第42話

「……おい、こら。陸に上がったら連れ戻されるぞ」


 羽左衛門が岩に、否、玄武に向かって言った。


『フン、お前の指図は受けぬ。我は、そこの小僧に用がある』


 大きな岩のかたまりから、ニョキッと頭が出てきた。


「どうも、初めまして山田登です」


 登は玄武に挨拶した。


『死ね』


 端的にして的を射る発言に、登は思わずプハッと笑った。


『小僧! 我を笑ろうたか!?』


 玄武こそ想いに囚われた神獣なのだろう。

 登はスタッと立ち上がり、岩に登って腰掛けた。


『小僧め! 生意気な!!』


「ヘルヴィウムが玄武と話してこいってな」


 登はタブレットを掲げる。

『シーグラス』の依頼だけでなく、登には別の依頼がきていたのだ。

 羽左衛門から逃げた玄武は、行方知れずだった。


「元々、神獣は異世界にも現実世界でも住処を得られる。二つの隣り合った世界を繋ぐ存在だから。大地を司る玄武を、羽左衛門は海に逃がした。見つからないように。合ってるか、羽左衛門?」


 登は羽左衛門をしっかり見ながら言った。


「チッ、なんだよ、お見通しかよ」


『我を逃がしただと!?』


 玄武の自尊心を傷つけたのか、岩がピキピキと亀裂を生んだ。


「羽左衛門は、逃げ足が早いんだろ。つまり、引き際を知っていたし、その収め方もわかっていた。うまくいかないことをちゃんと演出したのに、仁だけ欺けなかった。違うな、羽左衛門は酔狂で、仁は陶酔したんだ、物語に」


 登の真実への追究は、まだ終わっていない。

 全て分からねば、物語の書き直しはできないのだ。

 想いを正確に引き継がねば。


「それは、玄武も同じだった。……もし、仁の鍵が玄武なら物語は完結していたかもな」


 だが、仁の鍵は高潔な青龍だった。決して、物語に囚われることなく、自我を保った神獣である。


「青龍は自身を傷つけ、玄武は自身をこんな岩で囲った。囚われるが如く」


 登は、玄武の岩に手を触れた。

 それは岩の祠と同じように。


『やめろ!』


 玄武の叫びも虚しく、岩はガラガラと崩れ落ち、真っ黒に輝く甲羅が現れる。


「もういいじゃんか。想いは俺が引き継ぐって」


 登は黒光りする玄武の甲羅を撫でた。


「脱皮みてえだな」


 羽左衛門が笑う。


『何だと!?』


 玄武が羽左衛門に憤る。

 しかし、そんな二人の間に入ることなく登は甲羅に夢中だ。


「黒ってこんなに綺麗なんだな」


 登は玄武の甲羅を、目を細めながら優しく撫でる。


『……黒が綺麗なわけがないぞ』


 登の言葉に羽左衛門から気が逸れた玄武が言った。


「そうか? こんなに透明な黒があるなんて知らなかった」


『透明な黒?』


「ああ、黒の『シーグラス』があったら、きっとこんな綺麗な黒なんだろうな」


 登は青龍の鱗や麒麟の毛並み、ヘルヴィウムの鳳凰を思い出している。

 どの神獣も言い表しがたい色彩を放っている。

 それを青だとか黄色だとか、赤といったカテゴリーにはめ込むのを躊躇するような。

 それは、玄武の黒も同じだった。


「全部を飲み込む色じゃない。この黒は……澄みきった黒だ」


 土を司るからこそ、黒は全てを飲み込む……大地として全てを受け止める。

 どんな想いも受け入れる。


「たぶん、世界で一番綺麗な色だ、黒って」


 登は、自身の結論に納得した。


『小僧』


 玄武の呼びかけが止まる。


「どうした?」


『前言を撤回する』


 登は首を傾げた。


『我も連れて行け!』


「はい?」


 玄武が頭を引っ込めて甲羅の中に収まった。

 同時にその大きな体がクルクルと回る。

 石ころ海岸の石がコロコロと音を立てる。


 登が、もしゲームの異世界にいたなら、きっとつなぎと帽子、ひげを生やしていたことだろう。

 そんな呑気なことを思っていると、玄武からヒュンと何かが飛んでくる。

 登は顔面スレスレでキャッチした。


「これって……?」


『黒の水晶ぞ』


 玄武のその声と同時に、登の両足首に光の輪が生まれる。


「え? ちょ、ちょっと、なんだ!?」


『生きろ。想いを繋げ!!』


 登の手にある黒水晶が光った。


「前言って、死ねって言ったことか」


 登は水晶を覗き込む。

 玄武が中に収まっていた。


「マジか」


 羽左衛門が黒水晶を覗き込んでいる。


「えっと、これって……」


 登と羽左衛門は顔を見合わせた。


「お前には、今『鍵』が二つあるってことだ。青龍と玄武のな。それに白龍の輪と天照の輝きだっけ。それで、高潔な青龍は……何のカテゴリーになるかは俺でも分からんぞ」

「ど、どうすんのさ?」

「いや、お前。ヘルヴィウムから玄武の捜索を頼まれたんだから……うん、任務完了じゃないのか?」


 羽左衛門が登の肩に手を置いた。


「さあ、祝い酒でもしようぜ!」

「ちょっと! そんな能天気なことじゃないって」


 だが、羽左衛門は嬉しそうに登にビールを渡す。


「ほれ、神獣ビールだぞ!」


 バサッと背後のテントが開く。


「深夜ですから、うるさくしないでください」


 友也が目を擦りながら出てくる。


「平日で我々しか使用していませんが、ちょっと先には民家もあるんですから」


 友也が羽左衛門と登からビールを回収する。


「あ、はい、すみません」


 登は謝った。


「チッ、ちょっとばかりいいじゃねえか」


 羽左衛門が口を尖らせる。


「羽左衛門さんは、こんなに飲むから、昼間に『シーグラス』集めができないんです!」

「俺、たぶん一番大きな『シーグラス』を釣ったと思うんだけどな」


 羽左衛門が登に笑った。

 登も笑い返す。


「『シーグラス』は魚じゃないんです。釣れませんから!」


 友也が呆れたように言った。


「確かにな。まあ、俺が餌で釣ったのは登だ」

「馬鹿言ってないで、さっさと二人とも寝てください」


 友也が羽左衛門をテントに押し込める。


「おやすみ、いい夢を」


 登の言葉に羽左衛門がヒラヒラと手を振ってテントに入った。


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