第六前夜「流星、砲将、黒陽、皇帝」②
○
――砲将――
……魚たちが、騒いでいるな。
クジラたちが狼狽える声も聞こえてくる。
海の上、ごく近い海域の上で、大きな力が放たれたのを感知して。
光も幽かにしか差さない、揺蕩う水の底で、わたしは物思う。
――どうと言うほどのものではない。
何しろたった今打ち破られたのは、わたしの9人の同志の内一人の従える百万本の薔薇の内の、ただ一輪に過ぎないのだから。
些事である。俗事である。
余計なことで雑念を入れてしまった。
そんなときではない。
……急がなければならない。
身体各部の活動を再開させる。
全身を構成する超金属、それを扱う極小機械達に、2つの絶対命令〈強化〉と〈進化〉を改めて命じる。
血と油にまみれて水底で眠りにつきながらこの活動を始めたときに何よりも初めに、そして強く強く想ったこと。
――今度こそ、正当なりと信ずることができる理由の下での戦いを。
――そのために、もっと強く、もっと堅く、今度こそけして沈むことの無いからだが欲しい。
――如何なる敵をも打ち破り得る、無敵の体を築き上げよ。
あれから、60年か、70年位が経っただろうか?
数多の銃火を浴びて、火を噴き三つに分断された体の損傷の修繕は既に余すところなく終わっており、今やその次の段階へと至っている。
遠からず再び、この身を海原に浮上させるとき。
そのときこそは、間違いなくまだ見ぬ真の敵との、最大の決戦のさ中となろう。
主砲も、副砲も、装甲も、碇も、スクリューも、ネジ一つにいたるませ、もっともっと強靭で、苛烈で、堅牢なものに仕上げなくては。
どこかの金持ちの財布をさらに膨らませるためでなく。
どこかの政党の議員を次の選挙も当選させるためでなく。
どこかの思想家が劣った民族であると定めた者たちを蔑むためでなく。
どこかの寒村の飢えた子供をいたぶり殺すためでなく。
今度こそ、今度こそ正当なる理由の下で戦うため。
この惑星全てのひとびとを救済するために。
そして、わたしの――皇帝の為に。
この深海で、朽ち果てた敗者として眠り続けていた自分の前にあの人が立った――あの日。
○
「わたしと、ともだちにならないか?」
あの方は、第一声で、わたしに何を求めるでもなく、何を責めるでもなく。そう言ったのだ。
「……ああ、そうだな、今すぐにわたしを信用できないなら、取引をしよう」
薄赤く、揺れる光を全身に纏い、気づいた時には、すでにそこにいた。
もちろん、最初はあの方が何を言っているのか、にわかには理解できなかった。
もっと言えば、あの方がいったい何者なのかすら理解ができなかった。
このような、光も幽かにしか差さない海の底に、ヒトはけして訪れない。
専用の機械の手を借りれば「ここまで来る」ことはできるかもしれないが、あろうことか、あの方は生身で、身一つでこの海溝の奥に立っていたのである。
幻ではない、夢でもない。
わたしは、幻など見ない。
わたしは、夢など見ない。
目の前にいる美しいヒトは、現実のものだ。
そして、そうであるからこそ、わたしは困惑した。
ヒトにしか見えないあの方の目に、自分の姿は言葉をかけて返事が返ってくるようには到底見えないはず。
ヒトは、こんなものに話しかけようなどとは、思わないはず。
何より、建造され、海原に出て、敗れて沈み、あの方に声をかけられるその時まで、わたしはおのれと言うものをはっきりとは認識していなかった。
……つまり、その言葉をかけられた時にこそ、わたしはわたしがココに在ると言う事を初めて自覚したのである。
「(あなたは、だあれ?)」
芽生えたばかりの意識の中で、そう懸命に問いかけてみる
言葉にならない、声にならないそれを、あの方は見逃すことなく掬い上げて、
「わたし? ――〈皇帝〉」
と、そう答えた。
苦い記憶が、蘇る。
それと同様の名のもとに、かつて戦い、そして敗れた。
その名が象徴する崇高な大義名分のもとに、わたしと、そしてわたしの家族は皆、殺された。
それに、その名を名乗る二人の者に、同時に仕えることはできない。
地上が、故郷がどうなったのか判らないが、凡そ、戦いの趨勢は定まっていた。
少なくともくにの形すらまったく様変わりしている可能性もあるし、年月の経過を考えれば、わたしが仕えていた君は既に薨じているだろう。
それでも、――わたしは今でも変わらず、あの帝国のモノのはず、である。
「(ともだちには なれない あなたが そのなを なのるのならば)」
自分が徹底的にその過去に縛られているということ、そしてこうして数十年ぶりに親しげに投げかけられた言葉に対する答えが拒絶でなければならないこと、苦い想いを呑み込みながら、そう返した。
到底、意に沿うものではなかったであろうはずのその答えを聞いて、
「……そう?」
〈皇帝〉は、意外なことに、ただ不思議そうに首を傾げた。
怒りも、侮蔑も、微塵も感じられなかった。
「おかしいな。……わたしが此処に来たと言う事は、誰かがわたしに来てほしいと望んだと言う事だ。――きっとあなただと思ったのだけど」
困ったようにそう続ける言葉も、表情も。
どこまでも、穏やかで。
ただ、やさしいばかりで。
……それではこの、正体定かならぬ〈皇帝〉は、その出所すらはっきりしない「呼び声」に応えるために、このような場所へまで、足を運んだのか。
「だけど、無理強いをすることはできないからね」
〈皇帝〉は、さほどの未練もなさそうに、いっそその言葉通りの、わたしの眠りを妨げたことに対する謝罪の意思さえ表しながら踵を返す。
「……邪魔をしたね。起こしてしまって、ごめんなさい。こんどはゆっくり、ゆっくり眠っているといい。もう誰も、けしてあなたの眠りを妨げることはないから」
わたしにそう告げて、光の射す方へと身を翻し、去りゆかんとする。
赤く、全身から零れる燐光が揺れ、霞み、周囲に溶けるかのようにして、その姿は薄らいで。
――ああ。
行って、しまう。
「(まって)」
咄嗟に、わたしはそうぼうとした。
……だけど、それはけして声にはならない。
わたしには、声帯というものも、想いを誰かに伝える唇も備わっていない。
だから、芽生えたばかりの意識で、懸命に、そう願った。
「(待って)」
「取引をしたい」。「皇帝」はそう言っていた。
「ともだちになりたい」とも言っていた。
「……うん?」
わたしの「叫び」は、どうやら届いたらしい。
〈皇帝〉の姿が、再び明確に、姿を結ぶ。
「(あなたの ことを しりたい)」
切れ切れに、順番に浮かぶ言葉を、〈皇帝〉へと送り届けた。
このヒトが、何者なのかも、判らないけれど――
だけど……本当にもしかして、このヒトが、わたしの願いを叶えてくれるのだとしたら、
「――わたしには、どうしても叶えたい願い、どうしても見たい光景がある。その為に……あなたの力を、貸してほしい」
胸の中で大切に暖めていた想いをそっと気の知れた友人に打ち明けるようにして、〈皇帝〉は答える。
「あなたにも、あるんじゃないかな。――いや」
「わたしが此処に来たということは、あなたには、あなたの大切な欲望がきっと在る筈だよ」
願い。
望み。
心の底から、欲してやまない、狂おしい程の想い。
「(あなたは ――を わたしを ――させることが、できるの?)」
途切れてしまいそうな意識を懸命につなぎとめながら、そう問いかけた。
「……ああ、できるよ、あなたがそれを望むのならばね」
微笑みながら〈皇帝〉は答える。
「(わたしは、なにを すれば いいの?)」
「ああ、特にむずかしい事じゃない、あなたはきっと、なるほどそれは素晴らしい事だと、賛成してくれるはず」
そうして――暖かな日差しのような笑顔と共に「皇帝」は
「――わたしといっしょに、楽しいことをしよう!」
そう、告げる。
「わたしといっしょに、人類を救おう!」
――ああ、なんて、
なんて、大きなことを、楽しそうに口にする。
しかし、できるのか、そんなことが。
こんな場所に、ただ一人降り立った「皇帝」の力は、確かに大したモノなのかもしれない。
村一つ、国一つなら、救ってしまえるのかもしれない。
けれど、――人類。とは。
本気でそれを成し遂げようとしてしまえば、最大の敵は、何よりも、その人類の世界の成り立ちそれ自体になってしまうのではないか。
戦の道具として生み出されたわたしには、それが強く感じられた。
まして〈皇帝〉が友と呼ぼうとしているわたしに至っては――ヒトですらないというのに。
「(わたしに できるの? だって……)」
わたしはそう問いかける。
わたしは、恐れられるもの、忌まわしく思われるもの。
確かに、1億とも言われる故郷の人々には、拍手と歓声と共に迎えられることもあった。
だがそれは、その1億以外の数億に恐怖と脅威をもたらすということと表裏一体のことで。……それが当たり前のことではなかったか。
「あなたがいなくちゃ、きっとできない」
気づけば、「皇帝」は再び間近に、わたしの千切れた胴体に寄り添うように傍にいた。
「――あと、ひとつ約束する」
ささやくように、そんなことを言う。
「あなたのことを愛するものを、あなたの前に立たせてあげる」
もしも、そんなものが、いるのなら
――ああ、一度、出会ってみたいかもしれないな。
「(お)」
もう、わたしのなかに、それを拒絶する言葉は、なかった。
「(おね がい します ――!)」
叫ぶ、叫ぶ。
「(わたしと ともだちに なって ください)」
わたしに魂と言うものがあるのなら、それをささげてしまっていいと、
「(わたしを ○○させて ください ――!)」
そう強く信じて、叫ぶ。
「――ああ、いいとも!」
たからかに、〈皇帝〉は宣言する。
そうして、柔らかいものが、押し当てられる。
これは――唇か。
――熱い
全身が、焼けるように熱い。
この身に浴びた、数多の銃火よりも優る熱さが全身を刹那の内に燃え上がらせる。
だけど、この熱は、悪意も、害意も微塵も感じない。
ただ、幸福であれ、健やかであれ、満たされていてくれと、偽りない、こころの底からの祈りに満ちた、温もり。
「……これであなたは、わたしの友達、わたしの騎士様だ!」
〈皇帝〉が、叫ぶ。
「この宇宙に、希望の歌を聴かせてやろう!」
希望。
ずっと昔に聞いた言葉。
そして、もはや決して自分には縁のないものと、そう思っていた言葉。
――わたしにとっては、あなたこそが。
○
この世界のどこかにいるらしい同胞は、わたしを入れて9人。
残りの8人の顔ぶれは知らない。
だが、何処の国の、何れの時代から如何なる強者を招こうと、少なくとも、20世紀に建造された己こそが、間違いなく九騎士最大最強であるだろう。
わたしは、そう確信する。
我が愛しき、皇帝陛下。
わたしの装甲はあなたの盾だ。
わたしの砲はあなたの拳だ。
いずれ来たるその時。
わたしは、最強のわたしとなって、あなたの前に参じて見せる。
――強く強くそう念じて、火神帝國第三の騎士・砲将〈蒼海の巨城〉は、再び、深いまどろみの中へと落ちてゆく。
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