第五夜「ソードオブジワン」(Bパート)①
○
軽く拍子抜けしてしまうほどスムーズに、ぼくたちは虎口を脱していた。
四方八方から襲い掛かる深緑の茨蔦の大群を打ち砕き、進路をクリアにするのは、くおんさんの放つ光の戦輪と、休みなく降り注ぐ雷挺。
くおんさんは特にびゃくやによる形態変化を駆使することもなく、片手に握った聖剣を縦横に振るいながら、光輪と稲妻を潜り抜けた茨を斬り伏せてゆく。
なおこの際、剣を左右の手に生み出すなどのこともしていない。
これは別に余裕や慢心ではなく、常に片手は空けておけるように戦うことが最も状況に適していると判断した結果の上でのことのようだった。
光輪と雷挺が作ってくれる道を駆け抜けて、事前に定めていた合流地点まで進んでゆく。
そして、……明らかに薔薇たちは、ぼくたちに対して手出しを差し控えている。
遅れそうになってしまった時、時折くおんさんが攻撃の手を休めぼくの手を引いて走ってくれる以外は、常人に毛が生えた程度の身体能力のぼくと、どういうわけかぼくとさほど変わらないほどの速度で並走しているマモルくんが、足を取られることもなくいられる辺りから、それが伺える。
やろうと思えば先ほどのように、物量で攻めてくるという手も使えるだろうに、である。
くおんさんと、そして合流地点にいるという甲坂ツカサ氏との交戦の結果、魔法つかいが容易ならざる相手であると判断したとでもいうのか、そこには、「警戒」「慎重さ」とでもいうべきものが感じられる。
ということは、それ相応の知能の持ち主であり、油断ならないウィッチということでもある。
向こうもうかつに攻めかかってくるのを謹んでいるかもしれないが、かもしれないが、こちらも合流し、甲坂氏の安否の程度を確認するまでは戦術の立てようがなかった。
逆にありがたいのは、この雷の勢いにより、ここに来たそもそもの目的である当の甲坂ツカサ氏、マモルくんの言うところのツカサくんがひとまずは健在であるというのが現実味を帯びてきたこと。
そしてこの雷が雨を伴っていないこと。だった。
沖から吹き付ける潮風は、冷たい。
雨でびっしょりになりながら、ウィッチに追われて逃げ回るのはさぞや辛かろう。
まあ、くおんさんは雨避けくらいできるだろうが。
人食い薔薇の茨蔦の大顎が、民家を胡桃の実か何かのように噛み砕くのを横目に見ながら、そんなことを考えていた。
○
そうしてたどり着いたのは。――もとは、この島の役場だった、という古ぼけた木造の建物だった。
役場らしくしっかりしたつくりではあるものの、これまで目にしてきた現在この島の生態系の中では頂点に位置するであろうあの薔薇の怪異の前には藁の家のようなものであろう。
今のところ、さほどの損傷もなく、曇天の下にその姿を保ち続けているのは、二重三重に編まれた雷光の格子による防御によるもののようで、うかつに近づいた茨蔦の数本が樹液をまき散らしながら粉々に砕かれるのが見えた。
島に入った時同様、一瞬だけ防御を解いてもらい、内部に飛び込んだ。
外部への逃走を阻む島の外周の防壁と、自分の身を護る内側の防壁。
その両方を、この規模と制度で数時間にわたって同時に展開し維持していた。という事実に、今から対面しようとしている人物の実力のほどが伺えた。
だけど、……単独でこれほどのことを可能とするひとでも、ひとつのイレギュラーな事態が発生すれば、誰かの助成を必要とするというのが、魔法つかいのウィッチとの戦いということか。と、改めて思う。
アタッカーひとりと、年少のサポーターひとりだけをこんな連携も困難である局地に投入――せざるを得ないのかもしれないけど――実際そうする辺りが教皇院だよなあ……とも。
過酷だ。
こんなところにただ一人残り、いつ来るともしれない助けを待つ方も。
友達をひとり残し、助けを呼びに行く役目を追う方も。
「なあ、マモルくん」
ぽつりと呼びかけてから、隣に歩く少年に、声をかけ、
「君のともだちは、すごいな」
と、しみじみ言ってみた。
マモルくんの口ぶりからして、件の甲坂ツカサ氏も、彼と同年代か、せいぜいぼくと変わらない齢ではなかろうか。
――よほどの傑物でもない限りは、心が折れるだろう
「ぼくたちを信じて、待っててくれたんだね。……あ、いや、ぼくたちっていうか、くおんさんときみのことをだけどさ」
「…………はいっ!」
甲坂ツカサのことになると、彼は意外なほどに明るい表情と受け答えを見せる。
――自分が褒められるより、友達が賞賛される方がうれしい。
彼は、そういう質のようだ。
軋む木造の廊下を渡り、ようやくたどり着いた一室の引き戸を開き、まずマモルくんが声をかけた。
「遅くなってごめん、ツカサくん」
「……いや、助かったよ、マモル」
低く落ち着いた声でそう答え、窓辺の青年はこちらを振り返る。
……あー、こりゃ敵わんな。
その青年を初めて目にした時、ぼくが何を考えていたかというと。
その一言に尽きると言っていい。
美男子も美男子。ハンサムもハンサム。である。
すっと通った鼻筋、品よく結ばれた口元、男性的な太い眉。
それに単に造作が整っているといよりも、風格と品格を備え、齢に見合わぬ落ち着きと自信が備わっている。
今は疲労が色濃く顔に残っているが、本調子の時ならば、さぞや威風堂々たる佇まいのひとなのだろう。
きっとこの青年は、将来、ひとかどの人物と言うものになる。そう決まっている。
御剣昴一郎が自分とこの人を比較しようなど、それがそもそも烏滸がましい。そんな風に思わせるひと。
それが、甲坂ツカサ、だった。
振り向いて、ぼくたちを見回しての、第一声。
「……驚いたな、マモル、おまえ本当にツクヨミさまを呼んできたのか」
その声音には、どこか苦い物が含まれていて。
「……でも、だって、強い人じゃなきゃ、ツカサくんを助けられない……じゃない」
と、つかえながらもマモルくんは返す。
「一乗寺か、狗戒さん辺りは覚悟していましたが……貴女にご足労をかけることになろうとは思いませんでした。――ああ、まったく、恥じ入るばかりです」
対して、くおんさんはと言えば、いつもの通りのクールな調子で。
「かえってご迷惑、だったでしょうか」
という。
「ね、ツカサくん、お礼くらい言っておこう」
耳元でそう囁くマモルくんに、
「……ああ、うん。……うん、そうだな。お前の言うとおりだよ、マモル。」
と、ためらいながらも答えると、
「ツクヨミさま……ご助勢、感謝申し上げます」
甲坂さんは、改めて膝を折り、深々と、くおんさんに頭を下げる。
「で」
そうして、甲坂さんは、
「……こちらはどなただ、マモル」
怪訝な顔で、マモルくんに、ぼくを紹介するよう促した。
「えっと…ああ、ツクヨミさまの館の…」
マモルくんは、ぼくの顔を改めてみると、戸惑いながら、
「館の?」
「館の……何だろう……?」
マモルくん!
「……」
そこは「館で働いてるらしいよ」でいいではないか。
いかん。彼に任せていたら、
「ツクヨミさまとご飯食べたり、ツクヨミさまと一緒にお風呂に入ったり、ツクヨミさまといっしょに寝るひと」
とかいう紹介をされかねない。
「……ああ、申し遅れました。斎月家の、御剣と申します」
あわてて、先んじてそう名乗ると、
「……ええと、いまツクヨミさまのお館で働いてる、そとのひと、みたい。……外のひとらしいけど、今日も、手伝いに来てくれたんだよ」
と、マモルくんがようやく当たり障りのない答えに至ったようで、脇でそう口添えしてくれる。
「……外のかた、か」
甲坂さんは、一応それで得心がいったようで、小さく頷き、
「……話には聞いています、ツクヨミさまに仕えておられると。……どのような方かと思っていましたが……」
そう言って、甲坂ツカサさんは、ぼくの全身にさっと目を走らせる。
「存外に、優しげな顔をされています」
いったいどういう想像をされていたのだ。
「……それに、すごいんだよあのひと、ツクヨミさまに、くおんさん、なんて親しげに話しかけてるの」
「なに……? 相違ないか?」
「うん!」
「……尋常ではないな…!」
言葉のチョイスこそ重々しいが、ニュアンス的には、
「マジかよ、パねえな!」
と言われてる気がするのは気のせいだろうか。
「マモル、この方はどのような方なのだ?」
重ねて尋ねる甲坂さんに、マモルくんは、少し考えてから、
「……何だか、良くわからないひと」
と、答えた。
ひどすぎる。何か微妙にデリケートな雰囲気になってたのに。
……こほん。
ちいさく咳払いする音がして、振り返る。
そこにはくおんさんがいて。
「……わたしが心から信頼する、傍で力になってほしいと思っている方です」
と、言うのだった。
「……ふむ、そうなのか?」
まあ、前後の流れからくおんさんの口添えでさえ十分ではなかったようで、甲坂さんは、もう一度確認するようにマモルくんに尋ねる。
「……んー、……でも、多分……やさしいひとだよ」
マモルくんはあいかわらずふんわりした答えを返し。
「あんまり、怖いって思わないし」
もう一言だけ、申し訳程度に付け加えるのだった。
「ええと……昴一郎さん、で、いいでしょうか?」
その答えは、どうやら甲坂さんをようやく納得させるに至ったようで。
「……マモルはひとの悪意に敏感です。こいつがいい人だというなら……あなたは、そうなんでしょう」
と、彼はいうのだった。
「甲坂氏」
と声をかけ、
「そロソろ話に入ってモいいかな?」
びゃくやが切り出したのは、そんな時だった。
「もう防壁を解いてももう構わないゾ。既にわたしが肩代わりしていル」
「……ああ、有難い、ようやく一息できそうだ。だいぶ厳しくなってきたところでしたので」
ふう、と肩を下ろし、落ち着いた表情を見せる甲坂さんに、
「状況を整理させて頂けますか、甲坂さん」
と、くおんさんが告げた。
「ええ、大体はマモルから聞いていると思いますが、まずこの島に落とし、追い詰めたところで、……恥ずかしながら、邪魔が入って逃げられました」
と、苦々しげな口調で甲坂さんは言う。
「その後、本体は身を隠した状態で発見できぬまま茨を蔓延らせ、敵の正体もつかめないままでは蔦の十本二十本消し飛ばしたところでどうにもならず。マモルを島から脱出させはして助けを呼びに行かせたものの、現状維持が精いっぱいでこのありさまということです」
なるほど、目の前の巨大な敵、見えない本体。この状況で闇雲に戦っているだけでは、何を仕掛けてこられるか、対策も立てようがないだろう。
それに姿を見せない「第三者」というのも気にかかる。
そちらを抑えない限り、くおんさんが戦っている最中に横合いから仕掛けてこられないとも限らない。……否、明確に敵意と害意を持った存在が相手なら、高確率でそうなるだろう。
「……ん。確かに、甲坂さんの体力の回復を待たなければ、どうにもなりません。それに、本体をおびき出さなくては、ですね」
「ええと、いつものアレはないんですか? ……ウィッチ、おびき出すやつ」
それだったら心当たりがある、と思い、脇から口を出してみるが、
「既に使いましたが、……どうも……どうも、効果が薄い。思ったように乗ってこないのです」
と、甲坂さんに返されて。
「いつもだったら、もっと、こう、すごい勢いで襲ってくるんですけど、まるで……まるで、理性で耐えてるみたいに」
マモルくんが補足する。
となると、やはり、「通常」のウィッチとは大きく状況が異なる、と言う事なのか。
自分なりに考えつつ聞いていた。
「ツクヨミさまは、どのように考えられますか? ウィッチが、そんなことをするものでしょうか? ……ツクヨミさま?」
そう意見を求める甲坂さんに、
「……え? ……ん。そう…そうですね」
くおんさんが口ごもりながら答えた、どこか言いにくそうに、生返事にも見えた。
「……ツクヨミさま」
困ったように、額に手をやり、甲坂さんが尋ね返す。
「それはあなたから見れば俺は力不足の若造なのかもしれませんが、今回ばかりは協力して頂かなければなりません」
「いえ、わたしはそんなつもりは……」
……それにさっきからどうも、マモルくんはともかく、この甲坂さんと、くおんさんのやりとりがギクシャクしているというか。
どうも、あまり会話が円滑でないようだ。
何というか、甲坂さんに正面から相対しないようにしているというか。
「……くおんさん?」
――ふーん?
…ふぅーん…。
…へぇー…。
…ハハーン。
してみれば――ああ、なるほど。
「あの、くおんさん」
小声で囁いてみる。
「…ぼくは、ちょっと席を外していましょうか?」
「何故ですか」
申し出たぼくに、不思議そうにくおんさんは問い返す。
「……いえ、ここにいて頂いて結構ですが」
と、くおんさんは言い、
「俺も同意見です」
と、甲坂さんが返す。
「いや、でも、専門的なお話もあるでしょうし」
「……いイカ、昴一郎」
ちょっと、とびゃくやに耳たぶを咥えられ、廊下へと一度連れ出された。
びゃくやの言うことには、
「頼むから余計なこトハしてくレルなよ、以上だ」
ということだそうで。
「いや、余計ってなんだよ、ぼくはくおんさんの為に……」
「アのナ」
「……だってほら、あの二人のどっちかだろ? さっき言ってた、くおんさんの気になってる男の子って」
思ったことを、その通りに口にする。
「ヱッ」
「…どっちなのかな? ちょっと気になるよね」
「……えエー……」
…え、違うのか?
「……じゃあ誰? ぼくも知ってる人?」
「昴一郎いいか、もう一度だけいッテおクぞ」
冷たいまなざしを向けながら、ハァ、とびゃくやはため息をついた。
「余計なことダけはするな、以上だ」
「いやだから、どういうことだよ余計な事って」
ハァァァァ。
再度、びゃくやのため息である。
「……喩ヱ本当にそうだったとして、くおんがアのふたりのドちらかを特別に意識しているとして、君の精神はそレニ耐えラれるのか? 私はそれヲ心配してだナ」
「……そりゃまあ、確かにちょっとくらいは寂しいけどさ、くおんさんが自分で決めたことならぼくは応援するよ……」
「とてもそウでアるようには思エんのだが……」
ここに来る前のことを思いだせばな。
と、びゃくやはさらに突っ込んでくる。
「……それはさ、ほら、くおんさんって、ぼくのお母さんみたいなひとだろ。お母さんが他の子に優しくして寂しく感じるとか、その程度だって」
いやまあ、実の母のこと、知らないんだけど。
ハァァァァァァァァァ。
三度、深く深くため息をつきながら。
「本人には、そレ、イうなよ。 平気そうにしながラ明らかに取り乱すにしろ、そっち方向でさラニ暴走するにしロ、碌なこと二ならなイだろウし」
と、びゃくやはよくわからないことを言うのだった。
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