから。その、私からもお話いいでしょうか?」
心底申し訳なさそうにうつつ達の様子を窺う半弓を見て、やっと存在に気付いたうつつとまひろが目を丸くした。こんな状況にもかかわらずまひろの目が少しときめいたようだ。
「まぁ、天使!?」
「未来進化研究学総括を務める半弓 貢です」
半弓の完璧な礼を受け、うつつがニコリと笑みを深め、家へと促す。
「どうぞお入りください。まひろさんに手を出さないでくださいね」
変な対抗心出さなくていいからとツナギは内心で呟き、深いため息をついた。
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