第六夜「北極星」(Aパート)⑦

「……随分取り乱したものだッタじゃないか」

「……いや、見てたんなら助けてくれよな」

 例によって、ぼくが危ない時には助けてくれず、ことが治まってからやあやあ大変だったな、私も心配したぞ――

 とやって来たびゃくやが、頭上からそう声をかける。


 改めて説明されたところによると、みやこさんも訪れたのには理由があって――、たまこちゃんだけではなく、教皇院としても昨日の消耗を重く見たらしく。

 消耗状態にあるツクヨミを、教皇院へお連れせよ。との命を受け、くおんさんを教皇院へと安全に移送する為、であった。


 そんなわけで、くおんさんは紙人形さんたちの介添えを受けながら、身支度を整えている。

 長椅子に腰かけたぼくに、水を満たしたタンブラーが、横から差し出される。

「――と?」

 褐色のその手を見れば紙人形さん(耐水)が無表情に立っていて

「……ああ、気遣ってくれたんですね、ありがとうございます」

 タンブラーを受け取り感謝を伝えると、表情こそ変わらないが、一応気持ちは伝わったらしく、ぺこりと返礼される。


「……アまり、いい見世物ではなかったナ」

 というびゃくやを眺めながら、

「カラスが、喋ってる」

 と、感心するようにたまこちゃんが呟く。

 ……そっか、びゃくやが喋ってるのはまだ見てなかったんだっけ。

「昴一郎、前かラ一度いツカ言ヲうとおもってイたが」

 からかうような口調ではなく、

「……そウ、卑屈になルナ、君ガそうしていルノをみるのは辛い。……彼女ハ、そレほどまデに恐ろしかったか?」

 割と本気で叱りつけるように、そう言われる。

「あの巨大なウィッチを前にしても、君は一歩も退かなかったじゃないか」

「いや……何ていうか、まあ、今まで生きてて気にしたことないわけじゃないけど、そうだな」

 考えつつ、言葉にしてみる。

「……ほら、自然界とか、生態系とか、食物連鎖ってあるだろ? イキモノ同士が食ったり食われたりするやつ」

 頷いてくれたのか、びゃくやが嘴を縦に動かした。

「生き物は支え合ってるんだ、命は繋がってるんだ。――っていわれりゃ、ああそうなのか、うんうん、自然って素晴らしいんだな。って、どっかで思ってられたんだけどさ」

 ――でも、ぼくというのは勝手なもので、

「自分がある日いきなり頭からバリバリ食われて餌食にされることが、現実的にあり得るんだって思うと、……そんなもんどうでもいい、宇宙の法則なんぞ知ったことか、食物連鎖なんてなくしてくれ。って、そう思うようにもなるんだよね。……例えば、仕組み上、食われる立場って言うのがあるのであればさ、できれば苦しくない方が良くないか?とか」

 そういう風に、言ってみる。

「だから、喰われるのは嫌だから、その為だから、それから逃れる為だから、がむしゃらにも必死にもなれてたんだと思うんだけど」

 周囲の耳を考えて、そこから先は口の中に納めた。

 ウィッチは、明確に危害を加えようとしてくる外敵だから、そういう気持ちで居られるから、そのつもりで迎え撃てるし、くおんさんと力を合わせて相対できる。

 だけど、みやこさんがぼくを八つ裂きにしようとするなら、それは恐らく……ぼくが、ぼくの体が、ぼくが生きているということが、くおんさんにとっての汚点になってしまった時だ。

 ぼくを殺すのは、――やむを得ない、仕方がない。きっとそんな言葉だ。

「……ああ、いや、痛くなくても、やっぱり嫌だな、うん」

 と、継ぎ足すようにそこまで言って、びゃくやの反応を見る。


 おまえは軽く笑い飛ばしてくれるだろう? と踏んでいたぼくの予想に反して

「……どゥして、自然界がそうなッてたら、それが正しいッてことになるンだ?」

 と、びゃくやはいつもの、バラバラの音声を繋ぎ合わせたような声はそのままに、

「それニ、ドウして私がそれヲ賛同すルト思うんダ?」

 妙に重々しい声音で、そう続ける。

「そレコそ安っポいフィクションにいう、人間の傲慢ではないか?」

「……あいや、これはご辛辣」

 実際、こう言っているぼくにしてからが、他の動物を糧としているわけではあるのだけど。

 くおんさんですら食事はとるし肉が好きだ。してみると、自分たちがろくでもない生き物だなんて、あまり思いたいものでもない。

「大体、自然界、とハ一体、ナんなノだ? どコニあルのだ? 私は見たことガなイゾ?」

「いや――そこ?」

 ――自然界、何処にやあらん。

 なかなかに哲学的な問いかけだ。


「「人間社会」というものを仮定した対立する概念としてのそれであれば、より正確に表す言葉は社会哲学デいうところの「自然状態」か、或いは仏教でいうとこロの「畜生道」ダろう」

 ――ああ、犬飼がつかってる奴じゃなくてな?

 と、びゃくやが付け加える。

 しかしこいつ、結構学があるよな。

「……君はお好きデスか? 〈万人ノ万人に対スる闘争〉。」

 自然状態。

 畜生道。

 ――どれも、脱却すべき、マイナスの状態として語られる表現だ。

 「自然界」には、まだしもふんわりとしたプラスのイメージもあるが、「自然状態」「畜生道」になると、ソレで幸せになるやつ誰もいない、という認識まず有りきの用語である。

「君は人間なのダから、人間のルールで考えれバよい」

 と、びゃくやは続ける。

「いいか、昴一郎。私がこレマでに学んで、私なりに辿り着いた持論ダ。……正義とは、自然の摂理弱肉強食に抗ウこトだ」

 そういうびゃくやの眼が、声が、妙に苦しげなもので、それ以上混ぜっ返すような言葉は、口にすることが出来なかった。


 そんなことを話していると、――身支度を整えてくおんさんが戻ってくる。

 相変わらず体調が悪そうかつ、心配をさせないように精一杯気丈に振る舞っている、と言うのが露骨に伺えるので、ぼくも気が気ではないのだが……


「御剣さまはどうなさいますか?」

 と、メイドさんがぼくに問う。

「どうって……?」

「たまこ嬢はともかく、ツクヨミ様をお連れする〈禁裏〉は、男子禁制となります」

「はい! 同行されるならば途中までは結構ですが〈禁裏〉に入れるのは、ツクヨミ様のみとなりますね!」

「男子禁制?」

 ……待てよ。

「つまり、体調がすぐれない11歳の女の子を、自宅じゃなくて官庁というか職場というか気の休まらない、気心の知れた使用人もいない、そういうところに連れて行こうって訳ですよね?」

 ぼくの教皇院それ自体に対する印象が地を這うような低いものであるが故に。……どうも、感じがよろしくない。

「そこでは本当に充分な警護は勿論、くおんさんがリラックスできる状態で休養が取れるんですよね?」

「そウイうことには、なっていルガな……」

「そのがって言うのは何だ、びゃくや」

「……まア、警戒と防備が厳重であることに関しては保証すル」

「びゃくや殿」

「……たダ、格式バったとこロデはあルし、男子禁制と言ってもそレハ一部の中枢ダけデ、御重役と顔を合わせルこともある、ツクヨミ様にご挨拶をト来られれば、口もきかんという訳にもいかんダロう」

 事務的な口調でびゃくやが答える。

 聞かれたから答えただけだが? という顔だった。

 ……とっさに、くおんさんを見る。

 今のくおんさんをそういうところに送り出すべきではないのではないかと言う疑念がよぎる。

 警戒と防備が厳重であるというのは確かに魅力的なのだが……

 となると……


「わたし、できれば昴一郎にも一緒に来てほしいなぁ……」

 小さく手を上げて、たまこちゃんが口をはさむ。

「いやたまこちゃん、でもね」

「……ならいかない、そんな怖そうなところは、いやだ」

 彼女としても、そんなわけの判らんところに行くくらいならここの方がいいらしい。

「……それに、くおんさんも大好きな昴一郎が一緒の方が心強いと思うんですけど……ですけど……」

 今聞き捨てならない台詞が聴こえたような気がするが、

「あ、あのね、たまこちゃん」

 流石に困ったように制止するくおんさんに構わず、何を想像しているのか、うっとりしたような口調でたまこちゃんが言う。

「くおんさんは、できるだけ昴一郎と一緒にいた方がいいと思います……できればいつもお互いの手が届く範囲に……欲を言うならいつも手を繋いでいてくれるとわたしがうれしいです……」


 記憶喪失少女の妄言はともかく。

 ……まあ、一考する余地くらいはあるかもしれない。

「……何とか、ぼくもいっしょに入る方法ないですかね?」

 と切り出したぼくに、メイドさん達は顔を見合わせ、

「聞きましたか」

「ええ」

「男子は入れないって言ってる傍から」

「ええ」

「平然と入る方法ないのかっていいましたよ」

 何かしらごにょごにょと耳打ちし合い、頷きあうと、


「失礼いたします」

 と言いながら、にじり寄って来た。


 そして――御剣昴一郎の泣き叫ぶ声が斎月邸にこだまする。


「やめろー! やめろー!」

「くっ、お許しください御剣さま、彼女が、彼女がこうしろと言うのです」

「はなせー! はなせー!」

「うう、申し訳ありません、わたしは彼女に逆らうことが出来ないのです」

「ええー? みやこちゃん! わたしそこまでしろとはいってないよー!」

 訳の分からん関節技と恐ろしい怪力でぼくをねじり倒し、みやこさんがぼくの首を捉え、引き倒す。

「たすけてー!」

 大蛇に巻きつかれているような圧迫感に心臓が竦みあがる。

「くっ、この手が、この手がいけないのです!」

「嘘だそれ! 嘘は嫌いだ!」


 くおんさんが、とっさに走り出そうとする。

 手に愛剣がなくとも、彼女の両手両足は即ち〈王の聖剣〉である。

 だがそれも、気力体力を減じたこの状態でどれほど有効に機能するか。


 ――〈くおんさん 動かないで!〉

 目で、必死に合図を送る。

 ――〈ぼくは 大丈夫です!〉

 あまり強硬に拒んで、何かあるのかと勘ぐられるようなことをするのはまずい!

 ――そんな想いのままに、くおんさんとたまこちゃんの目の前で、辱めを甘んじて受ける。

 ……唇に紅が載せられ、頬にパウダーが叩かれてゆく。

「……いかがでしょう」

 差し出された手鏡を覗いてみれば。

 そこには、サラサラの長い黒髪の少女の姿が映し出されていた。

「……如何も何も」

 ばっちりメイクを施され、普段は首の後ろで一つに束ねた髪を流れるに任せた――御剣昴一郎の、変わり果てた姿だった。

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