第9話

 探偵社でヘルヴィウムがゲートを開き、一瞬で山中に移った。


「なあ、探偵社に行く時も同じにしたら良かったんじゃねえの?」


 ゲートを開き場所を瞬時に移動できるなら、歩く必要はなかったはずだ。


「ゲートに頼りすぎると、ゲート依存症を発症しますからね。異世界での活動はマジックアイテム頼りで身体に負荷はありません。運動不足になるんです。登もかれこれ二週間は体を動かしていないことになっていますよ」


 登が最初の異世界で経過した現実世界の時間は十日、次の期間は三日。つまり、現実世界的には約二週間弱体を動かしていないことになる。


「異世界でマジックアイテムを使わずに活動したらいいわけ?」

「マジックアイテムなしの、生身の人間でどうやって魔物と戦ったり、魔王と渡り合ったりできるのです?」


 ヘルヴィウムの返答に、登は身震いした。一瞬でやられる想像しか浮かばない。


「現実世界では、できるだけ運動してください。自分のメンテナンスにお金をかければ、少しなら生身で大丈夫な活動もできますよ。乙女世界なんて、きらびやかな衣装を着てダンスするのが主な活動ですからね」

「それは遠慮する」

「できませんよ。マスターに選り好みなど許されませんから。そうそう、アンネマリーに頼まれたんです。これを」


 ヘルヴィウムが登に紙を差し出す。

 登は受け取って紙面を確認した。


【アンネマリーのダンス教室】


「現実世界の社交ダンス教室でも構わないのですが、異世界のダンスは少々異なりますからね。舞踏会でサンバなんて踊りませんし、アンネマリーの教室なら安心して任せられます」

「行くこと前提かよ!?」


 そうは突っ込んだものの、登に選択肢はないだろう。


「まあ、おいおいということで、今は登山を」

「ああ、分かった」


 登はブスッとしながら、ヘルヴィウムについていく。

 やはり、運動不足なのか、息切れが早い。


「きっついな……ハァハァ」

「確かに……ハァハァ」


 ヘルヴィウムも息が上がっている。


「ていうか、道あってるのか?」


 急勾配すぎる道を振り返り、登は首を傾げた。


「おい」


 返答はないが、ヘルヴィウムが振り返り笑っている。


「道、あってるんだろうな?」

「……」


 ヘルヴィウムは笑顔のままだ。笑顔のまま固まっている。

 登は嫌な予感しかしない。


「遭難」

「登、どんなときも道は開けます」

「遭難だろ」

「地球は丸い。いつかは辿り着けます」

「つまり、遭難であっているな」

「そうなんですよー」


 二人の間に冷たい風がヒュルルルルーと吹いた。

 ヘルヴィウムがしゃがむ。膝を抱えて、どんよりしている。


「遭難ですよー……笑えねえって」


 登もヘルヴィウムの隣に座った。

 空が暮れていく。


「ゲート開いて戻ろうぜ」


 ヘルヴィウムが駄々っ子のようにイヤイヤと首を横に振る。


「なあ、仕方なくないか? ここは改めて……羽左衛門に案内してもらった方がいいと思うけど」

「……諦めたらそこで終わりだと思いませんか?」

「こんな状況で言う言葉かよ!?」


 登は呆れたように言った。

 本当なら、一軒家に直にゲートを開けばいいものを、少し離れた気づかれない場所にゲートを開いたのが間違いだったのだ。逃亡者に見つからないようにしたのが裏目に出た。


「もう暮れたな。いい加減諦めろよ」


 夜寸前、薄紫色の空が山中を暗くしていく。

 夜風が吹いてくる。

 カサカサと木々が揺れる。

 完全に遭難の模様である。


 カサカサ……ガサガサ……


「俺がゲートを開くぞ」


 そう言って右手を擦ろうとした登の左手をヘルヴィウムが握り、『シッ』と口に指を当てた。


 ガサガサガサガサ


 風の木々を揺らす音でない気配が近づいてくる。


「静かに、熊かもしれませんから」


 ヘルヴィウムが小声で言って息を潜める。

 登も気配に集中しながら、身を潜めた。


 ガサガサガサガサ

 ザッザッザッ


 黒い影が現れる。


「あんたら……」


 影と同時に動揺した声が聞こえた。


「お待ちしておりました、友人Aさん」


 ヘルヴィウムが言うと、男が後退る。

 登はまた嵌められたと舌打ちした。ヘルヴィウムの口ぶりから推測するに、男がここに来ることが分かっていたのだ。

 登の舌打ちに、ヘルヴィウムがニッと笑い返した。そして、踵を返した男の背に告げる。


「逃げられませんよ。捕獲の時、出でよ、鳳凰」


 ヘルヴィウムが右手を擦り、赤い閃光が走る。

 男へ光が飛んでいき、胴体を捕獲した。


「火の鳥……鳳凰だ」


 登は呟いた。

 男の胴体に巻き付いているのは、ヘルヴィウムの右手から飛翔した赤く輝く鳳凰だった。

 ヘルヴィウムがまた登に笑い頷く。

 その笑みの意味に登は気づかざるを得ない。『こうやるんだぞ』とまるで、師匠が弟子に教えているような感じだろう。


「頼む! 逃してくれ! もう死にたくない、死にたくないんだ!!」


 男が叫んだ。


「登、ゲートを開いてください」


 男の言葉など聞き入れず、ヘルヴィウムが言う。


「どこに?」

「天国行きで」

「語呂だけはいいな」


 登は『ヘルヴィウムのモンスター天国』を意識しながら、右手を擦る。


「開く時、出でよ、ゲートウェイ」


 頭上に光の輪が出現する。


「嫌だ!!」


 男は声だけ抗う。それしか抗えないからだ。


「このままだと、あなたは石化するのですよ。あなたの籍はまだ『遭難からの異世界スローライフ』にあります。その異世界は『放置異世界』寸前なのです」

「へ?」


 男がヘルヴィウムの言葉に抗いを止める。

 その瞬間を逃さず、ヘルヴィウムが光の輪に右手を入れた。もちろん、鳳凰に捕獲されている男も一緒に。

 登も後を追う。

 一瞬にして、『ヘルヴィウムのモンスター天国』に移った。

 先の到着した男がへたり込んでいる。まだ、ヘルヴィウムの鳳凰は男を捕獲したままだ。


「ここ……地獄か?」

「いや、天国ですよ」


 ヘルヴィウムが男を立ち上がらせた。


「鎮まる時、戻れ、鳳凰」


 ヘルヴィウムに鳳凰が戻っていき、右手首に吸い込まれた。

 男はビクビクしながら周囲を見回している。無意識に逃げ出す先を求めているのだろう。


「俺も最初はビビったから、気持ちは分かる」


 登は男の肩をポンポンと叩いた。


「紫色の空にマーブルの月なのか、太陽なのか分からない球体が浮かんでいて、こんな生まれたての荒野に飛ばされたら地獄だって思うよな」


 男が小刻みに頷く。


「心外ですね。モンスターにとっては天国なのに」


 ヘルヴィウムが口を尖らせた。


「そうだ、登。忘れていました。今度、青龍に人乗せを教えてくださいね。あの青龍は登が飼育を担当するのですから」


 ヘルヴィウムが空を指差す。

 青龍が気持ち良さげに飛翔していた。

 男が『ヒッ』と悲鳴を上げた。


「あれ、神獣の青龍ですよ。なかなかお目にかかれないレアモンスターです。ラッキーでしたね」


 ヘルヴィウムは男の恐怖など全く理解していないようだ。

 登は、男に『大丈夫だ』となだめさせた。


「でさ、ヘルヴィウム。ちゃんと石化について教えてくれないか? こいつも知りたいだろうし」


 登は男の肩に腕を乗せて訊く。登が知っている『放置異世界』は透明化で消失と教えられた。そうやって、リリー嬢は儚く消えたのだ。


「そうでしたね。手続きをしながら説明します。あなたの籍をゲートの意思により、現実世界籍に移します」

「え? いいのか……転生死の世界に行かなくて」


 男が戸惑う。


「すでに『遭難からの異世界スローライフ』は進んでいます。十五回目に戻ることはないでしょう。あなたはすでに物語の背景になりました」

「背景?」

「ええ、主人公はあなたが逝ったと思って物語は進んでいます。あなたが生きていようが、逝っていようが関係なくなりました」

「ちょっと、待ってくれ。じゃあ、俺は死に損じゃねえか!!」


 男が声を荒らげた。

 そりゃあ、十三回も生き死にを繰り返したのだ。男のやるせない気持ちも分かる。

 十四回目にして、本当の現実世界にゲートの意思で飛ばされたと思ったら、お前の生き死になど過去の出来事のように言われたのだから。


「死んでないあなたが死に損なわけありません。今あなたは生きています。しかし、あなたが籍を置く元の異世界は、現在『放置』されています。『放置異世界』は時が止まり、全てが石化していくのです。あなたがどこに居ようが、籍があの異世界にあるままなら、あなたも石化します。そして、今度こそ死が訪れるのです」


 男が目を見開いた。


「俺、俺、足先が……」


 男が靴を脱いだ。爪先がすでに石化している。


「切っても、切っても石の爪で伸びてきて、俺怖くて……」


 男は『だから、あそこに行った』と続ける。あそことは、登らがいた山中だ。そして、男が現実世界に降り立った場である。


「あの一帯に未確認ゲートがあるのでしょう」


 ヘルヴィウムが言った。


「だから、あそこで待ってたわけか」


 登は、ヘルヴィウムが意図してあの場に向かったのだと理解する。登には遭難のふりをしてまた嵌めたようだが。


「石化がいつ加速するのか分かりませんから、まずは籍を移しましょう」


 ヘルヴィウムが無限袋からタブレットを取り出した。


「ちょっと、訊きたいんだが……」


 登はタブレットを操作するヘルヴィウムに声をかける。


「なんですか?」

「異世界から現実世界に籍を移すってできるのか?」


 ヘルヴィウムが手を止めて、登にニヤッと笑ってみせる。


「ええ、ITって便利ですね。昔は、各役所に潜入して紙ベースの処理をしなければいけませんでしたが、今やデータを送るだけですからね」


 登は浦島羽左衛門のことを思い出す。彼も、そうやって現実世界の住民になったのだろう。ということは、異世界と現実世界は人が往来していることになる。


「現実世界に、異世界人ってたくさんいるのか?」

「ええ、金星人にも住民票がある時代ですよ」


 登はブホッと噴き出す。

 確かに都市伝説で、すでに地球には宇宙人が人間のふりで生活しているとかなんとか。もちろん、エンタメに近い感じの流布だが。


「本当にUFOってあるのか?」

「人間の想像することは全て創造されるのです。それが、世の理ですから」


 ヘルヴィウムがタブレット処理を終えたのか、男に画面を見せた。


「今日からあなたは友人Aでなく、『浦島友也』になりました。異世界から現実世界に籍は移りました」


 ヘルヴィウムの視線が友也の足先に向かう。

 灰色に石化を始めていた爪が段々と赤みをさしてきた。

 友也がホッと息を吐いた。


「次に転出転入手続きですが、ここでもできますが、現実世界でしていただいてもかまいません。どうしますか、友也さん?」

「……へ? 俺?」

「ええ、あなたはもう友也さんですから。市役所にいって手続きする経験をすれば、実感が湧きますし、何より現実世界で生活する知識も得られます。まあ、養父の『浦島羽左衛門』のところで生活に慣れてから転出してもいいですよ」


 ヘルヴィウムはそう言って、現実世界での友也の設定を言い聞かせていた。

 養父はあの引退異世界マスターにして探偵の浦島羽左衛門。そこの養子息としてデータ化された。登と同じで施設育ちの設定だ。

 そりゃあ、現実世界の誰かの籍に紛れ込ませられはしないのだ。登と同じで施設前の捨て子になっている。


「市役所にはたくさんの情報がありますから、役立ててくださいね」


 友也の人生は登山、遭難、転落死なので、現実世界での生活がどんなものか身についていない。だから、山中で独りだったのだろう。それ以外の知識はないのだ。いや、想像されていないのだから。

 登は今さらながらに、異世界人の過酷さに気づく。


「背景としての人生か……」


 思わず呟いていた。


「ええ、大半の異世界人はそうやって捨て置かれます。主人公の周辺しか人生はないようなものですから。だから、異世界マスターができるだけ人材を派遣するのです。そして、創造された異世界人の保護も請け負います。そうしなければ、背景の人物は皆消失という死が待っていますから」


 ヘルヴィウムが答えた。

 登は頷く。ヘルヴィウムの言葉は、異世界マスターの心得なのだろうと。

 主人公の周辺しか詳細な描写はない。スポットは常に主人公なのだ。だから、背景の人々はその異世界の中、儚い命で終わるのだろう。


「たった一文の命があるのです。友人Aも、村人Bも、村娘Cも一瞬の描写しかありません。例えば『友人と一緒に登山中、滑落し目覚めたら異世界だった』。これは友也さんの十四回目の登場です」


 友也が苦悶の表情を浮かべる。


「だから、できるだけ最初から派遣するわけか」


 登はアンネマリーを思い出した。つまり、犠牲者を出さないようにあらかじめ派遣し、異世界を管理しているのだ。

 ヘルヴィウムが『ここのモンスターも同じ』だと付け加える。そして、友也に向いた。


「さて、友也。どうします?」




 登は友也を『探偵社Z』に送った。

 現実世界でのノウハウを羽左衛門に教わってから、独り立ちするようだ。


「じゃあな、頑張れよ」


 登は、友也に手を振って別れた。

 鈍っている体のためにと、河川沿いを歩いて遠回りして帰る。


「……俺も実は異世界人だったりして」


 登は何気なしに呟いた。

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