第六夜「北極星」(Aパート)⑥

 玄関側で、呼び鈴が鳴った。

 待ちかねていた、教皇院の〈受難者護送スタッフ〉の来訪だ。


 けれど、「オオカミと仔山羊」の童話よろしく、……こんな時だからこそ、警戒しなければならない。

 〈教皇院の魔法つかい〉を標的としてくる火神帝國の攻撃を受けたのが昨日、もっと言うならほんの十数時間前のことだ。

 島で相対した〈カンスケさん〉は。少なくとも、人間に近い姿かたちをして、同じ言葉を話していた。

 つまり〈彼ら〉はこちらと同等の知性と倫理観を有していて、ということはこちらがどういう理屈で動いていて、何を護っているのか把握している。

 ……その意味で、ウィッチよりも尚厄介だ。


「今開けますので、そのまま少しお待ちください」

 一度そう告げてから、カメラ越しに、来訪者の姿を確認する。

「ん、その声は御剣昴一郎様ですねー、わたしですよー」

 という間の抜けた場違いな大声が返ってくると共に、カメラに映る範囲が肌色で一色で埋め尽くされた。


「……あの、顔が見えませんので、少し離れて頂けませんかね」

「ふえっ? あー、これだと近すぎるんでしたっけ?」

 極力穏やかな声で苦言を呈すれば、なるほどそうか、と来客は引き下がり。

 改めて姿を見せてそこにいたのは、――黒いお仕着せに白のエプロンと頭飾り、鉄色の髪の、見知った顔のメイドさん。

 〈確かいつだったかにも逢った、何とか言う名前の人〉であった。

「どうもです、御剣さま!」

「ああ……迎えに来るって、貴女だったんですね」

 安堵と言うか脱力というかそんな感情と共に鍵を開け、直接面を合わせると、

「んもー、わたしと御剣さまの仲じゃないですかー」

 と、親しげな口調で声をかけ、彼女は踏み込んで来る。

「……どういう仲でしたっけ?」

 少なくとも友達と言えるようなつきあいはそんなにしてないですよね?


「聞きましたよー、昨晩は随分とご活躍だったらしいじゃないですかー」

 〈顔見知りのメイドさん〉に指で胸やら腹やらつんつんされながら、

「このーこのー、かっこいですよー!」

 と茶化される。

「ぐあっ! ちょっと、やめて下さい、痛いので」

 背中と言わず胸と言わず、体中の筋が骨が音を上げているのである。

 柔らかな脇腹にひと突きなど喰らおうものなら、身体をくの字に折りそうだ。

 それを見かねたのか、たまこちゃんが口をさしはさむ。

「……ねえ昴一郎、誰、このふしだらな感じの人」

「あっ」

 ……ぼくったら、結局この人の名前聞かずじまいだ。

 初対面以来、これまで何度か顔を合わせる機会はあったのだが、その度に場の状況が慌ただしくてそれどころではなかったり、そういえばと切り出そうとしたら横合いから妨げられたりで、今に至るまで名前を聞いていないのだった。

 何というかその。

 ――もう、この際だからこのままでもいいか?

 ――むしろ今更名前を聞き直すと言うのも却って非礼ではないか?

 と言う気分にもなっていたもので、その辺をナアナアにしていたのである。

 いっそこの人が戦闘職の魔法つかいであったなら、

「ほにゃららを司りし何とかの魔法つかい誰それ、いざいざ参ります!」

 とかましてくれたなら、こういう葛藤を抱かんでも済んだものを。


「えっと、このひとはその、それほど親しいわけでもない、何度か顔を合わせた人なんだけど」

「……昴一郎、わたし、こういうふしだらな感じのひとはちょっとどうかと思うよ」

 と、声を潜めて耳打ちしてくるたまこちゃん。

 声の調子がどこか険しいと言うか苦々しげと言うか……はっきり言うと嫌そうだ。

「……この人よりもくおんさんの方が絶対いいよ、ね、わたしの言う事ちゃんと聞いて」

 ――何の話をしてるのか、ぼくにはちょっとよく判らないな!


「……まあ、でも、うん」

 とりあえずほっとする。訪問者がこの人だったことに。

 ……脳裏によぎったのは、ぼくが心底恐怖してやまない、できれば名前も口にしたくないあの方である。


 幸いにしてまだ、直接的に酷い暴行を受けたと言う訳ではない。

 しいて言うなら、目の前のこの人を、些細な理由で「彼女」が虐げ痛めつけているのを目の当たりにしただけである。

 だが何となく……彼女は故さえあらば、誰であろうと平然とそういうことをする、というのが皮膚感覚で伝わってくるのである。


 だがぼくも、初めて彼女に相対した時のままのぼくではない。

 数度の場数を踏み、ウィッチとの戦闘の場を潜り抜けている。

 そう、昨晩相手取った巨大薔薇に比べれば、何の顔が良くて冷酷な女のひとりやふたり。

 ……事前に物凄く頑張って十分な覚悟を決めておけば、短い時間ならまあ何とか、耐えて見せよう。

 ぼくも斎月邸さいづきやしきの昴一郎と言われた男。みっともない所は見せられない。

 なにするものぞ、みやこさん!


「…あ、みやこちゃんもいますよ? あ、呼びますね」


「み、」

 みやこ、さん。


「どうも、ご無沙汰しておりました、御剣さま」

 玄関からついと現れた、黒いお仕着せに包まれた麗人のその姿を目にした瞬間、


「――ぎゃぁぁぁぁぁぁ!」


 どこか人間味を感じさせない白皙の美貌。

 どれほど硬く守りを固めていようともほんの僅かな瑕疵を見逃さず入り込み見透かすような瞳。

 にこにこと穏やかに微笑んでいようとも、次の瞬間その微笑みを絶やさぬまま、何の感慨もなく目の前の相手を縊り殺しているかのような得体のしれぬ何かを感じさせる、その美貌を前にして――。


 ぼくは、みっともなくこえをあげてなきさけんでいた。


「たすけてくださいゆるしてください、いのちだけは、いのちだけは!」


 大地に頭を擦り付け、伏して願う、懇願する、慈悲を乞う。

「なんでもします、なんでもいうことききます! くおんさんをうらぎるいがいならなんでもしますからぁ!」

「……そこは譲れないのですか」

「はー、ぶれませんね! でもでもー! 例えばもしツクヨミさまを裏切ればお前だけは助けてやるって言われたらどうされるんですかー?」

「そのときはしをえらびます!」

「おおー!」

「従者の鑑、ですね」


 ――想う。

 ああ、ついさっきのたまこちゃんが、こんな感じだったなあ。

 「怖い」っていうのは、嫌なものであるなあ。

 苦痛と恐怖は、あっさりとひとの心を砕く。

 誇りを、善性を奪い去る。

 たまこちゃん。

 今なら言える。

 君は立派だ! 尊敬に値する!

 怖いと言う事と、怖がっている自分自身を受け止めていて。

 結果的にその答えが命乞いと言うかたちだっただけで、その恐ろしいものに、ぼくたちに、どうすれば立ち向かえるのかを一生懸命考えていた。


 ああ、そう、そうだ、たまこちゃん。

 たまこちゃんを、逃がすなりなんなり、しなければ――


 と思い、たまこちゃんがいたのであった方を見やれば。


「……えいっ! えいっ!」


 たまこちゃんが――、手にしたモップの柄でもって、ぺしっ、ぺしっと、蚊も殺せなさそうな威力で、みやこさんの肩や背中を懸命に叩いていた。

「……あぁん?」

 低い声が、みやこさんの喉から漏れるのを、聴いた。

 心臓が、竦みあがる。

「たまこちゃん! なんて恐ろしい事を!」

「だ、だって……昴一郎が、いじめられてるみたいだったから……」

「駄目だ! それでもダメなんだ! このひとは! くおんさんと違ってぼくたちの味方じゃないんだよ! 教皇院メイド部の人喰いみやこと呼ばれてるひとだ!」

「……特に言われていませんが」

「……で、でも、あんまり強そうじゃないし、二人で力を合わせれば勝てるかもしれないよ?」

 何で戦って勝つ前提なんだ!

 あんなに怖がりで泣き虫なくせに!


 ――みやこさんが、ちょうど毒蛇が獲物を狙うように、ゆらり、と首を傾げる。

 まずい!

「この子は、この子は見逃してあげてください!逆らわないように、ぼくから言って聞かせますから!」

 さらに床に額を擦り付けて懇願する。

「何が悪いって言うんですか! 子供の――やったことです! どうかお許しを!」

 年甲斐もなく子供のように声を涸らして、大地に全身を投げて喚く。

 無様で滑稽で視てはいられないそんな状況を打ち砕いたのは、

「……何の騒ぎです!」

 という、怜悧な声だった。

 声の主――くおんさんは、その場の状況を認めると

「……以前にも言いましたが、わたしの家人を虐められては困ります」

 厳しい口調で、窘めるように重ねて言う。

 疲労と消耗で蒼白の額に、青く静脈が浮き上がっていた。

 割と本気で怒っている。


 そんなくおんさんを迎えて、

「お迎えにあがりました。――

 居住まいを正して、メイドさん達は、そう告げた。

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