第11話 犯人、ちょっと待って
倉敷菓子店の中にいる二人に、創和アドエージェンシー勢の幾人かが気がつき、ガラス越しに手を振ってよこした。
「おふたりさん、いいところに座ってるね。お、食べてるのもすげえ。リッチだなあ」
黒縁眼鏡をかけた若い男が店に入り、無遠慮に声をかけてきた。
「あっ、ごめん。お客さん?」宇藤木たちに気がついて、男は謝った。
「いえ、いいんですよ。創和アドエージェンシーの方ですか」
「はい、そうです」
眼鏡の男の後ろから、創和アド勢が口々に、「お、二次会はこっちか」「豪勢ねえ」と言いながら店内に入ってきた。昼間なのに、酔っ払っているようなのもいる。
その後ろから、恥ずかしそうな顔を覗かせたのが、坂本だった。すっきりと身ぎれいな中年男で、丸眼鏡にうっすらと顎髭をたくわえているが、よく似合っている。黒須と北川を認めると、「よっ、今日はすまんな」と、片手を上げて声をかけた。
予備動作なく、宇藤木が立ち上がった。
古い設計であまり高くはない洋菓子店の天井に、頭がぶつかりそうだった。
その迫力に気圧されたように、坂本が動きをとめた。しかし、眼鏡の奥の目には、警戒と敵意のような感情がほの見える。立ち上がった大男の様子をうかがいつつ、坂本は真後ろではなく斜め後方に体をひいた。
二人の男はわずかな間、互いをじっと観察しあった。
次に宇藤木は、挨拶でもするかのように手を上げたが、中途半端な高さで止まった。まるで手招きしているようだった。
「坂本さん、ですね」ようやく口をひらいた。笑顔がすばらしく優しい。長身と合わせ、行事に臨んだどこかの王族のように上品かつフレンドリーに見えてきた。
「ど、どうも」眼鏡の若い男と坂本がいぶかしげに会釈した。
百年の知己のように理解ありげな表情を浮かべる宇藤木からは、少しも内心が読みとれなかった。しかし、彼を知るみずるにとっては、
(吸血鬼が犠牲者を呼びよせてるみたい)としか思えない。
横目でうかがうと、隣の柳瀬も表情が変だ。それなりの場数を踏んだ刑事のはずだから、両者の間にただならぬ気配を感じたのだろう。
(こいつが、犯人ね)ようやく、みずるにも理解ができた。
「どちらさまですか」
「久米デザインのお二人の知人です。お噂はかねがね。はじめてお目にかかったのに、いきなりのお別れとは残念です」
「はは、そうですね。事情がありまして。ご縁がなくてすみません」
「でも、お顔を拝見できてよかった。確信が深まりました」
「それは、どうも」坂本もとまどいがちに笑顔を返した。だがみずるには、かすかに敵意が増したように感じられた。優男のデザイナーという外見に、叛骨心をおし隠しているのかもしれないと思う。
みずるはだまって、彼の表情の変化を観察し続けた。
「それと」宇藤木は言った。「あなたの腹の座りっぷりにも感心しています。そんなあなたを怒らせてしまったのだから、松永武子さんも、たいした人です」
一瞬、坂本の表情が凍りついた。しかしすぐ、彼は目を細め、そして笑った。
「よく、わからないなあ。僕をひっかけようとしているんですか、人が悪い。あちこちでそんなこと、しているんでしょう。なんです、まさか警察?捜査が難航しているって聞きました」
「はい。その通り。予期されていたんですね。ますます偉い。でも、少し反応がせわしなさ過ぎですよ。わたし、葬儀会社の社員に間違えられることは多くても、すぐに警察と見抜かれるのは少ないのです」
さっきの黒眼鏡の若い男は、宇藤木の属性を聞いてうろたえた顔をしたが、坂本はほとんど顔に動揺をあらわさず、とぼけた。
「もうすぐ、二次会がはじまるんですよ、えっ、ここの店だったかな」と言って振り向き、後ろにいた若い女性に声をかけた。
「違います、一応はティアラコーヒーの二階」
「それは、安上がりやな。樫木で最後に味わうのはティアラの煮詰まったコーヒーか」
「すごい度胸だ」宇藤木が感嘆するように言った。「小心者のわたしだったら、とてもそんなに平然としていられない」
「うそ、つけ」みずるは、ぼそっとつぶやいた。
「でも、おそらく手と胸にたくさん汗をかいているでしょうし、かえってその落ち着きぶりが怪しさを増していると、いままさに、ご自身でも思いはじめていますね。あなた、営業向きではないと聞きましたが、兵士に向いているのでしょう。それと、お会いしてわかったことがあります。あなたはもともと、カッとなりやすい。バナー博士みたいに。だからそれを抑えこむ訓練をした。手にうっすら拳だこが残っているから、空手かな。武道が活己心に役立つとは信じがたいが、本当なんですね。当然、身体も鍛えているから、小柄な老人をかついでベンチまで運ぶのは苦にならない」
「なにか、いやだなあ」坂本はあくまで微笑みを浮かべつつ、周囲の人間に困っている様子をアピールした。
「因縁をつけられちゃったよ。せっかくみんなの激励で盛り上がった気分が、台無しだ。最後の最後におかしなひとに引っかかっちゃったなあ」
「それは申し訳ない。時間もないことだし、手早く済ませます。まずわかっていることをひとつ。盗んだ車は、隣県の高齢者施設に戻しておきましたよね、もちろんドライブレコーダー類は外し、そちらの盗難に見せかけて。使用時はおそらくカッティングシートを使って車をカモフラージュしたんでしょうが、あなたのような職の人には、道具さえあればそれほど難しく無い作業ですよね、ナンバーだっていじっておいた。そばでじっとみないと、疑われない」
「なにを言いたいか、よくわからない。もういいですか、ここは会場じゃなかったし」
「リクエストにお応えして、もうひとつ。誘拐のタイミングについては、武子さんが二ヶ月に一回、だいたいあの日あの時刻に郵便局に出かけるというのを、把握していた。もともと県内のハーブ園から仕入れているって設定だったのに、こっそり中国産に変えちゃってるなんて、許しがたいですよね。偽善者め」
ほんのわずかに、みずるは坂本の目の奥が揺らいだような気がした。
はじめ戸惑い顔だった黒須と北川が、今では好奇心いっぱいの表情をして見ている。
「それと、遺体から多めの血圧降下剤が検出されたそうです。あれはぐったりさせようと、彼女が出されていたノルバスクを多めに飲ませたのでは。あなた、獲物がもともと処方されている薬を、たくさん摂らせる手口、お好きですね。ただ、足浦さんの場合は、拍子抜けでしたね。手間ひまかけてオーバードーズさせても殺せなかった人物が、あれだけさまざまな殺人プランをあなたに作らせたあのむかつく男が、自分からお酒をガブ飲みして足元も定かではないなんて。あなたのことだから、上手に勧めたのかもしれないが、それにしても決して見過ごせない貴重な機会を見事にものにした。あなたの長年ひそかに鍛えた拳足ならばこそ、一瞬の機会を逃さず相手を地獄に送り出せた」
宇藤木は一気にしゃべってから、内心を全く反映しない、天使のような笑みを浮かべた。器用な男だ。
「ただ残念なことは」彼はそう言うと、首を何度も横に振った。「これは、説明しなくてもよくわかっているでしょう。よりによって、あの人物があんな行為をするとは」
「もういいですか」少しいらいらしたような声で坂本は言った。「あんた、気をつけた方がいいですよ。前にも一度、あんたみたいな人に会ったことがある。その人、精神病院に入院しましたからね」
「平凡で古典的ないやみですね。ちょっと失望したな。なら、こっちからもがっかりするお知らせを一つ」
宇藤木は目の前の坂本にだけに聞こえるぐらいの声でささやいた。「内緒だけれど、武子さんは軽い認知症だったんだ。だから、わざわざ殺さなくても、放置しておいて、せん妄と言い張ることだってできた。おそらく彼女の証言は認めてもらえなかっただろうから」
坂本の顔が青ざめたが、すぐ気を取り直したように言った。
「いいかげんにしてくれ。なんの根拠もないんだろう。いや、もう、ブラフにはつきあわない。だれだまったく、こんなの連れてきたのは」
彼はステージ上の俳優のように、抑えた声ではあったが激しく怒ってみせた。
二人の様子をうかがっていた店内が、一挙に静まり返った。
「監査室にクレーム、入れてやる」宇藤木をにらんだが、
「ご心配なく。証拠ならまもなくここへ。ほうら、きた」
自動ドアが開き、転がるような勢いで店内に難波が駆け込んできた。
「おま、ごほっ、おまたせ。ぼく、難波です、よろしく」
しばらく息があがって、口がきけない。宇藤木に何を吹き込まれたか、必死で駆けてきたようだ。
ただし彼の視線は、坂本でも宇藤木でもなく、ひたすら若い女性である黒須と北側に注がれていた。
「お水、飲む?リュック、降ろす?」
みずるの呼びかけにかぶりをふりながら、難波は無理に息をととのえた。
「趣味の欄にラ、ランニングって書かなくてよかった」
「それ、釣書のこと?」
「き、聞かなかったことにしてくだはい」
深呼吸したあと難波は背伸びをして、宇藤木の耳に顔を寄せてささやいた。
「カメラ、2台ともこの目が見つけました。犯行の夜の映像、残っていましたあ」
下手に声を潜めたせいで、かえって声が周囲に漏れてしまっている。みずると柳瀬はその様子をはらはらしながら見守っている。
坂本は戸惑った表情をして、さっきの眼鏡の若い男に肩をすくめてみせた。しかし、難波の動きを油断なく視界の隅に捉えているのは明らかだった。
「でも」日本一悲劇的な運命に見舞われた男であるかのように、難波は胸に腕をあて、大袈裟に嘆いてみせた。相変わらず無理にささやいているせいで、よく聞こえる。
「裏口近くの1号は、レンズがあさっての方向を向いちゃってて、人影しか写ってません。2号は仏壇の中にすごく上手に隠してあったけど、おかげでろうそくランプ の影響をモロに受け、画面が真っ白だったんですう」
「ありゃ、そう。素人のセッティングではダメだったか」
「仏間では、たしかに誰かが家探しをしてるっぽかったです。お供え物をくずしちゃったりして。けど、幽霊かエイリアンみたいな白い影ばっかり。心霊ビデオですって言ったら、許してくれないかな」
「検察官が『ムー』の読者なら喜ぶと思うけどね」
「なら、異星人解剖フィルムですと言い張ります。裁判員裁判ならうけるかも」
やはり二人の会話が漏れ聞こえたのか、坂本はフッと笑った。そして、
「それで」と背中のリュックを下ろそうとした難波にはかまわず、
「じゃあ。ここでお別れ。楽しかった」と、踵をかえした。
その声に、ようやく坂本の存在に気がついた難波が、みずると宇藤木を順繰りに見た。
二人がそろって小さくうなずくと、難波は了解したという顔をして、
「そうですか、そうですか。あの男性が。へええ」
と、今度は声をぜんぜんひそめずに言った。なかなか挑発的な口調だった。
彼の言葉を捨て台詞ととったのか、歩みを止めた坂本が振り返り、
「けど、忘れんなよ」と言った。「あんたら、人の門出を邪魔した。許されへん。覚えとけよ、警察の上の方の知り合いにもひとこと言っとく」
クレームというよりも、呪いをかけるような言い草に、
(嫌な感じ)とみずるは思ったが、何も言い返せないでいた。
「またな。あ、もう二度と会わんか」勝ち誇ったように出て行こうとした坂本の背を、難波は肩を落として見送った、ように見えた。
だが、みずるの垣間見た難波の顔は、満面に笑みを浮かべていた。それも、まぬけの子狸みたいないつもの笑顔ではなく、邪としかいいようのない暗い喜びにあふれていた。目玉だって左右互い違いに動いている。
(げっ、ペニーワイズ)
「動画はダメでも」難波は低い声で言った。「録音機能に問題はなく、音が録れてました。これぞ仏のお導き。急ぎパソコンで補正をかけたら、男の罵り声だと判っちゃった。それも」
彼はいやらしく一拍おいた。宇藤木も調子をあわせて、
「それも?」
「関西なまりだったんですう。聞きたい?」
静かに立ち上がった柳瀬が、動きの止まった坂本に歩み寄った。
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