第六夜「北極星」(Aパート)④

 さてこのたび、斎月家の館に新しい住人が一人加わった。

 序列上これまで一番下っ端であったぼくに後輩と言うものができたというわけだ。

 改めて紹介しよう。――本姓不明、身元不明、自分がどこで何をしていたのかも覚えていない期待の大型新人・たまこちゃん。である。


 と言っても、彼女を現地にて保護し連れ帰って来ていると言う事も既にびゃくやから教皇院に伝えてあるそうなので、迎えが来るまでの数時間の、短いお付き合いになるのだろうけれど。


 恐れ戦き震えあがっていたのが、どうにか警戒を解いてくれてからの彼女は妙に生真面目で意志が固く、お世話になったのだから、おてつだいがしたい、と申し出てくれて……


 がちゃん。 

 がちゃんがちゃん。

 

 背後から、何とも言えない哀愁を湛えた旋律が響く。


「……昴一郎」

「……ん」

「……また、割っちゃった……」

「……そっかぁ……」


 台所の白いタイルの床に飛び散った、高そうな丸皿の破片を見おろし、助けを求めるような沈痛な眼差しをぼくへ向けるたまこちゃん。

「……まあ、しょうがないよね」

「……えっと」

 たどたどしくしゃがみ込み、破片を拾おうとするのを押し止め、

「……欠片が飛んでるから、危ないよ」

 ぼくは箒とちり取りで哀れなお皿たちのなれの果てを片付ける。

 回復したらくおんさんに治してもらおう。

「ここは、ぼくがやっておくから、いいよ」

「……ごめんね」

「……ううん、いいよ、きにしないで」


 ……さて、このたまこちゃんだが。

 ……悲しいかな、本人の意気込みに反比例して、彼女にはおよそ、生活能力、実務能力がまったく欠けていた。


 今日び、もともとよっぽどのお嬢様そだちとやらでもあったとでもいうのだろうか。

 お盆を運ばせれば、足をもつれさせて転ぶ。

 お茶を容れさせれば、ポットをひっくり返す。

 皿洗いひとつもまともにはできなかった。


 本人が怪我をしてはよろしくないし(ぼくにであれば別にいいけど)、くおんさんや紙人形さん達に熱湯浴びせたり食器の破片を飛散させたりしたらことだ。

 高そうな書籍やら調度やらを損壊されるのも困る。

 だがきっと何かこの子にも得意なことがあるだろう。

 もしかしたらそれが彼女の記憶が戻るきっかけにもなるかもしれない。


「……ところで、服の方はどう? きつかったりしない?」


 なお、流石にここに連れて帰って来たときの、裸にボロ布を巻き付けただけの恰好でいてもらうわけにもいかないので、現在たまこちゃんは「耐水」さんがクローゼットから持ってきてくれた薄紅色の可愛らしいワンピースに袖を通していらっしゃいます。

 くおんさんのお下がり……かと思いきや、ぼくもくおんさんがこれを着ているのを見た覚えがない。

 小洒落たデザインではあるものの、全体的にくおんさんの好みのラインとは違うと言う感じも受ける。


「わたしには少し大きいみたいだけど……うん、きょよーはんい。かな?……ここがちょっと余ってるけど」

 と言ってたまこちゃんは布をつまんで見せた。

 なるほど、たまこちゃんはくおんさんよりも更に幼い感じであるので、……具体的に言うと、胸部の布が「物凄く」余っていた。 

「本当だ、でも……」

「これは、くおんさんの?」

「……いや、でもくおんさんもこんなに大きくはないはずなんだけどな」

 だぶついた布から逆算される、本来フィットするべき体型を考えるとどうも「現在の」くおんさんをも大幅に上回っている。

 しかし、成人女性のものを持ってきてしまったというわけでもないようだ。

 ……つまり、この服の本来の持ち主は、背丈や腰回りなどは童女の範疇に収まっていて、そこだけ発育がいいということなる。

 くおんさんの現在のサイズよりも小さいのであればそれはもう着られなくなったもの、以前のものということで済むけど、大きいとなるとそれは――

 これって、くおんさんのもちものではないのだろうか?

 であれば、どうしてこの館のクローゼットに?


 と、あれこれ考えながら見て推測できることを口に出す。

「……あ、後はさ、くおんさんのその辺りはもうちょっと上向きなんだよね。腰の辺りもくびれの位置が違う気がする」

「ちょっと、待って」

 微妙にこわばった声で、たまこちゃんが言った。

 ちょんちょん……とつま先で後ずさって距離を取る。

「……何で、その、くおんさんの胸周り……の尺とか……事細かに知っているの?」

 ……せっかくいくらかの信頼を得たと思ったのに早くも揺らぎ始めた。

「……くおんさんと、本当はどういう関係なの?」

「ぼくは……ワケあってこの館で働いてる者です」

 そういう意味ではいまの君と同じ立場です。

「くおんさんのこと、好きなの?」

「……それはまあ、その」

 たまこちゃんの向ける疑いの眼差しに耐えかねて、

「……だからそれはそのほら、記憶から再現した空想上の、イマジナリーくおんさんと比べてだよ。……身近でお仕えするんだからくおんさんのことをよく知って、頭に叩き込んでないといけないってのは……判ってもらえると思うんだけどね?」

 いや、我ながら何を言ってるんだか。だけどとりあえずそう答えて、何となく、目線を逸らす。

「それに自慢じゃないけど、こう見えてもぼくは嘘が嫌いなんだぜ?」

 ほんとに何の自慢にもならないけど。


 たまこちゃんは未だ訝しげにぼくの頭頂から足元まで視線を走らせて、

「……まあ、そういうことなら」

 と、小さく頷いた。

 ……よし! 通った!

「判ってもらえて嬉しいよ、うん」

 あはは……と乾いた声で笑って見せて、

「カンスケさん辺りと一緒にしないでね」

 と冗談めかして口にしてから、しまった、この名前出すのはまずかったかも、と後悔して、

「……だれ?それ?」

 と、小首を傾げて尋ね返された。


 ……あれっ?


 ……歴史上の〈山本勘助ヤマモト・カンスケというのはまあ……一応偉人、英雄と呼んであげても差支えのない名前ではあろうけれど、別に善人でも義人でもない。

 そもそもそんな人は実在しないよ、というのは、確か最近になって否定された……はず。

 とりあえず、その名前で伝わっている人物と言うのは概ね、主君の命令で外交戦略を考えたり、戦術拠点である砦や城塞を築いたり、槍を使って戦ったり、人を殺したりする〈普通の〉武将であり〈普通の〉お侍だ。

 たまたまその戦略の精度とか、築城とか槍とかの腕前やらが優れていた……ということになっているから名前が残ってる、と言う事であって、つまりは、軍人であり、より正確に言うなら武装した私兵集団の一員だ。

 ……少なくとも、「みんなが笑顔で暮らせる戦のない世の中を作るために戦った」だの「虐げられる民衆の為に立ち上がって悪逆の主君を討った」だの「権力に拘泥せず、純粋に技量を極めた」だの、そういう善性の人ではない。

 ……〈山本勘助〉は、領土争いに勝つためにそうするべきと判断した、とか、雇用主にそうするよう命じられた、とか、何かしら理由があれば年端もいかない小娘をかどわかすくらいは、平気でするだろう。

 後、文芸作品に出て来る人間味のあるエピソードとしては、「いい年して年端もいかない童女に懸想していた」。と言うのがあったか。

 ……だから何だ、という感じがする。

 良くないんじゃないかな!幼い女の子に恋愛感情持つとかそういうの!


 ……なので、ぼくたちが保護したたまこちゃんを奪い返そうとするかのように現れた彼がその名を名乗った時にもそれほど騙された、裏切られた、見損なったと言う感情は湧いては来なかった。

 それもこれも彼が本物の〈山本勘助〉であれば、の話だが。

 ぼくの養父だって、名前だけなら――〈ミツヒデ光秀〉だし。


 ただ、ツカサさんにもたまこちゃんにも申し訳ないし妙な話だが、あの島で出会った、言葉を交わした彼は……特別悪い人間には見えなかった。

 槍の切っ先を向けて威嚇しながらではあるものの一応こちらに意思の疎通を試みて来たし、実際刃を振るってきたのも、こっちが彼の申し出を突っぱねてからだった。

 もしも彼が「しなくてもいい悪事を好んで働く種類の悪人」だったら、わざわざぼく達にたまこちゃんを差し出させ、その上で下衆な薄笑いでも浮かべながらぼく達を始末しようとしていたのではないか。

 ……と、そんな風に思えるのも、実際のところぼくが厳密に言えば火神帝國と敵対している教皇院の所属ではなく、彼にかどわかされたりもしてないからだろう。


 ……ぼくはてっきり、たまこちゃんがウィッチを恐れているのではないのならば、彼女の恐怖の対象の源泉、元凶は、彼なのではないかと疑っていたのだが……

「……そっか、カンスケさん、しらないか」

「……うん、誰なの、そのひと?」

「ああ、知らないなら別に良いよ、大したひとじゃないし」

 記憶が戻るならば戻った方がいいには違いないが、そのきっかけが恐怖刺激と言うのは、少なくとも素人のぼくが浅知恵でそう言う事をするべきではないだろう。

 無駄に怯えさせるだけの見込みが強いし、リスクが高い。


 精々ぼくにできるのは、色々やらせてみせて、何かしら上手くできるコト、楽しんでできるコト、の一つも見つけ出せるように膳立てしてあげること程度。

 ……それで何かを思い出す入口にでもなれば、上々だ。

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