社員旅行

第4話

「戻った?」


 登は周囲を見回す。

 見慣れたマンションの廊下だ。


「夢だったとか?」


 右手首をかざしたが、あの龍のような腕輪はない。


「……帰って寝よう。忘れよう。うん、全部忘れてしまえばいい」


 今日のことは全部、忘れてしまえばいいのだ。

 登は三歩歩いて、自身の部屋のドアノブを掴んだ。

 扉を開けると、パサッと紙が落ちる。

 それを拾いながら、登は狭い玄関に入って鍵を閉めた。


「ハァ―、酷い目にあった」


 そう言いながら、紙を見る。


***

登へ

 ちゃんと話がしたいの。

 また、来ます。

***


 誰からの手紙かは分かっている。

 登はクシャッと紙を握る。そのまま、丸めて部屋のゴミ箱に投下した。

 グチャグチャだった部屋が片づいている。


「大きなお世話だっての」


 登は言いながら、拳を握る。

 片づけられた部屋に、見慣れた物がない。


「ハハッ」


 知らないうちに、跡形もなく大事な人の物が全部消えていた。

 乾いた笑いしか出てこない。


「俺って、どこまで失うんだろうな。……あの龍のようには飛べなさそう」


 登は床にへたり込んだ。


 コチコチコチコチ


 時計の音だけが部屋に響く。

 登はため息をついて、時計に視線を移した。


「え?」


 デジタル時計の日にちに、登は目を瞬かせた。


「えっと、嘘だろ?」


 早朝ファミレスの日から、十日も経っていた。


「ちょ、冗談だよな」


 誰に訊いているわけではないが、登は声に出す。

 それから、ヘルヴィウムの言葉を思い出した。『現実世界』は一週間以上経過していますって言ったあれを。


「浦島太郎かよ!?」


 登は、テレビのスイッチを入れる。

 ちょうど、お昼のニュースだ。


「ま、まじか……」


 それは紛れもない現実だった。


「だから、物が消えたのか……」


 現実味は湧かないが、登にとっては数時間、実際は十日も経てば恋人の荷物が運び出されていてもおかしくはない。

 手紙はもう何日前のものだろうか。登はため息をついた。


 グゥゥ


 ため息がお腹を刺激したようだ。腹が鳴った。いや、鳴り続けている。


「うおっ、猛烈に腹が減っている!」


 登はすぐに冷蔵庫を開けた。


「……そうだ、失業中で」


 グゥグゥグゥグゥと空腹が主張する。

 青いリボンのそれが『早く飲みなよ』と誘惑してくる。

 冷蔵庫にあるのは、それだけ。正確に言えば調味料も少々。


 グゥゥ


 これは、たぶん十日分の空腹なのだ。

 登はゴキュンと喉を鳴らす。


「もうっ! 無理!」


 瓶を掴むと栓を開ける。間髪入れず、登は瓶に口をつけた。


 ゴキュゴキュゴキュ


 登の体に飲料が浸透していく。


「プッハァーー」


 登は恍惚の表情で宙を見上げた。


「めっちゃ、うめぇ」


 体が喜んでいる。


「……で?」


 登は、両手を確認した。


「変わらない。よし!」


 腹も満たされ、登は爽快な気分になる。いや、何やら別な感情が支配する。


「俺って、最高」


 登は、髪を掻き上げた。

 そして、立ち上がりターンする。


「大変だ。胸元に薔薇がないと」


 フッと笑い、続ける。


「世の子猫ちゃん達は、俺だけしか目に入らなくなってしまうじゃないか」


 登はそう言いながら、『キモッ、キモッ』と内心思っていた。

 やはり、確認せずにはいられない。

 登は、優雅に歩き玄関の壊れかけの姿見を確認する。

 なぜか、再度ターンして髪を掻き上げながら、姿見を覗き込んだ。


「キラッキラの王子かよ!?」


 流石に地が出た。

 雰囲気イケメンになる登が、締まった体のサラサラ髪のイケメンに変身していた。

 少女ラノベに出てくるあの風貌に。つまりは、乙女ゲームでいうあれに。

 攻略対象の王子、もしくは貴公子と言った方が正解だろう。


「……ヘルヴィウムの野郎」


 ピンポーン


「あいつ、分かってやがる」


 登は不敵に笑った。前回同様、嵌められたのだ。


「もう、来んな!」


 登は扉を開けながら叫んだ。


「え……登?」


 登の目前に、失った恋人。もう元カノと言うべきか。


「……何?」


 登は素っ気なく訊いた。


「えっと、これを……」


 元カノの手にはファミレスに置いてきたなけなしの千円。


「要らない」

「で、でも……大変でしょ? 失業」

「仕事決まったし」


 登は元カノの言葉を遮るように言った。

 たぶん、見栄だろう。ヘルヴィウムの勧誘が頭に浮かぶ。


「そうなの! あっ、だから……」


 元カノが登を見つめる。

 熱を帯びた目に、鳥肌が立った。


「私、不安だっただけで……登が嫌いになったわけじゃないの。心細くって見失っていたのかも。私は……まだ、登のことが」

「もう二度と来んな!」


 職が決まり、外見が良くなってから聞きたい言葉じゃない。

 言葉通りなら、不安になる度に誰かにすがるってことになる。

 相手を思う気持ちよりも、自身の不安の解消の方が大事だってことだ。

 もっと平たく言えば、心より金を選んだってこと。自身の安心のために。だからって、登はその気持ちを全く理解できないわけではない。施設育ちの宿命だ。不安の解消は、イコール金の問題と直結しているのだから。


 登は吐き気を感じ、バタンと強めに扉を閉めた。

 玄関で、耳を澄ます。しばらくの間、何も聞こえなかったが、扉から遠ざかる足音を確認して、登はため息をついた。


「あんな女だったっけ?」

『きらめく中は、第六感が働いて醜いものを肌で感じるのです』

「へえ、便利だな……って、おい!」


 登は扉を開けた。

 もちろん、ヘルヴィウムが立っている。


「お前、一体どうしたの?」


 ヘルヴィウムの服はズタボロに破れていた。

 見た目、ホラーナイトのような有様だ。


「ちょっと、やらかしてしまいまして……」


 ヘルヴィウムが言いながら、登の部屋に侵入してくる。


「ちょ、お前」

「これを」


 ヘルヴィウムが懐から、分厚い封筒を差し出した。

 登は思わず受け取る。


「何?」

「給金……いえ、まだ正式に雇用していないので、アルバイト代でしょうか」


 登は封筒を開けた。


「嘘だろ?」


 現生の束。銀行の帯封がついている。つまり一本なわけだ。


「いやいやいや、こんな破格のアルバイトなんてあり得んし!」

「相場ですよ。神獣の価値からしたら、少し安いぐらいですし」

「まじか……」


 登の心は揺れた。


『美味しすぎる』という感情が湧き起こる。

 それを察したように、ヘルヴィウムが次の誘惑を発した。


「今から社員旅行なのですが……まだ、アルバイトですしねぇ」


 追い打ちをかけるように続ける。


「今回は五泊六日の西海岸でして、青い海と青い空、白い砂浜に熟れた果実を堪能し放題の旅行でして」


 登はゴキュンと喉が鳴る。さっきのゴキュンとはまた違う甘美な誘いだ。


「特例として……行きます?」


 ヘルヴィウムがチラッと登を見る。


「い、行きた……」


 登は思い留まった。

 ヘルヴィウムがニコニコ笑っているからだ。悪寒しかしない。


「いや、遠慮しておく」

「そうですか……では、私の留守の間をお願いします。もちろん、アルバイト代は弾みましたし」

「は?」

「だから、旅行中の留守番ですよ。『ヘルヴィウムのモンスター天国』の管理をお願いします」

「いやいやいや、なんで俺?」


 ヘルヴィウムがニッコリ笑い、封筒を指差した。


「もう、受け取っていますよね」


 登は現生封筒を見る。ずっしり一本、確かに受け取った。

 やはり、すでに嵌められていたのだ。


「ヘルヴィウム、騙したな」

「どっちが、いいです? 西海岸と飼育業」


 登は『グヌヌ』と声を曇らせた。


「あ、忘れていました、これを」


 ヘルヴィウムが登に真っ赤な薔薇を差し出す。

 登は、思わず手に取ってターンした。


「この俺をかすめるのは、深紅の薔薇だけ。さあ、行こう! 西海岸へ。熟れた果実ちゃん達が俺を待っているはず」


 登は思ってもいない言葉を口走った。


『キモッ、キモッ、俺ヤバくない?』

「では、行きましょうか」

「いや、待って。俺準備とかしてないし」

「現地調達が我が社のモットーですから」


 ヘルヴィウムが、登の右手を掴む。


「ちょ、パスポートは!?」

「『異世界』旅行に必要なのは、『鍵』だけですよ?」


 登は、また嵌められた。

 抵抗する間はない。隣家までたった三歩なのだから。


『異世界ゲートウェイ』


 ヘルヴィウムが扉を開けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る