第6話 影を知る女

「わたしは探す相手が見つかればなんだっていいんです。候補を紙に書いて、ダーツを投げて決めても、当たっていたらそれでいい。証拠を探すのはみなさんだし」

 レストランの小さな椅子に体を押し込めて、余裕たっぷりで話す宇藤木の口調に、柳瀬は冗談ととるべきか迷っているようだった。

ティラミスとアイスクリームのセットを口に入れてしばらくすると、宇藤木は急に多弁になった。加えて目に見えない自信のようなものまで、どこかから立ち上がってきた。

(やっすい自信だこと)と思いつつ、みずるは多少の達成感をおぼえていた。これであいつの内部にある妖しい犯人発見機が稼働するなら、デザート代だって惜しくはない。


「でも、最低でも候補はあげないと。あるいは、さっきから私のおつむの中に育ちつつある、和気さんによると黒ぐろとしたものと、今回の事件を結ぶミッシングリンクを探さなくちゃいけない。それには人から話を聞くのが一番早いかな。聴取というより取材ですね。とはいえ、数をこなせばいいというものではない。いや、面倒だからこう言っているわけではありませんよ」

 宇藤木は柳瀬に向かって弁解めいた言い方をした。

「どんな人物と話をしたいとお考えですか」

「まさか、ボルティモアにある、精神異常犯罪者ばかり集めたという病院の地下室にいる……」

「それは、和気さんの趣味。いつも着ていた緑色のハーフコートをクラリスって呼んでるのも知ってますよ」

「母が大好きなの。それより、柳瀬さんは真面目な方なんだから、もったいぶらずにわかりやすく、具体的に答えなさい」

「へいへい。人物名はまだわかりません。ですが、具体的には、被害者の松永さんを、横から醒めた目で見ている人がいい」


 宇藤木はみずるに顔を向けて聞いた。「例えば、ある評判のいい人物について、その影の部分を客観的に語らせるとしたら誰がいいだろう。近親でも利害はあるし、感受性が鈍いと内実が見えてなかったりする。親しい友人というのも、案外あてにならない。だいたい、歴史研究だと当事者の肉声は一級資料とされたりするけど、ノンフィクションだと当事者の言葉ほど信用ならないものはない、というのは鉄則なんだよな。と、いうことは……」

「また、わけのわからないこと言ってる」みずるが言葉を引き取った。「つまり冷静な観察者として適性のある人物が一人いれば、1000人の間抜けな隣人より核心に迫れると言いたいんでしょう」

「そう、それ。被害者について、利害や世評に惑わされず人柄を指摘できそうな人から、話を聞きたい。昔から知っている方がいいのかな」

「息子さんは男の人だから、お母さんに対して醒めきれないかもしれない。お嫁さんのだれかとか、あるいは武子さんの姉妹とか」

「そうだ難波くん」宇藤木は重々しげに言った。「わたしが殺された場合は和気さんに話を聞くように。すぐ容疑者をあげてくれる」

「それはどうも。その前にめちゃくちゃ悪口を言いふらしてやる」


「あっ」いきなり難波が裏返った声を上げた。「あの人なんか、どうかな」

 三人の視線が集中した。「いや、僕が聞き込みを担当した人なんですけど、三男の奥さんの、同居しているおかあさん。被害者の中学校の先輩でもあったんですよ」

「賢そうな人だった?観察力のありそうな」

「それが、若い頃はさぞかし綺麗だったろうなあーって、思うような人でしたよ。もう一度僕と会ったら、もしかしたらなにかが生まれるかも知れない」

「おい、そっちかよ」

「ついに枯れ専にスイッチしたか」

「難波さんって、その、つまり……」

 一斉に非難を浴びて、難波は悲鳴のような声を上げた。

「だって、僕のモットーはオープンマインドなんですよ。年齢で制限するなんて、自ら可能性をしめだすことじゃありませんかあっ」


「2度も警察に話を聞かれるなんて、やっぱり私が容疑者なのかしら」

橘光子は品のいい口元を綻ばせた。外光の入る明るい部屋の一角に彼女は姿勢よく腰掛けている。

 その対面には宇藤木とみずるが座り、斜め向いには難波と、ぜひにと参加した柳瀬が座を占めている。

 再度話を聞きたいと連絡すると、自宅に客を迎えるのは掃除が面倒だからと、松永武子とよく遊びに来たという駅直結のデパートにある喫茶店で話を聞くことになった。


「容疑者ですと、カツ丼が出ます」宇藤木のいいかげんな言葉に、

「あら。わたしカツは苦手だから、できれば木の葉丼をいただきたいわ」と、橘は話を合わせてきた。難波が推薦するだけあって目鼻立ちは整っていて、さらに田舎くさいところは微塵もないセンスの良い老女だった。

「武子さんとは、お嬢さんが息子さんと結婚する前からの知り合いとか」

「ええ。関係としては、同じ中学の一年上というだけですが、当時は音楽鑑賞の会みたいなのがあちこちにありまして、そのひとつで一緒になり、学校以外でも交流がありました。その後、一時連絡が途切れたこともありましたが、子供同士が交際をはじめたのをきっかけに、親しいやりとりが復活しました。娘とその夫は、大学の同好会活動で知り合ったようです。サックスをかじったりしていましたから」


「交流が復活したあと、武子さんとはどんな付き合いを?」

「ご存知のようにあの人はいつも忙しい人でした。それでも、一緒にデパートのバーゲンセールに行ったりしましたよ。最近までね。店では割烹着ばかりでしたけど、本来はファッションに関心の深い人でした。チュニックって下着メーカー、ご存知かしら。お洒落な女性用下着の元祖みたいな会社ですが、若いころはあそこのポーチとかをよくプレゼントしてくれました。この頃は通販の利用が増えていましたね、なかなか良いのがあると言って。好奇心の強い人でした」


「なるほど。地味なお姿はイメージ戦略ですか」宇藤木はひとりうなずいた。

「そうですね。ただ、少し騒々しくておせっかいなおばあさんというイメージは、たしかに彼女の一面でもありました。それなりに俗っぽいところがないと、あんなご商売は続けられないですよね。もちろん、噂話は好きだし、人物月旦だって大好き。わたしは聞いて相槌を打つのだけは得意だから、ちょうどよかったんだと思います」

 宇藤木は黙ってうなずいた。

「では、いったん過去に戻って、若き日の武子さんについてお聞きします。のちのローカル有名人としての片鱗は、当時からありましたか」


「そうねえ」橘は少し考えてから、「若い頃からはきはきした、活発なお嬢さんでした。でも、お店を舞台みたいに飛び回っている姿を最初に見た時は、驚きました。水を得た魚といいますか。亡くなったご主人がおとなしい感じの方でしたから、余計にそう感じたのかも知れません。お姑さんも存じていますが、しっかりした人だったのに、次第に何にもおっしゃらなくなったとか。呆れられたのかなあって言ってました」

「橘さんは、亡くなったご主人もご存知でしたか」

「ええ。高校の音楽教師をしていて、私たちの音楽の会にも参加していたの。ご実家が近かったですからね」

「もしかして、こ、恋の鞘当みたいなのがあったとか」

興奮する難波に、橘はにこにこと笑顔で否定した。武子の夫、松永勇は優しげな物腰の人物で女性に人気があり、一方の武子は当時から明るく華やかな人柄だったので、二人の交際とその後の結婚に驚きはなかったと言う。「下の孫が、勇さんに面差しや体つきが似ていますね。ほっそりしていて。彼はあまり音楽には興味がないみたいですけど」

「ちなみに、橘さんのご主人は……」おずおずと難波が聞いた。

「反対のタイプでした。夫は当時としてはとても体格が良かった。あなたほどではないけど」と、宇藤木を指した。「なにか運動をなさっていたの?」

「なわとびを、少々」

「あら、それはそれは」


「実は、お嬢さんたちに同席いただかなかったのは、これまで警察にも詳しく語られていない、武子さんの一面についてお聞きしたいと考えたためです」橘がうなずいたのを見て、宇藤木は続けた。

「武子さんが殺されたのを最初に聞いた際、なにをお考えになりましたか。思い浮かべたことはありませんでしたか?はっきり言葉になっていない、気分だけでも結構です」

「なにを思い浮かべたか、ですか」心理テストのような問いに、どこか面白そうに橘は言った。

「亡くなったと聞いたときは、本当に驚きました。一週間ぐらい前に電話でお話をしたところでしたから。内容ですか。彼女は相変わらずのおしゃべりだったし、お互いのどうでもいいことばかりでした。通っている病院のベテラン看護婦さんが、そろそろ視力が怪しそうなのに、注射の係を若い人に頑として譲ろうとしないのが怖いとか。自分はもっと年寄りなのにね。ごめんなさい、殺された直後のことを話すのでした。そう、殺されたと知ったときは……」


 橘はわずかに思案して見せ、「家から離れたところで見つかったと聞き、強盗かと考えたのは本当です。ずっと前、店先に置いた小さな金庫に、売り上げを無造作に押し込んでいるのを見たことがありました。危なくはないかと聞いたら、あの人の返事は『大丈夫、気をつけてるから』でした」


「最後に直接会われたのは、亡くなるおよそ二ヶ月前。彼女からこのデパートに誘われ、この店でお茶を飲みつつ話をしたとのことでしたが」宇藤木は唇にながい指をあてたまま聞いた。「その日はバーゲンセールにはまだ早い。プレセールというのもあるようですが。それよりも、彼女からなにか、頼まれごとがあったのではありませんか。次に会うのを逡巡させるような。先方の体調悪化もあったでしょうが、それ以外に」

穏やかな橘の表情が少しとまどいを見せた。「先になにか聞いておられますか。ご長男の家族とかから」

「いいえ、純粋に推理したのです」宇藤木の返事に、

「まあ」と、橘は彼の整った顔を面白そうに見つめた。「占い師みたい」

「よく言われます」

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