鳩村もしくは夕凪ツナギの登校

 ツナギは外で深呼吸をした。母のこだわりの庭に植わっているたくさんのハーブや花々、低木から漂う香りはいつも心地良い。ゆっくり10歩分の庭を抜け門扉を抜けて舗装された道を歩き出す。これから通う咲花大学は家から徒歩10分、バス15分の場所にある創立から20年ほどしか経っていない新しい学科を中心に集めた綺麗で、図書館が充実した学校だ。ツナギの目的はそこで学べる未来進化研究学(ここ半世紀で起きた激変、今後の世界を考察すべく過去・現在・未来と研究する新しい学問)と図書館への入館許可だ。

 この時代、大学に行くということは極めたい学科がある、もしくは知りたい内容があるということだ。高校を卒業する前に希望を出し、個別課題を提出、場所によっては面談があり入学許可が出された者が通えるシステムだ。


 一昔前には学歴至上主義というものがあったと聞くが今は人間力至上主義だ。もちろん成績も判断のひとつにはなるが、学習への姿勢、アプローチ、人間関係の構築力、情報処理、臨機応変の柔軟さなどが求められる。頭が良くても人間として問題があれば成功できないのは当たり前だと思うのだけど、一昔前は学歴と親が偉いかどうかというのが最優先というから驚いた。今でも学歴はステータスと豪語する人種は過半数はいるらしい。

 学校は毎日通うものではない。集うときも最大20名までだ。今回は未来進化研究学受講のメンバーだけだから18名と聞いている。今日はグループメンバーを決めるのと週1~2の登校日、個別プログラムの説明が予定されている。

 昔はともかく義務教育を含め、毎日同じ場所に集うことはない。小学校や中学校でも全学年が揃うことはないし、グループ学習も同時に同じ課題に取り組んだり、同じ場所に行くこともない。各グループで課題をまとめ、提出する時間も分けられている。教師との相談、グループ活動と行事のために行くのが学校。少なくともツナギのイメージはそんな感じだ。

 小中高と大体5人に対し1人ずつの割合でカリキュラム担当教諭とカウンセリング教諭がいて、全体担任として学年に2人の教諭という形だったけれど大学だとどういう形になるのか。進路相談はしていたけれどまだ周知が進んでいない大学の情報は芳しくなかったのだ。

 「おっと」

 考え事をしながら歩いていたらバス停を通り過ぎるところだった。胸ポケットに突っ込んだカードを確認して慎重に前にいる会社員から距離を取る。大抵の人間が展開しているシールドはシールド同士の接触だと磁石の磁力が働くようにちょっとの不快感を感じるのみで済むが、まともに接触すると弾かれる。悪い時はスパークで火傷をしてしまう。ツナギはシールドを持っていない。だから、シールドがあるものとしての距離を取らないと怪我に繋がるし、周囲からの目も芳しいものではない。当たり前のものを持たないものは異質なものと捉えられる。いつの世もそれは変わらない。


 バスが来た。入り口で通学用に新しく買った承認カードをかざしてステップをのぼる。ちょうど入り口からすぐの個室が滅菌完了のライトを点滅させていたので透明な覆いを潜って席に着いた。公共機関は基本的に透明なシートで区切られて個室になっており、人が出ると滅菌ライトが10秒照射され座席、空間、シートを滅菌。清潔が保たれる仕組みだ。

 周囲に目を向けると音楽を聴いている青年、端末を弄っている会社員、本を読んでいる若い女の人、ぼんやり外を眺めている少年などそれぞれ。座席の埋まっているのは半分くらいか。同じ大学に通う人もいるだろうか。

 『咲花大学前、降車予定5名様ご準備願います』

 アナウンスがかかり、床にうっすら光る線が現れる。距離を開けて降りるためのガイド線だ。ちなみに承認カードを持っているとわざわざ降りる時に申請せずとも機械が読み取って運転手に知らせるからぼんやりしていても乗り過ごす心配はない。ツナギが最初に降りる位置にいた。一緒に降りる人間は気になるが後で顔を合わせるだろうから速やかに立ち上がる。

 「ありがとうございました」

 「いってらっしゃい」

 ツナギに声をかけられた中年の運転手はふくよかな顔をほころばせるように目を細め見送ってくれた。ステップを下りてちょうど3歩。大きな門柱が2つ、門柱の上には銀色の大きな鳥がいてこちらを見下ろしている。ここで承認カードを見せると聞いているがどこに見せればいいのだろうと内心首を傾げながら胸ポケットからカードを出した瞬間、鳥の嘴が開いて機械的な声が響いた。

 『ハトムラ、モシクハ、ユウナギ、ツナギ。ニュウガクヲ、ココロヨリ、カンゲイスル。エアシャワーノツウロヲススンデイケ』

 目を瞬かせ、門柱の間に足を踏み出した途端、ぶわっと強い風が吹きつけてきた。目を庇いながら上を見ると門柱から建物までレールのような線が浮いているのが見えた。そこからウイルスや雑菌を吹き飛ばす風が出ているのだ。一般家庭の標準装備とは全く違う規模にツナギは「すごいな」と呟いて歩き出す。芝生が一面に広がる広い敷地、木材とアイボリーホワイトが調和した優しい色彩、大きな窓が目立つ開放的な雰囲気、最新装備も備えた2階建ての校舎に心が沸き立つ。エアシャワーの通路の先に誰かが立っているのが見えた。

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