第六夜「北極星」(Bパート)③

 ……全く、何なのだろうか、この居心地の悪さは。

 ただいまのぼくは引き続き女装している状態なので、ある意味物珍しげな視線を集めてしまうのも、悪目立ちしてしまっているであろうということも勿論理解はできる、のだが……どうもそれだけではないと言うか。

 教皇院の最高峰〈ツクヨミ〉であるくおんさんが注目されている――のは、当然だ。

 彼女が崇敬の対象となっているのは、判る。

 だが、遠巻きに視線をちらちらと向けられているのは、くおんさん「だけ」ではなく、たまこちゃんでもなく、明確にぼくであるようで。

 そして向けられる視線に、何やらぼくがみやこさんとかその辺に向けるような……「畏怖」みたいなものが感じられるのである。

 確かにぼくはこの場では完全な異分子なのだけど、それによるものという感じでもない。

 試みに、視線の飛んでくる方に愛想笑いを浮かべながら、スカートを指で摘まんで一礼してやれば、そそくさと目を逸らし、気まずそうに顔を背けてしまう。

 どうしたものだろうか。


 ……と、困惑し通しのぼくの胸ポケットで、携帯用の通話端末が、振動し、着信を知らせる。

 咄嗟に取り出して液晶画面を見れば「びゃくや様」と表示されていた。通話機能をオンにして、

「……もしもし、びゃくや様?」

 と小声で言ってみれば、スピーカーからは、

「様、はいい、普通に喋りたまえ昴一郎」

 と言う声が聞こえてくる。


 怪訝な顔でびゃくやを見れば、嘴を動かしておらず、また声がいつもの、バラバラの発音を繋ぎ合わせたようなものではなく流暢なものである辺り、どうも「直接」電波通信をしてるらしいことが判る。


 ここは魔法つかいの総本山であり、彼と喋っていたって別に目立つことはないだろうが……。

「……聞かれたくない話は、こっちの方が不自然ではなかろう?」 

 と言う事らしい。

 こういうこともできるのか。

「この場で筆談と言うわけにもいくまい、話がある時はこれを鳴らすからすぐ出たまえ」

「判った」

「この顔ぶれでは誰も君に言わないだろうから私がいっておいてやる。昴一郎、いいな、堂々としていろ」

「……難しいことを言うね」

 何しろぼくも、女装は初めてでね?

「……私もあまりいいたくないが魔法つかいでない人間と言うだけで見下すような輩も、ここにはいるのだ」

 ……それは確かに、いやな話だ。

「そういう奴に出くわしたら、「確かに自分は魔法つかいではないがだから何だ魔法が使えたら偉いのか張り倒すぞてめえ」くらいは言えるだけの腹は据えておいてくれ」

「……まあ、努力はする」

「昔、魔法つかいと、そうでない人間を区別する言葉を作ってはいけないという規則があると言っただろう?」

「聞いた気がする」

「……その手のバカを、その気にさせるからだ」


『それを表す名前、というものがあると、例え本当はどれだけ空虚な思い込みであろうとも、あたかも実体を持つものであるかのように錯覚してしまう』ということがあるのだと判っているつもりだけど、こういう形で改めて聞かされると、それが心底ろくでもないものだ、ということが圧し掛かってくる。


「……判った、じゃあ、また何かあったらかけてくれ」

 そこまでやり取りすると、びゃくやとの通話を終える。

 ――ああ、やっぱり、びゃくやは頼りになる。

 実務的なあれこれだけでなく、気構えに関してもこうして事前に行ってもらえると言うのはありがたい。

 くおんさんも不調であることだし、どうなることかと思っていたが、少なくとも、心の準備はできそうだ。


 そう思えたところで、

「……あ、そう言えば、くおんさんは」

 軽い世間話のつもりで、切り出した。

「その教皇さま、ってひとに、会ったことはあるんですか?」

「ええ、もちろんありますよ?」

 まだ疲れている感じではあるが、ふふん、と言う感じに返される。

「わたしは教皇直々に、ツクヨミに任じられたのですから」

 ……あ、ちょっとだけ得意そうで、かわいい。

「……おお、何かすごそうだ!」

 育ってきた文化が違うので、どうすごいのか今一つ判りかねるけど。

 何となく「直接対面できるだけでも大したもの」という位置付けのひとと言うのはどこにでもいるし。

「どんな方……なんですか」

 既に数か月、教皇院の一員であるくおんさんに仕えてご飯食べさせてもらっている立場でありながら、その辺を詮索したことがついぞなかった。

 少し考えてから、くおんさんは、言葉を選ぶようにして、

「教皇さまは、とても綺麗な方です」

 と答える。

「あれ、教皇さまって、女の人なんですか?」

 男を綺麗と表現しないこともないだろうが、とりあえずくおんさんの口調から感じられるのは女性に対するものという印象だった、

「……はい、教皇は、女性です」

 という答えがすぐに帰ってきて、「そうなんですか」と相槌を打った後にぼくは歯切れ悪く「よかった」という言葉を呑み込んだ。


「どうしましたか?」

「……いや、ちらっとだけですけど「悪いこと」想像しちゃってたので……」

 ほらその、権限握ってるのが男性で、女性しか入れない空間わざわざ作ってるって、あんまりいい感じしないでしょ?

 「後宮」とか「御台所」とかって印象がついて回るしさ。

 自分や知り合いが、そういう汚らわしいところに行かなければならないと言うのも、気分が悪い。

 〈教皇さま〉が女性であるなら、寝起きする場所にうかつに男性を踏み入れさせるわけにはいかない、というのも頷けなくはない。

 11歳の女の子であるくおんさんの物理的な戦闘能力を想えば、安全確保の点で男女の差を論ずること自体が不毛ではあるから、あくまで規律の問題なのだろう。


 〈キング〉でも〈カイザー〉でも〈エンペラー〉でもなく、〈教皇ハイエロファント〉。

 ……それを名乗る身であるならば、単なる世襲君主ではなく、教えを施し理念を示すことにより、徳を、引いては権力の正統性を担保する。

――そういう者であるはず。

 何度かくおんさんの口から聞いた、「教皇の教え、言葉」のいくつか、それ自体は確かに頷け、賛同できるものだったし、

 くおんさんがその教えに則して行動する事にも意味があると思えた。


 間接的にだが……それがぼくを救ってくれたのだと、言えなくもない。

 できるものなら、〈教皇〉には――1度会って、話をしてみたいと思っている。


 と、書類の手続きを済ませて来てくれたメイドさん達が戻ってくる。

 ツクヨミであるくおんさん。

 救助者一名。

 そして側仕えの「男性」一名。

 ただしここにいる限り女性の身なりで女性として振る舞うので、規則違反は重々承知だが、特例として中まで入れて欲しいと言っている、と報告してくれたらしい。

 流石にすぐには許可が下りないらしく、少しの間休息しつつ待って欲しい、とのことなのだが……。

「……では御剣さま、わたくしたちは、一度ここで失礼させて頂きます」

「あ、そうなんですか?」

「はい、結論が出次第、代わりの者が入場許可証、もしくは退出命令を持って参ります」

 おや、てっきりその〈禁裏〉の中まで、このまま彼女たちも一緒なのかと思っていたが。

「あ、やっぱり心細いですかー?さびしいですかー?おさびし山ですかー?」

「……いえ、特に」

 びゃくやもいるし。まあある程度は気構えらしきものもできたし。

 くおんさんの前で、そう何度もみっともない所は見せられない。

「おっとぉ?こいつはご辛辣ゥ―! 気安い私たちが一緒の方が心強いとかそういうのないんですかー?」


 少し考えてから、はっきりと答える。


「……いえ、そんなには」

 確かに、不慣れな場所と言うか明確にアウェイ環境なのは事実だし、気心の知れた人が一緒である方が気が休まる、というのは一般論的にはたしかなのだが、残念ながらこのお姉さんたちはぼくにとって気心の知れた友人の枠にはカウントされてないと言うか――より正直に言うと、あんまりいつまでもご一緒していたいひとたちではないというか。

 ……特に、つい先ほどの彼女たちの所業を考えればさ!


 ――いち個人としては、もしかしたら、ひょっとして、ほんのちょっと位は、見様によっては、悪い人たちではないのかもなー? 程度に思いつつはあったのだけど、それも今思えばひと時限り、だ。


「えー?わたし達と御剣さまは、何度か教皇院からの勅令を伝えたり伝えられたりした仲じゃないですかあー?」

「……はっはっはっ、ほぼほぼお仕事の上だけのお付き合いってことじゃないですか、おからかいになっちゃ嫌ですよ」

「みやこちゃん! 御剣さま冷たいですよ!せっかくここまで来るのに協力してあげたっていうのに!」

「……まあ! きっと御剣さまが魔法つかいだったら地獄道の魔法つかいですね、八寒地獄とか大紅蓮地獄とかでしょうか」

「御剣さまのばーかばーか! 女装似合ってますよー! ふーんだ!」

 ……女装似合ってるは余計だ!

「大声で女装女装と言わないでください、――さん!」

 ――そう言えば、結局今回も、彼女の名前を聞かずじまいだ。

「……まあ、いいか」

 踵を返し、捨て台詞を残して去りゆく背中を見送りながら、さしたる感慨もなくそう思う。まあ、いつか聞くこともあるだろう。


 そんなわけでひとまず最低限座って休める程度の仮の個室――旅館の一室程度の広さの仮部屋。を用意してもらえたので、そこで使いの方とやらを待つ。

 ぼくはともかく、くおんさんにはいい加減腰を落ち着けて休んでもらいたいし。

これでようやく騒がしい人と、おっかない人がいなくなったので、何となく気が休まる。

 くおんさんとたまこちゃんに、お茶でも淹れてあげられたらいいのだけれど。

 どれ、と思って辺りを見回せば。

 テーブルと3人掛けほどの椅子だけはあるものの、殺風景な真っ白の壁紙といい、花瓶やインテリアのひとつもないチェストといい、思いやりとかもてなしとかの概念がないというか、本当に事務的にそれらが据え付けてあるだけで、ポットも急須も水差しもありはしない。

 どうもこういうところは「役所」みたいだが、今日びそれこそ本当の役場でも、来客が白湯くらいは飲めるようになってないだろうか。


 それこそホテルでも旅館でもなく、応接室ですらなく、単なる待機室。と言う感じである。

 中に入ってから自販機みたいなものも見なかったし、なら、飲み物はどこかでもらってくるか。

 そう思いながら、

 ――喉乾いたりしてませんかくおんさん? たまこちゃんも。

 と呼びかけてみれば、


「……あのっ!くおんさんは、いつ頃昴一郎と出会ったんですか?」

「……その、始めては、わたしが困っているところを、昴一郎さんが助けて下さって」

「わぁぁ……それって何だか素敵です……!」


 部外者がいなくなった途端に固い長椅子に腰かけたくおんさんに、たまこちゃんがにじり寄り、質問攻めにしていた。


 いったいぼくとくおんさんという組み合わせの何が君をそうさせるんだたまこちゃん。

 何故に、そうも常時強火なんだ。


「……たまこちゃん、くおんさんはまだ疲れてるからさ、話し相手になってくれるのはありがたいけど、少し休ませてあげてもらえるかな?」

 と彼女の熱に水を注すように窘めると、

「……そ、そう……うん……そうだね……」

 と、不承不承ではあるもののわかってはくれたようで、存外素直に引き下がる。

「ここはあくまで仮の待ち部屋だからさ、居心地も快適じゃないし、そんなに長くいる訳じゃなさそうだし、ちゃんと落ち着ける場所に移ってから話しよう、ね?」

「……わかった」

 と、たまこちゃんが納得してくれたところで、


 ――さて、そろそろそれなりに時間が経つし、書類持ってきてくれるひと。というのも来るんではないか、と思い、軽くドアを開けて半身を外に出したところで、


 ――むぎゅ!

 と、弾力溢れる感触が横合いからぶつかって来てつんのめる。

 転倒することこそなかったものの、ゴムの壁にぶつかってしまったみたいに、部屋の中に押し戻された。


「――っと……!」

「……ああ、これは失礼いたしました!」

 ――と声をかけてきた人物が誰であるのか、ぼくは失礼ながら咄嗟に認識できず……

 先方から、 

「……あれ……あの、もしかして、こーいちくん……ですか?」

 と、知る限り唯一人しか用いない呼び名で呼ばわれて、ようやくそれに気付く。


「……もしかして、かなめさん?」

「んぁ? 他の誰だと思うんですか?」


 そして彼女の身形をまじまじと視界に納めて……


「何その格好!」

「何やってんですかきみ?」

 ……ぼくたち二人の口からは、奇しくも同時に同じ言葉が飛び出していた。

 失礼ながら、〈彼女〉を見た時、咄嗟に正体が判らなかった。

 どこのどなた様かと思ってしまった。

 お目にかかったかなめさんの出で立ちと言うのが、件のタンクトップとカーゴパンツという、ワイルドかつセクシーな装いではなく、ネクタイをきちんと締め、シックにまとめた中にフェミニンな華やかさも兼ね備え、肩も背中も、双つのふくらみもきれいにしまい込まれた、どこに出ても恥ずかしくない、クラシカルなフォーマルコーデだったのである。

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