第5話
「扉を開けると……」
登は呟く。
「ここ、どこよ?」
どう見ても青い空や海はない。白い砂浜に熟れた果実など視界に確認できなかった。
「あらら……きらめく中でしたね。そうなると開く『異世界』の優先順位が変わりまして……ここは、たぶん乙女」
「言うな」
思わず、ヘルヴィウムの言葉を登は遮った。
今の登に相応しい場所、つまり王宮である。
キラッキラの王子の生息地となれば、そこしかあるまい。もしくは、学園か。
「参りましたね。王子配給依頼があったような」
ヘルヴィウムがチラチラと登を見ながら言った。
「お前、やっぱり嵌めたな?」
ヘルヴィウムが口笛を吹く真似をしてすっとぼけた。
「たぶん、イベントをクリアすれば、一旦『異世界』から出られますから、頑張りましょう!」
「イベントってなんだよ? 面倒だな」
登は肩を落とした。
「たぶん……あれですね」
ヘルヴィウムが指差した先に、ふわっふわの桃色髪を揺らしながら走る庇護欲そそられるだろう女の子。
「見つけましたぁ。もぅ、二人して私を置いていくなんてぇ」
ヘルヴィウムと登の間に割り込んで、腕を組んできた。
登は鳥肌が立った。
「私、一人では心細くてぇ……だってぇ、だってぇ……」
潤んだ瞳とやらを炸裂させてくる。もちろん、胸を押し当てるという定番技も絡めて。
登はヘルヴィウムに『どうするの、これ?』と視線を投げかける。
「リリー嬢、またいじめられたのですか?」
ヘルヴィウムがそう言いながら、リリーだろう女の子の腕組みを外し、両肩を掴んで視線を合わせていた。
登はこれで解放される。登は素早く鳥肌を撫でて引っ込ませた。
「ヘルゥ、どうしたのぉ、その格好?」
ヘルヴィウムのズタボロの具合を言っているのだろう。
「ああ、また魔法に失敗してしまって……情けないですよね。魔道公爵家の跡取りが」
ヘルヴィウムがそれらしいことを言って、展開を進める。
「ヘルゥ、頑張ってるものね。頭を撫でてあげる」
登は半眼で『よしよし』を見るはめになった。
「そんなことしてくれるのは、リリー嬢だけです」
ヘルヴィウムが熱い眼差しで返すのを、登は半眼から白目になりやり過ごした。
定番の『私だけはあなたの大変さを分かっているの』っていうあれを見せつけられたのだ、そうなるのも仕方がない。
「皆、ヘルゥの努力を見ないけど、私はちゃんと見てるよ!」
登は『ほらな』と白目のまま肩を竦めた。
「それに、ウィルだって、ヘルゥの努力を知ってるもの。ね?」
リリーが小首を傾げながら、ヘルヴィウム越しの登に言った。
「ウィル、どうしたの?」
リリーが近寄って、手を登の額に当てた。
「もしかして、体調が悪いの? 無理してる?」
登を覗き込むアングル、これも計算し尽くされた行動だろう。
「第一王子の重責ばかり、皆がウィルに課すから……私の前では無理しなくていいんだよ?」
登はリリーに両手を包まれる。そして、上目遣いに見上げられた。
「優しいですね、リリー嬢は」
ヘルヴィウムが言った。
「そ、そんなことないよぉ」
リリーは登から手を離し、モジモジと揺れた。
登は、ここまで一言もしゃべっていない。
目前で繰り広げられた物語の傍観者となっていた。
「ウィリアム殿下」
なので、新参者の声かけにも反応しない。
もちろん、ここで登は自身がウィリアムであることを理解はした。
ヘルヴィウムがリリーを庇うように身を盾にする。
「何用ですか、アンネマリー様」
ヘルヴィウムが鋭い声を出す。
「あなたに用はありませんことよ。私はウィリアム殿下を呼びましたもの」
登は、ヘルヴィウムの視線を追うように振り返った。
清楚なドレスよりも、清楚を感じさせる気品ある姿の女性が佇んでいる。
きらめく銀色の髪と、神秘的な緑の目。それだけで、登は『ああ、女神よ』と跪きそうになる。
いや、もう片膝を着いていた。
「アン、ここで出会えた奇跡に感謝する」
登は、アンネマリーの手を取って口づけた。
アンネマリーが目を見開く。
「ど、どうなさったのです?」
本来のヒロイン至上主義の展開から逸れたからだろう、アンネマリーが焦っている。
「ウィル……どうしたの?」
リリーが怪訝そうに言った。
「リリーさん、ご注意致しますわ。殿下をそのように呼ぶなど、不敬極まりないことです」
アンネマリーが王道展開に息を吹き返す。いや、軌道修正ともいえる。
「そ、そんなぁ……お友達だから……身分で態度を変えるなんて、悲しいことなのにぃ」
グスングスンと鼻をすすりながら怯える様は、まるで小動物のようだ。
「アンネマリー様! 身分を盾に男爵令嬢をいじめるなど、公爵令嬢として恥ずかしくはないのですか!?」
ヘルヴィウムが大袈裟にリリーを庇う。
「ウィルは、大事なお友達だもの」
リリーも負けずにヘルヴィウムに続き、登に熱い視線を投げてくる。
「いや、遠慮する」
登はサラッと拒絶して、アンネマリーの腰に手を添えた。
「え?」
「え?」
アンネマリーとリリー二人が困惑の声を出した。
と同時に空間が歪み出す。
平衡感覚を失うように世界がうごめく。
登は思わずよろめいた。
「前兆が」
ヘルヴィウムが呟く。
歪みは段々酷くなり、ぼやけた世界へと変わっていった。
「もう、放置に入るようです」
ヘルヴィウムが右手首を撫でる。前と同じようにパンと光が弾けた。
「止める時、出でよ、ゲートウェイ」
歪みがピタリと止まった。
さっきまで感じていた空気……肌で感じる風、眩しい陽の光、匂い、ざわめき等が全くない。
時が止まったのだ。
登は、異様な世界に周囲を見回す。
「何がどうなって……」
困惑の表情のまま時が止まったリリーとアンネマリー……、登はそこでバチッと視線が重なった。
「あなた、職務放棄よ!」
アンネマリーが登を指差して迫ってくる。
「え?」
「さっきのところでは、公爵令嬢を王子が糾弾する方向でいくべきでしょ? 何をやっているのよ、全く」
「いや、そんなベタな」
「ベタをするのが仕事なのよ!」
「いや、俺は社員旅行」
「はあぁっ!?」
ドスの利いたアンネマリーの迫力に、登はガクッと肩を落とした。
「女神は消えた」
さっきまでは、女神の如く輝いて見えたアンネマリーの姿はもうない。
「はあぁっ!?」
アンネマリーが登をキッと睨んだ。
登はビクッと反応し、ヘルヴィウムの後ろに隠れる。
「いやいや、良かったじゃないですか。この想像主は何度も『放置異世界』を作り出しています。今回も思いつきの想像を切り上げたのでしょう。まだ、初期の『異世界』ですし、回収ブツもありません。まあ、これは……」
ヘルヴィウムが言いながら、時が止まったままのリリーを見る。
「まだ、設定があやふやな未完成の令嬢ですし、救出以前の問題ですね。ほら、もう透明になっています」
リリーの存在が儚くなっていく。
「はあ、まあね。私もそれが理由で派遣されたもの。これ以上、令嬢を増やされても管理できないしね」
「そろそろ、マスターが回収に来ますよ。ほら」
ヘルヴィウムが宙を差す。
そこに光の輪が現れた。
その輪は、登も見たことがある。それに吸い込まれて『現実世界』に戻ったのだから。
腕輪は、世界を繋げる鍵なのだろう。光の輪は扉と言うべきか。
出入口……つまり、ゲートウェイなのだと、登はぼんやり考えていた。
「よぉ!」
光の輪を通って、スタッと着地した男は軽く手を上げた。
ヘルヴィウムと男が握手を交す。
「やっぱり、今回も放置みたいだな」
男が言った。
「ええ、この通り。世界は歪みましたし、きっと想像主は興味を失ったのでしょう」
ヘルヴィウムが答えながら、世界を見回した。
「登、この世界の状態が初期の『放置異世界』です。きちんと覚えていてくださいね」
「いや、俺……意味分からん」
登が言い淀むと、アンネマリーと男が登を凝視する。
「『マスター候補』が現れたのか!?」
男が大声で叫んだ。
ヘルヴィウムが満面の笑みで頷く。
「お前! 歓迎するぞ!」
男が登に飛びつく。
「うわっ、ちょ、離せって」
登は男を引っ剥がした。
「俺はクライム。『異世界マスター』だ、よろしくな」
「私はアンネマリー。クライムの令嬢牧場の住民にして、クライムの片腕。そして、異世界に君臨するベテラン悪役令嬢よ。よろしくね」
「……登です」
登は不本意ながら名乗った。社会人としての最低限のマナーだから仕方がない。
そして、アンネマリーの自己紹介に若干引いたのは言うまでもない。
クライムに至っては、初めて会ったヘルヴィウムと同じような全身真っ黒な格好をしている。銀髪に青の瞳、ある意味クライムの方が様になっていて王子らしい。
「ところで、そのズタボロはどうしたんだ?」
クライムがヘルヴィウムに訊く。
「今、社員旅行で……勇者ご一行はバカンス中なのですよ」
「ああ、それで勇者代行か」
「ええ、ダンジョン最下層のボスに挑戦しておりました」
「もしかして、危機の代行だった?」
ヘルヴィウムが頷く。
「まともな想像主の『異世界』なんだな」
クライムが羨ましげに言った。
「ええ、あの『異世界』は最後まで描ききってほしいですから」
登は、ヘルヴィウムとクライムの会話を半分も理解できていないが、ヘルヴィウムのズタボロは、ボスと戦ったからなのだとは分かった。
「最近、危機のない『異世界』が多いな。成長もなく、負けや惨めさもなく、神のように強い主人公……とか、そんな好都合な展開があるのかって疑いたくなるやつとか、本人自覚なし最強とかもそうだけど」
クライムがブツブツ文句を言い始めた。
「それが『異世界』の魅力でもありますから」
ヘルヴィウムの言葉にクライムが『まあな』と返した。
「帰るか、アンネマリー」
「ええ」
クライムが右手首を擦り、ゲートが開いた。
「新人、今度一杯やろうぜ」
光の輪の中に、二人が吸い込まれていく。
「俺、酒はあんまり」
「「はあぁ!?」」
声だけ残し、二人は消えた。
「相変わらず、登はクールですね」
ヘルヴィウムが笑った。
「さて、我々もそろそろ行きましょう」
「どこにだよ?」
「青い海と青い空、白い砂浜と熟れた果実を堪能しにですよ」
ヘルヴィウムがゲートを開きながら言った。
「ここはどうなるのさ?」
登はおぼろげなリリーを見ながら言った。
「透明化で消えていきます」
「え!?」
声が出た瞬間、登はゲートをくぐったようだ。
世界が一変した。
確かに青い海と空、白い砂浜と熟れた果実はある。
「……ここって、リタイア牧場か?」
ヨボヨボのご老人らが、ビーチベッドに寝そべっている。
「勇者ご一行に失礼ですよ」
「は?」
登は、再度ご老人らを見る。
「冗談だろ?」
「勇者の想像からもう何千年も経っています。いつまでも若々しいままなんて『現実』あり得ないでしょう?」
「いやいや、『現実』ならあり得ないが『異世界』なんだろ?」
登は思わず突っ込んだ。
「それに、あんなヨタヨタでどうやって戦うっていうのさ。村長とか長老レベルだろ?」
「だから、マジックアイテムがあるのですよ」
ヘルヴィウムが懐から『みなぎる赤』を取り出した。
「それ!」
登がパンプアップしたあの栄養ドリンクだ。
「ヘルヴィウムさん、すまなかった」
ご老人が一人、登らの前にやってくる。
「いえいえ、久しぶりに楽しんできましたよ」
「随分やられているように見えるが?」
ヘルヴィウムが苦笑いしながら、自身のズタボロの服を見る。
「完結前の危機なら、こんなの普通ですよ」
「危機はクライマックスの前菜だからな。マスターとして確認してくれてありがたいと思っている。さて、私もそろそろ行くか」
ご老人が、ヘルヴィウムの持っている『みなぎる赤』を手に取る。
「存分に暴れてきてください」
ヘルヴィウムの言葉に、ご老人が笑った。そして、みなぎる赤をグビグビッと飲み干す。
しわくちゃだった体が精悍な体へと変化していく。
登は、その姿に圧倒された。
「勇者だ……」
体が若返ったからではない。それだけなら、青年と言ってもいいだろう。だが、登は勇者だと分かった。
全身ドラゴンアイテムフル装備なら、勇者で間違いないだろう。
「お前、新顔だな」
勇者はそう言って、登を見ている。
「彼は、『マスター候補』です」
ヘルヴィウムが言った。
「俺、まだアルバイトじゃないわけ?」
登はブスッと言う。さっきから出てくる『マスター候補』なるワードがちょいちょい癇に障った。
「日本で、マスターが現れるのは浦島以来だったか……」
勇者の呟きに、登は噴き出す。
「ちょ、ちょっと待て。浦島って、あの浦島?」
「ええ、あの『浦島羽左衛門』です」
「……誰それ?」
登はガクッと肩を落とした。
「とまあ、それはさておき、行ってきますか」
勇者はウーンと背伸びした。
ヘルヴィウムがゲートを開く。
光の輪の中に、勇者が飛び込んだ。
瞬間、ゲートが閉じる。
「完結になるでしょう」
ヘルヴィウムが言った。
「……想像の異世界の完結ってことか?」
登は薄らぼんやりと頭にあった答えを口にする。
「ええ、そうです。『現実世界』で想像された『異世界』が完結するのです。現実の想像主が異世界を描ききる……執筆を終える」
「それで、完結か」
登はストンと落ちた。目の当たりにしても、どこか現実味がなかったことが、やっと呑み込める。
「ここで働いてみませんか?」
登はゴクッと喉を鳴らした。
ここでの是非がきっと、登の人生を決めるだろうことは肌で感じている。
こんなことが、そこら辺で普通に起こっているはずがない。登の現状は極めて稀のことだろう。
また、ゴクッと喉が鳴る。
是と言えば、もう引き戻れないに違いない。普通の生活になど戻れないだろう。ここは、そういう場だ。
否ならば……この経験を忘れることなどできるのか。忘れて、普通に生活できるのか。本屋という『現実世界』に溢れる『異世界』の物語を、どんな感情で手にすることになるだろう。
もう、足を踏み入れたのだ。
登に、この世界への嫌悪感も恐怖心もない。
あるのは……もっと知りたいという好奇心。
「俺は……」
登はそう言いながら、右手首を撫でた。
心の奥底にあった龍の飛翔を思い浮かべる。
パンと光が弾けた。
「もう、鍵を作動できるとは」
ヘルヴィウムが驚く。
「開く時、出でよ、ゲートウェイ」
登は見よう見まねでゲートを開いた。
頭上に光の輪が現れる。
登は躊躇なく右手を入れた。
瞬間、『ヘルヴィウムのモンスター天国』へと景色が変わった。
「まさか、鍵をこんなに早く扱えるとは、驚きです」
当たり前のように、ヘルヴィウムが隣に立っている。
「飛龍を見たくて」
それが登の答えだった。
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