第五夜「ソードオブジワン」(Bパート)②
○
さて、ぼくは特に取り乱してはいない。
……いませんとも。
たかが、「くおんさんに、想いを寄せる男の子がいる」というのをちょっとばかり現実的に考えてみただけである。
喜ばしいことでこそあれ、ぼくが取り乱す要素など、なんらない。
びゃくやとの短いやり取りの後、廊下から室内に戻ろうとしたところで、件の戦部式が収めてあるトランクにけつまずき、盛大に指をぶつけて涙目になるというアクシデントはあったものの、それだけである。
……ぼくたちは、いったん甲坂・葵組と斎月・昴一郎組に別れ、別室でそれぞれ休憩を取っていた。
何分、ぼくたちもここまでの道のりは強行軍であったし、マモルくんは丸まるひと往復していることになるし、甲坂さんに至ってはこれまで半日近く不眠不休で、独力であの巨大なウィッチをこの島に押し留めるという荒行の後である。
半日くらいであればびゃくやが独力で甲坂さんの防壁を肩代わりできる、と言う事で、まずは体勢を整えることを優先する。
ぼくたちはひとまず、持ってきていたお弁当で、腹ごしらえをしていた。
昨晩作ったローストビーフがちょうどあったので、それをサンドイッチに、保温ポットの中にはスープを入れて持ってきたのだった。
せっかくなら、できればもっと、手をかけたものを召し上がってもらいたかったとは思うのだけど、この状況がそれを許してはくれなかった。
「……スープ、もう一杯いかがですか?」
「ええ、頂きます」
サンドイッチをちぎって肩の上のびゃくやに差し出しながら尋ねると、くおんさんは静かにそう答える。
「その、くおんさん」
「何でしょうか」
「……あはは……。良かったんですか、この部屋割で」
あの男の子たちと話したいこととか、あるんじゃないだろうか。
そう思い、何となくそう尋ねてみるが、
「……いいも悪いも。……この組み合わせが順当でしょう?」
と、クールに返された。
「それとも、昴一郎さんは男の子でまとまった方が良かったですか?」
とも。尋ねられる。
……違う、そうじゃない。
何か、意図が違って伝わっている
「……い、いえ」
一応ぼくはくおんさんに仕える立場だし、とか。もともとの組み合わせだし、間違ってはいないと思いますよ、とか。まあ、そんなことを、ぼくは戸惑いながら口にした。
「そういうことではなく。……ん、誰と誰を比較して、どちらが優っていると思うのか……どちらを昴一郎さんが希望するのか、ということです。……そこは、重要、です。その上で、昴一郎さんが向こうの部屋を希望するなら、……今からでも、部屋を替えてもらいます」
「え……いや、甲坂さんより、マモルくんより、くおんさんの方が、いいです」
……こ、こうか?
こういえば満足してもらえるのか?
「そうですか」
……ふふん、と鼻先でひとつ笑うくおんさん。
その調子はどこか、彼女には珍しく、得意げ、とでもいうべき気配が含まれていて。
……何だ、これは。
……勝ち誇られてしまっている? くおんさんに?
「……もしかして、たとえば、女の子のわたしには話しづらいことでもあるのですか。館の中で困っていることがあるとか」
「あ、そういうのはとくにないですね」
「では、やはり問題ありませんね」
ぼくの反応にくおんさんは一応意を得たと認識したようで、再び口をつぐんでしまう。
はてこれはどういうことであろう。
そう思いちらとびゃくやの方を見れば、いつも使っているノートは既に彼の足もとにあり、何事か書きつけたページを、嘴の先で示す。
――「あー、めんどくさい、こいつら心底めんどくさい」
と書いてあった。
それは、君がそう思う権利は確かにあるのだけど。
でも、思ってもけして文字にして残すな。
「……フん、大体、君は甲坂ツカサをそこまで買っていいノか?」
何かどんどん「ぼくが男子部屋に移りたがっている」という前提で話が進んでいるのですよ。
「そうですね、昴一郎さんは目を離すと心配ですから、あまり親しくもない男のひとには預けられません、我慢してくださいね」
「……嫁入り前の生娘ですかぼくは」
まあ確かに、この島に来る前に、マモルくんと一緒にはいたけど、あの時はびゃくやも一緒だったし、マモルくんはあまり戦闘能力が高いタイプではないらしいから、甲坂さんとは扱いが違うのかもしれない。
「くおん以外の魔法つかいハ皆、本質的ニは君の味方ではなヰ、忘れルなよ。ママのいいつケには従っテおけ」
だから、くおんさんはぼくのお母さんじゃないだろ。
とまあ、こういうぼくの諸事情に関する話というのは、くおんさんとびゃくや以外の前ではけしておおっぴらにはできない。
――そう、今のところぼくに対しても予想外に紳士的で友好的な甲坂さんであるものの、もしもぼくの体の状態がばれたら、その場で即、彼を敵に回すことになる。
それは絶対に避けたいところではある。
と改めて認識を整理していたところに、
「そレニだ、もシくおんが向こうの部屋を希望したラ、君はこの部屋で一人さびシク爆弾と一緒に過ごすんだネ、寂しいネ、悲しヰね」
被せてそんなことをびゃくやが言ってくる。
「……でもびゃくやはぼくとずっと一緒にいてくれるよね?」
「いヤ? わたしは基本的にくおんに随行すルヨ?」
何だとぉ、それじゃ寂しいじゃないかよぉ。
と、いつものようにびゃくやとやりあっていると、
「……ですから、そうする理由が、わたしにはわからないのですが」
憮然とした顔で、くおんさんがそう言っていた。
「……浮かない顔、ですね」
それはおそらく、今話しているこの話題の内容によるものだけでは、ないようで。
「……そう、でしょうか」
「やっぱり、この島のこと、ですか?」
くおんさんは、こくんと小さく頷いた。
……くおんさんは、並はずれて責任感が強く、己の職務に対する気構えも堅いのである。
そもそも今日ここには魔法つかいとして戦いに来ている。例えちょっと気になる男子がいたくらいで、うつつを抜かしてはいられないだろう。
うん、くおんさんってそういうひとだしな。
ぼくも、そちらに気持ちを切り替えねばなるまい。
「この前はできたことが、今度はできないかもしれません」
ぽつりと、くおんさんが呟いた。
確かに、状況はこの前よりもなお悪いのかもしれない。
現状を振り返ってみれば、まず、今、この島を勢力下においている薔薇のウィッチは、……贔屓目に見ても、過日の蛞蝓よりもさらなる難敵だろう。
「……でも、今回は、くおんさんだけというわけではないし」
さきほどまで目にした、甲坂さんの実力の程は、十分に頼りになるだろう。
「うム……甲坂ツカサは、133代ツクヨミ候補に名前が挙がッタほどの男だ」
「そうなのか?」
二つの意味で、驚いた。
まず、事前に予想していたよりもさらに上の、甲坂さんの実力者ぶり。
それならば、確かにこの事態を途中まで単独で任されていたことも道理だし、ある程度くおんさんとも対等にモノも言えるだろう。肩を並べて戦えもするだろう。
そして、短期間とはいえ、その代役を務められるっていうのは、びゃくやも結構大したものなのではないだろうか。
「……もしかして、びゃくやって結構すごいのか?」
「今さら何ヲ言っていル」
こつん、と、軽くクチバシがぼくの額に降り注いだ。
「……ダが今回は、正直、結構、きツイ。……だから、今回はアんまり君のことかマってやれないかラナ」
何だよ、構ってあげるってのは。
「昴一郎さん」
ちょっと脱線しそうになっていたぼくに、くおんさんがぽつりと声をかけた。
「……ん、その、あの薔薇のウィッチですが、勝てない相手、と言う事は、ありません。わたしでも、甲坂さんでも、まともに、当たり前の正面からの勝負に持ち込めれば、まず倒すことはできます。……だけど」
「……横から邪魔してきた奴っていうのも、気にかかりますよね」
甲坂さんの戦闘の真っ最中に攻撃を加えてきた。
少なくとも、明確に甲坂さんを、すなわちウィッチと戦う魔法つかいを、教皇院を狙って仕掛けてきた。
そこは、間違いなさそうである。
そして、ならばそれは通常の相手ではありえない。
まず第一に、魔法つかいか、それによって何らかの術を講じられた者でなければ、ウィッチを視認することができないのだから。
……人間と、魔法つかいと、ウィッチの戦いは、古くから続いているという。
それを知っていて、なお、人間に対する敵性存在であるウィッチと戦う魔法つかいを、敵と定めてくる勢力。
そういうものの存在を、これまで一片も疑わなかったというわけではないのだけれど。
「そういうことをしてくる奴の心当たりとかは、ないんですか?」
「……昴一郎さんには、知っておいてもらった方がいいかもしれません」
尋ねたぼくに、……これは少し意外なことに、くおんさんから切り出した。
ちらと見たが、びゃくやがくおんさんを制止することもない。
どうやら、それはどちらにとっても、ぼくが知ってもいいこと。
そしてこの状況下において、知っておいた方がいいこと、のようである。
「教皇院には〈敵〉が存在します」
「……それって……」
「――〈
それがどういった性質の集団なのか、敵対の原因はどういったものなのか、……そして何よりも、いったいどういう理由でこの状況で仕掛けてくると思われるのか、聞きたいことはいくらでもあったけれど、
「その名前を戦いの場で聴いたら、例えどんな状況であっても、あらゆる手段を講じて、わたしのところに、わたしの護れる範囲に戻ってきてください。」
先んじて、それだけを告げられる。
どうやら今の段階でぼくに伝えることができるのはその〈火神帝國〉には気をつけろ、ということのみ、のようである。
しかし、こういっては何だが、それだけではいざその状況が現実のものになった場合、ぼくに対処できる選択肢がほとんどないという問題がある。
「それが難しい時は……わたしを、呼んでください」
「……そうすると、どうなるんですか」
「わたしが駆けつけてあなたを護ります」
きっぱりと、くおんさんがそう口にした。
くおんさんはけして、根拠もなしに〈強い〉言葉を口にすることはしないのである。
そんな彼女が言うなら、……本当に、くおんさんは〈呼べば来る〉のだろう。
少しの沈黙の後、
「……いけません、ね」
と、くおんさんは言った。ぼくをではなく、自分を叱りつけるような気配があった。
「今、ちょっと邪念が入っています。……もう一度、この前のようなことができれば。――この島を無傷で取り戻せれば、あなたに、喜んでもらえるのかな。って、思ってしまいました」
「……くおんさんがそう思うことは、多分、立派なことなんだろうと思います。……だけど」
そこまで言って、どう続けたものか、言葉に詰まった。
〈慟哭は総てを裁く〉。は、ある程度通じるだろうし、周囲への影響を抑えながら戦うこともできるかもしれない。
だけど、先日の〈コラープス〉戦でそうであったように、あれは届いてから効果を発揮するまでに時間差が生じるし、完全に全体が崩壊するまでの間、のた打ち回って苦しませることになる。
この島全体をウィッチがすっぽり丸ごと覆い尽くしてしまうばかりに蔓延って、もはや島自体がウィッチと重なり合っているような状態の今。
ぼくにはあの薔薇の怪異を根こそぎにできるほどの破壊力が顕現したときに、この島と、無人の街並みが無事でいられるとは思えるほど楽観的にはなれなかった。
それに、――いまさら護ったところでどうなる。というのもある。
「……そレニ、この辺りは、昔から色々、あっただロう?」
苦々しげな口調で、びゃくやが言った。
この辺り、と彼が称した地域。
少なくとも、九州からさらに本土を離れた、この島を含めての群島地域と、少し沖にある「本島」。
――いわばそれは、このくにの歴史上の、汚点。
近代において、この20世紀の終わりまでに、唯一、二度地上戦の舞台となった場所である。
今からおよそ50年程前と……それから、20年前。この島々は人間の手によって、人間同士の、それも二度目に至っては同じ国の人間が、それぞれに正統性を主張しての戦いで滅茶苦茶にされた。
産業の発展が滞っていたのも、災害対策が十分になされていなかったことも、まあ、その後遺症であるとも言えるだろう。
……結論から言ってしまえば、くおんさんがそうしたいとどれだけ望んだところで、この島を救うことは、もう、不可能だ。
今日一日、破壊を免れたところで、本土から遠く離れたこの島が、在りし日のように住民に愛され、活気を取り戻し、希望に満ちた日々と、ひとの営みの場となることは、おそらく、もうない。
それを真にのぞむなら、それこそ、何十年も時間を遡って、そこからやり直さなくてはならないだろう。
この島がこうしてかくのごとく荒れ果て、ウィッチの蔓延る土地と成り果てたのはその最終的な結果であり。直接この島を殺したのは、災害でも、ウィッチでもない。
この島は、社会の多数の運営に、やむをえない、と切り捨てられた。
そしてどうやら、この島の人々は、……少なくとも、それに勝てなかった。
「助けを求めるひとびと」なら、正義のヒロインが救えるのかもしれない。
奇跡だって、起こせるのかもしれない。
だけど、もうこの場所には、救いを求めて手を伸ばす人すらもういなくて。
だから、――
自分はそれを誰よりも身に染みて判っていなければいけない、とも思うし。
自分だけは、それを判ってしまってはいけないのではないかとも、同時に思う。
……最悪の場合、腹を括るとしようか。
「くおんさんがどんな選択をしても、ぼくはそれを支持します」
それだけを言うのが、ぼくには精一杯だった
○
そうして少し休憩を取ったのち、くおんさんは、先行して外へ出ることになった。
目的は、この島を覆う蔦の除去。
そして、それらを這わせている幹、節となっている部分を破壊することによって、〈本体〉をおびき出すこと。
ぼく、マモルくん、甲坂さんは、ここに残って待機。である。
これまでのウィッチとの戦闘とは状況が異なる。
現在びゃくやが肩代わりしている防壁があるとは言えど、〈第三者〉が明確に知性と敵意を持っていて、その動向がさっぱり判らない以上、どのような方法で攻撃してくるかわからないし、潜り抜けられることもありうる。
ぼくなり、マモルくんなりが人質に取られる、なんてことがあってもまずい。――というのが理由だった。
くおんさんが別行動というのは心細いが、ソレに関しては
「単独での速度と機動性ではわたしの方が勝っています」
とまあ、そういうことであった。
「君はいいのか?」
とびゃくやに尋ねても、
「私は防壁維持せネバなラんだろう。戦力トシての私は……あクマで〈外付けの追加武装〉に過ぎん。…「戦い方が異なる」ことはあっても、わたしのいないくおんが〈弱い〉と言う事はない、そう心得タマエ」
と、返されるが、やはり不安が残る。
なお、くおんさんは、自分と同じ戦闘能力をもった分身を数体同時に作り上げ、集団を成して戦う、なんてこともして見せたことがあって、アレを応用できないかとも思ったけど、
「……アレは「歴史の部分分岐」を応用した、ほんの数秒、同じ人間が右にいても左にいてもそう大した違いはないという考え方を基にした魔法ですから、あまり遠くに離れることができません、それに、長時間の維持もできません」
……まあ、ぼくの思いつく程度のことは、くおんさんも当然思いつくわけで。
そう言えば、ウィッチの証となる、あの赤い発光器官。
……今回あれをまだ、ぼくは目にしていない。
狗戒さんのときのネズミは、無数の群体すべてがあれを宿していた。
今回は、茨蔦の太い箇所、恐らくは重要機関と思われる部位にもそれが伺えず、どれだけ野放図に島中に蔓延っているとしても、実際には一体であるということになる。
どう戦うにしても、まずは本体をおびき出して、アレを露出させないといけない。
戦法としては、結局それに尽きる。
「……と、それは判りましたけど、」
疑問に思って、尋ねてみる。
「おびき出すことに成功したとして…直接挑む、というか、決戦を仕掛ける場所は、どこになるんですか?」
その問いに対する、くおんさんの答えは、
「ここです。……ここで迎え撃ちます」
というものだった。
改めて、幾度も、幾度も、念を押すように、甲坂さんに、ぼくのことをよろしく頼むと頼み込んでから、くおんさんは、曇天の下へと走り出して行った。
○
「少し、俺と話をしませんか?」
甲坂さんがぼくにそう声をかけてくれたのは、くおんさんの姿が見えなくなって少ししてからの事だった。
返事を待ちながら、卓の上に白い紙を広げ、上着のポケットから懐中筆を取り出すと、一度手首で振るった。
飛び散った墨は、紙の上に広がり、染み渡り、その濃淡で何物かを描いてゆく。
折線と曲線で編まれたそれは、ここに来る前に見せてもらった、この島の見取り図となっていった。
そうしてそれは、島の外景をなしたかと思うと、目の前ですっと立ち上がる。
つまり、平面に描かれた水墨画が3Dで浮かび上がったような形、である。
ついで甲坂さんは、もう一本、朱色の筆を取り出し、もう一度墨を散らす。
今度の朱色は、黒の濃淡で描かれた島の画像の表面に走り、網目状に蔓延ってゆく。
どうやらこちらは、ローズウィッチの蔦を表しているらしい。
「マモルに作ってもらいました。もしも、俺たち以外にこの島で活動している物がいれば、これに表示されます……ああ、コレがツクヨミさまです」
そう言って、立体画像の上に透き通ったガラス玉を置く。
それは縦横に軌道を変えながら、朱色で描かれたウィッチの節を標的として高速で移動を開始する。 ガラス玉が接触すると、朱色の網目は弾けるように斬り散らされ、画像の上から姿を消した。
どうやら、くおんさんが戦闘を開始したということらしい。
「……ぼくで足りるようなことでしたら」
と、応じ、隣の椅子に腰を下ろす。
現状、未だ多少の疲労の色は残っているにせよ、彼はこの場においての最高戦力である。
もしも、びゃくやの多重防壁を突破して、件の「第三者」が仕掛けてきたら、彼に戦ってもらわなければならない。
……であると同時に、ぼくがこの人にあまり気を許すわけにはいかないから、距離の取り方には気を付けなければならない。
いや、あくまでぼくの身体の事情があるが故であって、くおんさんは関係ないのだが。
と、そう胸中でごちていたら、甲坂さんの方から。
「……あなたの個人的なことには立ち入りませんよ」
と、先んじてラインを引かれる。
「あれこれ詮索されると思いましたか」
「まあ、少し」
「あなたはツクヨミさまに仕える身ですから、気にならないと言えばうそになりますが、それは何があろうとあの方の裁量ですし」
短く刈った髪の、こめかみ辺りを指でかきながら、大人びた、落ち着いた口調でそう言って
「それに、マモルがあなたをいいひとと言ったのを、俺は信じようと思います」
と、甲坂さんは付け加える。
……器が大きいじゃないか、甲坂ツカサ。
腕も立つし、頭も切れる、ハンサムで見識も高い。家柄も良いと言う話だし、さぞ女の子にももてるだろう。
そういえばこのひと幾つなんだ。
ぼくよりは年上に見えるけど。
「あなたは、現状もっともツクヨミさまと親しい男ですから、もしかしたらご存知かもと思って」
あれこれ思考をめぐらすぼくに、甲坂さんが言葉を選びながら切り出した。
「もちろん、言いたくないと判断するようなことであれば、答えなくても構いませんよ」
お、なんでしょう、くおんさんにも関係ある事か? 若干身構える。
「ツクヨミさまの剣を、間近に見たことはありますか?」
それはつまり、くおんさんの愛剣。
ツクヨミノ剣――のことであるらしい。
少し、拍子抜けである。
くおんさんのことではなく、その愛刀の方に関心があるとは。
「まあ、何度かは」
その持ち主であるところのくおんさんの手に収まった時の、その武器としての高威力、高性能ぶり。
あの美しい刃の輝き。冷え冷えとした凄み。
さほど知識のないぼくでもそれと判る、〈大業物〉の風格。
教皇院最高の実力者、ツクヨミの持つ一刀としてふさわしい、素晴らしいものであることは見て感じるが、良く考えたらそれ以上の事は特に知らないのであった。
「何か、気付いたことは?」
「まあ、綺麗なものだとしか……」
「……何でも、あれは〈
……不勉強にして、それすら今知った。
「……なるほど、じゃあ、この世に二振りとありませんよね」
それに、何かあって破損でもしたら修復の手段とてあるまい。
聞けば、並みの日本刀は折れるし曲がるし人ひとり切ったらメンテが必要になると言う話だが、これまでくおんさんがいちいちそんなことをしている姿にお目にかかったことがない。
まさしく、名前の通り、おとぎ話に出てくる聖なる剣そのものの。「月の神さまの剣」――である。
「ですから、それが気になっていたもので」
「と、いうのは?」
「……単に対ウィッチ戦闘を想定する「だけ」なら、ウィッチを切り裂く「だけ」なら、腕のいい職人に頼むなりして、魔法つかいが適切に運用すれば、たたら鉄の刀でも、折れも欠けもせずウィッチは切り裂けます。先端科学で生み出された特殊金属でも、使うものが使えば、有効打になるでしょう。そういう研究もされています」
そこで一度言葉を切り、甲坂さんは首から下げていた銀のチェーンの先端、鏃のような小さな金属片を手に取って、
「俺の使ってる物も、こんな感じです」
手首を軽く振るうと、それが瞬時に長剣へと姿を変えるのを、ぼくに見せた。
「……じゃあ、何もあそこまで鋭くなくても、強靭でなくてもいいはずってことですか?」
「……オーバースペックなんです。……何のために、あんなものを持たせる必要があるんだろう? と思いまして。権威づけの為だけにそこまでするとも、思えませんし」
と、甲坂さんは言った。
「確かに、ツクヨミさまの手にする武器です。優れたものであって悪いことはひとつもないのですが……」
何だか、これまで散々考えて、その上で答えが出なかった、という様子だった。
……まあ確かに、ぼくも疑問に思うことがなかったわけではない。
何故、くおんさんが、教皇院最強の魔法つかいが〈剣〉なのか、である。
自在に空を飛び、超高速で駆け、己の分身を作りだし、大地を返し、大気を震わせる魔法つかいが。なぜ、剣を手にして接近戦を挑む、なんてことをメインの戦闘スタイルにしているのか。
それにそもそも〈刀剣〉は、およそ個人用の手持ち武器としては、些か特異な存在である。
……そう、以前に父から聞いたことがある。
たとえば、「弓矢」はわかる。「槍」もわかる。「斧」も「鎌」もまあわかる。
それらは皆、狩りや漁や、農作業に用いる道具の延長だ。
「剣」は、「刀」は違う。
成立経緯が、それらとは全く異なる。
最初から、同じく四肢を持ち、同じく手に得物を携え、立ち向かってくる相手。
つまり、同じ人間に向けるために作られたものが、「剣」であり、「刀」だ。
それも、あくまで武器としての有用性としては、いかに名匠の作による優れたものだろうと「槍」や「弓矢」や「石礫」に一歩も二歩も譲る。
下手に腕自慢が戦場で名刀など持ち歩けば、格好の的になり、寄って集って雑兵に突き殺され、射殺されるのみ。というものなのだそうだ。
故に武具として、戦場の主役だった時代は一度もない。……にも関わらず、闘争と武力の象徴となりうるそれ。
だが、金属の加工すら困難であり、ごく少数の技術者の占有が、大国の国力においてのみ為せる業であった時代においては、「刀身全てを鋼鉄で拵えられた剣」はそれだけで特別だったろう。
それらを鍛造することを可能とする、絶大な技術と国力の証となっただろう。
腰に鋼鉄の剣を佩いた王者は、特別な存在なり得ただろう。
――実際には何ら特別な神通力などなくても、存在していることで国家の権力と正統性とを証明しうる、神器、祭器。
神の剣、聖なる剣なんてものがあったら、それはそういうもののことであろう。
そんなことを、つらつらと考える。
たった今聞いた、くおんさんの愛剣の来歴は、そういった理屈の埒外を行くものであるのかもしれないけど。
「まあ、くおんさんや甲坂さんが全力で振るっただけで折れちゃうようじゃ役に立たないでしょうし」
雑兵の手にある大層な来歴の刀は、ただの刀以上の力はもたないだろうが、偉人とか英雄とか言われるひとの手にしたただの刀は、そこから逆算されて特別な刀だったことになるかもしれない。……途中で損耗しなければ。の話である。
「……あ、案外、スポンサーから、ちゃんと画面に映るように使ってくれって頼まれてるんだったりして」
冗談めかしてそんなことを口にした。
ああ、ひとつ例外を思い出した。
――「テレビの中のヒーローが使っている剣」ならば、子供は憧れ、同じのを欲しがるだろう。
子供の目に映る世界の中で、玩具の剣は光り輝き、唸りをあげるだろう。
「……それは俺も考えませんでしたね……いう時はいうじゃないですか」
言って、甲坂さんは苦笑する。
「……っと、見てください」
指差した、卓の上、薄墨の濃淡で表され、朱色でウィッチの状態を表示された島の全景図を、甲坂さんが示した。
「さすがツクヨミさま、手が早い」
島の各所に這っていた、ウィッチの経管が、目に見えて数を減じていた。
くおんさんが、島の各所で、節となる部分を斬り倒して回っているのが見て取れた。
このままならば、ものの数分で、茨蔦の節部分を失い、ローズウィッチは本体を表さざるを得なくなる。……はずだ。
そうすれば、くおんさんがこの役所に追い込んでくる手はずになっている。
決戦は、近い。
「……まあ、俺はともかく、ツクヨミさまの方は、アレが全力……というわけではないと思います」
甲坂さんは肩をすくめた。
「ツクヨミさまの〈六道〉を、ご覧になったことは?」
――六道。
一応その言葉は、くおんさんから以前にも教わっていた。
教皇院における慣例として、高位の魔法つかいの手による魔法は、おおよそ六通りで分類される、ということらしい。
たとえばひとつ、狗戒さんが使っていた、獣の欲求に直結する願いから生まれる、畜生道。
たとえばひとつ、最も外敵との戦闘に特化した。戦い、闘争と言うものに関わる願いが生み出す、修羅道。
たとえばひとつ、高邁な理想や信条から生じる。空間や概念に干渉する、天上道。
そして――苦痛や憎悪、無念の思いを燃料として生まれる、地獄道。
寡聞にして、人間道と、餓鬼道というのを、まだ聞かないわけだけど。
「ちなみに俺は天上道です」
ああ、いかにもそんな感じだ。
「ない、と思います」
と、答える。
殊更その点を話題にすることもなかったし、くおんさんが戦いの中でその言葉を口にすることはなかった。
「甲坂さんは」
「……ああ、ツカサ、で結構です」
それでいいのなら、と、彼の名を改めて呼んでみる。
「…ツカサさんは? あなたの方が、見る機会はあったのではないですか」
と、尋ね返す。
「……以前に一度、共闘することになったことがあるのですが。……ああ、その時は、山奥でした」
困ったように眉を顰め、ツカサさんは述懐する。
「俺が現場に着いた時には、もう戦いは終わっていて」
その口調には、どこか、恐ろしいものを目にしたことをそっと打ち明ける様な気配があった。
「……地面がごっそり、抉ったように、……いや、剣で切り裂いたみたいに、ウィッチごとなくなっていました」
……これまでぼくが見てきたくおんさんの攻撃手段で、大規模破壊に適したものと言ったら〈慟哭は総てを裁く〉だが、アレはそもそもが標的「だけ」を選別して破壊できるというのが身上だ。
後は「地面ひっくり返すやつ」というのもあるが、それにしたって〝CJA〟に繋ぐための準備段階という色合いが近い。
それにくおんさんは、基本的に、戦いに大量の熱と爆風をまき散らし、大規模かつ無差別の破壊を伴うことをあまりよしとしない。
確かに、くおんさんはいわば全局面対応型のオールラウンダーだ。
だが、本来の資質としては、どちらかと言えば、「精密性」にこそ特化しているのではないか。というのがぼくの今のところの印象である。
そのくおんさんが、力任せに山肌をごっそり削るようなことをやってのけたということは……。
そうする以外にどうしようもない、そういう事態だったであろうということ。
そして……既にしてあれだけ強いというのに、くおんさんは、まだ何か隠し持っている。
そういうことに、なってしまう。
答えに窮して口をつぐむ。
何となく、無言のままツカサさんと顔を見合わせた。
○
一度会話を切って、しばし、沈黙の中で、卓の上の立体画像に腕組みをして向き合っていたツカサさんが、ぽつりと口を開いた。
「……どうも、厭な胸騒ぎが収まりません」
表示された島の全景図の上で移動するガラス玉は、光を放ちながら、一度たりとも朱色で表示されたウィッチの棘や咢を受けることなく、一撃離脱を繰り返して茨蔦を危なげなく駆除してゆく。
ここまでは、計画通り。これ以上蔦と根を失えば全体の生命活動に支障を来たすと言うところまで追い込まれれば、いかに大型のウィッチであろうと直接本体が動かざるを得ないはず、である。
「……例えば、あなただったらどうしますか?」
と、ツカサさんはぼくに問いかけた。
「……ぼくならまあ、そうですね」
思考を巡らせ、思いついたことを口にしてみる。
「この配置を崩させる。逆にぼくたちを、ここから動かそうとする。……動かずにはいられないように仕向ける……かな」
「まあ、確かに今そうされたら、まずいですね」
例えば、そのパターンとして考えられるのが、件の「第三者」に、人質でも取られることなのだが。
……たった今、その、まずいことになった。
「ツカサくん!大変だ!」
あわてた声と共に、マモルくんが、部屋に駆け込んできた。
「どうした、マモル」
「外視て、外!」
彼の指差すのに従い、ぼく達は窓辺に駆けより、外の様子を伺う。
「……生き残りがいる」
崩れかかった民家の、そのすぐ脇。
小さな人影が横たわっていた。
薄衣1枚を纏っただけの、生白い肌が見えて、
花が、真紅の薔薇の花が。その周囲を取り巻いていた。
鮮やかに赤い花弁の中で、か細い手足と、血の気の失せたような白い肌の色が、目についた。
「……女の子、だよね」
と、マモルくんの、震える声。
「ぼくが」
頭の中で誰かが叫ぶ
何やってるんだ逃げろ。
余計なことを考えるな、しようとするな。
そこの色男の陰に隠れてろ。お前にできることなんかそれだけだ。
そんな声が響き続けて、止まらない。
それはおそらく、生物としての、もっとも根源的な、死にたくない、生存していたい。危険から身を遠ざけたいという欲求から来る叫び。
だけど……
生理と感情がそうであっても、理性が付いてこない。
あの子を見捨てられる、見捨てていい理由が、思いつかない。
「甲坂さん、ぼくが行きます」
ぼくに、大層な信念はない。
矜持とか、意地とか、それほど大げさなものではなかった。
思えばいつもそうだ。
くおんさんに助けてもらったあの時から、それは何も変わっていない。
今はそうすべき場所、そうすべき時、そんな風に考えていた。
「ぼくが、行ってきます」
少し考え込むように間をおいて、ため息をつくようにしてから、
「あの茨蔦……ウィッチは、まず、俺やツクヨミさまを、おそらく、攻撃してくるもの、およそ脅威度の高い物を狙って攻撃してきます。」
ツカサさんは、そう切り出した。
それは、おそらく彼にとっても、できることなら避けたい、苦渋の決断であるのだと、伺える様子だった。
「ついで、――もしも開いていれば、おそらくこいつを優先的に」
言って、指で示したのは、胸元のポケットに収めた、金属の筒。
「それから、激しく動くものを。……つまり、標的としてのこの場での順位は、まず俺、それからびゃくや、マモル。……だから、あなたが」
「ぼくが、もっとも適任、そうでしょう?」
この状況で、もっともウィッチにとって脅威ではない、恐れるに足らない存在。
それがこのぼく、御剣昴一郎だ。
「駄目だよ、昴一郎さん!」
マモルくんが叫んだ。
「昴一郎さんは……普通のひとじゃないか!」
「……でも、ぼくは、斎月家の人間だしさ」
何かの罠であるとしたら、それこそこの場で失う訳にはいかないのは、ツカサさん、びゃくや、マモルくんだ。
ここで何もしないようなら、それこそ、ぼくが、くおんさんの家人としてここにきている意味が何もなくなる。
「それに、君よりはお兄さんだしな」
言って、ぽんと掌を彼の頭に被せた。
「……できるだけ、石垣に隠れて、できるだけ身を伏せて、小さく屈んで、這いずるように、あの子のところまで」
感情を押し殺したような声で、ツカサさんが言った。
「あそこまで行ってくれさえすれば、俺とマモルが何とかします」
「わかった、信じます」
役所の通用口から、そろりと外に出た。
すっかり外は暗くなっており、降り注ぐ稲光が時折まばゆく光るのみ。
すこしずつ、すこしずつ、じりじりと進む。
脳内に、……以前同様首筋に打ち込んでもらった端末から、びゃくやの声が響く。
「君はまタそういうことヲ!」
「……悪いね」
「くおん二もこのことは伝えテオくぞ!今回は肉料理でハおさまラント思え!」
「あんまり怒らないように言っておいてよ」
我ながら余裕がなくて、減らず口にもキレがない。
今や、島のあちこちで、根を、蔦を断ち切られている最中。
迎撃に精一杯で、片手間に食事をしている余裕はないはず。
……というツカサさんの分析が正しい事を祈ってはいるが、こうしていながらも恐怖で歯の根が合わない。
「――ッ!」
まばゆい電光に、目が眩む。
ダメージ覚悟で防壁に突っ込んできた数本の茨蔦が、電撃で焼かれ、炭化するのが見えた。
目指すものを、もう一度見やる。
役所の門のすぐ傍。
素肌に、薄い襤褸を纏った、小さな女の子。
思い切って走ってしまえば10秒足らずで着くだろうが、それは流石に博打に過ぎた。
一歩一歩、地道に、距離を縮めて行くしかない。
……そして、やがてそこにたどり着く。
「いいぞ、びゃくや」
一瞬だけ、防壁を解除。
手を伸ばして、手を伸ばして、手を伸ばして……
その掌が、小さな指先に、触れた。
「ツカサさん、頼むっ――」
両手でしっかりと、女の子を抱え、声を送った。
「マモルッ!」
「了解――〈立ち込めろ、ぼくの霧〉」
刹那、ぼくを取り囲むように、濃厚な霞が発生した。
数メートル先すら見えないような、ミルクを流したみたいな濃霧。
そうかこれが、マモルくんの魔法か。
この霧に身を隠せと言うことか、とおもった矢先。
「昴一郎さんっ!」
端末の向こう、ではなく、物理的にすぐ傍で、少年の声が聞こえた。
「掴まって!」
差し出される手を掴み返す。
「ぼくの魔法。……この霧の中でだけ、「モノを一瞬で移動させる」ことが出来る。……ツカサくんのところまで、飛びます!」
頷き返し、わずか一瞬、目が眩んだ。
わずかの平衡感覚の揺らぎと、足元から地面が焼失したかのような感覚のあと、再び重力が戻ってくる。
霧が晴れ、目の前に広がる光景は……役所の中ではなく、まだ入り口まで十メートルほどの位置。
「……っ?まだ、外か?」
「ごめん……意識のある人間って、……思ったより、重いっ!」
「マモルくん?……大丈夫か!」
よく判らないが……瞬間移動の目算を誤ったらしい。
ぼくたちはまだ、屋外に取り残されていた。
「マモルくん、もう一回……!」
「ごめん……もう、無理」
マモルくんは、膝を着き、崩れ落ちていた。
元から色白だった顔は真っ青になっており、はく息も荒い。
「びゃくや、防壁!」
「いかン!間にアワな…!」
マモルくんと、女の子。
――二人を両脇に抱えたぼくの目の前まで、もう。
もう、数本の大顎が、迫っていた。
小さな二人をぎゅっと抱きかかえ、背中を丸めて蹲る。
不思議に、目は瞑らなかった。
だから、それを見ることが出来た。
空を裂く音と共に、押し寄せる茨蔦の群れを、飛来したものが粉々に砕くのを。
くおんさんの聖剣ではない。
ツカサさんの雷撃でもない。
放たれたそれは、先端に大ぶりな鏃を備えた、矢の形をしていた。
ぼくと、マモルくん。
ふたり、呆然と目を向ける。
小高い丘の上に一人立つ。
弓を担いだ、鎧武者の姿があった。
鎧武者、である。
この時代に、とも思ったが、目の前に薔薇の化け物がいて、懐に魔法つかいが居る以上、そう突飛な存在とも思えなかった。
どうやら、たった今、ぼくたちに襲い掛かった茨蔦の群れを一矢のもとに砕いて捨てたのは、彼の為す所だったらしい。
兜の下の顔は獣のソレを模した面頬で覆われて伺えず、長身の、逞しくしなやかな体躯は、獅子と荒鷲の意匠を持つ、黒い甲冑に覆われていた。
「なに……?」
「助けて……くれた……のか?」
とっさに、「彼」に声をかけ、謝意など伝えようとする。
が、それは叶わなかった。
「彼」は、それを受けるつもりはないと言うかのように、無言のまま踵を返し、背を向けて、その背中に折りたたんでいた鎧の翼を広げ、大柄な体格を宙に舞わせると、一瞬で視界に収まる距離から遠ざかって行ってしまった。
「……昴一郎さん! こっちです!」
呆然とそれを見送っていたぼくに、再び声がかけられる。
ツカサさんが、目の前まで駆け寄ってきていた。
ぼくを含めて三人を抱えて、彼は再度走り出す。
……ぼくが恐怖に慄きながら、数分間かけた距離を、ぼくと、マモルくんと、女の子を抱えてツカサさんが駆け抜けるのに、ものの数秒しかかからなかった。
襲い掛かる茨蔦をツカサさんが雷光で砕きながら、役所の通用口のところまでたどり着いて、防壁を再度展開したところで、ぼくはへたり込む。
「……肝を冷やしました。あなたに何かあれば俺がツクヨミさまに叱られてしまいます」
「……どうも、心配かけました」
「マモル、おまえも大丈夫か、……無理をさせてすまなかった」
と、ツカサさんはマモルくんに声をかける。
そう、彼が心配でならないのはむしろこの少年の方ではあるまいか。
「ごめん…ごめん、ツカサくん、ごめん、昴一郎さん、意識のないものだったら運べるんだけど、意識がある人間を運ぶのって、大変で……」
未だ血色の戻らない顔で詫びるマモルくんを責める気には到底なれず、
「……いいよ、ぼくだけだったら、あそこまでだって行けなかったし、そんなになっちゃうくらい大変な事、ぼくの為にしてくれたんだろ?」
と、返す。
「歩けるな? マモル」
と、ツカサさんが短く声をかけ。
「……うん!」
と、マモルくんが応じる。
二人のやりとりはそれだけだった。
……もっとこう、ツカサさんが気が気ではない様子を見せるかとも思ったが、どうもこの二人の結びつきというのもどこか特殊な所があるらしい。
と、ツカサさんは振り返り、
「……さあ、あなたも、立って」
言って、ぼくに手を差し伸べる。
「……いや、あなたは、弱いな」
どこか困ったような声で、ツカサさんはそう言った。
迷わず、答える。
「――ああ、ぼくは、弱い」
口先でどれだけ立派なことを言っても、実際できることはこの程度。
未だ恐怖心で震えは止まらず、心臓の脈も収まらないありさまだ。
なのに、ツカサさんは、
「感服しました、俺は、決して、あなたには勝てないだろう」
――と、不思議なことを言うのだった。
〇
ひとまず、防壁は再度展開できた。
一度役所の中に戻り、くおんさんと連絡を取って……
そういう流れだった。が――
「――ッ! マモルッ!」
鋭い声をあげ、ツカサさんが、叫ぶ。
さっきまでの、穏やかな雰囲気も今はない。
抜き身の刃のような戦意、空中に細かく散る細電。
――一目でわかる、臨戦態勢。である。
「昴一郎さんを連れて下がれ!」
そうして、同時に全身を苛むように感じる、向けられる悪意、敵意、――殺意。
それは――
門柱の脇に立つ、小柄な陰から、放たれていた。
「……見つけたぞ、槍使いッ!」
その姿を認めるや、甲坂さんが気勢を放つ。
「雷流・甲坂ツカサであるッ!」
名乗りと共に、甲坂さんの全身を眩い雷電が覆った。
そしてその閃光が形為すかのようにして、軍装のような厳めしい装束が姿を見せる。
「先刻の狼藉、憶えたるかッ!」
叩きつける気迫、突きつける長剣の切っ先。
対する黒衣の槍兵は、一言も言葉を返すことなく。
くぐもった声で、ぼそりと呟く。
「――地獄道」
「何っ!?」
「――
感情のこもらぬようで、その実、黒々とした情念をそのまま吐き出すような声で、そう告げた。――その、刹那。
何もかもが、上書きされてゆく。
大気の
世界が、何者かに蝕まれてゆく。
その感覚は、以前に味わった、狗戒さんの
「……火神帝國・九大騎士のひとり。第五騎士〝牙将〟山本勘助である」
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