第10話 逃げる
抵抗する難波をなだめつつ、一行は記念館を出て樫木商店街へと向かった。
短い手足に箱形のリュックを背負い、みずるたち一行を不承不承先導する難波の姿は、なぜか妙に落魄した雰囲気があり、現場におもむく刑事というより、
(笈を担いで逃避行中の義経一行みたい)との感想をみずるに抱かせて、彼女はひとりにやにやした。
(だって、弁慶も従えているし)
一方の宇藤木は、彼にしてはテンポよく足を前に進めている。
しかし次第に、(でも、あれが義経さまなら、美の成分がなさすぎる)という反論がみずるの胸のうちに膨れ上がり、彼女はもういちど背中に箱を背負った難波の姿を見直した。これを強いて古典になぞらえるなら、
(やっぱり、かちかち山の狸よね)
そう結論が出たところで、アーケード下に到着した。甘味処松永はこの先だ。
ちょうど昼になったところなので、飲食店はそこそこ賑わっている。
立ち止まり、あたりの様子をうかがっていた宇藤木が、みずるを振り向いて聞いた。
「いま、何時ですか」
彼は今日も腕時計をはめていない。腹時計がそれなりに正確なのだそうだ。
「えー、12時03分」
「おお、いい塩梅。そろそろかな」
一行がアーケードを横切ろうとしたところで、声がかかった。
「ああっ、また見つけたー」
先日の黒須女史が手を振っている。今日は横にもう一人、彼女よりやや年上らしい女性がいた。制作会社の先輩であると説明があった。
「よし。いた」宇藤木が一瞬、悪魔的な笑顔を浮かべてつぶやいた。再会を予期していたようだ。
「わたしたちってけっこう、運命的な関係にあるかも知れませんね」
駆け寄ってきて宇藤木を見上げた黒須は言った。
隣の先輩も、珍獣を見るような目つきで宇藤木を見上げている。
「でも、刑事さんがめっちゃ目立つせいだけど。すぐにわかった」
「それは、どうも。実はわたしも運命をピリピリと感じていたところです」
「えっ、なんでなんで」黒須は嬉しそうな顔をして、大男へにじり寄った。
「黒須さんにまた、二、三お聞きしたいことが発生しまして。連絡をとる手段を考えていたところでした。もちろん、いまからなんて、お忙しくて無理ですよね」
「いいえー、ぜんぜん。暇なんです。それがね」彼女は通りの先にある気取った感じの中華料理店を指差した。今日は、先日話のあった創和アドエージェンシーの制作部長の送別会なのだという。
「あたしたちはいくら親しくても、あそこの社員じゃない。ほとんど専属みたいなものなのに。だから本番の送別ランチには呼んでもらえなかったんです。みんなはお昼前にお店に入って、楽しくコース料理を食べている最中。なのにあたしたち外様は、十二時半からの二次会になってようやく入れてもらえるんです。それも、お茶するだけですけどね」
「それは、ひどいですね」つい、みずるがつぶやくと、「ですよねー」と黒須は明るく言った。
「あたしたち、いつもお昼には商店街にきて、食べるかお弁当を買うかするくせがついてるでしょう。でも、今日は中途半端だし、とりあえずおにぎりだけでも買って帰ろうかって考えてたのですけど」
「二人でせかせかおにぎり食べて、戻って、高級中華でお腹がいっぱいの人たちに合流するなんて、考えたらあまりにみじめで悲しくて…」
「二次会の会場だって、イマイチだし」
「ねえ」
北川という先輩と黒須はそろって泣き真似をはじめた。
「だからドタキャンしようかどうしようか、悩んでたんですう」
「ほんとうですよねえ」難波がもらい泣きのフリをして、柳瀬は苦笑いしている。
「ならば、わたしに三十分だけお時間をいただけませんか」
「お、今度は上川の真似かい」みずるのツッコミを宇藤木はさらりと無視した。
「ええ。もう、ぜひ」女二人は飛び上がって喜んだ。「12時半過ぎてもぜんぜんいいですよ。どうせわたしたちのことなんか、忘れられてるから」
「どこか適当な店はありませんか」
二人は即座に、「倉敷洋菓子店」という名を挙げた。先日、みずるが関心を持って眺めていた店である。入り口にはケーキのショーケースがあり、店内でそれを食べられるようになっている。二人によると、二次会の予定会場の向いであるうえに、
「樫木だと松永以上の老舗なんです。ビンテージ風なお店で美味しくて、おまけに」
ひなびた商店街にしては価格帯が高く、彼女らにとって気軽には入れない店なのだそうだ。
「それはいい。参りましょう。ご馳走します」
しかし宇藤木は、明るい顔になってうなずいていた難波に言葉を投げつけた。
「あ、難波くん。君は先に松永へ行って例のものを調べて」
「ええっ、うえーん」一転して彼は泣き顔になった。
「君だけが頼りだ」宇藤木は、大きな両手で難波の肩をつかんで揺すぶった。彼の背負ったリュックサックがダイナミックに揺れた。ワンテンポ遅れてぽこぽこ音がするのは、パソコンと傘ぐらいしか中に入っていないためらしい。
「ぼくも和気さんもあまりビデオ機器には詳しくない。ところが、君は毎日ビデオ映像漬けの専門家じゃあないか。それに急いでいる。事態を同時進行させるには、これしかない。話が終われば、後から追いかける。逆に君が先に見つけたら、知らせに来ておくれ」
そして、「裏口を見渡せる場所と仏壇の周辺を丁寧に調べて欲しい。もしなければ、みんなで手伝いに行くから」と囁いた。
「ぐすっ、絶対来てくださいよお」
「私も行きましょうか」柳瀬が言うと、
「柳瀬さんは一緒にお二人の話を聞いてもらった方がいいと思う。我々では気がつかないことがあるかもしれないから。大丈夫、難波くんは叩けば叩くほど、張り切る男だよ。マゾだから」
難波を見送った五人はアーケードを少し歩き、空席のあった倉敷洋菓子店に入った。
「それで、なにを聞きたいんですか」躊躇せず、名物というアフタヌーンティーセットを注文した黒須は、隠せない好奇心を顔に浮かべて言った。
(なるほど。下手にこんな子にアポを入れたら、当日までにみんなが聴取を知ってることになるわな)と、みずるは思った。
「その前に気になることが。制作部長の退社は突然だったのですか」
そうなんですよ、びっくりーと女二人は声を揃えた。営業部長が事故死したあとは、創和アドの社内にかなりの混乱が見られた。だがその直後に坂本は、会議の席で雄々しく立ち上がり、「ここは踏ん張りどころだから、一緒に頑張ろうって宣言したそうなんですよ、坂本部長。じっさい、取引先やら外注先やら、あちこち率先して飛び回ってた」
しかし先日、突然に退社を申し出た。部下たちにも寝耳に水だったらしい。
「奥さんの実家に帰るそうです。北海道だったかな。いいなあ」
「正しくは、事実婚の奥さんですけどね」北川が言った。彼女の方が黒須より歳が上で、より細かな事情に詳しいようだった。「家族の健康問題があって、前からの計画を早めるって言ってました。あの人なら腕は確かだし、働き口はいっぱいあるでしょうしね。奥さんも資格職のはずだし」
「デザイン業の方って、転社は珍しくないと聞きましたが」みずるが聞くと、「ええ。移ってもマイナスにならないというか、当たり前のところがありますね。うちの兄はメーカー勤務なんですが、お前たちはむしろ料理人に感覚が近いってブツクサ言ってました。料理人の世界を私、知らないんだけどね。ともかく坂本部長だって、いくつか会社を移ってきたはずですよ」
「奈良、だったっけ。部長の出身地。三十になる前に東京に出たのよね」
「キャリアのはじめは大阪の南森町ってところにいたらしいね。大阪城に自転車で行けるのだって」
だまって聞きながら、柳瀬はうなずいている。彼女も転職について、なにか思うところがあるのかも知れない。
「でも、ホントだったら今日の二次会は、松永だったかも」と、楽しげにサンドイッチを口に運びながら黒須が言うと、北川も果物をフォークに突き刺しつつ答えた。
「あ、ユーザーだったもんね、坂本さん。シンキングタイムとか言って松永と、駅前の若竹珈琲店とティアラコーヒーを順繰りに回ってた。何度か店に探しに行ったことあるよ」
「どれも安いとこばっかりね」
宇藤木が聞いた。「亡くなった松永の店主とは仲が良かったのですか?」
「おばあちゃんは、誰とでも仲が良かったからなあ」二人はうんうんとうなずいた。「でも、不思議な話だよね。足浦さんがトラックにぶっ飛ばされた時、おばあちゃんも偶然その近くにいて、呆然とする坂本さんたち創和アドのみんなを叱咤して救急車を呼ばせたっていうんですよ」
「ほう、気丈な方ですね」
「けど、どっちも死んじゃった。あんなに元気だったのに、そろって普通じゃない死に方をして。でもさ、体のサイズは違っても、お節介というか親切の押し売りみたいなところが似てた。思わない?悪気はないのよね」北川はそう言いつつ、はやばやと二杯目になる紅茶を、ティーポットからカップへ注いだ。彼女には、さほど武子への感情移入はないようだ。
「そうね。いわれると、似てたかも。それに二人とも、ぱっと見は丈夫そうだったのに、実は病気がちだったって。あれも驚きよね。おばあちゃん、午前中にいないこと多いなあと思ってたら、病院に通っていたなんてね。なにも教えてくれなかったよ、わたしには。あんなにおしゃべりだったのに」
「足浦さんの、袋にてんこ盛りの薬はしつこく見せられたけどね」
「みた、みた」
「これを自慢するか?って思ったわ。いちいち効き目を説明してくれるの」
「足浦部長も、病気がちだったんですか」そう尋ねる宇藤木の声には、驚きよりも妖しい喜びが多く含まれているな、とみずるは感じた。
「体格のいい方だったと聞いたんですが。昔はラクビーをやっていたとか」柳瀬が言うと、「ええ、だから成人病のカタマリ」と北川が答えた。「泉谷副部長によれば、死んじゃう前にも会社とか出先で、倒れたことがあったみたい。そのせいで家族はとっても気をつかっていたらしい。なのにあの日は、お酒に手を出しちゃったんだよね」
「ほう」
「ああ、奥さんがお葬式ですっごい怒ってたのよね。せっかく厳しく節制させてたのに、さっきの是空って中華料理店で、紹興酒とビールにワインをチャンポンして飲んじゃった。あれ、高級中華に喜びすぎたのかな」
「噂では」北川は声をひそめた。「あの人が立案して社長に上申していた機構改革が、二転三転ののちに無事了承の運びとなって、マイ前祝いだったらしいよ。結局は、主役が死んでボツになった」
改革の内容を知っているかと問うと、切れ長の目を光らせて北川は答えた。
「なんでも、営業と制作を一元化し、足浦氏がそれを統括する予定だったそうです。つまり、あの人には昇進だったんでしょうね」
舌舐めずりしそうなほど嬉しげな顔をしている。澱のように溜まった元請けについての情報を、利害関係の薄い相手に堂々話せる機会というのはなかなか無いのだろう。
「営業と制作で人材のシャッフルをするってぶち上げたりもしたそうです。泉谷さんとか坂本さんみたいな制作の管理職は、売り上げ数字まで持たされるところだったとか」
黒須が、「泉谷さんはともかく、坂本さんが営業なんて、できるわけない」と言うと北川も、「ホントそう。逆に足浦氏、交渉ごとはうまかったけど、それだけ。悪いけど、いなくなって私たちも楽になったんですよ。坂本さんだって絶対そうだと思ってたのに、やめちゃうなんてね。心に深い傷を負ったのかしら」
「あ」黒須が窓の外を指差した。「といってたら噂の坂本さん」「あれ、早かったね」
二人の声のトーンからすれば、送別会よりも宇藤木たちと噂を肴にアフタヌーンティーをしているほうが楽しいようだ。外に六、七人の男女が談笑しながら固まって歩いている。
すると、宇藤木が難波への連絡を小声でみずるに頼んできた。
彼の表情を見たみずるは、即座に難波を呼びだした。
電話口に出た難波は、明らかに興奮気味であり、みずるはスマホを宇藤木にそのまま渡した。彼は電話口でささやいていたが、「ありがとう、じゃあ急ぎでたのむ」と言って通話を切った。
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