第16話 蜜愛②

翌日、私はここに着て来た洋服に着替えて、白衣を手に持った。

横には心地よさそうに眠るアムジャドの姿があった。

またいつ会えるか分からない。

そんな事を思ったら、いつまでもアムジャドの顔を、見つめていたかった。

「うーん……」

眠い目を擦った後、アムジャドは私の腕を掴んだ。

「もう仕事に行くんだ。」

「うん。」

「頑張って。」

今までのアムジャドだったら、”どこにも行かせない”って言って、この腕を離さなかっただろう。


でも今のアムジャドは、少し大人になった。

私にも、叶えたい夢があるって、分かってくれたみたいだ。


「チナはいつまで、モルテザー王国にいるの?」

「3か月後までだよ。」

「そうか。その間に、いっぱい愛し合わないとな。」

「もう、アムジャドってば。」

繋がれた腕から、温もりが伝わってくる。

「診療所まで送るよ。」

「ううん。自分で歩いて帰るわ。」

そして私は、ベッドを出た。

「チナ。」

「ん?」

「仕事が終わったら、今日も迎えに行く。」

久しぶりに、胸がキュンとした。

「う、うん。」

するとアムジャドは、優しそうに微笑んだ。


アムジャドのテントを出て、土井先生が待つ建物に戻った。

「おお、千奈。戻ったか。」

「はい。」

すると土井先生は、ニヤニヤしながら私に近づいて来た。

「皇太子に、思いっきり抱かれてきたか?」

「えっ!!」

その時津田先生が、土井先生を私から引き離した。

「そういう話は、禁句ですよ。土井先生。」

「すまんすまん。」

そのやりとりが面白くて、私は笑ってしまった。


そしてその日の夜も、アムジャドは本当に私を迎えに来た。

「チナ。」

手を広げて待っているアムジャドの中に、そっと抱き着いた。

「おっと、今日も来たのか。」

建物の中から出て来た土井先生が、驚いていた。

「Dr,ドイ。今日もチナをお借りしますよ。」

「アムジャド皇太子、もう千奈はあなたのモノなのですから、私の許可など取らずともよいでしょう。」

するとアムジャドは、照れくさそうに笑った。

「さあ、今日もお姫様を抱きかかえるか。」

「待って、アムジャド。」

ん?とアムジャドは、腕を止めた。

「私、自分の足で歩きたいの。」

「僕に甘やかされるのは、嫌かい?」

「ううん、嫌じゃない。でも、お荷物になるのは嫌なの。」

「お荷物だなんて、一度も思った事ないよ。」


アムジャドは、何でもないような顔をしている。

うーん。何て言ったら、いいんだろう。

「アムジャド。あなたは私の事を、お姫様だと言うけれど、私は実際お姫様じゃないわ。」

「そうだね。でもどんなチナだって、僕のお姫様だ。」

それでも分かってくれない。

「ああ、さっきから聞いておれば、お姫様だの違うだの、何じゃそれは。」

土井先生も呆れている。

「千奈ちゃんは、頑固だね。男は好きな女の子を、お姫様扱いしたいものなんだ。」

いつの間にか、津田先生まで現れて。

「チナさん。しっかり者。でも、こういう時は恋人に甘えた方がいい。」

通訳のアリさんでさえ、こんなものだ。

「分かったわ。」

私はアムジャドの首に、腕を回した。

「さあ、行こうか。僕のお姫様。」


私が抱きかかえられると、アムジャドは歩き出した。

素肌から、いい香りがしている。

「アムジャド、いい匂いがする。」

「そうかい?部屋に香をたいているんだ。気に入ってもらってよかった。」

私、決して痩せてる訳じゃないのに、軽々と持ち上げて歩くなんて。

アムジャド、逞しい。

「……私、重いでしょう?」

「そんな事はない。愛しい人の重みだ。抱えきれなくてどうする?」

優しい視線が、私を見降ろす。

「軽かったら却って、心配してしまう。アラブの食事は、口に合わなかったのかとな。」

アラブの食事か。

いつも私が作っているから、どちらかというと日本食なのに。

「そう言えば先生達、夕食はどうしてるのかしら。」

「安心してくれ。豪華な料理を、運ばせてもらっているよ。」


あの3人の嬉しそうな顔が浮かぶ。

「着いたよ。チナ。」

今日もアムジャドのベッドに、座らされる。

「待った!今夜もすぐ私を抱くの?」

「ダメ?」

やる気満々のアムジャドに、ついていけない。

「あの……そんなにしなくても。」

「どうして?僕はチナを、一晩中抱いていたい。何度も君の中で果てたいと思うよ。」

そんなエロい事言われても、一晩中なんて私の体がもたない。

「ごめん。寝る前ならいいけれど。」

「そうか。チナの言う事を聞くよ。」

アムジャドは、優しく抱きしめてくれた。

「そうだ。チナは、お香が気に入ったと言っていたね。チナの為に、お香をたこう。」

「そうね。何の香りがあるの?」


お香か。日本にいる時、少しだけはまっていた時があったな。

するとアムジャドは、側の棚から一つのお香を取り出した。

「イランイランだ。官能的な香りがする。」

火を着けると、その煙が辺り一帯を漂った。

「どう?いい香りだろ?」

「うん……」

確かにいい香りだけど、官能的って言われてもね。

恋人の誘いを断るなんて、私ダメな彼女なのかしら。


「今日も宴といこう。」

昨日と同じように、給仕の人達や踊り子たちがスタンバイをする。

「今夜がチナが、始まりの合図をして。」

アムジャドが両手を打つ真似をした。

「こう?」

見よう見まねで手を叩くと、音楽が流れ始め、踊り子たちがダンスを始めた。

昨日も見たけれど、スタイルのいい人達ばかり。

「ねえ、アラブの王様は、この中から恋人を選ぶ時があるの?」

「あるよ。でも多くは、悲しい結末に終わるらしい。」

「それって?」

「妾妃に迎える事なく、別れてしまう事だよ。」


艶めかしい踊り。

懸命に腰や腕をくねらせる彼女達の、望むモノは何なんだろうか。

ううん。本当は私だって、この踊り子達と一緒なんだわ。

そんな事を考えると、寂しくなってきた。


「そんな顔しないで、チナ。」

アムジャドが私の額にキスをする。

「チナが寂しい顔をすると、僕も寂しくなる。」

「うん。そうね。」

私はアムジャドに笑って見せた。


何を寂しい事があるの。

アムジャドはここにいるというのに。

私の側にいると言うのに。

この瞬間を、限りなく楽しまなきゃ。


「チナ……僕達のこれからの事なんだけど。」

私はハッとした。

「チナと二度と離れたくない。留学が終わっても、モルテザー王国に残る気はないか。」

ここに。モルテザー王国に。

こうしてアムジャドと一緒に、お香の香りに包まれて、踊り子たちを見ながら暮らすの?


「アムジャド。私、一旦日本に帰るわ。」

「チナ……」

アムジャドは、私をきつく抱きしめた。

「ああ、チナ。再び遠くに行ってしまうなんて。僕には耐えられない。」

「アムジャド……」

もし、アムジャドの言うように、ここに残れば、この世の極楽を味わいながら、楽しく過ごせるだろう。

でも?私は?私の人生は?

「アムジャド。私、日本で医師免許を取ってくるわ。」

「チナ?」

「そしてまた、モルテザー王国に戻ってくる。今度は医者として。」

するとアムジャドは、私をそっと放した。

「そうか。それがチナの夢なんだね。」

「うん。」

「……応援するよ。チナの夢が叶うように。そして再びモルテザー王国に来る事を。」

「アムジャド!」

私達は確かめ合うように、キスをした。


その瞬間、給仕や踊り子達が、ササッとテントの外に出て行く。

「えっ?」

「ははは。皆、空気を読んでいるな。」

アムジャドは呑気に笑っている。

「さあ、僕達の愛し合う時間が来たようだ。」

「あっ……」

アムジャドに服を脱がされ、そっと押し倒された。

「みんなに教えてやりたいよ。僕はチナに溺れているって。」

「私もよ。アムジャドに溺れているわ。」

合わせた肌から、温かいぬくもりが伝わってくる。

「ああ……やっぱり一晩中、チナを抱いていたい。」

満天の星空の下、私達は飽きる事なく、抱き合った。

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