第五夜「ソードオブジワン」(Aパート)③

「……確か、君は初めてだッタな、挨拶くらいしておきたまえ」

 暗に「ボロを出すなよ」と釘を刺されつつびゃくやに促され見てみれば。

「お邪魔しています」

 食堂のテーブルには、男の子が一人、ちょこんと腰を下ろしていた。

 背丈は小柄で、齢はくおんさんと同年代程度だろうか。

 癖の強い質の髪が眉の下までかかるほどだが、よく見れば長い睫毛と黒目がちな瞳の、女の子のような可愛らしい顔立ちをしている。

 藍色のカーディガンを白いシャツの上に羽織って、大きな眼鏡をかけた、一見、〈図書室の常連〉という感じの風貌である。

 少年は、ぼくと、その脇のくおんさんの姿を認めると、ぺこりと行儀よく一礼した。

「ツクヨミさま、葵マモルです、憶えておいででしょうか」

「はい、以前にも何度かお会いしましたね」

 慇懃に応じるくおんさんに、硬い口調で、本題が切り出される。

「ご助勢をお願いしたく、参りました」

 ……くおんさんは当初、不思議そうに首を傾げ、得心が言っていない。というような顔を見せた。 

「あなたは、確か今は……、いつも一緒のあの人は、どうされたのですか」

「現在、ウィッチと交戦中、厳しい状態にあります」

「……? 並のウィッチならば彼の相手ではないでしょう?」

「並みであったならば」

「ならば、というのは?」

 その問いに対する答えが返された瞬間、

「敵は確かに、強力なウィッチでした。ただ……それだけでなく……明らかに外部、第三者と思われるものからの妨害がありました」

「――それは、もしかして」

 くおんさんの表情が、さっと変わったのを、ぼくは見た。

「現在は、ぼくを逃がして、単独で現地に残り「鳥籠」を形成、ウィッチの逃走を防いでいます」

 言って、葵マモルと名乗ったその男の子は、その場に片膝をついて、改めてくおんさんに深々と頭を垂れる。

「――ツクヨミさま、何とぞ、ご助勢をお願いします。……ぼくの友達を、ツカサくんを、助けてください」

 それに応じくおんさんは迷いのない声で、

「すぐに、準備をします」

 と、返す。

「……着替えてきますね」

短く告げて、踵を返そうとするくおんさんに、男の子は、どこか意外そうに、

「……来て、くれるのですか?」

 と、声をかけた。

「あなたの大切な友達が困っているのでしょう? それに、そうして膝をつき、助けを求めているなら、わたしが拒む理由なんて、ないではありませんか。 わたしは――ツクヨミなのですから。こういう時の為に、わたしがいるのですよ?」

 振り返りそう言って、男の子ににこりと微笑みかけて、くおんさんはさっと踵を返した。


 つまり、――つまり、くおんさんが、ぼく以外の男の子に、ほほえみかけていた。


 ……あれ?

 何だこれ。

 今一瞬、こう、神経が妙にざわついたような。

「昴一郎さん」

 部屋を出ようとしたくおんさんは一度足を止め、ぼくを振り返って、

「昴一郎さん、また外に出ることになりました。……なので、今回も付き添いをお願いできますか?」

 と、問うた。

「はい、もちろんです」

 どこまでもお供しますとも。

「では、そちらの彼……葵くんにお茶でも出してあげてから、外出の支度をお願いします」

 簡潔にそうぼくに指示すると、くおんさんはいつも通り楚々とした足取りで退出する。

「……アれ? おいどうしタ昴一郎、急に顔色が悪くなったゾ」

「え?いや、特に何も」

「くおんもすぐ戻るだろうガ、とリアえず、言われたとおり彼に茶でも入れて労ってやれ、島から長旅だッタラしいしな」

 特におかしい事ではないよな?

 と、思考を巡らせ、今起こった出来事を頭の中で整理する。

 ――くおんさんは最初にぼくを助けてくれたときにも、ああやって笑いかけてくれて、励ましてくれたし。

 ただの兵卒ではなく、最高位の魔法つかい・ツクヨミである彼女の仕事は「ウィッチを倒す」だけでなく。ウィッチに平穏を脅かされる人たちを、ともにウィッチに立ち向かう魔法つかいたちを励まし、勇気づけることも含まれ、必要とされている。

 「笑顔」だって、商売道具の一つとすら言えるだろう。

 決して四六時中仏頂面をしている人ではないのだし。

 日々間近に仕えているぼくから見れば、くおんさんはむしろ、感情の起伏は豊かだ。

 確かに口数はそう多くないし、大きく声をあげて笑ったりすることは少ないかもしれないが、ぼくの作った料理がうまくできた時は嬉しそうに目尻を緩めたり、ぼくと一緒に音楽を聴いている時は小さく頷くようにしながら目を細めたり、ぼくの他愛ない冗談でくすりと笑い声を漏らしてくれたりする、そんな人だ。

 なればこそ、自分を頼り、助力を乞うてきた同輩に対しては、ああして笑いかけ、もう大丈夫だ、心配いらない、という姿を見せることは、彼女の当然の振る舞いである。

 ……そう思い、くおんさんに仕える者として恥ずかしくないよう、言われたとおり、温かいお茶の準備をしようとした。

 が、しかし。

 がちゃんっ!

 手が滑った。

 お盆に乗せようとしていた白いソーサーが床に落ち、破片となった。

「あ、あれっ!」

「あーアー、やってしまったナ」

 目ざとく見つけてやってきた頭上のびゃくやが、ちくちくとぼくを責める

 こういう事態が容易に想像できたから、これまで一度だって洗い物中にヘマはしなかったのに……。とうとうやってしまった。

「あの、これって……」

「ン、君の給料かラ引くナ」

「まあ……そうなるよな」

 そう思い、やってしまったものはもうどうにもならない、気を付けよう、と気を取り直して破片を塵取りで寄せ、再度、お湯を注いだティーポットを手に取ろうとして。 

 がちゃん、がちゃんっ!

 立て続けに、二枚のソーサーが床に落ち、破片となった。

「あの、これって……」

「君の給料かラ引くナ」

 見れば、己の両手が小刻みに震えていた。

 ……おかしいな、こんなこと、今までなかったはずなのに。

「……あァ、ティーセットは基本的にソーサーとカップガ対になっテルもノダかラね?そレなりにするヨ?」

「まあ……そうなるよな」

 そうなるよな。……この野郎。

 そう思いながら、ぼくは、膝から崩れ落ちた。

「顔色ガわるいゾ、大丈夫か昴一郎。しっかリいたセ?」


 いや、ちょっと待て。

 冷静になって良く考えたら、これくおんさんに修繕かけて貰えばそれで済むんじゃないのか、びゃくや。

 こっちをみろびゃくや。

 なぜ目を背けるびゃくや。

 びゃくや。びゃくや。びゃくや。


 どうにか気持ちを切り替えて、一人分のお茶を支度して客間に戻ると、手持ち無沙汰な顔をして、葵マモルくんはそのまま椅子に腰を下ろしていた。

「お待たせしました、今、くおんさんは支度をしていますから、これを飲んでお待ちになってください」

「……あ、すみません、ちゃんとした挨拶もなしに」

 声をかけると、ぺこりとぼくにも一礼して、

「このお邸のひと……ですよね? おかまいなく。……って、変に遠慮しても、せっかく用意してくれたお茶が無駄になっちゃいます……よね」

 と言って、ぼくの手からティーカップを受け取った。

 うん、まじめそうだし、物腰も穏やかだ。

 ぼくがこの男の子に負の感情を持つことなんてありえない。

 さっきのは、気のせいだろう。

「葵様。……と呼んだ方が、良いですか?」

 と質問してみれば、

「え?いっ、いや、いいですそんなの! ツクヨミさまの邸で働いてるひとなんて、ぼくの方が気を使わなくちゃいけないくらい、ですよっ?」

 と、返される。

「葵と言ったラ、そこそこ名の通った名家だがナ」

「……ぼくはその、葵家の中では、下っ端も下っ端ですから……」

 ぼくは外部の出なもので、どうもその辺の身分差というのがぴんと来ない。

「呼ぶなら、その。……くん、とか、で、いいです」

「じゃあ、マモルくん……ってことで、いいかなあ?」

 そんなやりとりの後、ぎこちなくあははと笑い合って。

 双方黙り込むことしばし。

 どうしよう、話題がない。一応ぼくも身支度と、持ち運びできるような食べ物でも用意しておかないといけないし、中座させてもらうというのもアリなのかもしれない。

 と思っていると

「……すごい……ですよね」

 と、マモルくんが口を開き、

「……よく、ツクヨミさまにあんな口のきき方できますね」

 ああ、そこ突っ込まれるんだ、と思うぼくに、

「……あ、これはけして嫌味とかではなく」

 と、付け足された。

「いや……狗戒さんとか、結構気安い感じで話しかけてたと思うんだけど」

「狗戒さん?」

 まあ、ぼくも今の話し方と接し方に落ち着くまで、紆余曲折があったのですけれども。

「……昔ぼくもお世話になったけど、あの人はあの人でとんでもない大物なんですよぉ…一緒にされては……」

 なるほど、一応そう言う扱いではあるわけだ、狗戒さん。

「……ツクヨミさまは、怖い方ではないのですか?」

 慎重に、言葉を選びながら問いかけるマモルくんに、

「いや、くおんさん優しいよ? 親切だよ?」

 と、返す。

 まあ、あの雰囲気だと誤解されたりもするのだろうか?

 あまりくおんさんが冷酷な暴君のように思われているというのもいい気持ではないので、

「どうかな、試しにくおんさんって呼んでみたら」

 と、思いつきを口にしてみる。

「……この無礼者! って、斬られたりしませんか? 剣とかで」

「……しないんじゃないかな」

 やはり得心が言っていないようで、

「いや……その……ほら、なんていうか……女の子って大体誰でも、自分の気に入ってるひとに〈だけ〉は優しいですよね。そういうものじゃないんですか?」

 なんてことを言い出す。

「どんな嫌な人でもっていうか……あ、いや、何もツクヨミさまがそうだって言うんじゃないですけど」

「大丈夫大丈夫、ぼくもいつもくおんさんって呼ばせてもらってるし。あまり畏まられるより、そのくらいがいいんだってさ」

 と、ぼくは言う。

「あの、すみません、さっきから変なことばかり言って……どうも、落ち着かなくて」

 というきまり悪そうなマモルくんのことばに、ぼくは今更ながら、彼の置かれた境遇を思い返す。

「ああ……だって、友達がウィッチと戦いながら一人で残ってるんだろ? そりゃ、落ち着いてられないだろうし、同じ状況だったら、ぼくだって気が動転して変なこと言うよ……」

 ぼくがそう言うと、マモルくんは、

「はい。……ツカサくんは、友達です、ぼくのたった一人の、友達です」

 と言って、しばらくまた押し黙った。

 まあ、もしもぼくが同様の状況、くおんさんがピンチで、単独で教皇院に助けを求めなければいけない、なんて状態に追い込まれたら、余程運よく最初に狗戒さんに渡りが付くとかでもない限り、その日が人生最期の日となるわけだけど。


 あまりそれ以上茶化すようなことも、安易に「大丈夫だよ」なんてことを言うのもできず、ぼくもしばらく口をつぐんでいたところ、

「あの……もう一個聞いていいですか」

 これはもう本当に恐る恐る、という感じに、マモルくんが震える声で口にした。

「いいよ、何さ?」

「……なんで、お風呂からツクヨミさまと一緒に来るんですか」

 あー。

「ツクヨミさまと一緒にお風呂、入ってたんですか? 昼間から?」

 ……聞くんだ、それ聞くんだ。

「……もしかして、ツクヨミさまに「そういう目的」で雇われてるひとなんですか?」

 いや、今君はとてつもない勘違いをしているぞ葵マモル。

「あんな、ぼくとあんまり年変わらない女の子と?」

 がたりと椅子を蹴立て、弁解の言葉を伝えようと歩み寄る。

「ま、待って、待ってくれマモルくん、これには訳があるんだ!」

 イスに腰掛けたまま後ずさり、マモルくんは血の気の引いた顔で叫ぶ。

「落ち着いて!逃げないで!ちょっと説明すればすぐ分かるって!」

「ひぇっ! い、いやっ! こ、来ないでください! ぼく、男の子ですっ!」


 あわてて、状況を順を追って説明した。

 …いや、ぼくって汚れてるなー。

 今回の現場は沖合の小島ということなので。

 ……高速道路を上限速度超えでブッ飛ばして2時間。

 波止場から鋼鉄色の快速艇でもう1時間。

 さほど海が荒れているというわけではなく、滞りなく進んでゆきます。

 以前もこんな感じだった気もするが、相変わらず、やればできるんじゃないか。教皇院。

 ちなみに現在この快速艇の舵を取っている船長は、いつも運転手を務めてくれている、前回出番のなかった紙人形嬢である。

 目線を操舵室に送れば、無表情な顔で振り返り、ぐっと親指を立てて見せた。

 頼りになることである。

 

 さて、気が重いのは、、日も差さない沈んだ鉛色の曇り空のせいばかりではなく、今ぼくが腰かけている、館から持ち出してきた、黒いトランクの中身。

 ――言わずと知れた、戦部式焦熱装置、である。

 いざ機能したらどの程度の威力なのか、ぼくはまだ見たことがないけれど。

 こいつが持ち出されるようでは、相応の激しい戦いが予想される。

 件の戦部卿の実力の程を、信じるほかあるまい。


 まず、今回の目的は。

 一つ、甲坂ツカサ氏の救出。

 一つ、島の大型ウィッチの討伐。

 一つ、島にいるらしい、〈第3者〉の調査。

 場合によっては、この装置で島を焼き尽くし、完全に痕跡を抹消することも視野に入れるように。だそうだ。

 これもまた相変わらず、雑というか荒っぽいというか。

 再利用とか再生産の当てもないのに、もう作れる人がいない装置を、随分気軽に使ってくれる。

 その第三者がよほど脅威とみなされているのか、或いは……

 ……〈使い切ってしまいたい〉?

 いや……まさかな? 


 そんな風に思いを巡らしながら、それなりに揺れる船室の隅に腰掛けていた。

 くおんさんも押し黙り、びゃくやを膝の上に置いて向かいの席に腰を下ろしている。

「昴一郎さん」

 名前を呼ばわれ、そちらに顔を向けてみれば、落ち着かない顔でマモルくんがぼくの前に立っていた。

「あ、どうしたのマモルくん? そうだ、船酔いとか大丈夫? 水でも飲みたいなら、一応水筒とか、持ってきてるけど?」

「ううん。ちょっとお話しできないかな。……早く着けばいいのにって、気持ちばっかり逸っちゃって」

 ああ、なるほど。

「……あ、そうだ」

 ぼくは、思いついたことをそのまま小声で口にしてみる。

「せっかくだから、ぼくじゃなくて、くおんさんと話してみたら? 齢も近いんだし」

 マモルくんは怖気づいたような顔を見せ、

「ええ……それはちょっと……」

 と、怯んで見せる。

「そんなことくらいで怒られたりしないだろうしさ」

 ちらりとくおんさんの方を見れば、彼女もこちらに一度視線をくれると、「何をひそひそ話してるんだろう」くらいは思ったかもしれないが、会話の内容までは気にならなかったらしく、また目を伏して、元通り居住まいを正す。

「……さっき言ったみたいに、気さくにくおんさんって呼びかけてみれば、嫌な顔はされないって」

「そう…そうかなあ…」

「相手がツクヨミさまだからって、恐れ入って声もかけられないんじゃ、ツカサくんをうまく助けられないかもしれないよ?」

 ちょっとずるいかなとも思ったが、そういうことを言ってみる。

 まあ、……嘘ではないし。

「あ……ツカサくん……」

 マモルくんはちょっとかわいく、胸の前で両手を握りしめると、

「……わ、わかった、やってみるね、ちょっとした挑戦だね!」

 と返す。

「そうそう、その息その息」

 少年はつかつかとくおんさんへと歩み寄り

「え、ええとっ、そのっ!」

 と、声をかけた。

「く、くおんさんっ!」

 それに応じくおんさんは落ち着いた声で、

「……どうかしましたか?」

 と、尋ねた。

 頑張った、彼は頑張った。

 己の矜持と、友への想いを背に頑張った。そして。

「……よ、呼んでみただけです」

 ……そして、そこで膝を屈した。

 くおんさんは、

「葵くん」

 しばらく押し黙った後、

「あなたはあなたで、ちゃんと物事の判っている子だと思っています。大切な友達の窮地に、穏やかではいられないのも、ヒトとして理解はします」

 くおんさんは、長い黒髪を手で撫でつけ。

「……あなたにも、自尊心というものがあるでしょうから、殊更人前で責めはしませんが」

 怒っていた。

 彼女らしく、かなり気を使いながら、怒っていらっしゃる。

「――二度はありませんから」

 以後の反論は許さない、と言わんばかりにそう告げる声の、絶対零度ぶりたるや。

「昴一郎さぁぁん!」

 ――話が違うじゃないか。

 そう言いたげな、マモルくんの悲痛な声が、ぼくを責める。

 ……あれー?


 さて、これから向かう先の目的地であるが。

 以前に、ニュースでやってたのを、見たことがあった。

 ――天災で被害を受けて、もう住人も残っていないという、離島である。

 観光地というわけでもないし、こんな事でもなければ、足を向けることなどなかっただろう。

「……はっきり言ってしまえば、あの島を丸ごと、教皇院が一時的に自治体から買い取ってしまったんです」

 と、くおんさんが説明してくれる。

「教皇院の方針とシテ、できルだけ、ウィッチを討伐するにあたッテの土地をあらカジめ用意しておク、というノがあるのダ」

「ですから、今は一応、教皇院の私有地、直轄領という形になります」

 なるほど、つまり、ぼくの生活していたあの施設なんかも、そのうちの一つだった。ということか。

 そういう場所がなければ、市街地のど真ん中でウィッチとドンパチ始めるようになってしまうし。


 波に揺れ、上下する高速艇の船室で、くおんさんがぽつり言葉を漏らした。

「昴一郎さん。……この前したようなコト、今日はできないかもしれません」

 くおんさんの言おうとしてることには、一応思い当たって、

「爆弾使わないで、片付けるってことですか?」

 と、問い返す。

「……できれば、そうするべき、と思っています」

「だが今度バかりは、な」

「ああ……でも」

 そう言ったことに対するくおんさんのスタンス姿勢は、一応ぼくもわきまえていて。

 くおんさんは、そう言った場所を、ウィッチ討伐のやむを得ない犠牲として破壊を行うことに対して、神経質なところがある。

 前回……まあつまり、ぼくの育った施設を燃やすかどうかという話だった時には、事情があって特にあの建物を破壊しなくてはいけない理由があると言う事ではなくて。

 だからこそ、使わなくても済んだから使いませんでした。というのが通ったわけだったが。

 今回は、禍根を絶つべく、島を燃やせ。と明確に命令が下っているのだから。

「だって……悲しいじゃないですか」

「……どう……かな」

 「教皇院」に対してか「ウィッチと戦う魔法つかい」に対してか判らないが、敵意と害意を持った者がその島に潜伏している可能性がある。

 件の甲坂ツカサくんがされたみたいに、戦闘中に横合いから狙撃でもされる可能性があるようなら十分に危険だし。排除しておくべきではあるのだろう。

 もともと教皇院が時に無駄に冷酷かつ無駄に大雑把な真似をすることは承知しているが、……一応理屈としては通っている。

 ぼくだって、くおんさんの戦闘中に後ろから狙い撃ってくるような相手にはいてほしくはない。

「……もう、そノ天災の時点で島の住人はほとンど高齢者だ。産業も先細り、思い出すのは辛い事ばかリで、なントしても島に帰ろうという気力はないトいっていルト、聞いたゾ」

 と、びゃくやがいって。 

「……どこでそれを聞いたのさ」

「――ネットの囲み記事、サ。……だかラ、そンナ島の復興や避難民の救済に費用をつぎ込むなと結論ありキの、な」

 尋ねるぼくに、そう返す。

「……ヨタ話じゃないかよ」

 大体、そのひと一人がそう言ったからと言って、それが住民全部の総意でもないだろう。

「…ああ、だガ、今回ばかりは、そのヨタ話を、真に受けてみないか?」

 と、ぼくの頭上でびゃくやはそう続けた。

「実際、自治体も島の復興予算を組んですラいない。島の住民の存命の内に、復興が成る可能性は、ほボホぼない」

 …だからこそ、島自体を短い期間とはいえ買い取ってしまうなんてことが、通ったのだろうけど。

 仮定に仮定を重ねて。

 ……その記事が実在したとして。

 記事の文面に、100分の1でも事実が含まれているとして。

 言いたくなる気持ちも、判らなくはなかった。

 その発言の主が、特段に薄情だということでもないだろう。

 とりあえず、その島の、その人たちは、もう、自分たちで自分たちを見捨ててしまった。

 ――まあつまり、ぼくと同じようなものということである。


「マモルくんは……どう思う?」

 何となくそうしたくて、もう一人の列席者に話を振ってみる。

「ぼく……ですか? ぼくは……その」

 マモルくんはぼくの問いに、少し考えるように間をおいてから。

「ぼくは……その、嫌なことしか思い出せないような場所なんか、いっそこの世からなくなっちゃえって。……思うかもしれません」

 と、答えた。

 ……何だろうか。今一瞬、マモルくんの可愛らしい貌に、さっと蔭がさしたような。


 人間としてそう上等ではないぼくは――これでも一応、兄さんと呼べる人ができて。

 父と呼んでまあ問題なさそうな、ミツヒデさんがいて

 くおんさんと会えた、という、奇跡みたいな出来事があって。

 ――何だ、自分は結構恵まれてるんじゃないか、とすら思えるほどだ。


 ぼくは、あの施設をくおんさんが一日分守ってくれて、真っ当な形で無くなったことを、確かに嬉しいと思ったし、もしもそうならず、闇に葬るような形で吹き飛ばされたら、悲しく思ったのだろうけれど。

 そうやって、悲しくて流す涙があることも、傷ついて痛む心があることも、それはその時点で随分幸せなんだろうと、思わなくもなくて。

 本当に悲しくないのか。悲しくないふりをしているだけなのか

 本当は何を望むのか。どうしてほしいのか。

 その人たちの気持ちはわからない。

 ……その気持ちを、直接面と向かって問い質せるわけでもないぼくが完全に理解することは、できないわけだし。

 ひとまずぼくが今言えるのは。

「……どうかな、使わないでいいなら使わない、使うべきなら使う。その時考える。ってことで」

 と、玉虫色の、くおんさんにとって気休めになるか、ということしか考えていない、問題を先延ばしにするだけの言葉でしかなかった。

 それにそもそも――、

「そういうことにしましょう、くおんさん」

 そんなのは、11歳の女の子が背負い込まなければならないことでもないだろう。

 いよいよその時が来たら……ぼくはくおんさんの決定に従うだけである。

「――君たち、そロソろ到着だ、下船のじゅんびをしておケ」

 操舵室から何かの報せがあったらしく、びゃくやがそう告げて。

 窓からそれを見たときに、

「……何だよ、あれ」

 喉から出る声が、震えるのを抑えることができなかった。


 海に浮かぶ小島。

 言葉にすれば、確かにそうだ。

 だが、その遠目に見る姿かたちシルエットは。

 ――ざわざわと、脈打つように、蠢いていた。

 小島と言っても、数キロはあるのだ。

 丘も、小山も、ひとが住んでいるのだから、建物も、舗装された道もあるだろう。

 だが今それらは一様に――鮮やかな緑色と、咲き誇る赤い花に覆われていた。

 そしてその緑色は、這いずる様に動き回り、うねって、見ている目の前でもさらに面積を広げようとしているのが、見て取れた。

「――ぼくが逃げた時より、大きくなってる」

 悪夢に魘されるような声が、マモルくんの喉から洩れるのを聞いた。

 あのウィッチは、島を丸ごと、呑み込んでしまっている。


 また……気づいたことがもう一つ。

 島の真上にかかった、分厚い黒雲。

 そして、そこから絶え間なく、雷が降り注いでいることである。

 緑色の棘塗れの蔓が、波打つように動き、島の外周から海へとその先端を伸ばし、島から出ようとするたびに、目が眩むほどの雷光が叩きつけられ、吹き飛ばされる。

 それが間断なく、繰り返されているのである。

「あの雷雲は……」

 くおんさんが静かに呟き。

「……良かったナ、葵くん。アレが保たれてると言う事は、君の友は……健在のようダぞ」

 と、びゃくやがマモルくんに伝えた。

「はい……! 負けません。…ツカサくんは…ウィッチに負けたりしません!」

 マモルくんの貌にも、明るい色が射した。


 くおんさんの指示で、紙人形嬢が島に高速艇を近づける。

 確かにあの雷光は、島にウィッチをとどめているのだろうが、あの防壁が機能しているうちは、島に入ることもできない、ということである。

「甲坂さん!」

「ツカサくん、ぼくだ! ツクヨミさまを連れてきた!一瞬だけこの鳥籠を開けてくれ!」

 船室から顔を出し、そう叫ぶ声が確かに届いたのか。

 降り注ぐ雷が、僅かに鎮まった。

「昴一郎さん、桟橋に船をつけている暇はありません」

 ぼくのすぐそばに立ち、くおんさんがそう告げた。

「装置を持って、わたしに掴まってください。――ギリギリまで近づいて、跳びます」 

 合わせて、マモルくんにも、問いかける。

「……きみは、どうしますか?あの島は危険です、船に残って引き返しても……」

「ぼくも、行きますっ!」

 くおんさんの言葉をためらいなく遮って、少年はそう返した。

 ……結構、言う時は言うじゃないか。 


「――んッ!」

 最高速度で斜めの角度から島に接近し。

 スーツケースを掴んだぼくをくおんさんが両腕で抱え、ぼくがマモルクンと手をつないだ状態で、甲板からくおんさんは一気に身を躍らせた。

 吹き付ける冷たい潮風を頬に感じるのもわずかの間。

 砂浜に降りたぼくたちは、乗ってきた高速艇が、再び急旋回で島を離れてゆくのを見る。

 そして予想はしていたが……

「なるほど、これはッ」

 ぼくたちという侵入者をさっそく認識したか。

 この緑の島自体が、外敵を拒もうとするかのように。

 数十本の、先端に巨大な顎状の器官を備えた茨蔦が、四方八方から押し寄せてきた。

 それらは瞬く間にぼくたちを取り囲み、前後左右のみならず、上方にまでも伸び上がって、ドーム状に包囲を固める。

「――びゃくやぁッ!」

 駆け出しながら、くおんさんが叫ぶ。


 聖剣の切っ先がさながらタクトの様に舞い、虚空に円を描いた。

 白く輝く光輪が空中に生じ、その中に身を投じたくおんさんは、次の瞬間純白の戦衣フォースに包まれていた。

 これまで何度か、くおんさんの戦いに居合わせて判ったことだが、――くおんさんは、素の状態でも圧倒的に強い。

 あの姿に変身すること自体が、並のウィッチ相手には必要ない程である。

 が、今はこうして、初手から狩衣状の戦衣を呼んでいる。

 その事実にまず戦慄する。

 そうせざるを得ない敵、ということである。

 襲い掛かる茨蔦の群れをダース単位で切り飛ばしながら突き進み、ぼくとマモルくんを護っているくおんさんが、再度、剣先を虚空で丸く返した。

 先ほどと同様に、白いリングが形成され、同時に、上空から孤影が舞い降り、リングの中に吸い込まれる。

 白い翼が閃いて。――光輪からは、のびゃくやが姿を現した。

 虚空を疾走する4つの白い飛影が、くおんさんと重なって。

 そして、刹那の後に、くおんさんはその姿を変えていた。

 〝飛翔〟でも〝射撃〟でも〝穿孔〟でもない。

 ――右手に、〝射撃形態〟の白い長弓。

 ――左手に、〝穿孔形態〟の鋭利な回転刃。

 ――両脚に、これはおそらくまだぼくが目にしたことがない形態に由来するものであろう、三日月状の湾曲刃。

 ――そして背中に、〝飛翔形態〟の、巨大な翼。

 4体に増えたびゃくやすべてと同時に融合した、〝飛翔〟でも〝射撃〟でも〝穿孔〟でもない、新たな形態だった。

 いわば、四身一体の――くおんさん・複合武装形態。


 以前に、くおんさんが、自らと寸分たがわぬ分身をつくりだし、数の力を持ってウィッチを制するのを目にしたことがあった。

 それは、「自分を増やせる」のだから、そういうことだってできるだろう。

 だがそれを、こんな風にも活用できるとは――!


 くおんさん・複合武装形態が、嵐のようにその猛威を振るう。

 両脚のブレードにかけられ、弓に撃ちぬかれ、穿錐で貫かれ、そして聖剣で叩き斬られ、ノートに消しゴムをかけるようにして、見る間に緑色のドームが伐採されてゆく。

 一際鋭い一撃を放ち、大きく数を減じた茨蔦を前に、くおんさん・複合武装形態が大きく背中の翼を広げ、ぼくに叫んだ。

「昴一郎さん、「慟哭は総てを裁くクライジャッジドオール」を使います!距離が近い、耳を塞いで!」

「――はい!」


 ――くおんさんの指示に従い、言われたとおりに両手で耳を覆ったぼくに。

「その必要はありませんよ」

 という、おちついた青年の声が、響いた。

 そしてその直後。である。

 視界すべてを覆わんばかりの雷光の雨が、無比の正確さで茨蔦の群れに降り注ぎ、ぼくたちには掠めもせず、薔薇のウィッチの蔦たちだけを、薙ぎ払っていた。

「……ツカサくん、だ」

 ぽつりと呟いたマモルくんに。

「心配をかけたな、マモル」

 という返事が伝わり。

「改めて状況を教えてください、甲坂さん」

 武装形態を解除したくおんさんにも、声が届く。

「……申し訳ありませんツクヨミさま。ですが、今は島から出さないようにするので精一杯です」

「ここマデ繁殖していルトは、聞いていなかったぞ」

「ご存じでしょうが――ツクヨミさまあなたにできないことは俺にもできませんよ。……ん、もう一人そこにいますね?」

 どこからどうやって知覚しているのか判らないが、ぼくの存在まで、個別に認識されているようだった。

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