第六夜「北極星」(Aパート)①
○
……さて、昨日の消耗がやはり回復しきれてはいないらしく、気丈に振る舞い平気そうにしてくれてはいても、疲労の色が隠し切れていない様子のくおんさん。
意識を取り戻してもらえて、ひとまずは嬉しいが、そうそう魔法の無駄遣いをさせるわけにもいかない。〈活性〉をかけるのも遠慮させてもらった。
というわけで、ぼくとびゃくやの会話は基本筆談、となる――。
島でウィッチを倒したくおんさんが意識を失くしたときには、流石にぼくも穏やかではいられなかったが、そこは、
「体に傷はない。体力を消耗して眠っているだけだ」
「少し休めば復調する」
と帰りの道すがらのびゃくやの説明を信じるほかなくて、また他に安全に彼女を連れ込める場所もなかったので、そのまま連れ帰り。
……まあその、いくらなんでもぼくの手でお湯を使わせる、というわけにもいかなかったので……
そのままベッドへ寝かせたところで、ぼくも力尽きた。
「いつまでもベッドの上でいちゃついていないで、着替えてきたまえ」
と書きつけたメモを、びゃくやが嘴で寄越してきた。
「いちいち誤解を招く書き方はやめろ!」
身を起こすと、疲労しきったまま妙な体勢で眠っていたせいか、節々が痛い。
二、三度伸びをしてから、くおんさんは、と見れば、起き上がりはしたものの、すぐに椅子に腰をおろし、物憂げに額に掌を添えた。
「……くおんさん?」
「大丈夫――です。まだ、少し疲れていて」
無理もない。何しろ、あれほどのことをやってのけた直後、である。
〈
その剣速実に秒速30万㎞を誇る、光速剣。
E=MC2などと言う公式を持ち出すまでもなく、現代物理学の枠外にあるような絶技。
それはやはり、くおんさんが教皇院第一の実力者たるとてつもない存在であればこそ放てるもので。
……その彼女にとってもすら容易ではない、限界を超えた荒業であるらしかった。
これまで彼女の武働きに立ち会い見てきた限り、どれほど激しい戦闘のさ中でも、彼女自身の技量と立ち回りによるものか、それともそういった魔法でも使っているのか、変身前のくおんさんの真っ白なブラウスと、闇色のスカートは泥はねひとつ付くことなく、卸したてのような清潔さを保ってきていた。
が、今回ばかりはそれすらおぼつかなかったらしく、倒れ込んだ際に砂埃で薄汚れ、雨に打たれてしまったのを簡単にタオルで拭ったままだ。
結局そのまま寝入ってしまった。シーツを洗濯し、布団も交換しなくてはいけない。
「……びゃくや、お湯を遣いたい」
くおんさんが言うと、それに応じてびゃくやがカァと一声鳴いた。
数秒で、目つきの鋭いスーツ姿の女性が部屋に入ってきてぺこりと一礼する。
顔見知りの、いつもの運転手嬢……かと思いきや。
……いつも顔を合わせる彼女と顔貌はまったく相違がないのだが、肌色だけが日に焼けたような褐色で、明らかに「別個体」だ。
「彼女は〈耐水仕様〉だ」
「雨天下や水仕事に使う」
怪訝な顔をしていたらしいぼくに、びゃくやがノートの白いページに改めてペンで書きつけ、説明してくれる。
くおんさんへ向けては、カァカァと鳴いて何事かを伝える。
「先に彼女に頼んで、湯の用意をしてある。……そうです」
とのことだった。
くおんさんの湯浴みの介添えを「耐水」さんにお願いし、残されたぼくが、シーツと毛布の交換を済ませ、お茶の用意でもするかなあ。などと考えていると、びゃくやが数枚のメモを嘴でまとめて挟んで、手のひらに渡してきた。
「お疲れ様、昴一郎」
「わたしではどうにもならんからな」
「彼女たちでも一応用は足りるが、君がいて良かった」
それぞれ、そんなことが書いてあった。
「何だよ、改まって」
言いながら見返すと、びゃくやはカカッ、と、笑うように声を上げた。
……優しいよな、こいつ。
ぼくが洗濯物のまとめとシーツの交換を済ませたころ、お風呂が済んだらしく。
髪が半乾きの、幾分しっとりした雰囲気のくおんさんが戻ってきたのを、出迎える。
いつものきっちりした白いブラウスとプリーツスカートではなく、余裕をもたせたデザインの白い筒袖のワンピースで、……普段凛々しいくおんさんが、いつになく女の子っぽい。
「今日くらいは、ゆっくり休んでくださいね」
「けれど、昴一郎さんもお疲れでしょう?」
「ぼくはまあ、大したことはしていませんし」
いやまあ、何分昨日は、ちょっと強めに〈活性〉をかけてもらったこともあって。結構手足と言わず胴体と言わず、引き攣れるような筋肉痛に苛まれているのだが。
これしき、くおんさんの苦労に比べれば何であろう。
今日ばかりは、例え教皇院からの勅令であろうと、くおんさんを止めなければならない。
「流石に、今日の討伐指令は来ないと思います」
と、くおんさん自身もそういう見解だった。
日ごろ人使いの荒い教皇院だが、それはあくまで「効率」を重視するが故。
ならば、「効率」の為、有為の人材をあたら使い潰してしまうようなことはしない。
……と、思いたい。
「当たり前です、今日は絶対にウィッチ退治になんか行かせませんからね」
もちろん、くおんさんを温存するために、犠牲が出るのを看過するなんてことがあってはいけないのだが、一応、他にも人員はいる。
仮にも「人類を護る正義の組織」なのだから、その辺はきちんとやってほしいものだ。
「今は戦おうにも、体が言う事を聞きません」
もともとくおんさんは風貌だけは儚げで大人しそうな女の子なので、こうして疲弊した姿を目の当たりにしてしまうと、普段の立ち居振る舞いや戦場での在りようが、どれほど彼女の意思の強さによってなりたっていたのかを強く意識せざるを得ない。
少しでも目を離したら消え入ってしまいそうなほどに色は白く。
か細い手首など、強く掴めば折れてしまいそうだ。
それこそ、今はなき兄さんを思い出す。
「既に教皇院に伝え、最長48時間の冷却期間を申請している」
と、びゃくや。
相変わらずこの辺は、紙に書いて伝えてくれる。
「48時間? ……それだけ、なのか」
「……これでは、何かあっても、昴一郎さんを守ってあげることもできませんね」
ぽつりと、くおんさんが呟いた。
「ああ、そういえばそうですよね」
「……もう、その心配をしていたのではないのですか?」
「いや、くおんさんが心配で、自分のことはあんまり」
こんなにも消耗してしまったくおんさんを見るのは初めてのことで、……そんなことすらすっかり忘れてしまっていた。
まるで当たり前の11歳の女の子のようになってしまったくおんさんと、今はこの邸で二人きり。である。
「何をされても何の抵抗もできないくおんと、二人きり。 君としては悩ましいところだな? 昴一郎?」
と書いた紙を見せてきたびゃくやに
「……ああ、心配だよな。でもほら、二人きりっていっても、君もいるだろ?」
と返すと、妙なことに次の紙がなかなか渡されない。
びゃくやを見れば、
「クァッ?」
とカラスの声で一声鳴いたきり、真偽を問うような目でぼくを見ていた。
「……どうしたのびゃくや、ぼくは何か変なことを言ったか?」
「この ピュア ボーイ」
と、びゃくやが新しい紙に書きつけるまで、少し時間がかかった。
「どういう意味だよ」
「もういい、なんでもない」
そんなやりとりをするぼくとびゃくやを見守っていたくおんさんは、
「大丈夫ですよ、もう少し休んでいれば、すぐに回復しますから。……だめですね、本当は、いつでも、どんな時でも、わたしがついていますよって、そう言えればいいのに」
と、少し困ったような顔のまま、ぼくへ笑いかける。
ぼくが偶に向けられる、懸命に、ぼくを励まし勇気づけようとするための笑顔だった。
――こんな時でも、この人は。
「……あなたは年上のお姉さんですか」
「……わたしは昴一郎さんにとって、お母さんでしょう?」
だから、まだ諦めてなかったんですかそれ。
以前にびゃくやや狗戒さんが言っていたように、ぼくにとって何らかの、特別な立ち位置を獲得しようとしているらしく。
――くおんさんはどういうわけか、ぼくの母親役を自任している。
まじめで優しい子が思いつめると、突拍子もないことを思いつく。という、いい見本であった。
とにかくそのくらい、くおんさんはぼくの為に心を砕いてくれていて、
「御剣昴一郎が絡むと、くおんさんは通常以上の力を発揮する」
と言うのも、――今は認めよう。
実際、既にくおんさんには、顔も覚えていない実の母以上に世話になってしまっている。
だけど、母のようにも思えばこそ。
慕っていればこそ。
母親が自分を気にかけ、自分のことを案じてくれることをうれしく思いこそすれど、母親に剣を手にして戦って自分を守ってもらいたいと思う息子が、どこの世界にいるだろうか。
ましてくおんさんは、11歳の女の子でしかないのだから。
どれだけ強い心を持っていても、どれだけ優れた魔法つかいであっても。
そう。――くおんさんは、ぼくに、実力の「底」を見せた。
ぼくがついに目の当たりにした――してしまった、彼女の能力の上限、である。
ソードオブジワンは確かに大地を抉り海を割るほどの、凄まじい破壊力ではあった。
しかしその代償が、放った後に戦闘不能となることでは、とても安定して運用できないのではないか。
今回駆除に成功したローズウィッチ。
あれは少なくとも、およそくおんさんがソードオブジワンを使わなければ倒し切ることができない大敵だった。
つまり、もしもアレが二体同時に出現した場合。
――くおんさんは、一体目は倒せるが、二体目に対抗する手段がない。
もちろん、その時には、上手く一度のソードオブジワンで二体をまとめて討てるよう一直線に誘導するとか、やり方次第、という面はあるにしても。
単純な数の話をすれば、そういうことになる。
なってしまう。
……杞憂、なのかもしれない。
けれど、そうならないように祈ることと、その事態を考えないようにすることとは、まったく異なる。
もしもそんな事態が発生したら。――その時は。
「くおんさん、してほしいことは、ありますか?」
そんな昏い想像が、声にも出て。
「ぼくにできることなら、……何でもします」
ぼくは、ふとそんなことを言っていた。
「何でも……何でも……ですか?」
「昴一郎が何でも言う事を聞いてくれるらしいぞ、ここは甘えておけ」
メモを嘴に咥えて、びゃくやがぼくの隣に降りてくる。
「遠慮せず、一生涯奴婢としてわたしに仕え続けろとか、正式に養子縁組を交わし自分を母と呼べとか言ってみるか? くおん」
無言のまま、くおんさんが机の上の硯を掴み、びゃくや目掛けて投げつけた。
びゃくやはひらりと舞い上がってそれを躱し、硯は絨毯の上へ落下する。
歯噛みするくおんさん。
嘲笑うように羽ばたきするびゃくや。
……ちょっと見直したと思ったらこれだよ。
とはいえ、これはやはりびゃくや流の気遣いではあろう。
くおんさんも、多少冗談めかしての方が、いくらかは申し出やすいのではあるまいか。
何故か、どこも似通ってなどいない兄の姿を、くおんさんの姿に重ねた。
あの人と別れた時、まだぼくは小さくて、幼くて、かけがえのない兄に、何一つしてあげることができなかった。
もう取り返せるものなど何もなくても、今だったらそうじゃないのではないかと。今のぼくが、くおんさんへ、自分よりも年下の子に報いられるものがあるのなら、兄さんも喜んでくれるかもしれないと思いたかった。
それに、無欲で清廉そのものなくおんさんだ。
そう大仰なことは言うまい。
リンゴを剥いてほしい、とかだろうか。
それなら屋敷には毎朝もぎたてが届いているはず。
よし、うさぎさんに切ろう。
「では」
くおんさんは一度すっと息を吸いこみ、それから
「――髪を梳いて、もらえませんか」
と、申し出た。
――はい?
「すみません、もう一回言っていただきたいのですが」
「わたしの髪を、昴一郎さんに梳いてもらいたいのですが」
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