夕凪もしくは鳩村まひろの誕生日

 「そういえばツナギ、まひろさんへのプレゼント買った?」

 アイラの言葉に珍しくツナギはほうけた顔をして立ち止まった。大学入学に気を取られていつもなら絶対に忘れていない母の誕生日を忘れていたのだ。その様子を見て答えを知ったアイラが苦笑を浮かべる。

 「サンドイッチは預けて、お店寄る?」

 「アイラは買ったんだよね?」

 「うん! ちょっと奮発して天然素材色鉛筆500色! まひろさん、絵を描くの好きだから。今回の大学受験もいっぱい応援してくれたお礼なの」

 ツナギはハードルを上げられた気分で空を仰いだ。逆に言えばそこに負けないと感じるものを選べばいいのかと深いため息をついて頷く。一応、候補はいくつかあるのだ。今日だということを失念していただけで毎年良さげなものをピックアップするのは欠かさない。アイラと張り合うつもりではないが息子としてしょぼいものは送りたくない。

 「チケット窓口に寄れればいい」

 「何買うの?」

 プレゼントされる側じゃないのにワクワクとアイラが目を輝かせている。

 「ガーデン&プラネタリウム全フリーパスチケット、ペア変更有のやつ。ひとりで行ってもいいし、父さんとデートする時にも使える」

 「それって、ご近所から全国対応7年チケット!? 7万くらいしなかった!?」

 「候補に考えてからそのお金は貯めてあるから問題ない」

 「ツナギって本当にお母さん好きだよね……」

 「父さんの分も、友人の分も貯めてある」

 マザコンのように言わないでほしいとツナギはやや語気を強めて補足した。大して趣味がないのでお金は貯まりやすい。しいていえば、こういう時に使うのが趣味だろうか。相手が喜ぶものを考えて、実際に喜んでもらえればうれしい。

 「……私のは?」

 「もちろん貯めてある」

 「ツナギって、女友達に誤解されそう」

 僅かにツナギの顔に苦みが浮かぶ。実際何度か気があると誤解されてトラブルになったことがあり、かといってまったくあげないと文句を言われたり、女の友達を作りたくないと考えているくらいには悩ましい事項なのだ。ツナギにとってイベント時にプレゼントするのは当たり前のことで、そういう家庭で育っているがゆえに簡単に意識を変えられず。そこがツナギの真面目であり不器用なところでもある。

 何はともあれ帰り道に立ち寄り、包装も頼んで一安心。アイラはその間、テーマパークフリーパスやイベントチケットを閲覧して友達と行きたいと楽しそうに過ごしていた。

 時計を見れば16時、メンテナンスの時間は終わっているからちょうど良い。在宅勤務中は会社と連動したレンタル個室で家に居ながら基本遮断となるがメンテナンス前には終了しているはずなのでアイラが寄ってもいいはずだ。念のために連絡すれば寧ろ夕食も共にしてほしいとテレパシーが戻ってきてアイラと顔を見合わせて微笑った。

 もちろん2人のプレゼントはまひろを大興奮させ、少し遅れて帰って来たうつつの持ち帰ったケーキと耳打ちしたプレゼント(何かの情報らしいが教えてもらえなかった)にとても幸福そうな笑顔を浮かべた。


 いくら隣とはいえ、あまり遅くなる前にとツナギはアイラを送りに出た。アイラの父親はかなりの心配性だがツナギのことは嫌っている。だから送らないと非常識だと責め、敷地内に入ると図々しいと言う。文句をつけられないギリギリの門扉の前まで付き合い、カメラで見られていることを考えて会釈して戻ることにしていた。アイラはツナギに冷たく当たる部分は許せないが、アイラも両親が大好きだから最近はその妥協点を受け入れて、手を振って帰る。

 その姿が消えるのを確認して踵を返し……「あれ?」とキズナは首を傾げた。出てきたときはなかったはずだ。門扉と玄関のちょうど真ん中に植木鉢がある。見たことのないけど綺麗な花だ。つる草の仲間だろうか、紫、薄紅、黄色の星のような花が咲いている。ゆっくり近寄って見ると土にカードが刺さっていて「誕生日、おめでとう」の文字が見えた。嫌な感じはしないことを確認して玄関まで持って行き、声をかける。

 呼びかけに応え出てきたまひろの目が見開かれた。半ば奪うようにツナギの手から植木鉢を取り、靴も履かずに外に飛び出していく。あっけに取られて遅れながらもうつつと共に追いかけた。

 「ましろ! ましろ、いるんでしょ⁉ ねぇ、応えて! ましろ!」

 「まひろさん!」

 声を張り上げて今まで見たことのない必死な顔のまひろの肩をうつつが抱いた。びくりと身を震わせ我に返ったまひろが植木鉢を抱いて立ち竦む。ツナギは大声に驚いて顔を見せていた近所、アイラの家族にも頭を下げ、うつつも同じく頭を下げながらまひろの肩を抱いて家へと誘導していく。ツナギは初めて見る母の様子に内心ひどく驚きながらも何も言わずに後に続いた。

 うつつは汚れてしまった靴下を脱がせ、心細そうに眼を泳がせていたまひろの頭を優しく撫ぜた。

 「良かったね、姿は見せてくれなかったけど、おめでとう言いに来てくれたね」

 優しい声音にまひろの目があっという間に潤んで号泣に変わる。うつつは植木鉢を抱えたまま泣きじゃくるまひろを優しく宥めた。

 しばらくしてまひろが泣き止み、気を利かせてツナギが淹れた紅茶で一息をついたタイミングでようやく説明が聞けそうといった空気。まひろが恥ずかし気に、きまり悪そうな顔で口を開いた。

 「ごめん、驚いたよね……ごめんなさい」

 ツナギは黙って首を振る。わからないながらに事情があることくらいは明らかで知りたいよりも、心配の方が勝る。それが伝わっているのかまひろはやっと笑みを浮かべた。

 「ましろ……は、私の妹。色々あって音信不通で、ずっと会えてなかったの。この花、昔、自分の家に星型の花を門扉に這わせたり、アーチ作ったりしたいって話したこと、覚えてくれてたんだと思う」

 懐かしそうな、哀しそうな顔でまひろが話すのを聞きながら、ツナギは釈然としない思いで僅かに眉間に皺を寄せた。昔の話を覚えていて叶えるほど思ってくれているなら——

 「どうして、逢いに来てくれないんだろう」

 「ツナギ」

 珍しく咎めるようなうつつの声に失言を悟る。黙りこくってしまったツナギの手に伸びてきたまひろの手がそっとのせられた。恐る恐る顔を上げれば優しい微笑みが目に映る。

 「そうよね、私もそう思う。でも、仕方ないかも。あの子、すごく照れ屋なの。プレゼントを置いて逃げたのは、すごく頑張ったと思う。そういう子なの」

 「身内にも?」

 「ええ、いつか顔見せてくれるといいわよね」

 「そうだね」

 ぎこちなくツナギは微笑み頷きを返す。うつつが何だか複雑そうな顔をしているのが気になったが、勢いよく立ち上がったまひろに気を取られる。

 「今日は最高の誕生日、うれし過ぎて泣いちゃったけど。明日はお騒がせしたご近所さんにお詫び代わりにお菓子配って、この花を植えるわ。ね、手伝ってくれる? ツナギ」

 少しだけ不安そうなまひろに意識して口角を上げた。ツナギがまひろの願いを撥ね退けることなんてないのに。そう、返事なんて決まっている。

 「もちろん。……明日は朝一で材料の買い出しだね」

 「ありがと、ツナギ」

 「僕は?」

 少し拗ねたような声が割り込む。まひろはぎゅっとうつつの首に抱き付いて満面の笑みを浮かべた。言わんとすることは傍にいてくれるだけで最高に幸せなのよ、といったところか。さすがに所在がない気分だが、いつも通り仲が良く穏やかな時間が流れるなら良しとしよう。そんな思いでさり気なくカップを片付ける流れで退散した。気になることはあるが平和であること、それがツナギの優先事項だ。

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