第5話 婚約者①

車の運転手の人がすぐに救急車を呼んでくれて、私とアムジャドは病院に向かった。

「アムジャド……私よ、千奈よ。分かる?」

薄っすらと目を開けたアムジャドは、うんと頷いた。

「ご家族の方?」

救急隊の人に、声を掛けられた。

「いいえ。恋人です。」

「彼女さん、家族の連絡先知っている?」

「すみません。私、分からなくて……」

こんな時、どうすればいいんだろう。


その時、イマードさんの顔が浮かんだ。

彼は、アムジャドの友人……ううん、それ以上の関係なのかもしれない。


”アムジャト様”


そう呼んだイマードさんに、連絡しなければならない気がした。

「彼、留学生なんです。大学に連絡してみてもいいですか?」

「はい。」

私はスマホから、大学の留学生会館に連絡し、イマードさんに来てくれるように頼んだ。


1時間後、イマードさんは病院に駆け付けてくれた。

「チナ様!」

「イマードさん、こっち!」

「アムジャト様の様子は?」

「まだ、手術中で。」

その時だった。

手術室が開いて、アムジャドを乗せたベッドが出て来た。

「アムジャト様!」

「まだ麻酔が効いていますから。」

看護師に言われ、イマードさんと私は、そのままアムジャドに付いて行った。


「しばらくはICUに入院して頂きますから。」

「はい。」

私はアムジャドが眠るベッドの側に座った。

「……何があったんですか?」

「私が車に轢かれそうになって、アムジャドが助けてくれたんです。」

するとイマードさんは、唇を噛み締めた。

「助けてくれたって……アムジャト様に何かあったら、どうなるか分かっているんですか?」

「すみません。」

「すみませんで、済む事ではないんですよ!?」

興奮したイマードさんを、周りの看護師さんが宥める。

きっとアムジャドは偉い人で、私とは身分が違う人で、何かあったら代わりのきかない人なんだわ。


「私がそのまま、車に轢かれればよかったんでしょうか。」

「そうですね。」

涙が出そうになったけれど、奥歯を噛み締めて、我慢した。

「……万が一、それで私が亡くなっても?」

「そうなったら、アムジャド様は悲しむでしょうね。ですが悲しみはいつか癒えます。大事なのは、アムジャド様がご無事でいられる事です。」

私はアムジャドのベッドに、顔を埋めた。

「誤解しないでください。そのくらいの覚悟ではないと、アムジャド様の側には、いられないと言う事です。」

その時、アムジャドの指がピクッと動いた。

「チナ……」

「アムジャド!」

私はアムジャドの手を握った。

「僕は大丈夫だ。心配させた。」

「ううん。私の方こそ、守ってくれてありがとう。」

「当たり前だ。チナに何かあったら、僕は生きていけない。」

「アムジャド……」

イマードさんから責められた今、アムジャドの言葉が何よりも、私の心を癒してくれた。


「アムジャド様。」

イマードさんが、アムジャドの側に寄った。

「このような行動、今後はお控え下さい。」

「分かっている。おまえが言いたい事は。」

「本当に分かっていらっしゃるんですか?あなた様が亡くなりでもしたら、私達は……」

あの冷たいイマードさんの目に、涙が薄っすらと光った。

「一体誰を頼りに、生きていけばよいのか、分からなくなります。」

「ごめん。イマード。」

イマードさんが涙を浮かべているのを見て、本当はアムジャドの事を、心から大切にしているのを知った。

イマードさんに、あそこまで言わせたアムジャドは、やっぱり大事な人なんだわ。


「アムジャド……私、あなたの側にいるって言う覚悟が、足りなかったわ。」

「チナ?」

「これからは、あなたの事。自分以上に大切にする。」

そうじゃないと、イマードさんやその後ろにいる人達を、納得させられない。

「チナ。いいんだ。」

アムジャドは、私の手を握り返した。

「チナは、自分を大切にしてほしい。そうじゃないと、僕が悲しむ。」

「アムジャド。どうしてあなたは、私の事をそこまで。」

「決まっているだろう。愛しているからだ。」

ふと気が付くと、看護師さん達は見て見ぬふりしながら、私達の話を聞いている。

中には、顔を赤くしている人や、小声で”きゃー”と叫んでいる人も。

とにかくよかった。

アムジャドが、無事でいてくれて。


そして三日後。

アムジャドは、一般病棟に移された。

そこは個室で、VIP対応の部屋だった。

「アムジャド……あなた、こんなところに入院できる人なの?」

「ん?どうかな?イマードが勝手に選んだんだろう。」

にっこり笑うアムジャドに、それ以上聞けなかった。

うーん。

どこかの企業の社長さん?

にしては、若過ぎるよね。

やっぱり御曹司なのかな。


そして午後を迎えた時、イマードさんは女性を一人連れて来た。

「アムジャト様。」

「ジャミレト!?」

ジャミレトと呼ばれた人は、白いスーツを着たとても美しい人だった。

私と同じ、黒髪のロングヘア。

褐色の肌は、アムジャドと同じ国の人だと、直ぐに分からせた。

「お体は、大丈夫ですか?」

「ああ。心配をかけた。」

まるで、私なんか存在していないみたいに、ジャミレトさんは私の方を向かなかった。

「アムジャト様。こんな事もあった事ですし、一旦国へ戻られては?」

「ジャミレト。余計な事は言うな。」

「しかし……」

「まだ日本にいて、勉強する事がたくさんあるんだ。」

今気づいたけれど、ジャミレトさん、外国人なのに綺麗な日本語。

まるで日本人みたい。

綺麗で流暢に外国語を話せる人。

それだけで、私はジャミレトさんに見とれてしまった。


あまりにも見惚れているモノだから、ジャミレトさんも私に気づいた。

「あなたは?」

「あっ、ええっと……森川千奈と言います。」

「そう。私はジャミレト。アムジャド様の身内ってところかしら。」

「ジャミレト。違うだろ。」

アムジャドがジャミレトさんを怒っている。

そんな様子を見ていても、ジャミレトさんがアムジャドに近い人だって分かるわ。

「アムジャド様。あなたが国へ戻られたら、そうなりますわ。」

「僕は聞いていない。」

ジャミレトさんに対してアムジャドは、甘えん坊の駄々っ子みたい。

二人は、どんな関係なのだろう。

身内みたいなものと言っていたから、幼馴染みなのかしら。

「チナさん。アムジャド様は、あなたを庇って事故に遭ったそうね。」

「は、はい。」

「アムジャド様とあなたは、どんな関係なのかしら。」

「どんなって……」


その時アムジャドが、私の手を掴んでくれた。

「チナは、僕の恋人だ。」

ジャミレトさんの眉が、ピクッと上がった。

「イマード。これはどういう事?」

「申し訳ございません。私の監督不行き届きで。」

「そう。」

もしかして、この人もアムジャドの恋人?

うわー。修羅場?

アムジャドの前で、そんな事したくない。


「いいわ。チナさん、ちょっとお話いいかしら。」

「何をするんだ、ジャミレト。」

アムジャドが私の手を放してくれない。

「話すなら、ここで話せ。」

「いいのですか?」

「ああ。」

アムジャドが、難しい顔をしている。

何となく分かる。

この人が、本当の恋人なんじゃないかって。

「じゃあ、ここで話すわね。」


ジャミレトさんは、私の反対側にある椅子に座った。

アムジャドを挟んで、女二人。

この空気が重くて、耐えられない。

「率直に言います。今直ぐ、アムジャド様と別れて下さい。」

「うっ……」

覚悟はしていたけれど、こんなにはっきり言ってくるなんて。

「わ、別れません。私の命を救ってくれた、アムジャドの為にも。」

でも私だって、今回の事で強くなったんだから。

今回は私が守ってもらったけれど、これからは私がアムジャドを守るんだから。

「はぁー。」

するとジャミレトさんは、思いっきり深いため息をついた。

「罪な事をしましたね、アムジャド様。」

「何がだ。」

「この女性、アムジャド様に心から惚れているではありませんか。」

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