起 蒼いユメを捧ぐ

 他人事だ。


 それは今でも変わらない。


 結局、伊佐奈は伊佐奈でしか無くて彼女でも彼でも無い。だから伊佐奈として同情することしかできないし、伊佐奈としてしか何かをしてやれない。


 だから気づかなくて手遅れになるなんてよくある事。


でも、それが如何にも許せない。



人でなしが2人ほど死んだらしい。


同級生の少女はそう言って嬉々として噂話に興じた。


如何にも、この街に住んでいたらしく。周辺地域は2日ほど封鎖されたままだったそうな。

ここ最近、伊佐奈が通う学校でもその噂話が持ちきりだった。


友人の少女はホッとした風に笑う。

「怖いよね、死んでよかったと思わない?」

「......そうだね」


 曖昧な相槌を打つ。けれど、心底そうは思えなくて伊佐奈は少しだけ眉を潜めた。世の風潮では人でなしは駆除すべき対象としてしか見られていない。

 伊佐奈がここで何を言おうと結局それは伊佐奈がこの小さな世界で浮いてしまうだけだ。だから反論はしない。


「でも、これで一安心だよ。ここら一帯の封鎖も....ってどうしたのイサちゃん?」

「ううん、なんでもない、それより聞いて私、宿題忘れた!」

 

 眉間にしわを寄せた伊佐奈を見咎めて不思議そうにしている彼女に向かって明るく笑いかけた。


「ええ、ちょっと!いさちゃんまた忘れたの?」

「テヘペロ」

「てへぺろじゃないよ!もうっ、毎回手伝ってる私の負担も考えてよ!」


 彼女だって、人でなしには死んで欲しいなんて思ってはいないだろう。でも、怖いのだ

。伊佐奈だって怖い。


でも、間違ってる。


何故かそう思ってしまう自分がいて、けれど違う事に尻込みしている自身がいる。


「それで?伊佐奈は何を対価に手伝ってももらうのよ?」

「えー、払わないとだめ?」

「だぁめ、そんな上目遣いしたってだめ」

「えーじゃあ、いつものクレープでいい?」


 でも結局、しょうがないなぁと頬を緩める。友人とのくだらない掛け合いの方が大事だから、ただわだかまりが心の中にしこりのように残ってるだけだ。



「ほら、お前ら、いちゃついてないで座れ座れー。朝礼だぞ?」

「はいはーい、おはようー。ゆーせんせ」

「おはよう、ゆう先生」


 そうして、伊佐奈の日常は回っていく。

 くだらない話をして、先生を冷やかして、授業を受け、部活をして、友人と世間話をしながら家に帰る。



 幾ら、この世界で他人が悲しもうと、人でなしが死んでいようと関係なく、クルクルくるくる回ってく。


 ある時、そんな話を幼馴染に話したことがあるけれど帰ってきたのは呆れ返った否定だけだった。


「其れが、普通なんだろ?イサナはさ、優しすぎるんだ 」


 窓の無い真っ白な病室でそう言って彼女は嗤う。こちらを見ることは無い。唯、気怠げに携帯端末を眺めながら机の上に散乱する色とりどりのタブレットを一つ摘んで口に放り込んで噛み潰した。


「でも、迷みたいな人がここに囚われているのはおかしいと思うよ。確かに迷は不思議なところはあるけど....それだけじゃない。」

「イサナ。アンタは解ってないよ。何にも解っちゃいないさ。」


 白い髪がふわりと揺れて、落ち窪んだ妖眼が伊佐奈を見つめていた。灰色がかった顔に浮かぶ笑みは何処までも暗くて粘着質で、伊佐奈をどろりと取り巻く。


「で...でも、メイ!あなたは誰も傷つけてないじゃない!!」


 幼馴染の彼女は、あの日あの時、望んで此処に、この監獄に囚われた。それからもう随分経ってしまったけれど未だに彼女は此処に囚われている。


 変わってしまった事はたくさんある。でも、こうして彼女と話して、笑い合うことは出来るのだ。一度だって伊佐奈に危害は与えなかった。だって彼女の“領域”は彼女の中にしか無いのだから。


「もう、何年経った?もう、いつまであなたは此処に閉じ込められてなきゃいけないの?

“人でなし”ってだけでこんな真っ白な部屋で.... 」

「イサナ 」


 優しい声音が伊佐奈の声を止めた。

そして、人でなしの彼女はふいと目を逸らして呟いた。


「其れが、“人でなし”なんだよ。人でないとはそういう事さ」

「メイ.....」


 その言葉が酷く耳に残って、消えない。



ーーーーーーーーーーーーーー


 仕事終わりは疲れて眠ってしまう。伊佐奈にとってよくある事だったりする。懐かしい声が聞こえた気がしたけれど久しぶりに彼女の夢を見たのだろう。


 現実には仕事帰りで、幽と一緒に本部に呼ばれて戻る途中なのだから。


 目を開けると、そこはガタンガタンと揺れる電車の中だ。幽と伊佐奈以外に人影の無い車内は静かに夕闇に沈んでいた。


「随分と魘されてたね。」


 幽が此方をチラリと見てまた窓の外を眺める。あの懐かしい情景はただの夢でしか無い。伊佐奈はすこし微笑んだ。


「なんでもないよ。ちょっと夢を見ちゃっただけ。懐かしくて、ちょっと悲しいそんな類のさ」

「そう」


 幽はそう言ってきり外を眺めるだけだ。

 監察官になるものの多くはそう言った類のトラウマやら暗い過去を持っている者が多く在籍していると伊佐奈も聴いている。


 だからなのか、監査官の過去を探るのはタブーとされている。


 現に、伊佐奈は幽の過去を聞こうとも思わないし、幽も伊佐奈の過去を探ろうとはしない。


「でも、ちょうどよかった。次で降りる駅だからね」

「思ったより寝てたね....私。起こしてくれてもよかったのに」


 そんなたわいも無い会話をしている間に電車はゆっくりと速度を落とし、目的の駅へ停車した。女性電車音声が停車駅をのんびりと告げる。

 

 寂れたホームに周囲の整備されていない草地から虫の音が響く。夕暮れの空の中で烏がのんびりとかぁと鳴いた。

 降りる人影は無く、駅のホームには2人の影だけが伸びている。


 都心から外れた自然が豊富なこの場所に人でなしを管理する政府機関がある。其れを知る人は案外少ない。


「さて、行こうか」


 気負い無く肩をすくめた相棒に対して伊佐奈は静かにうなづいた。



 


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