第六前夜「流星、砲将、黒陽、皇帝」①
○
――〈流星〉――
「――ふむ……」
読んでいた本のページをぱたんと閉じ、嵯峨かのんはひとつ息をついた。
「……薔薇が、散ったわね」
およそ南西に2000㎞。ここより遥かな距離を隔てた海の彼方の小島にて、斎月くおんが必殺の一撃〈
……さほどの感慨もない。
そもそもが、それが遅いか早いか、どの程度にローズウィッチが粘れるか、と言う程度の問題であって。
そしてこの山中の書斎から遠く離れた海に浮かぶ小島で起こった出来事も、彼女にとっては湯呑の中の茶柱の浮沈のごときもので。
故に、彼女は知っている。
斎月くおんが、如何に戦い、如何に勝利し、……如何に己の望んだ結末を手ににしそこねたのかを。
さぞ悔しいであろう、さぞ無念であるだろう。
そして、だからこそ、次に見ることになる彼女は、さらに力も精度も、心の強さも増したものになるであろう。
嵯峨かのんの前に立つ、フリルとレースで飾られた豪奢で雅やかな装いの少女が、小首を傾げた。
「……なあ、あの子、少しは前より強くなりはったん?」
と、かけられた問いに。
「……そうねえ、大分ましになったのではないかしら」
と、嵯峨かのんはそう答える。
かつての彼女。ツクヨミの名を継いだばかりのころの彼女であれば、あの程度のウィッチにも遅れを取ったかもしれない。
実際いつまでもその程度であってもらっては困るのだから、それに比べれば大した進歩と言えよう。
「以前に見せてもらったた時には小山を少し削れる程度。半分にも満たない威力しかなかったわね。それを考えれば随分成長したと言えるのではないかしら」
斎月くおんは、成長を続けている。
特別なことではない。
花がつぼみをほころばせるように。月が満ち欠けするように。
呼吸し、あるいは何かを見聞きして、或いは誰かと触れ合って、それらを糧に日々その在りようを大きく変化させてゆく。
11歳の少女とは、そういうものであるから。
「だから、次はもっと威力も精度も上がるでしょうね。……それとも連射ができるようになるのかもしれないわね? 予備動作時間や、撃ち切った後の無力化時間が半分くらいになるというのも悪くないわ」
……しかしまあそれよりなにより、あの雑さ、無軌道な荒っぽさは何とか克服してもらわなくてはならない。
「破壊するべきもの」と「そうでないもの」を自在に区別することができない有様では、破壊を行うものとして三下に過ぎるではないか。
己が身にしてからが、銀河をまとめて塵に返しつつ、惑星一個は壊さないという呼吸を身に付けるには随分難儀したものだ。
振り返りながらそう言って、嵯峨かのんは、そこにいた少女に、さっきまで見ていた戦いの様子を映像に変え、一枚の紙片に収めて委ねた。
いちいちこういうことをするのも面倒だから、彼女にもこの、遠くのものを見聞きする術を早く身に付けてほしいものなのだが。
「……ふうん? ……へえ?」
興味深げに頷きながら彼女が映像を見終えるのを待ってから、
「……例えば、あのソードオブジワン。あなたならどう相手をする?」
と、問いかけた。
「あたしは、あの抜き打ちの手刀の方がこわいわあ……近づいても離れても、どこから飛んでくるかわかりませんやろ」
「それから?」
「……光速いうんは確かにすごいけど、アレ、時間がかかり過ぎですなぁ。まあ、時間稼ぎしてくれる味方がいれば済むことなんですやろうけど……あの子、ともだちいませんさかいねえ」
もしも、この空間に御剣昴一郎がいれば、顔面を蒼白にするだろう。
彼女たちは明らかに「対・斎月くおん」を想定してモノを言っている。
いや――それこそ「斎月くおんと戦って、勝てるか」という話をしているようである。
そしてそれは、嵯峨かのんはともかく、彼女とやり取りしている、雅やかな言葉づかいの少女にしてみてもそれなりに答えづらい問いかけではあるようで。
「……意地悪、いわはって」
流麗な眉をひそめ、そんな風に答えて見せる。
「ツクヨミさまに勝てるか、やなんて……そないな大それたコト聞かれたら、困ってしまいますわぁ」
肩をすくめ、こわいこわい、と言うように身をくねらせる。
「……教皇院の「三大禁忌」は何だったかしら」
そんな彼女に、重ねて問うた。
「死者の蘇生と、過去への時間遡行、教皇への叛逆」
「では「ツクヨミに勝負を挑む」は?」
それは、含まれて、いない。
……まあ、そんなルールはわざわざ設けるまでもないことだからである。
ツクヨミとは最強の魔法つかいに贈られる称号。
ツクヨミとは敬し標とするべきものであって、勝負を挑む対象ではない。
第一、自殺志願というならともかくとして、戦ったところでまず勝てはしない。
今言葉に上がった「三大禁忌」というものにしてからが、組織運営の為の方便とでもいうべきものであって。
一つ目と二つ目はまあ、倫理的に禁じておかなければ、ということはある。
三つ目も、発足直後の黎明期ならばともかく、この20世紀においては教皇はほとんど雲の上の存在であり、ほとんどの魔法つかいは一生涯教皇の顔を拝むこともなく一生を終える。ゆえに、不心得を起こす者もありえるかもしれない。――許されはしないが。
教皇院の紋を掲げた以上、それ即ち教皇にひれ伏したと言う事に他ならない――から、「判ってはいるだろうが、念のため」。と言う色が濃厚だ。
ただ、規則だけを、馬鹿正直に、条文通りに解釈してしまうなら、「ツクヨミと戦う」ことそれ自体は、無謀ではあれど、けして禁忌ではない。
教皇と言う「存在そのもの」とは異なり、ツクヨミは「強さ」に「力」に与えられる称号。
戦いを挑み、打ち勝って「我こそ真のツクヨミたらん」と志す者は、正当な手続き、高位の誰かによる推挙、或いは当代のツクヨミの明確な落ち度。そういうものの前提の上に、いても良い。
それをなきが如きに粉砕し返り討って見せてこそ、ツクヨミの格と水準はさらに高まるであろう。
そういう、決して明文化されないこれまでの積み重ねというのは、確かに存在していた。
「せやけど……必要ない、思いますよ?
にっこりと穏やかな笑顔を見せて、少女は口にする。
「――たしかに、ウィッチも、外道に落ちた魔法つかいも、あたしの敵や」
その笑顔は、どこまでも上品で、行儀が良くて。
「ウィッチはころす、外道に落ちた魔法つかいもころす。ころすべきものを前にして即座にころすと決断できない腑抜けもころす。……けどあの子は、そのどれでもありませんのやろ」
花でも活けるような口ぶりのまま、そんな風に口にする。
「……やったら、ツクヨミさまとなんて、よぉしません。……わたしは、喧嘩嫌いですよって」
そして、そこまで言ってから。
「……それに、どの道わたしはツクヨミにはけしてなれませんさかいなぁ」
と、彼女は付け加える。
「……けど」
ほんの一呼吸の間をおいて、切り出す。
それを経て、彼女の纏う雰囲気が変わる。
雅やかな言葉遣いも、冗談めかした口ぶりも、笑顔も、何もかもがすっと消えて。
先ほどまでの、奥ゆかしい、手弱女と言う言葉そのものの、古都の令嬢然としたものから、代わって現れるのは――剥き出しの、研ぎ澄まされた刃のごときもの。
「けれど。もしも
――それは、ここ数年で、そうあるべしと望まれて教皇院に置かれることが定められた、新たな称号。
「一番強い魔法つかいにも、――〈ツクヨミ〉にも負けないくらい強く眩しくないといけないものが」
それは、
北天にありて輝く。別なる光。
「……
それが、彼女であるから。
「……そう」
「それにわたしは、あなたのお弟子ですから」
「……そう。頼もしいわ」
嵯峨かのんは、にこやかに頷き返し。
愛弟子に、一言、そう告げる。
「……でも、そうね。あの子は、とても優しいの」
師の言葉に、彼女は首を傾げる。
どちらが強い、と言う話をしていたのであろうに。
迅い、強い、勇猛である、技が鋭い、能力が多彩である。
そういうモノを出されるなら、判る。
しかし、優しい。とは。
「それは……わたしと、師と比べてしまったら、大概の魔法つかいはおやさしいでしょう」
――あり得ない。
他の要素によってならばいざ知らず。こともあろうに、自分が優しさによって後れを取ろうとは。
そうして彼女は、もう一度、紙片に映像として納められた、ツクヨミの戦いを、ウィッチ討伐を最初から目を通し。――ひとつ、気になることを見つける。
ツクヨミの隣に立つ、ひとりの青年。
どうも、あの青年がそばにいるときのツクヨミさまは、目に見えて動きがいいのである。
彼の身に危険が迫った時の斬撃の鋭さなど、目を見張るほどではないか。
そんな思いで、ふと問いかける。
「……あの男のひと、なに?」
ただの傍仕えの者か何か、と言うだけならば、別にいい。
途中まではそうだとばかり思っていた。
だが、そうではないのか。
「さあ?」
と悪戯っぽく、返される。
「ツクヨミさまの、
「さあ?」
重ねて訊いても、返ってくるのはそんな言葉ばかりで。
「……ふうん?」
「……真面目一辺倒で、男の子に興味なんてないのかと思とったけど」
「横合いからひょいと掻っ攫われでもしたら、どんな顔をするんやろねえ」
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