第3話 老女は殴り殺された
「傷の多くはグラブをはめた拳、あるいは拳大の鈍器で殴られたものと思われます。それに、半分は死後つけられたものです」
樫木どんぐり記念館の庭において、死体が放置されていたベンチに腰をかけた姿で、地元警察署の柳瀬刑事が説明した。
それに対し、宇藤木が言った。
「七年前の暴走族対老人との関連は、薄いということですか」
座ったまま柳瀬は腕を組んで見せた。(なかなか可愛いな)と、和気みずるは思っている。自分とは違う小柄で機敏そうなタイプに憧れる気持ちがある。
「そう考えたいんですが、判断を裏付ける手がかりというか決め手に乏しいのです。ただ、田丸さんについては、複数の人間によってリンチを受けたのは間違いないところです。一方の松永さんについては、正直まだよくわからない。放置された場所は同じでも経緯は全く違うかもしれない。個人的には、おそらくぜんぜん別の事件だと思っていますが」
松永武子の件にさっぱり糸口が見つからないため、完全に捨て切れず保留にしてあるということらしい。
「激情にまかせてボカスカ殴ったのではなく、理性的というか、儀式的に痛めつけたって感じなんでしょうか」
「儀式的」という言葉をなにげなく口にして、みずるは自分でぎょっとした。宇藤木の影響を知らぬ間にずいぶんと受けているのかもしれない。それとも、単に母のよく見るアメリカ製ドラマのせいか。
しかし、柳瀬はうなずいた。
「私個人も、そんな印象を受けました。けれども、いまでも犯人像が絞れないため、そのあたりも不明確なんです」
「松永さんは、うらみを買いそうな人物でしたか」
「それがですねえ」柳瀬は言葉を濁した。
「とにかく田丸さんと松永さんのキャラクターがぜんぜん違いすぎる。というか松永さんが強烈だったんです。記念館の中でそのあたりをお話します」
「あっ」突然、宇藤木がとどめるかのように手を突き出した。「せっかくなので、すみませんがそのまま。どんなふうに見えたかを確かめたい」
そう言って柳瀬をベンチに座らせたまま、宇藤木は離れたり近づいたりした。発見時の様子を再現しているらしい。なんとなくモデル撮影会のようにも見える。
「けっこうあの二人、息が合っているかもしれませんね。これこそ、特任コンビの終わりのはじまりかも」
難波が不気味な笑みを浮かべてささやいた。なにかに似ているので、しばらく考えたら、先日見た恐怖映画にでてくる妖しいピエロだった。
劇場に見に行く勇気がなくそのままにしていたら、友人の里帆が前後編のブルーレイディスクを家まで持ってきてくれた。そしてそのまま、みずるの母と三人で上映会を開くことになった。
見終わっての印象としては、背格好は宇藤木の方がよほど不気味ピエロに似ているが(あー、ヤダあれーっと、宇藤木を知る里帆は鑑賞中にみずるの腕をやたらと叩いた)、邪悪な笑顔については、なんといっても難波である。
「今朝も柳瀬さん、どんな人だろうってやけに気にしてたんですよ、宇藤木さんのこと。ぼく、あえて『その目で確かめてください』とだけ言ったんです」
難波自身は、おそらくみずるをからかっているつもりなのだろう。こういうときはもっと軽い感じの笑いを浮かべるべきなのに、表情が重すぎる。そう思いつつみずるは、
「そうね。新コンビ誕生かもね。いいことじゃない」とうなずいた。「でも、難波くんはそれでいいの?君けっこう、柳瀬さんが気に入っているんでしょ。彼女、あなたより年上でも、可愛くてすごく感じのいい人だし」
みずるの反撃に、難波はうろたえた顔になり、
「……そうだった。どうしよう。せっかく気持ちが通じ合い始めたのに」と口走った。やっぱり、けったいな男である。
松永武子は、死亡したとされる前日の夜7時前、樫木郵便局の夜間受付にいたのを最後に目撃情報が途絶えた。翌朝に記念館のベンチの上で死んでいるのを発見されるまでのはっきりとした足取りは不明である。
その夜の彼女は、郵便局の夜間窓口に姿を表すと、局留めにしていた小包を受け取った。中身は神戸に本社のある輸入会社から送られてきたシナモンだったことは判明している。ここ一年ほど、二ヶ月に一度程度のペースでその会社から取り寄せていたとされる。
だが、その後店舗兼自宅に戻った痕跡はなかった。帰宅途中に拉致されたと推測されるが、商店街の防犯カメラに姿は残っていなかった。
ふだん、武子は店舗の二階に一人で暮らしていた。
ただ、近くに住む長男の妻が週四日程度店に入るほか、次男や三男の妻も頻繁に顔を見せるし、ここ何年かは七人いる孫たちが代わる代わるバイトとして店に手伝いにやってきた。また、定休日の前日には長男の家に泊まるのが恒例となっていて、周囲には店を離れた彼女が孤独だったという印象はない。
むしろ、「大勢に囲まれ、賑やかかつ気ままに暮らしているようだった」と、長年交流のあった富久寿司のおかみは語った。
「のだ、そうよ」みずるが、柳瀬のくれたまとめメモから目を上げると、宇藤木はまだベンチ近くを動物園にいる狼のように歩き回り、「死体を引きずったようなあとは、なかったのですよね」などと柳瀬に質問している。
「ええ。ただ、その日は明け方になってからにわか雨が降りました。だから、わずかな痕跡だと消えた恐れはあります」
「たとえばホウキで痕跡を消したりしたら、車のタイヤのあとがわからなくなった?」
「そうですね、確実なことは言えませんが、可能性としてはあると思います」
「うーむ」すると宇藤木はみずるを振り向いて聞いた。「和気さんの車だったら、あの低い門扉ぐらいなら、乗り越えられますか」
「そうね、越えられなくはないと思うけど、そのままだとアンダーパネルを打ちそう。わたしだったら、車が可愛いからやらない。あと、勢いをつけて飛び越えたら、簡単に消せないぐらいのすごい跡が地面に残ると思うよ」
宇藤木がまだ聞きたそうな顔をしたので、みずるは続けた。
「段差を乗り越えやすくするには、リフトアップって言って、スプリングを変えたりタイヤを変えて車高を上げるの。難しい改造じゃないけど、あの扉を乗り越えるほどなら、とにかく目立つわよね。宇藤木氏みたいに背が高くなって、いやでも気が付く」
「分かり良い、説明ですな」
「それに、何インチも車高を上げるのは、私の車みたいにフレームのある車種だからできて、一般的な乗用車が採用しているモノコックフレームでは難しい。だから、門扉を飛び越えベンチまで車で乗りつけるのは、あまり手軽な方法とは言えないというのが結論」
「行き届いたご返事、ありがとう」
ふたりの息のあったやりとりを、柳瀬は感心したような顔をして見ていた。難波はその脇で、「ナイト2000は別だよね。あ、あれはもっと目立つか」とひとりでツッコミとボケをやっていた。
「松永さんと言うのは、そんなにユニークな人物だったんですか」
記念館の二階にある談話室で、コーヒーを運んできてくれたライダースジャケット姿の若い女性が帰ったあと、みずるが柳瀬に聞いた。部屋というより仕切りのないオープンスペースになっていて、重たげな色をしたテーブルが置いてある。
一階にある喫茶室から柳瀬がコーヒーを取ってくれたので、宇藤木は実に幸せそうな顔をしている。
「ともかく、人と接する一種の才能みたいなものは、あったのでしょうね。ローカル有名店になったのは、商品より彼女のパーソナリティのせいでしょうから」
柳瀬があらためて説明したところでは、「甘味処松永」は、もとは松永武子の夫の母親のはじめた店だった。
結婚してから手伝うようになったが、嫁が差配するようになって、地味な店が一躍人気店となり、商店街にくる人の流れそのものが変化した。
例の「四角」も、当初は当たり前の太鼓型だったのを、武子が「印象に残るように」と、職人を探して型を作らせたとの話が伝わっている。
若い頃の武子は自ら考案した四角を自ら焼き、接客した。その後長い年月を経て、老境にさしかかってからも常時店先にあって、手伝いに来る長男の家族に調理を任せるようになっても、接客応対は自分で担当したがった。
「お客さんと話すのが元気の素」なのだと家族には言っていた。
店は、取り立てて広くはかった。そして商品についても、主力の「四角」の皮に、プレーンにあたる「なし」と、ほんのりシナモンの香りのする「香り」の二種類がある以外は、飲み物と季節商品がいくつかあるだけで、メニューもごく単純だった。
「でも、あの人が声をかけると不思議と人が来たんです」と、柳瀬は言った。
「常連、准常連、時々の客、年に一度ぐらいと合わせると膨大な数がいて、天気のいい日はみんな店先でおばさんとしゃべっていた。待ち人もいました。まるでタレント」
そこまで柳瀬が語ったところで、がやがやと騒がしい声が吹き抜けからして、そのまま足音が二階に上がってきた。
「えー、では先ほどからの意見について、傍証をひとくさり」
難波が嬉しそうに立ち上がって若い男女を談話室に呼び入れた。
女性が四人、男性が一人いた。いずれも二十歳を大きく越えてはいない。
「松永さんの日常について若い声を知りたいかと思って、声をかけたんです。県立大の軽食文化研の皆さん」
「ほぼ全員、芸術学部なんです。あとOBもいまーす」と、唯一の男性が聞きもしないのに答えた。
「ずいぶん大勢のお越しね」とまどう柳瀬を気の毒に感じ、みずるが口を挟むと、
「代表だけと思ってたら、みんなきちゃったんです」と難波が弁解した。「最初に言ったように、この件をネットに投稿とか絶対にだめですよ」
「はーい」
「もちろんわかってまーす」
「たとえ死んでも、黙っています」
口々に返事しながら椅子に腰掛けて行った軽食研のうち、手前にいた長髪の女性が、
「武子おばさんについて、ぜひ知っておいてほしいことが……」と勢い込んで言いながら顔を上げ、ぎょっとした表情になって凍りついた。
奥まったところにひっそりと座っている大男に気がついたようだ。
他の女子三人も、宇藤木の現実感の薄い容姿を見て、同じように黙り込んだ。そしてチラチラと視線を向ける。
セクシーな気配には乏しいが、それを補ってあまりある美術品的な佇まいが宇藤木にはあった。男性だけは、少し不機嫌そうになった。
黙るだけで黄色い声をあげないとは、さすが中・高生とは違うなとみずるは無責任に思っていた。
「続きを」奥から宇藤木が続行を促したので、安居という名の長髪の女性はふたたび語りはじめた。出だしはつまりながらだったが、次第に熱が入って滑らかになった。
「おばさん、とにかくいい人で、とにかく話を聞くのが、めちゃうまくて、私が前の彼氏とのことで悩んでいた時も……」
同じ接続詞や形容詞を頻発するうえ、容易に具体例が出てこずにいらつかされたが、彼女の言わんとしているのをまとめると、甘味処松永とはコストパフォーマンスに優れた食品を、親切感の高い接客によって提供する非常にハイレベルな店であり、とりわけ松永武子の客に対する親身な姿勢は驚くべきものであり、恨まれて殺されるようなことはありえない、ということだった。
「ほかのみなさんも、同じ意見ですか」とみずるが水を向けると、残りの四人は口々にしゃべりはじめたが、内容に関しては最初の安居と大同小異であった。また、武子は若い世代にも有名人であり、彼女たちの先輩が学園祭に呼んだこともあったという。
「もう、とにかく樫木商店街一の有名人、スターでしたから」
それを聞いて宇藤木が柳瀬を見ると、「ええ。どこからも異論は出ないと思います」と肯定した。「もちろん、そのせいでやっかみを受けていたとも考えられますけどね」
次に軽食文化研はタブレットを取り出し、甘味処松永の主力である「四角」についての詳細な報告書を解説しようと図ったが、宇藤木はやんわりとそれを断ると、
「ときに、武子女史ご本人は自分をどう表現していましたか。聞いた方はいますか」と聞いた。
「自称、四十年後の綾瀬はるか。最近は五十年後の広瀬すずって称してました」と、唯一の男性、高橋が言った。
「ははは、自分を女優に例えるなんて、大阪のおばちゃんみたいだ」と、難波が言うと、
「それがね」柳瀬は否定するように首を曲げた。「アクの強い今どきの芸人風とは違い、さらっとしてるんです。なんて言うか、大人のユーモアがある感じ」という彼女の意見に、軽文研もそろってうなずいた。
「口のよく回る人だったのは間違いなくて、普通に歩く速さで店の前を通ったら、必ず声がかかった。でも、優しい口調なんです。親切の押し売りはなかったわけじゃないけど、ギスギスしてなくて、そんなに気にならなかった。おばさんの見た目も、かわいい感じだったし」
そう言ったのは、黒須という名の女性だった。彼女は学生ではなく、学部OGで、現在はこの近くのデザイン会社に勤めているという。グレー混じりの、複雑な色の髪をしている。
「そうよね。呼び込みじゃなく、朗らかに声をかけるって感じ。テレビでよく安売り店の強烈なおばちゃんを紹介してるじゃないですか、あれとはかなり違う。ねちゃっとした感じがないんです。さらさらさらって会話が進む。これしなさい、あれやめておきなさい、ってのはあったにしても」
「だから私たちファンに言わせると、声をかけてもらったら、ああ、今日も見てくれているって安心できたんです。」
村上という名の、市松人形のような小さく白い顔をした女性が言った。
「私は、地方から出てきて、知らない人と話すのがあまり得意じゃなかったんです。でも、おばあちゃんは私に会うたびに声をかけてくれて、ぜんぜんあわてることないよって感じで、こっちがしゃべるのを待ってくれたんです。そしたら、私もだんだん、会話が苦にならなくなってきて」
うんうん、と軽食文化研の連中はうなずいている。
「去年、家族がこっちに出てきたんですけど、私がお店でしゃべってる姿を見て、すっごく驚いてた。私、地元でもそんなにしゃべってなかったから。だから、私のおかあさんは、松永のおばあちゃんのおかげだよって、言ってくれて。だから、おばあちゃんのそんなところを知ってたら、あんな、あんな、残酷な…」
とまで言って、村上は盛大に鼻をすすりあげた。
「どうも、御足労ありがとうございました」号泣に変わりそうなところで宇藤木が言った。
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