鳩村もしくは夕凪ツナギの朝
“ツナギ、お父さん起こしてくれる?”
ちょうどパジャマから着替え終わったタイミングで少しだけ慌てた声が頭に響いてツナギは小さく頷く。頷いたところで伝わるわけではないのだけど何も反応しないのは気持ち悪い。部屋を出ようとしてダークグリーンの半袖に涼しさを感じ、椅子にかかっていた青のチェックのシャツを羽織る。
部屋を出て向きを変えずに大股で斜め右に1歩進めば父、鳩村もしくは夕凪うつつ(41)の部屋だ。ノックをして数秒待つ。返事なし。「開けるよ」と一声かけて中へ踏み込めば部屋の奥にあるベッドに気持ち良さそうな顔をして眠っているのが見えた。横をすたすたと通り過ぎ、カーテンを開け放つ。差し込む陽光に寝返りをうった後頭部に一言。
「父さん、あと5分で母さんのご飯食べられなくなるけど」
「⁉」
がばっと起き上がった父は寝ぐせが跳ねた頭でも良い顔で息子を認めると笑みを浮かべた。程よく引き締まった肉体、爽やかな笑顔。妻一筋のうつつは既婚者であっても人気がある市に勤める相談員だ。
「おはよう、ツナギ。今日は初めて大学に行く日かい?」
「おはよう、そう。……あと3分だけど」
「もちろん、朝ごはん優先だ」
わしゃっとツナギの髪を撫ぜると、いそいそと居間に移動を始めた。さらっとした髪はそれくらいで乱れることは無いけれど、一応手櫛で整え後を追う。オムレツやトーストの良い香りが鼻腔をくすぐる。
「おはよう、ツナギ。ありがとうね」
「ん」
サラダを持ってきた明るい笑顔の母、夕凪もしくは鳩村まひろ(39)に頷いて席に着くと、手を洗ってきたうつつが満面の笑顔でまひろに手を振る。少しだけ困った嬉しそうな笑みを浮かべて手を振り台所に戻っていく。
他人に言うとどこのバカップルだ⁉ と叫ばれるやり取りだが、家では普通だった。2人の息子たる鳩村もしくは夕凪ツナギ(19)も慣れたもので今日も両親は仲が良いと頷くのだった。ちなみに、なんで姓が2つどっちつかずなのかといえばまひろがどちらの姓も使いたいと悩み、ならばとうつつが『鳩村もしくは夕凪』の名刺を作り周囲にも定着させたという顛末がある。
料理が出揃い、3人で「いただきます」をして朝食が始まる。互いに1日の予定を話し、共有する。頼みごとがあればここで。
「今日はエアシャワーのメンテナンスの来るから、警備システムを13時から15時までレベルを上げるわ」
「じゃあ、その前に帰るか、無理ならメンテナンスが終わってから帰る」
「僕は久しぶりの現場出勤だけど、万が一何かあったら連絡するんだよ、まひろさん。相談勤務は3時間、引継ぎ、事後処理。その後バイタルチェックとかあるからなんだかんだで18時くらいになると思う」
「うつつさんの心配性。私は在宅勤務の日だから外出予定はないわ。もし用事ができたら伝えるから」
「わかった」
「ごちそうさまでした」
「はーい。ツナギ、新しいカード忘れずにね。玄関に置いてあるから」
「あ……忘れてた。ありがとう、母さん」
「どういたしまして。うつつさん、遅刻するわよ」
「朝ごはんを堪能したら一気に動くよ」
いつでも仲が良い両親の交流を邪魔しないようにバッグを肩に掛け、居間を出てから小さく「いってきます」と呟いて玄関に出る。ピピッと電子音が鳴って『今日の体温は36.6 正常です』という音声が流れた。外に出る時は自動的に検温するシステムが通常装備で、熱があった場合は玄関のロックが開かない仕組みだ。
”いってらっしゃい”
“気を付けて楽しんでらっしゃい”
外出に気が付いた2人のテレパシーが温かく響いてツナギは表情を緩め、玄関に置かれている大ぶりの鈴をカロカロン……と鳴らした。返事代わりに。
鳩村もしくは夕凪ツナギはテレパシーの受信のみしか持っていない。玄関の鈴は仲良しの2人に気を遣う息子のために2人が置いたもの。テレパシーが送れなくても全然問題ないよと、テレパシーが聴こえたら鳴らすという約束の鈴。ふわりと流れる優しい空気。ツナギはもう1度小さく「いってきます」と口にして家を後にした。
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