第六前夜「流星、砲将、黒陽、皇帝」③

 ――黒陽――


 炎が、揺らぐ。


 ……ああ、ああ。

 一体どうして自分が、こんな目に遭っているのだろう。

 民兵上がりのその男は、撃ち抜かれた胸から血を流しながら、弱弱しく息を吐きながら横たわっていた。


 こんなはずではなかった。

 ほんの、ピクニックのようなもののはずだった。

 大した抵抗もなく、果敢に農具や棒切れを持って抵抗らしきものを試みる老人たちをシューティングゲームのように愉快に撃ち倒し、家を焼き、街を壊し、後は残された女子供を相手の、お楽しみの時間だったはずである。

 しかし、現実にそこで待ち構えていたのは、先進国謹製最新鋭の武器で武装した、正規の軍隊の一部隊で。

 男たちは木端微塵に吹き飛ばされ粉砕され、わずかな生き残りは背後から狙い撃たれながら、散り散りになって必死で落ち延びた。

 シューティングゲームのターゲットは、自分たちになっていて。

 気が付けば、見渡す限り生き残りは自分だけになっていて。

 ……そして、胸にはアナが開いていた。


 一体どうして自分がこんな目に遭っているのだ。

 自分が何をしたというのだろう。どのような悪を成したというのだろう。

 自分は、悪いことなど何もしちゃいない……。

 少しばかり、「愚かな、劣った民族」を叩いてやろうとしただけ、ついでに金品を頂こうとしただけ。

 これは正当な軍事行動であり、権利の行使。

 誰もがしていることのはず。

 英雄的な行いと賞賛だってされるはず。


 おかしいではないか。こんなのは。

 自分は、「正しい民族」で、男性で、成人していて、年老いてもおらず、健康体で、武器を持っていて、集団の一員だ。

 そうでない他の全て……「劣った民族」、女、子供、老人、病人、武装していないもの、集団に属していないもの。

 それらは全て、自分たちを楽しませるための、食い物ではなかったのか。


 ――本人がどう思っているかはともかく、現実問題として、その男は、死にかかっていた。

 手足に、腹に撃ちこまれた銃弾は、容赦なく血管を突き破り、臓器を破壊していた。

 もともとその為に人類が生み出した道具である以上、誰の手にあろうとも区別なく、それは同じように機能と効果とを発揮していたというだけの話で。


 要するに、彼らは少しばかり調子に乗り過ぎた。のである。


 その国では、かつての敵と味方が同居していた。

 今はひとまず、大国の傘下に収まり「戦争はない」「秩序は保たれている」ことにはなっている。

 だがこうして、細々と田畑を耕し暮らす寒村を、武装し徒党を組んで、定期的に「正義の鉄槌」を下しにやって来る集団と言うのは存在していた。

 双方「先に住んでいたのは自分たちだ」「先に手を出したのはあいつらだ」と主張しあって。

 互いにそれをやったりやられたり――の、お互いさま、ではあったが。


 内戦時に結成されてそのまま居座って、正規軍の指揮系統に属さず、政府の目の届かぬ処で自分たちの判断で略奪やら私刑やらを行う武装集団。

 その地域での、その時期の認識に照らして言えば、彼らはそう特異な存在ではなかった。

 その土地を領有する国の政府と、彼らのスポンサーである外国の大企業は、僻地の農民などどれだけ飢えようが野垂れ死のうが、こうして人の姿をした獣に食われようが別段痛痒を感じないし、何か対策をしようとも思わなかった。

 いくら当事者たちがその苦渋と窮状とを訴え出たところで、 

「それは何か自分たちに関係があるのだろうか?」と問い返されるだろう。

 喰われる側の悲鳴など彼らには届かない。

 それが「少数派」の民族である限り「治安維持のため」の増税の口実と「貧困層の不満のガス抜き」として、むしろそれを野放しにする自分たちの行為は優れた統治と自画自賛する手合いさえあるかもしれない。

 だが、軍の正式な指揮系統に属さず好き勝手に暴れまわっている民兵崩れの武装集団が勝手に「徴税」を行い、勝手に産出品を国外に売却し、地下資源の発掘抗で底辺労働をさせる貧民の調達にも支障をきたすというのは、その限りではなかった。

 言い換えれば、どこかのラインで「これは自分たちの不利益になるのではないか」とみなされた。

 そう判断されれば、後は「神の与えた自分たちの貴い国土」を荒らす害獣として、駆除されるのみ――。だ。


 そう、まさしく害獣だった。

 市井の者のけして抗うことができない暴力。

 その悪意の自覚の無さ。

 犠牲者の顧みられることの無さ。

 ……意味合いとして、ある観点では「ウィッチ」と呼ばれる生物に、とても良く似ていた。

 ただ、この土地の権力者には統治というものをする気がなかったし。

 ここに、〈人類を護る教皇院〉はなかったし。

 ここに、〈魔法つかい〉なんてものはいなかった。


 彼らが救われることは、けしてない。

 「不逞の武装集団」を鎮圧するためにやってきた正規軍は、当分はここに駐留するだろう。

 ここに居座って、住民たちから用心棒みかじめ料を徴収するだろう。

 ……彼らだってろくな給料はもらっていない。そういう役得がなければ、こんなところまで気はしない。過酷な現場できつい仕事をする者ほど実入りが少ないのはどこも同じである。

 明日からは、金品を巻き上げ、女子供をいたぶってゆく相手が変わるというだけのことだった。


 ――ああ、痛い、苦しい。

 どうせ、こんな思いをするくらいなのであれば。

 こんなことになるのなら。

 ……もっと、上手くやればよかった。

 もっと速やかに、尻尾を掴ませないように立ち回るか、役人への付け届けをはずんで睨まれないように段取りするか、或いはもっと強い武器を買い入れ、食い詰め者たちを弾除けに使って……

 そうだ、もっとうまく、自分ならできたはず。

 この期に及んで、男はそんな風に考えていた。


 と、かちゃりと小石を鳴らして、すぐ傍に立つ影があった。

 ひっ――、と息を吐いて、そちらに顔を向けようとした。

 それすらも激しい苦痛を伴うし、もはや逃げることすらできはしない。

 正規軍の兵たちなら、必死に命乞いをし、自分には人権があると訴えれば、捕虜として扱われ、命は助かるかもしれない。

 救いの手を差し伸べてくれるなら、日ごろ偽善者と見下し、嘲笑いながら銃口を向けていた人道支援団体の医師たちの靴だって舐めたっていい。

 ただ、この農地の住民たちであれば。

 孫を野犬の餌にされ、娘を外国の金持ちの慰み物に売り飛ばされた老人たちの憎悪は深い。

 彼らは積年の恨みを込めて、自分を八つ裂きにするだろう。

 ――大声を張り上げて怒鳴りつければ、――恐れをなして逃げてゆくかもしれない。

 そんなお目出度い考えと共に、怯え慄きながらも震える眼球を動かして、闖入者の姿を視界に捉える。


 予想に反し――そこにいたのは、一人の少女。だった。


 初めに目についたのは、日の光を浴びて照り返す、乱雑に伸びた鉄色の髪。

 煤と砂埃にまみれた、黒一色の装束、

 余程年季の入ったものらしく、裾の方は千々に裂けほつれている。

 この村の飢えた子供たちでさえ、もう少しましな身なりをしていよう。

 であれば、物乞いか、逃げ出した奴隷か。

 年の頃は10に届くかどうか。

 碌に食事にありつけていないであろうことを差し引いても、四肢は痛々しいばかりに華奢でか細い。

 顔に傷でも負っているのか、片側の半分には、包帯を堅く巻いている。

 だが覆われていない残りの半面は、息を呑むほどに愛らしい、整った造りをしていた。

 この辺りの住人とは異なる顔立ちだが、深い色の物憂げな瞳は宝石のような輝きを放ち、青白い肌の中で唇だけがほのかに赤い。

 茫洋とした、どこか儚げな風貌の、小さな女の子。


 これまで海外に売り飛ばした女たちの中で、一番いい値がついた女の子も、彼女には遠く及ばない。

 こんなことにさえなっていなければ、今頃彼女は自分の体の下に組み敷かれ、助けを求めて泣き叫んでいただろう。


「――бедных(可哀想)」


 どこを見ているのか判然としない眼差しが、男を捉えているらしいのが判った。

「……かわいそう」

 こぼれ出るのは、そんな言葉で。

 哀れまれている。

 同情されている。

 馬鹿にされている、見下されている。

 火のような怒りが、胸の中にこみ上げる。

 ――それではまるで、「本当は、おまえたちのしていることはひどく罪深い醜悪なことで、それに気づいていないおまえたちは哀れである」とでも言っているかのようだ。

 ふざけるな。見くびるな。

 自分は間違ったことなどしていない。

 これは正義の行いだ。

 指導者だって、そう言っていた――!

 大国にだって、認められている――!

 叫ぼうとするも、呼吸する端から、肺に空いた穴が空気を吐き出してゆく。


 ――傷さえなければ。

 ――武器さえあれば。

 ――味方が助けにさえくれば。

 と、思った。

 実際にはどれだけそう願っても傷は塞がってはくれず、手になじんだライフルは遠くに飛ばされてしまっており、男たちの指導者は、愛人を連れ札束を鞄に詰め込んで国外に逃げ出そうとしている最中だったが。


 けれど、次に少女の口から出たのは、

「……っ! ……っ!」

 喉をひくつかせ、しゃくりあげる声ばかりで。

 可憐な少女は、潤んだ瞳から、ぽろぽろと涙を流して泣いていて。

 ぺたんとその場にしゃがみ込み、嗚咽の声を漏らし続ける。


 死体など、この辺りでは珍しくもないだろうが、――何を泣く。

「――あんまりです、こんなの、あんまりです」

 異国の言葉が混ざっていたが、そんな風に言っているように聞こえた。

「こんなに傷ついて、血を流して、こんなに苦しい思いをして、……ほんとうに、かわいそう」

 どうやら、彼女は本当に、心から男の傷を、痛みを嘆き、我が事のように苦しんでいる。そう見えた。


 苦しい呼吸の中、切れ切れに、問いかけた。

「――お、お、おれ、おれ、し、しぬの、かな」

「……ダーはい

 泣きじゃくりながら、童女はその言葉ははっきりと口にする。

「い、いや、だ、」

 死にたくない、死にたくない。

「おまえ、お、おれを、たす、けろ」

 まだやりたいことがある、ほしいものがある。

 自分は何も悪くないのに、こんな風に死ぬだなんて――


「イズヴィニーチェ、……ごめんなさい。Яヤーには、怪我を治してあげることはできません」

 縋りつくように吐き出すも、返されるのは、そんな言葉で。

「――その代りに、あなたを抱きしめてあげることができます」

 そう続ける童女の声に、再び怒りが蘇る。


 ――抱きしめる?

 ふざけるな、そんなものが何になる。

 俺は自分を助けろと、傷を治せと命令したのに、なぜその通りにしない。


 けれど、

「……けて」

 ひゅうひゅうと肺から空気が抜けてゆくのに混じって、そう呟いていた。


 ……いやだ、いやだこんなの。

 こんな惨めな最期はいやだ。

 こんな死に方をするために生まれてきたわけじゃ、ない――!


「たすけて」


 ひざをすりむき母に泣きつく子供のように、ちいさな女の子の両腕に身を委ねた。


「たすけて」


 ああ、もう手足の感覚が薄れていく。

 呼吸の数が、明らかにそうと判るほど減ってゆく。


ダーはい。 ――ヤーわたしが、だきしめてあげますね」


 最後に聞いたのは、そんな声。

 最後に見たのは、優しく微笑みかける、童女の顔。

 炎が、揺れる。

 薪が爆ぜ、小麦が焼け、香辛料をまぶした肉や魚が焼ける香ばしい煙を漂わせる。

 いつの間にか、日が暮れていた。

 遠くで弟たちが呼んでいる。

 組まれた薪の上に、鉄板が置かれ、串に刺された肉を手に、祖父が手招いている。

 親父と肩を組んで、杯を手に、早くも出来上がっているのは、隣のおじさんだ。

 はやくいこうと、華美ではないが精一杯に着飾った、隣の家の女の子。


 そうだ、そうだこれは――

 まだ子供のころ。

 何かめでたいことがあって。

 こうして、近所の家族そろって、祝いの宴をしたのだ。


 あの夜は、あの夜だけは、

 普段眉間に皺を寄せ、怒鳴り散らしてばかりいるの親父も、機嫌よく、何度も気に入りの歌を口ずさんでいた。

 いつもビクビクと卑屈に背中を丸めていた母も、戸惑いがちに笑い声をこぼしていて。

 弟たちは、

 ――ここには、厳しいが人間味のある親父も、細やかな気配りのできる母も、正気の祖父もいる。 

 五体満足な弟たちも、近所のみんなも。


 ああ、何だ。

 オレの幸せは、己の必要だったものは、全部此処にあったじゃないか――!

 ああ、幸せだ。幸せだ!


 ああ、だけどこれは――


「これは、夢だ」


 実際には、親父はこの後すぐに勤め先が倒産して、首を括った。

 祖父はアルツハイマーが悪化して、泥を口一杯に詰め込み、窒息して死んだ。

 母は親戚連中から苛め抜かれて、今でも精神病院のベッドの上だ。

 上の弟は、ついさっき逃げ遅れて死んだ。

 下の弟は、組織の金に手を付けて死んだ。

 隣のおじさんは、己が仕掛けた爆弾で粉微塵になって死んだ。 

 そしてあの女の子は。 

 己が、己が、殺して、埋めた。


 でも、でも、だって、だって仕方がないじゃないか。

 隣のおじさんも、その娘である女の子も、

 「穢れた民族」だったのだから。――「敵」だったのだから。

 やられる前にやるしかないんだ。

 奴らは友人のような顔をして、我々の誇りを奪おうと企んでいるのだと……

 ラジオでも、そうだと言っていた。

 それに、周りの奴らに、度胸のある、男らしいところを見せなければいけなかった。

 やって見せなければ、自分まで「敵」にされてしまうではないか――。

 

 必死に、そう自分に言い聞かせる。


 ――のは、無駄だった。


「お、おれ、なんてこと」


 さっきまで感じていた温もりが、消えてゆく。

 体中に悪寒が走り、手足が震えて止まらない。

 どうしよう、どうしよう――!


 と、声が

「――大丈夫。」

 やさしく囁く声が、聞こえた。

「あなたは、きっときっと、天国ニェーボに行けますよ!」

「ほ、ほん、と?」

 やさしい声が、そう続ける。

「だって、ヤーが来たのだから」


「ヤーが、あなたをニェーボに送ってあげます」

 もう一度、ぎゅうっと。

 強く、抱きしめられる。

 ――炎が。

 黒い炎が、優しく燃える。

 はっと我に返る。

 周りを見回せば、さっきまでと同じ、宴の席。 

 みんな、何一つ変わらない。嫌な汗も引いているし、自分の体には傷一つない。


 ――そうか。

 全部、ぜんぶ悪い夢だったのだ。

 ああ、――なんてひどい悪夢ユメだろう。


 母が注いでくれた飲み物で口を潤して、隣のおじさんが薦めてくれた焼きパンを頬張った。

 急いだせいで喉につかえて咳き込むと、隣の女の子が苦笑いしながら背中をさすってくれた。

 少し気恥ずかしくても、けして嫌ではない。


 ……オレは絶対に、あんな大人にはならないぞ。

 自分にとって何よりも大切なのは、家族と、そして近所のみんなだ。

 何があっても、両親を、祖父を、弟たちを、そしてこの子とその家族を守ろう。

 そうすれば、けしてあんな事には、……あんな惨めで情けない最期を迎えるコトなんて、ないのだから。


 この幸せを失うことは、ないのだから。




 ――かわいそうなひと。

 もう、苦しまないで済みますように。


 Cветスヴェート черныйチェルノcолнцеソーンツェは、涙を拭って、立ち上がった。


 ――ああ、悲しい。

 ――生きているということは、こんなにも辛く苦しいことばかり。

 この男のひとも、ここに来る途中で会ったおじいさんたちも、鉄砲を持った男のひとたちも、なんて可哀想なのだろう。


 何処に行っても同じだった。

 もううんざりだ、もうたくさんだ。

 こういう人たちは世界中に限りなくいて、自分が此処で膝を抱え蹲っているならば、苦しみ悲しみ、嘆き続ける。 


 くじけはしない、諦めはしない。

 もっとたくさんのひとを救うために。

 もっとたくさんのひとを、しあわせにしてあげるために。


 まっていてください。

 どうかけして、あきらめないで。


 いま、Яわたしが、抱きしめにいきましょう。


 ――もうじき、あのひとも帰ってくるだろう。

 ヤーのだいすきな、ツァーリ皇帝陛下


 ヤーは、たくさんのひとを救います。

 ヤーは、みんなみんな、ニェーボに送ってあげます。

 ヤーは、いいこですか?


 スヴェート=チェルノソーンツェ。

 意味するところは。


 ――光輝く、暗黒の太陽。である。

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