第3話

「……トンネルを抜けるとナントカだったって書いた奴、俺尊敬する」


 登は目前の光景に思わず呟いていた。

 生まれたての大地のような赤褐色な世界が広がっている。

 見上げると、太陽なのか月なのか分からないマーブルの球体が紫色の空に浮かんでいた。


「扉を開けると『異世界』だった」


 登は自分の言葉にハッとする。


「見なかったことに……」


 逃げるが勝ち。登は振り返ったが、そこに入ってきた扉はなかった。


「なんでだよ!?」


 突っ込んだと同時に、轟くような足音が登に近づいてくる。


 ドドドドドド


 登は背中に危険を察知した。


 ドドドドドド


 恐る恐る振り向く。


「登、ナイスタイミングです!」


 ヘルヴィウムが大きな物体に追いかけられている。


「こっちに来んな!」


 登は思わず駆け出した。


「登、みなぎる中なら手伝ってください!」


 ヘルヴィウムが登に追いついた。

 筋肉隆々な体では、速く走れない。

 ヘルヴィウムと一緒に来たであろう轟音も背中に感じるほど近い。


「こっち来んなって!」


 登はチラッと振り向いた。


「りゅ、龍!?」


 登とヘルヴィウムを追いかけているのは、漫画やアニメでしか見たことのない龍だった。

 龍といっても、ドラゴンではない方だ。西洋で描かれる翼竜、つまりドラゴンの方でなく、東洋での一般的な龍が、登達を追いかけている。


「なんで、ついてくるんだよ!?」

「幼い龍は、小さいものを追いかける習慣がありますからね」


 ヘルヴィウムが呑気に答える。


「じゃあ、止まればいいのか?」

「ハハハ、パクッと逝かれちゃいますね」

「軽口で言うんじゃねえっ!」


 すかさず、横のヘルヴィウムに突っ込んだ。

 だが、登の横にはすでに龍の顔。

 ヘルヴィウムは、その前を走っている。

 そして、龍がブッホンと鼻息を漏らした。


「あーれー」


 ヘルヴィウムが龍の鼻息で宙に舞い上がった。マントがはためく。


「登ぅぅ、みなぎる中ならきっと投げ飛ばせますよぉぉ。後は頼みましたぁぁ」


 紫色の空にヘルヴィウムが吸い込まれていった。


「本当に吸血鬼みてえだな、おい。……って、言ってる場合じゃねえっ」


 龍が、登と並走している。

 若干、龍の方が速く、登は置いていかれている。

 龍の青光りする胴体が登の目に入った。青い鱗の龍だ。


「青龍?」


 登はゆっくり足を止めた。


『飛びたい』


 登の頭に響いてくる。


『飛びたい』

「龍の声?」

『どうして、飛べない?』


 その問いは、登自身に言われているかのように心を捉えた。

 失業して、親友と恋人に裏切られて、底辺の泥沼に浸かっているような登は、そこから這い上がれないのか?


『飛びたい!』

「おうよ! 飛びたいに決まってるよな!!」


 登と龍の心が連動した。

 龍の胴体を、登の筋肉隆々な腕がガシッと掴んだ。

 左足を軸に、グルグルと龍を回転させる。


「いけぇぇぇぇ――」


 登は龍を空に投げ放った。

 ウネウネと龍が空を昇る。


「飛べるじゃねえか」


 龍は気持ち良さげに飛行している。


「いやあ、今回は手間取りました。なかなか飛んでくれなくて、大変だったんですが、登のおかげで飛べるようになりました」

「……お前、どこから湧いてきた」


 登は隣に突如現れたヘルヴィウムを睨む。


「ってか、ここはどこだよ!?」

「『異世界』に決まっていますけど?」

「さも当たり前みたいに言うんじゃねえっ!」

「いや、だってここは当たり前の『異世界』ですし。ちゃんと扉に掲げていましたよ。『異世界ゲートウェイ』ってね」


 確かに掲げてはあった。だが、誰がそれを信じるかってことだ。


「俺は帰る。出口はどこだよ?」

「仕事を中途半端に投げ出さないでくださいよ」


 ヘルヴィウムが登の肩をポンポンと叩く。


「は? 仕事ってなんだよ」

「龍のお世話に決まっていますよ。登があの青龍の飼育係なのですから」

「何言ってんの?」

「だから、仕事です。ちゃんと、給金も出ますし福利厚生もバッチリです! 同じマンションですし、家賃補助の書類も簡単です。ただ、健康保険だけは……」


 ヘルヴィウムが残念そうに言った。


「あれは、どうやっても『異世界』のものでは『現実世界』では使えませんからね。でも、『異世界』専用の物といいますが、『異世界マスター』協会に異社会保険はありますから、加入しましょう。『異世界』での怪我や入院時には不可欠ですからね!」


 登はヘルヴィウムの発言内容を、脳内で処理するのに少々の時間がかかった。


「……」


 まだ、かかっている。


「……つまり、『異世界』に就職?」


 登は再度ヘルヴィウムに問うた。


「流石、登! 話が早い。『異世界マスター』への道のりは長いですが、頑張りましょう!」

「ちょ、ちょっと待て。なんだよ、『異世界マスター』って?」

「それは、おいおい」


 ヘルヴィウムがニヤッと笑った。

 登の背筋にヒヤリと悪寒が走る。

 今さらながらに、この異様な状況に追いついたようだ。


「なあ、本当にここって『異世界』?」


 登は言いながら、周囲を見回す。


「まあ、ここは『ヘルヴィウムのモンスター天国』という私が想像した世界です。想像が『異世界』を作り上げますから。『異世界』に提供するモンスターの育成や、『放置異世界』に取り残されたモンスターの保護をしている場ですね」


 登はふらりとよろめく。


「悪ぃ、全然追いつかねえ」


 両手で、登は頭を抱えた。

 その両手が見る見る細くなっていく。見慣れた登本来の腕になった。

 登は全身を確認する。


「やっと、戻った」


 登はホッとして、体が弛緩する。


「もう一本いきます?」


 ヘルヴィウムが懐から赤のリボンが括ってある瓶を取り出した。


「要らねえよっ!!」

「『異世界』のマジックアイテムですよ。ここで働くなら必須アイテムなんですがね」

「誰が働くって了承したんだよ!? さっさと、帰してくれって!」

「はいはい、即断はできませんよね。では、鍵を用意しましょう」


 ヘルヴィウムが登の右腕をガシッと掴む。


「汝、開く時を授ける。『異世界』ゲートウェイの鍵を刻む」


 登の右手首に光の輪が現れた。


「汝の鍵、形成せ」


 光の輪が、登の右手首に吸い込まれていく。


「え、ちょ、ちょっと……」


 パンと光が弾け、登の右手首に龍のような腕輪が現れる。青白く光り出すそれは、上空を飛翔中の龍と酷似していた。


「一発で鍵が形作られるとは、やはり、登は希有な存在ですね」

「やはりってなんだよ?」


 ヘルヴィウムの物言いに、登は眉をしかめる。


「それに、これ……え?」


 登の右手首にあった腕輪は消えていた。

 登は右手首をしげしげと眺める。


「どうなってんの?」

「社員証のような物です。最近流行りの人体チップのような?」


 確かに海外では、手の甲に人体チップを入れて、入社と退社管理をしているところもある。


「俺、まだ働くって言ってないよな?」

「細かいことは気にせずに」


 ヘルヴィウムがニコニコと笑って言った。


「鍵があるので、『現実世界』に戻れますから」


 ヘルヴィウムがそう言って、自身の右手首を一周撫でた。

 パンと発光したそこに腕輪が現れる。

 ヘルヴィウムの腕輪は炎を纏った鳳凰だ。


「開く時、出でよ、ゲートウェイ」


 腕輪の光が上昇する。次第に頭上で大きな輪になっていく。


「登、右手を輪に。そうすれば、戻りますから」

「お、おぉ」


 登は恐る恐る右手を輪に入れた。

 スーッと体が吸い込まれていく。


「あっ、忘れていました。『現実世界』ではたぶん一週間以上は経過しています」

「浦島かよ!?」


 そう突っ込んだ先に、もうヘルヴィウムはいなかった。

 目前には『異世界ゲートウェイ』の看板が揺れていた。

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