第4話 褒めるひと、やっかむひと
「同好会まであるとはね」
「研究会じゃなかったかしら」
「どっちでもいいや」
予想とはかなり違った軽文研をようやく送り出した後、宇藤木とみずるは妙に疲れてしまい、なげやりな気分になってきたのを自覚した。女子学生に涙ぐまれ、すっかりペースが狂ってしまった。
力なく宇藤木がめくっていた柳瀬作成の写真資料を、みずるも見せてもらった。
店の写真や彼女の普段の姿、そして発見当日の記念館の様子。ベンチに放置された武子の傍にあった、バッグの中身まで写真に撮ってある。
遺族によると、特に消えたようなものは無いそうだ。使い込んだガラケーもそのままだった。彼女はときどき、これを使って客の動画を撮影して喜んでいたとされるが、
「もちろん、犯人の映像なんてないですよね」みずるが言うと、柳瀬は苦笑いを浮かべた。
「店先で、はしゃぐお年寄りの姿ばっかりでした。あれはあれで、見ていると頭がくらくらします」
「若い世代に人気というのにガラケー止まりというのは、これいかに。まるでぼくみたい」
宇藤木のつぶやきに、
「その理由はわかりませんが、被害者のファンは本当に幅広かったんです」と柳瀬は答えた。「中学高校から子育て世代、もちろん高齢者までさまざまでした。スマホに変えるべきかと聞かれた子たちもいれば、いい病院を聞かれたというお年寄りもいました。もちろん、武子さんは質問するより、圧倒的に人の相談をうけていました」
「さっきの学生さんじゃないけど、カウンセラーみたいだったわけですね」
「ええ。来客はそろって武子さんに悩みを打ち明けて、すっきりした様子で帰るのです。他は企業の偉い人がこっそりきたり、政治家の関係者がきたり。これは、票まとめを頼みたい意図もあったらしいですけど、長男の奥さんによると、適当にあしらっていたと」
「特定の政党や宗教と関係はなかった?」
「なかったようです。つきあいは広く浅くが基本姿勢で、特定のポスターなんかも貼らせなかった」
「被害者に職業適正検査をしたら」宇藤木が首をかしげつつ言った。
「飲食業より宗教家とか占い師、詐欺師と出そうだ。相手と打ち解け、そしてその不安をかぎ取る嗅覚に優れていて、なだめるのも上手。犯人とシンクロでもしたのかな」
「キミとも似ているね」みずるがつつくと、柳瀬が言った。
「常連に似たことを言う方がいました。さっきの研究会と同じ県立大の名誉教授です。現在も講師として出講しておられます」
「大学まで聴取して回ったのですか。大変だなあ」
「それが、先方から問い合わせがあったんです。なにか、わたしに協力できることはないかって」
「えっ、それはそれでめんどくさいですね」
柳瀬は肩をすくめ、今回はそんなのばっかりだと言った。
「名誉教授によると、武子さんは入り込むのがうまいのだと。そして、話す内容は他愛なくても、とにかく会話のレスポンスがよくて表情が楽しく、以前した話もよく覚えているから、悩み事のある時とか、しばらくしゃべるとすごく救われた気になるんですって。数百円の飲み食いですっきりできるんだよっておっしゃってました。ただ、さすがに最近はその記憶力がやや雑になっていたのも事実だったとか。このところずっと体調が優れなかったようですから」
「公民館でお別れの会を開いたら、大騒ぎだったんですよね」難波が言った。
「ええ、平日にもかかわらず千五百人以上が集まりました。わたしもずっと張り付いていたんですが、いわゆる地元著名人も混じっていたりして、もう大変。いちおう参加者リストは整理できていますので、お渡しします」
「それはご苦労様、ありがたく頂戴します」気乗りしない様子で宇藤木は礼を言ってから、「このあと、まだ誰かと会うの?」と難波に聞いた。
「商店街連合会の会長さんが、一言お伝えしたいことがあるそうですよ」
「そのお方のご商売は、なんだろう」
「お店は食器が中心ですね。歴史のある店です。創業慶応三年って店の看板に書いてあります」柳瀬が言うと、
「容器ではあっても食べ物じゃないのか」と、宇藤木は不服そうな顔をした。すると難波がささやいた。
「場所は松永とは別の甘味処を抑えてあります。そっちは団子が名物」
「いこう」
記念館を出た四人はぞろぞろと歩き、樫木商店街の一角にある「甘党犬丸」を目指した。
「あっ」途中、みずるが通りの向こうを指差した。
「あれ、ですか。店は」
アーケードから外れた通りの中に一軒、閉まったままの二階建ての店舗兼住宅があった。色のあせた看板に「甘味処」とある。知らなければ、普通の民家と思いそうだ。
「はい。あれが松永です」柳瀬がうなずいた。
平日の昼前ではあるが、松永のある通りを行き交う人は少なく、心なしか寂しげに感じられた。
今日に先立ち、タレントが樫木通り商店街を散策する番組の録画を難波に見せられていたが、その映像に出て来た甘味処松永の周辺は、もっと人通りがあった。映っていた客が番組制作会社の仕込みだとしても、雰囲気そのものが、いまとはずいぶん違うように感じた。
「閉店したらじわじわ流れが変わって、ついにあんな風になりました。もちろん、前はもっと賑やかでしたよ。日によっては行列もできてたし」
「一軒が閉まっただけで、がらっと変わるものなのね」
「今から会う商店街連合会の人も、きっと同じようなことをいいますよ」
柳瀬の予言通り、会長はひたすら愚痴を聞いてもらいたいだけのようだった。彼もまた、生前の武子のカウンセリング部門の顧客だったのかもしれない。
「ご遺族をはじめとして、誰かあとを継いでくれないかと、それは真剣にお願いしているんですがねえ」と、樫木商店街連合会の市川会長は三回目に言った。
まるで目の前の宇藤木とみずるが、捜査にきた警察関係者ではなく、商店街活性化のコンサルタントと見えているかのようだった。
「いかんせん、色良い返事はいただけない。先月は二割、いや三割は商店街全体の人出が落ちているんです。なのに」
武子の長男をはじめ、遺族側がそろって店の存続に乗り気でないのだと彼は繰り返した。
「息子さんたちが、それぞれ物堅くて立派な仕事に就いておられるのは、十分わかっています。それでも、長年の義理と責任というものがあるんじゃないのかなあとわたしなど思ったりするんです。一度途切れた客の流れを元に戻すのは、至難の技なんですよ」
会長は、そう言って長い鼻息を漏らした。顔つきに精悍な雰囲気を残し、六十後半という実年齢より若く見える人物だが、さっきから語っているのは表現こそ違え、老耄したように同じ内容ばかりである。
彼の隣には年配の男が三人、座っている。みな店の主であり、それぞれが商店街連合会の副会長、書記、会計とのことだった。挨拶以外は口を開かず、ただひたすら会長の言葉にうなずくためにやって来たように思える。
柳瀬と難波はすでに会長の話を聞き飽きているようだった。宇藤木も不景気な気配を漂わせているが、これは、彼の前に出されたのがお茶だけで、期待していた団子がなかったためかもしれない。
会場となった甘党犬丸そのものは、まだ新しく清潔な店である。みずるたち一行はガラスで区切られた部屋に通されたが、おそらく以前は喫煙室だったのだろう。
この店が会場に選ばれた理由はすぐに察しがついた。店主が連合会の理事というだけではなく、お茶を運んできてくれた女性店員がそろって若く、可愛らしかったのだ。
(チっ、難波め)みずるは、内心で舌打ちした。(女の子はともかく、ほんの少しでも糖分を食べさせれば、でかいのは一日機嫌よく働くのに。ホント自分のことしか考えないヤツ。使えねえ)さっきから、どうしてもいらいらが消えない。被害者のことより自分を語りたい相手ばかり出てくるからだろうか。
ガラスごしに見える通りの反対側には、クラシックな佇まいの洋菓子店があった。みずるの好みは、犬丸よりもそっちの方である。自腹を切ってあの店で菓子を買って、燃料がわりに宇藤木に食べさせようかなどと考えた。むろん、自分用と母親用に土産としても買って帰る。里帆だって喜ぶかも知れない。
朝から殺伐とした話ばかりしていると、それとは対極にありそうな洋菓子店の雰囲気が、とても好ましく、貴重に思える。
「屋号を譲ってくれたら店を継いでもいいという若い人も、いないわけではないんですよ」
また、会長が嘆き節を繰り返した。
「あ、そうなんですか」だれも反応しないので、仕方なくみずるは相槌を打った。
「でも、今どきの人たちに、覚悟があるかなあって。まずなにより、松永のおばさんみたいなことを、やれと言ってできる人は、そうはいないでしょうなあ」
「浜村淳さんの代わりを探すようなものですか」宇藤木が突然口を挟んだが、めぼしい反応はなかった。仕方なく、またみずるが引き取った。
「松永さんの接客って名人芸みたいな、すぐに真似のできない技術だったのですか」
「それは、もう。一種の天才だったんじゃないかな」
「そんなに、ですか」
「あの人のいるおかげで、商店街が明るかったですからね」ようやく副会長の大坂が口を開いた。書店主だという。「もちろん明るいだけでいいなら、芸人でも呼べばいいんですが。そんだからもう、割り切っておばさんの銅像でも店の横に立てて、あとはしずしずと「四角」を売ればいいって僕は言ったんです」
残りの二人が無言で笑った。どうも、この話をネタにたびたび酒でも飲んでいるようだった。
「おばさんみたいに、店と一体化する必要はないと思うんだけど、万が一悪評だったらが怖いのかなあ。冒険心のあるのはいないなあ」
どうだろうかなあ、と男たち四人はそろって腕を組み、首をひねってみせた。
甘党犬丸での事情聴取が終わり、店を出ようとしたところで、珍しく宇藤木が自ら動き、商店街側の末席にいた会計に声をかけて引き留めた。中条という鞄屋を営む男だった。
はじめは中条の店で取り扱っている、オーダーメイドの鞄について聞いているようだったが、五分が経過しても宇藤木と中条だけが出てこない。
ピンときたみずるが、なにげなく見に行くと、小柄な中条が見上げるようにして宇藤木に話かけている。さっきと一変して、実に表情が豊かだった。
「では、また今度お店に寄らせてもらいますね」そう言って店の外に出て来た宇藤木にみずるは、「糖分が少なくても仕事するんだね」と言うと、
「いまのですべて使い果たした。もう帰りたい」と返した。
「なに、被害者への悪口でも聞けたの」
「さすが和気さん、その通り」と目を瞑ってうなづいて見せた。
彼はゆっくり商店街を移動しながら、「さっきの人が典型だけど、被害者に向けられた否定的な感情の主な成分は、嫉妬まじりの不満のようだ。武子女史は褒められ過ぎということ。世代差もあって、他の商店主との付き合いや協力してイベントを開くようなことには不熱心だった」
「それで、殺されるかな」
「おっしゃる通り。被害者ほど個性が強く人気も高いと、当然ながら心良く思わない層も存在する。でも惨殺されるほどのトラブルには、なかなか発展しないよね」
「これで振り出しに戻る、かしら」
「ぜんぜん違うところをほじくった方がいい気がしてきた」
「それで、カバンはいいのが買えそう?それとも特注するの?」
「オーダーは値段が高すぎる。四万円からだって」
「ケチ。一個ぐらいたまにはいいじゃない」
「風呂敷で十分な気がしてきた」
「でも、柳瀬さん」宇藤木が先を歩いていた柳瀬に声をかけた。「あの店はどうせ、近く閉店の予定だったんでしょう」
「そうなんです」柳瀬がうなずいた。「これは息子さんたち全員が認めていました」
「人工透析を受けるようになっていたんですよね」みずるが聞いた。「だったら、お店にただ出るだけでも大変だったでしょうね」
「ええ。当然家族は、止めようとしますよね。だから最近は実質、隔日で店に出るような感じだったそうです。それに、このところ細かいミスが多くなっていた。無類の記憶力にも陰りが見えた、と言っている人もいました。病人だから仕方ないけど、店を続けさせるのは無理ですよね。いくら本人がやる気でも」
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