第5話  胸に育つ黒ぐろとしたなにか

 みずると宇藤木、柳瀬刑事に難波が並んでアーケード下を歩いていると、

「あっ」と大きな声がした。見ると六、七人の男女が商店街の一角に固まっていて、その一人が宇藤木を無遠慮に指さしてから、手を大きく振った。


 若い女性だった。複雑な色をした髪に見覚えがある。さっき記念館で話を聞いたばかりの、黒須という女性だった。

「ね、嘘じゃないでしょう」と、かたわらの女性二人に語りかけている。どうやら、同僚のようだ。

「さきほどは、どうも」宇藤木が高みから会釈すると、黒須の同僚たちはまじまじと彼の顔を見上げた。頬を紅潮させた黒須が聞いた。

「聞き込み、ってやつですか」

「ご想像にお任せいたします」と宇藤木は謎の微笑みを浮かべつつ、「皆さんは、職場の方々ですか」と聞いた。


「ええ。私たちはデザイン会社で」黒須は自分と同僚二人を手で示してから、やや離れたところにいた四人ほどを指差した。「あっちは代理店の創和アドエージェンシーの皆さん。ウチとは、いわゆる下請けと元請けの関係ですよね。事務所はどちらもこのすぐ近くなんです。この裏に、制作会社とか設計事務所とか、引きこもり系の会社ばっかり集まった一角があるの」

「広告代理店から、制作の仕事を請け負っておられるのですか」

 広報業務も手掛け、制作会社とのやり取りだってあるみずるが聞くと、

「そうでーす」と黒須は言った。「毎日行ったり来たりしていて、今日もこれからごはん」

 

 彼女の言葉に合わせて、宇藤木は代理店と紹介されたグループにも会釈した。戸惑いの色を浮かべた人々を見て、嬉しそうに黒須がまた解説した。

「でね、今いる創和アドのは皆さんは、制作部の人ばっかりなんですよ。営業の人たちは外でおかせぎ。ねー、泉谷さん、そうですよね。私たち今から喝を入られられるの」

 代理店と紹介された四人のうち、四十過ぎと見える丸っこい女性が笑いながら言った。

「逆です。元請というより、こっちがこき使われてます。もっともっと仕事寄越せと、厳しく指導されるところです。彼女たち元気でしょう。あれなら営業だってすぐやれます」そう言ってまた笑った。

 黒須は彼女を手で指し、

「こちらが制作部の泉谷副部長。よかったら警察のポスター制作でもHPの刷新でも、仕事を融通してあげてくださいね。うちも手伝いますし。景気は良くならないうえにアドさんとこ、営業のチーフが事故で亡くなったりして、大変なんですよ」

 急に売り込みをかけられて、柳瀬が困った顔をした。


「でも」黒須は声を潜めた。「新しくきた今度のチーフのほうが、あたしは気に入ってるんです。前のあっしー、いえ足浦さんは、正直なところパワハラっぽかった」と言って舌をのぞかせた。泉谷は苦笑している。

「いえ、坂本さんは優しい紳士ですよ。おしゃれだし。でもあのおっちゃんは、いかにも営業、って感じだったなあ。お腹も出てたし」

「坂本さん?」

「あ、ごめんなさい。わからないよね。坂本さんって、制作部の部長さん。泉谷さんの上司にあたるんです。死んじゃった足浦氏と一緒にプレゼンに行くことが多かったから。あたしたちも同行させられたりしたんですよ。あっしー、もの知らずな上にちょっとでも難しい話になるとすぐ人に丸投げした」


 泉谷が我慢しきれないように笑い出した。「ごめんなさい、不謹慎で。亡くなった人なのにね。でも、その通りだったから」

 あまり人望は、なかったようである。「しかし、事故とは気の毒ですな」

「車にはねられたんですよ、それもこの先、郵便局の向こう。横でずっと工事をしていて、道が狭くなって危ないなあって言ってたら、この始末。いえ、これ以上他人の不幸をネタにするのはやめますね」

 黒須さーん、せき空いたよー、とどこかで声がした。「ハーイ」と黒須は答え、泉谷にうなずいた。

「それじゃあ、これからご飯です。ぜひ、仕事くださいねー」黒須は手を振り、他の面々はみずるたちに頭を下げて、アーケードの中にある階段を登って行った。イタリアレストランの席が空くのを待っていたのだ。

 宇藤木も愛想よく手を振り返し、一行が消えるまでじっと見送っていた。


「めずらしいね。お見送りとは。なにかひっかかりでも、ありましたか」

「今日、ここへ来てよかったかもしれない」みずるの問いに、宇藤木はなにかを予言するかのように答えた。


 商店街にある有名お好み焼き店に入っての昼食を難波は提案したが、女性二人は「匂いがつくのはいや」と即座に却下した。

 結局、いったん商店街を離れることで意見がまとまり、県立大の近くにあるイタリア風レストランに入ることになった。宇藤木はランチメニューに加えて、うれしそうにドリンクバーを注文した。

「ストロベリーティーがあるんだ、ほかも飲み放題」

「それはよかったね。けど、さっき黒須さんたちの入った店ってけっこう混んでたよね。美味しいのかな」

「ここよりずっと高かった。ランチがあの価格とは、正気の沙汰ではない」

「そればっかり、ケチねえ。でも、さっきは黒須さんが気になったわけではないんでしょう。同僚の誰かがあやしいの?」

「まだ、匂いをかいだ気がしただけっす」そう言って宇藤木は柳瀬を向いた。

「今日聞いた中では、被害者の接客というか、カウンセリング能力を褒める声が多かったですね」

「ええ。たしかに武子さんはカウンセラー的な対応が上手でした。細かいところにもよく気がついたし、数回会っただけの相手をちゃんと覚えていた」

「探偵向きですね。要らないことばかり記憶している嫌な人物なら、私も知っています」

 みずるが宇藤木を見ながら言うと、柳瀬は明るく笑い、「実はわたしも洗礼をうけました」と、最初に松永と会った日のことを明かした。


 ある窃盗事件に絡んで先輩刑事と商店街に出向いた際、ときどき店に来ると言う先輩から紹介されたのが松永武子だった。

「その日はたまたま、わたしの服にクリーニング店の洗濯ネームがついたままでした。途中で気がついて、おばさんが先輩と話している間にわからないよう隅でこっそり外したつもりでしたが、ちゃんと見られていて、おまけにその出来事を記憶されていた」

「次にあったときに、松永さんにからかわれた?」

「ええ。一年以上経って、別の課に異動してから会ったのですが、『あら、洗濯ネームのおまわりさん』って呼ばれました。やさしい口調でしたが、ちょっと怖かった。服装も髪型も、前とはかなり違っていたんですよ」

「殺意が湧いて当然だな」宇藤木は言った。「けど、客との間に目立ったトラブルはなかったと報告にありました。よほど要領が良かったのか、寸止めだったのか」

「ええ、正直に答えますと、あまりに大勢が出たり入ったりして、どれほど問題があったかが分からないんです。全体的には客に愛された人でしたし、店先で怒鳴りあいをしたとかは、もちろんありません。店をずっと手伝っていた長男の家族も、客商売でよくある客とのトラブルなど、ほぼなかったと言います。その点、客も店側もハッピーにできるカリスマ店長でしたって」

「ふうーん。催眠術でも使ったのかな」

 

また、甘味処松永は商品の単価が低く、競合を気にするほどの店は商店街になかったと柳瀬は言った。十年ほど前、そっくりの焼き菓子を売る店が開店したものの、何年もたたずに店を閉じた。

「その店長が恨んでいるかと思って、調べてみましたよ、ぼく」難波が言った。

「どうなってたの」

「県庁の近くでラーメン屋を開いていました。スキンヘッドにして黒いTシャツを着て、ハチマキしめてました。それで味は……」

 宇藤木はあわてて難波を制すると、「被害者のような強烈な人物は、あとあと悪口の出てくる可能性はあり得る。いまのところはまだ、聞こえてこないですよね、すごいのとかは」と、確かめた。

「実は、私もそれを待っているんですが」柳瀬が答えた「まだ強烈なのはないです。代わりに聞こえてきたのは美談でした」

「それは困った」


 アナログ派らしい柳瀬は、自作のノートを見ながら説明した。

「先日、本人が遺族にコンタクトをとってわかったのですが、えー、実家が樫木にある玉井夏菜という主婦、年齢は三十一。急に家族が入院することになり、穴があいたようにお金が出ていくと店でこぼしたところ、ポンと渡してくれた。無利子・返済無期限。渡すときに小声で『別に返さなくていいし、足りなければまたきなさい』と言っていたそうです。金額そのものは十万円ほどなのですが、不安感が和らぎ、本当に助かったと言っていました。関係は、高校生の時に常連客だったというだけです。古いのなら、似たような話はぞろぞろでてきます」

「饅頭を売る慈善家、ね」

「お金を巡っての話はほかにもあったわけですか」みずるが聞くと、

「ええ。少額を融通したりは、昔からたびたびあったようです。大きいのでは、例えば昭和のころに進学費用に困った家庭を励まし、お金を融通したとか」

「江戸時代なら饅頭聖人と呼ばれそう」


「あくまで私の印象ですが、金貸しではなく援助に近いと感じました。ただ、のんびりした時代ならともかく、いまどきそんな行為はトラブルの元ですよね。三人いる息子さんたちからも、繰り返し諌められ、最近は表立っては援助していないことになっていました。ところが、さっきの玉井さんの例みたいに、家族に隠していたケースが出て来た。ほかにあったかどうかは、これまた本人しか把握していません」

「三人の息子のうち、誰かの家族と仲が悪かったりすると都合がいいのだけど、そんなことはなかった?」

「はい。基本的に三家族ともお母さんには従順だったようです。大切にもしていた。ご主人が四十代で亡くなってからは、武子さんがすべて上の学校まで出させたわけですし。ちなみに三人とも大卒です。職業は上から銀行支店長、税理士、市役所の上級職。飲食業への転身はなかなか、ね」


「武子さんのお店なんですけど、いくら売れても単価的には知れていますよね。そこまで余裕があったのには、なにか理由があるんですか」みずるが聞くと、

「はい、それはおそらく」柳瀬がまたノートをめくって答えた。「不動産収入です。長男によると、戦後のややこしい時期に先代が、人に頼まれて安値で購入した土地とかが現在も残っているそうです。決して大きくはないとの注釈付きでしたが、貸し倉庫や駐車場を所有し、税金を払っても一つの家族が食べていける程度のあがりはあるそうです」

「店の売り上げと合わせたら、他人に無償援助するほどの余裕はあった。しかし、相続で揉めるだろうな」

「ええ。ちなみに相続手続きはまだですが、遺言書がちゃんとつくってあったそうです。店を手伝っていた長男の奥さんによると、それぞれの家庭や孫との関係は、拍子抜けするぐらいあっさりして、自分の親と比べてもドライと感じる時があったとか。奥さんにもきちんと給料を払っていたのですよ」

「自分の家族には合理的、それ以外にはウエッティー」宇藤木はうなずいた。


「それで、あらためて犯人像なんですが」と柳瀬は、ひとつづつ言葉に出して確認していった。

 息子たち及びその家族には、完璧ではないがアリバイがあり、動機となりそうなものもまだ見つかっていない。親戚についても、もともと親戚付き合いが希薄なせいもあり、目立ったトラブルはなかった。謎の多いのは交友関係および店にくる客との関わりだが、

「広すぎて、いま現在も潰し切れていない」宇藤木の言葉に柳瀬はうなずいた。

「はい。捜査は継続中ですが、先ほども申しましたように、なんとも把握が大変ですし、本人しか知らないというのが、あまりに多くて」

「こうなったら、イタコに頼むしかないですよね」難波の軽口に、

「ついでに誰が殺したか聞いといて」と宇藤木は返事した。


「ねえ、家族の話は聞きに行かないんですか、長男夫婦とか」食事を終えた難波が聞いた。

「なにも不正の疑いのある帳簿を洗い直すわけではなし。経験を積んだ刑事さんたちがきちんと捜査したあとを、もう一度穿り返しても、無駄を重ねるだけです。こんな立派な資料ができるまでには、どれほどの労力が注ぎ込まれたか」

 宇藤木は柳瀬の渡した資料を手に取って持ち上げた。そこには、これまで捜査員たちが聞き取りを行った内容がまとめられてある。


「わたしに期待されているのは、これの検算をすることじゃない。むしろこの力を借りて、渋滞に巻き込まれた車の抜け道を探すことだといえる。ならば、ここらでちょっと地図を逆さから見て、発想を変えたらどうかなあと思っている。家族に会うのはそれからでいいかな」

「登場人物が多すぎて、頭の中が整理できないだけじゃないの」

「えっ、なぜわかったの。こわい……」みずるのツッコミに宇藤木は、資料を持つ手を大げさにぶるぶる震わせてみせた。

「いつものこっちゃ」彼女は平然と言い返した「でも、さっきからキミの顔つきを観察していると、なにか黒ぐろとしたものが胸の中に育ちつつある気がする。あっ、そうだ」

 みずるは店員を呼び、「どれがいい」と、宇藤木にメニューを示してデザートを選ばせた。

「甘いものがお好きなんですか」柳瀬が可笑しそうに聞いたので、「いまにわかります」とだけみずるは答えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る