第25話 女の戦い①

お風呂の中に入ってきたジャミレトさんは、鬼のような形相をしていた。

「聞いたわよ。昨晩、アムジャド皇太子が私の部屋を抜け出して、チナの部屋に行ったって。」

私は息が止まった気がした。

後ろには、ジャミレトさんの女中が付いている。

恐らく、そのうちの誰かがジャミレトさんの耳に入れたのだろう。

「よくも、アムジャド皇太子をたぶらかしたわね。」

ジャミレトさんが、私に近づいてきて、お風呂に浮かんでいる私の髪を掴んだ。

「止めるんだ!」

アムジャドがジャミレトさんの手を止めた。

「僕が悪いんだ。チナには手を出さないでくれ。」

「アムジャド皇太子……そんなにチナの事を……」

苦々しい表情を浮かべながら、ジャミレトさんはお風呂から出て行った。


「ごめん、チナ。上手く出て来たと思っていたが、ジャミレトの女中に見られていたかもしれない。」

「ううん。気にしないで。」

ジャミレトさんにしてみれば、やっとアムジャドと二人きりになったというのに、抜け出して私のところに来ていたなんて。

侮辱されたと思ってるでしょうね。

「アムジャド。今後は、ジャミレトさんの部屋に行ったら、彼女と夜を過ごしてちょうだい。」

するとアムジャドは、私を片手で抱き寄せた。

「チナは、僕がチナを抱かずに眠れると思っているんだ。」

「そんな事はっ!」

その瞬間、私の口はアムジャドの唇に塞がれた。

「知らないんだ。僕がどれだけ、チナを愛しているか。」

「アムジャド……」

私だって、ジャミレトさんの元になんて、行ってほしくない。


でも私の元ばかりに来ていては、フェアじゃないような気がする。

「アムジャド。私、あなたの事好きよ。」

「チナ?」

「だからこそ、ジャミレトさんの気持ちも分かるの。」

彼女は、心少なからずアムジャドを好きでいる。

そんな相手が、異国の女に夢中なんて、胸が潰れるほど苦しいでしょうね。

「分かった。チナの言う通りにするよ。」

そう言ってアムジャドは、湯船から上がってしまった。

広い湯船にただ一人。

胸が痛い。キリキリと痛い。

「どうしたんだ。」

ふと顔を上げると、湯船の側にアムジャドが中腰で座っていた。

「早く上がって。さっきの君の話の続きを聞かなきゃ。」

私は湯船から上がって、アムジャドの腕にそっと手を添えた。

肌と肌が触れ合う。


それだけで、もっと触れ合いたくなる。

抱かれたくなる。

「さあ、服を着て。」

「うん。」

私はさっき脱いだ服を手に取って、広げて見た。

「えっ?」

私の頭の中に、”?”が飛び交う。

さっきまで来ていた服は、確か白衣だったはずなのに、今手に持っているのは、黒のチューブトップだ。

「ははは。サヘルが置いていったな。」

アムジャドは呑気に笑っている。

「えっ?困るんだけど。」

「いいだろう。僕の他に誰も見ないんだし。」

それもそうか、と思ってそれを身に着けた。

下もヒラヒラしたスカート。

ザ・愛妾様って感じだ。


「それで?子供達はどうして、検査や手術を受けられないの?」

部屋に帰って来て、開口一番にアムジャドが口を開いた。

「お金がないからよ。」

「お金……」

「貧しくて、十分な治療を受けられず、ただ死ぬのを待つしかないの。」

「そうか。それは何とかしなくてはな。」

私はアムジャドの側に座った。

「ただ、検査代や手術代を出してほしいって訳じゃないの。」

「分かってる。でもこのままでもいけないだろう。」

アムジャドは、難しい顔をしていた。

「そうだ。日本には、保険制度があったな。」

「ああ、健康保険証の事?」

私は自分の荷物から財布を出して、健康保険証をアムジャドに見せた。

「これは、一部患者さんが治療費を払って、残りは政府が払うっていう決まりだった。」

「そうだけど……モルテザー王国にも、健康保険制度を導入するって事?」

アムジャドはニコッと笑った。

「難しいかもしれないが、なんとかやってみるよ。」

私はアムジャドを抱きしめた。

「あなただったら、できそうな気がする。」


私がアムジャドの元気になりたい。

そして癒しになりたい。

アムジャドが生きていく理由になりたい。


「アムジャド。」

「チナ……」

ベッドに押し倒され、今日も甘い声が部屋の中に響き渡る。

「チナ、今日も綺麗だ。」

「あぁ……アムジャド……」

「ちゃんとこっちを見て。」

アムジャドを見ると、憂いを帯びた瞳に、胸がきゅうと締め付けられる。

「気持ちいい?」

「うん……とっても気持ちいい……」

好きな人と見つめ合って、気持ちいい事を分け合って、そういうのって、心がいっぱい満たされていく。

「チナ。僕はチナと一緒にいる為に、最大限の努力をするよ。」

「私も。あなたと一緒にいる為に、努力を惜しまないわ。」


心も一緒。

身体も一つになって、私達の夜は更けていった。


そして一緒にがんばると約束した事が試される時がきた。

それはジャミレトさんの意外な言葉から始まった。

「王妃になるには、踊りも上手くなきゃダメね。そうだわ。チナ、私と踊りで勝負しましょう。」

私はキョトンとしてしまった。

踊り?

えっ?

「何の踊り?」

するとジャミレトさんの女中が、クスクス笑いだした。

「あら。チナは、宮廷音楽に合わせて、踊った事はないのかしら。」

そんなのある訳ないでしょ!

宮廷音楽なんて、聴いた事もないし!

「なら、無条件で私の勝ちね。」

「ちょっと待って。」

何もしないで、負けなんて認めないわよ。

「やるわ。いつ勝負する?」

ふふんと言う顔をジャミレトさんはする。

「1か月後はどう?場所は大広間。もちろんアムジャド皇太子にジャッジしてもらうわよ。」

「いいわよ。」

ジャミレトさんはニヤッとしていた。


私は自分の部屋に帰って、ベッドにダイブした。

何よ。何なのよ!

仕事から帰って来たと思えば、廊下であんな事言いだして。

宮廷音楽?踊り?やってやろうじゃない。


すると廊下でのやりとりを聞いたサヘルが、部屋の中にやってきた。

「聞きましたよ。ジャミレト様と踊りの対決をするんですって?」

「ええ。やるわ。サヘル、踊りに詳しい人集めてくれる?」

「その必要はございません。」

「えっ?」

サヘルは、にっこりと笑った。

「私がお教えします。」

「サヘル、できるの?」

「これでも、前王妃様に踊りを教えておりました。お任せ下さい。」

「サヘル。」

私はサヘルの手を握った。

問題は、私の体力ね。

仕事が終わった後に、練習できるかな。


「では、今日から始めましょうか。」

「今日から!?」

「えー、何でしたかしら。良い事は直ぐに始める。」

「善は急げ?」

「そうです、そうです。」

サヘルは、私をベッドの脇に立たせた。

「まずは、基本の動きです。」

「はい。」

サヘルが動きを見せると、私はそれを真似て動き出す。

「さあ。これをまずは、マスターしましょう。」

「すぐできるわよ。」

私は、難なくクリア。

「お見事です。では、次の動きです。」

すると急に、艶めかしい踊りに変わった。

「待って。そんなクネクネした踊りなの?」

「当たり前です。皇太子の前で踊ると言う事は、今夜皇太子に部屋に来てほしいと誘う事です。セクシーに踊らなくてどうするんですか。」

「ええ?」


今まで医療の勉強しかしてこなかった私に、急にセクシーを求められても、できないよ。

「いや、私にはセクシーはできないかも。」

「やるのです。大丈夫です。私がついております。」

それからサヘルの踊りの特訓が始まった。

「はい、腰をもっと振って。」

「はい!」

「そこは髪を揺らして。」

「こう?」

「そうです、そうです。」


一挙手一投足、サヘルに直されながら、2週間の月日が流れた。

「大丈夫か?チナ。」

今日も湿布を体に貼ってくれるアムジャドは、さすがに心配してきたらしい。

「普通は2週間もすれば、体は慣れてくるんだがな。」

「今まで踊った事なんて、1度もないもん。そりゃあ、身体が悲鳴をあげるわよ。」

湿布を貼り終わったアムジャドは、私を後ろから抱きしめた。

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