第六夜「北極星」(Aパート)⑤
〇
……ということで、割れ物を扱う台所、水回りからは一旦離れ、失敗しようがなさそうなことを、と言う事で、たまこちゃんにはとりあえず中庭の木や花に水でもやっておいてもらった。のだが……
「……おお」
思わず、感嘆の声を上げる。
中庭の様子が一変していた。
ぼくが水やりをしていた昨日までもそれなりではあったと思っていたのだが、一体何が違うと言うのか、緑の葉は瑞々しく潤い、花の蕾は鮮やかに色づいて、素人目にも別物のように品のいい華やかさに満ちていた。
「すごいね、上手だよ」
と声をかけると、
「……草木や、お花は、好きだから」
照れくさそうに、えへへ、と笑って、
「特別なことは、してないの。お花が欲しいと思ってる分、お水を上げただけ……」
と、最後の方は消え入ってしまいそうな声で、そうへりくだる。
「でも、庭木や花にとっては、いいことじゃないかな」
「……ありがとう、昴一郎……は、やさしいね」
「そうかな?」
自分じゃあんまり、そういう風に思わないんだけど。
「……うん、やさしい、いい子」
「そりゃ、どうも」
今気づいたけど……この子。
……何か、甘い、いい匂いがする。
中庭の花、はまだ、香るほどには花開いていないし、……やっぱりたまこちゃんの周りから漂ってくる……ような。
そんなことを考えていると、
「……あ」
たまこちゃんが声を上げて、
「……ん?」
同時に背中に視線を感じて振り返って見れば、
「……なんですか、くおんさん」
そこには手持ち無沙汰になったか起き出してきたか、くおんさんが中庭の勝手口に立って、こちらを眺めていた。
……ぼく達を見る目が、やけにやさしい。
「昴一郎さん、よくたまこちゃんのお世話をしてくれていますね。」
妙にしみじみと言うくおんさん。
何故か、「鼻が高い」とでも言いたげだ。
しかし、である、
くおんさん、いつからそこに。
「もしかして、前からそこで見てました?」
「昴一郎さんが、たまこちゃんを褒めはじめた辺りからでしょうか」
危ねー!
良かった、〈イマジナリーくおんさん〉、辺りは聞かれてなかったよ!
背中に冷たい汗を感じながら、頬を引き攣らせるぼくに
「年下の子に優しいのは、良いことだと思いますよ」
未だ顔色の優れないながら、くおんさんはいつもの貴公子然みたいな物腰でそう言って……
「そうだ、たまこちゃん、昴一郎さんの妹になりませんか?」
「?」
続く言葉で、ぼくを引き攣らせ、たまこちゃんを困惑させる。
「昴一郎さんは優しいですから、きっといいお兄さんになりますよ」
「?」
……気を付けろたまこちゃん、長女にされるぞ。
「くおんさん……ほら、たまこちゃんも困ってますし」
それに、くおんさんだから何も言わないが、ぼくにとって「兄さん」だの「長男」だのというワードは、受け入れるには抵抗があるのだ。
自分は祇代マサトの弟なのだから次男である。
――みたいな。
「たまこちゃんも気にしないで、くおんさん流の冗談だから」
「……ああ、わたしはまた……」
「それに、くおんさんちょっと疲れてるんだよ」
……くおんさんは、時折こうやって、ぼくの反応を楽しむようなことをするところがあって。
それもふたりきりなら構わないし、くおんさんと話すのは楽しくもあるのだが、たまこちゃんに見られていると思うと気恥ずかしい。
どうも、くおんさんはその辺に無頓着だ。
「……えっと」
たまこちゃんは、一度ちょっと怯んだものの。
んっ、と思い切りを付けるように一呼吸して、くおんさんの脇まで行くと、
「……お父様がお決めになったひと、あんまり好みじゃなかったんですよね?」
と、耳打ちをした。
「?」
「あの、そういうの、わたしも何となくわかりますから……良いと思います……よ?」
「?」
今度は逆に、くおんさんの方が「わけがわからない」と言う顔になる。
……何か、おかしな雰囲気になってきた。
「くおんさん、あまり外の風に当たられては困ります」
――まだ、横になって休んでいて頂きます。と。
顔に上っ面だけの微笑みを張り付けて、ぼくはそう申し上げる。
「いえ、でも」
と渋るくおんさんに、
「……では、寝床まで、お連れしましょうか?」
ぼくが引きつった笑顔を向けてそう言うと、
「……」
くおんさんは視線を一度づつぼくとたまこちゃんに向けると、押し黙って不満げに部屋までの廊下へと踵を返す。
……なんだかこれ、いつもと逆だ。
くおんさんの背中を二人そろって見送り、戻ってくる気配がないのを確認して、しばしの後、
「……くおんさんって、昴一郎にはあんな顔するんだねぇ」
と、たまこちゃんは切り出した
「ねえ、昴一郎」
「ん?」
「くおんさんは、昴一郎のこと、好きなのかな」
「ええ……?」
さっきから何なのだ、この雰囲気は。
「いや、好きとか……そういうのじゃないと思うよ、くおんさんは優しくて素晴らしい女の子だから、ぼくみたいなやつにも親切ってだけで」
「それとも、昴一郎には他に好きな女の子がいるの?」
「……それもあんまり考えたことないな、今までそう言う事なかったし。振ったことも振られたこともないよ」
と、一応正直にそう答えておく。
類似の話題をミツヒデさんに振られた時に「まったくつまらねえ野郎だな!」という罵倒一つでその話題を打ち切ることが出来た強力カードである。
「……でも、〈好き〉って、〈大切〉だよ?」
なおも食い下がるたまこちゃん。
肉食獣の子孫か何かかこの子。
「……いやまあ、そういう物なんだってことは、判るけどさ」
〈御剣昴一郎〉は、そういう贅沢が許される世界観の住人ではないのだ。
もともと何となく自分はそういう舞台の外にいるものだと思っている。
まして、こんな体になってしまった今となっては、尚更のことだ。
……という辺りはまだたまこちゃんには説明できていないから、うまくわかって貰えるか心もとないのだが。
というぼくの葛藤逡巡を、たまこちゃんがどうとらえたか……
「……でもね昴一郎。誰かを好きになって、それで幸せになれるのは、好きな相手から好きになってもらえたヒト、両想いになれたヒトだけなの」
と、彼女はそう続ける。
「誰かを好きになるなら、自分のこと好きになってくれるヒトがいいと思う……よ?」
「まあ、それはそうだろうけど」
「自分のこと好きになってくれない人なんか好きになっても、悲しいだけだよ?いいこと何にもないよ?」
何だか、お説教でもされてるような気分になって来た。
「……昴一郎は、くおんさんが好きなの?」
もう一度、こんどは逆の問いを向けられる。
「くおんさんは、きっと昴一郎のこと、好きだと思うよ。……だから、もしも好きになるなら、くおんさん。うん、たまこのおススメ」
ろくに自分の記憶もないくせに随分経験豊富みたいな物言いをするじゃないか、この
「あー、でもくおんさん、聞くところによると気になってる男の子はいるらしいよ、全く興味ないわけじゃないみたい」
「どんなひと?昴一郎よりやさしくて、昴一郎よりりっぱで、昴一郎よりいいひと?」
「いや、どこの誰だか知らないけど」
「昴一郎はそれでいいの?」
「何で?」
「何でって……ねえ」
「じゃあ……たまこちゃんはどうなんだよ?」
いい加減踏み込まれたくない領域になってきたので、質問に質問で返す。
できればこの話題続けたくないんだな。って気付いてくれ、たまこちゃん。
けれどたまこちゃんは、
「わたしは、お花が好き」
割とあっさり、そんな風に応える。
なるほど巧い逃げ口上だ。と思い、
「ああ、お花は嘘つかないし、裏切らないし、思い通りになるだろうしね」
そう感想を述べたぼくに、
「……裏切るよ? 思い通りになんて、ならないよ? でもそれは……もともとそういう物だから、って思えるし」
と、たまこちゃんは妙に実感のこもった口調でそう答えるのだった。
……どうもいけない。
この子はあらぬ誤解を抱いている。
しかし、どう経緯を説明をしてあげた物か。
くおんさんをそういう目で見るのは気が引けるというのも事実だし。
後は「くおんさんはぼくのお母さんなので……」
と言うのもあるのだが、それはそれでたまこちゃんにいうような事でもない気がする。
ぼくは確かに「くおんさんの息子」という立ち位置になっているわけだけど、あれはあくまでぼくとくおんさんとの間だけで成り立つ、取り交わされている、言葉にしていない約束事のようなもの。
良く知らないでそれだけ聞いたら倒錯的なおままごとだ。
くおんさんも、まさか本当にぼくを養子にしようとは思ってはいまい。
そもそもくおんさんの望みは「ぼくから母親に対するような無謬の信頼を向けられたい」ということであって「母親ごっこがしたい」ではなかったはず。
……その辺りの機微を正確に把握しているのは現状びゃくやくらいであるというのがかなしいところだ。
ただでさえ、ぼくが「そういう目的」でくおんさんに雇用されてる人間なのでは、とマモルくんに疑われたことだって、つい昨日のことである。
……くおんさんに縁談を持ち込もうとするような教皇院のけしからん人たちに誤解させる、というのもかなめさんから頼まれているぼくの役割ではあるのだけど。
「いちど、ちゃんとくおんさんに気持ちを伝えた方がいいよ。昴一郎」
というたまこちゃんの言葉を遮って……玄関側から車のエンジン音が響き、少しして正門の呼び鈴が鳴った。
「迎えの車が、来たみたいだ」
……さて、これでひとまずたまこちゃんともお別れか。
さらば、たまこちゃん。
「昴一郎、わたしは真剣にお話してるの、ちゃんと聞いて!」
さらば、たまこちゃん。
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