第五夜「ソードオブジワン」(Aパート)②

 「その日」より遡ること数年前のある日、その小島は天災に見舞われた。

 それはウィッチだとか、魔法つかいだとか、そういったものの介在する余地のない、当たり前の自然現象。

 特別なことなど何もなくても、悪人なんていなくても、数年に一度は、どこかで起こる類の厄災に数えられるものだった。

 急な事で備えもなく、かねて過疎の進んでいたその土地の、元々数少なかった住人は避難を余儀なくされ、仮設住宅での暮らしを続けることとなった。

 安価な輸入品の流通による産出品の価値下落、環境の変化による品質低下。

 それらによるゆるやかな衰退に、天災が止めを刺したようなかたちだった。

 殆どが高齢者だった住人の多くは完全に気力をくじかれ、もはや元の暮らしを取り戻すことを強くは望まず。その関わる人間の「頭数」の少なさから、行政も復興と言う事には腰が重かった。

 膨大なリソースをつぎ込んでも、それに見合った効果は望めない。

 いつしかそんな判断が下されていた。

 つまりは――廃島、廃村。

 そんな場所で、雷の魔法つかい・甲坂こうさかツカサは目前の敵と対峙していた。


 海が逆巻き、風雨が絶え間なく注ぐ。

 魔法つかいがウィッチの前に身を晒し、高らかに己の名を告げた。

 それ即ち宣戦布告、処刑宣告。そして開戦のゴングとなる。

 吹きすさぶ強風と豪雨の中で、巨大なウィッチはいささかも怖じることなく、その身をうねらせた。

 直後、ツカサの立つ大地が、ひび割れ、無数の孔を生じさせてゆく。 

 姿を見せるのは、棘に塗れた深緑の蔦の群れ。

 ――うねり、しなって絡み付く様に襲い掛かる打撃と、放射状に放たれた大量の凶弾。

 それに対し、後ろに跳び退り体を躱すのではなく、むしろその中に飛び込んだ。

「……いざ、参る!」

 短く叫び、片手で引っ下げた長剣をむしろ身を守る盾として用い、ツカサは固めた拳を大きく引き絞る。

 拳の反対側、肘の先に、円錐を長く伸ばした形のスパイクが生じた。

「――貫け、雷光ッ!」

 拳の先端から関節までの右腕がいわば銃身。引き絞る動作はいわば「撃鉄を起こす」行為に相当する。

 正拳突きの要領で、存分に蓄積したものを、開放した。

 武道で言うところの〈遠当て〉が現実に存在するとしたらこういうものになるであろう。

 拳の起こす空圧と共に魔法によって真空状態の軌道を形成、ソレに合わせて電撃を放つ。

 彼の持つ魔法と武道を融合させた――いわば「電撃拳」である。

 白く閃く稲光が、先端を豪槍のごとく鋭く尖らせた茨蔦の群れを、正面から射抜き、砕き散らした。


「――大丈夫、ツカサくん」

 襟元にとりつけた通信装置から、気づかう声が伝わってくる。

「ああ、マモル、大したことはない」

 そして、心配性の相棒バディ・葵マモルがデスクに拳を叩き込む音が、そして叫びが響く。

「――何でっ! 何で!」


 実際、甲坂ツカサの眼前に存在しているウィッチは、大体その言葉の通りのものであった。

 人類の常識であれば、地に根を張り、不動のものであるはずの〈植物〉が。

 巨大な、赤い薔薇の花が、嵐をものともせず、静止状態で空中に浮遊しているのである。

 背丈は茎から頂きの花びらまでの合計が数メートル、そして海月の触腕のごとく揺れながら大地へと至る毛細根が、10メートル近くと言ったところか。

 茎から伸びる深緑の葉は、折り重なり、四方に広がって、どこか異形の翼のようにも見える。

 そして頂きにあるつぼみは、どこか艶めかしく、雨に濡れて血のように鮮やかに赤い。

「薔薇の《ローズ》……怪異ウィッチ……!」

 そもそも出鱈目な代物を相手に戦ってるいることは承知している、これまでだって、頭がおかしくなりそうな代物を幾度も眼にしている。

 陸に上がり襲い掛かってくる魚だの、空から人を襲う頭足類だの、生物の本来の生態に真っ向から反する行動を取ってきたり、超常的な手段で己の生態をゴリ押してくるものと戦ったこともある。何しろこいつらは、戦っている最中に姿を変える、――まあそれはお互い様だが、生物の体から穿孔機ドリルだの回転鋸サークルソーだの、無機物・人工物じみた兵装が生えてくるのはちょっとどうなんだと言いたくなる。


 ……何度見ても、こいつらに慣れることはない。

 葉擦れの音が、暴風の中で、どこか笑い声にも似て木霊するのを聞きながら、ツカサはそんな風に思う。

 あいつらは絶対に相容れない脅威である、自分たちを脅かす外敵である。そう、先天的に織り込まれているかのように。

 非力であった幼いころよりもむしろ魔法つかいとして力を身に付けてから、その感情、生理的嫌悪感はより強くなっているように感じられた。

「――植物が、動かないでよっ!」

 というマモルの言葉も、無理はないなと思わざるを得ない。


 爆ぜるような音とともに、倒壊しかかっていた民家が崩れ落ちて、そちらを見やって、改めてツカサははっきりとその姿を視認した。 

 茎と根の境辺りから伸び、地を這うように四方に伸びていた、蔦である。

 それが、およそ数十本。

 それぞれ別個の意思を有する様にうねり、揺れ動いて、ツカサを取り囲む。

 先ほどのように、ただ鞭として振り回してくるだけではない。

 先端を槍のように尖らせたもの。

 ある種の拷問具のように棘に覆われたもの。

 そして、一際太く節くれだった数本の蔦の先端が大きく割れ、肉色の裂け目の内側にはナイフを並べて埋め込んだような牙が並んで生じて、禍々しい大顎となった。

 獰猛に開閉を繰り返し、粘液を滴らせながら牙鳴りの音を響かせるそれらは、どこか眼球というものを持たない深海魚の貌を思わせる。

 さらに、深海魚の口じみた大顎たちは、眼前の脅威を噛み砕かんと牙をぎらつかせるのみならず、その口腔から緑色の液を迸らせた。

 液の滴り落ちた足元で、下草や、数秒前まで家屋だった廃材が、白い煙を上げて、爛れ、焦げ落ちる。

 ――なるほど、頂戴するとああなるわけか。

 背筋に嫌なものが走るのをツカサは感じた。

 先ほどかなりの数を吹き飛ばしてやった筈だが……大したリカバリの速さだ。

 植物型ウィッチの多くがそうであるように、そしてこのサイズの因子保有個体ともなれば、再生速度はこの通りか。

 何事もなかったかのように、数秒前と同等の数が頭を並べ、ツカサ目掛けて降り注いだ。

 深緑の槍が、拷問具が、大顎の群れが視界すべてを埋め尽くすような勢いで迫る。


 ――来る。

 雷光、雷光雷光雷光。

 続けざまに電撃拳を放ち、全方位から襲い掛かる茨蔦を迎撃。

 砕き散らされる端から、茨蔦は地から、空から、新たに生じ、襲い掛かる。

「ツカサくんっ!」

「落ち着けマモル!確かにちょっとばかり怖いが、どうにもならない相手じゃない」

 そう――

「でかいだけならば、どうとでもなるッ!」

 単に巨大というだけの相手であれば、多少厄介ではあっても、教皇院の俊英・甲坂ツカサにとってはただの的である。

 ウィッチ一体に付きひとつ、必ず宿っている、体幹部分の赤い発光体。

 対ウィッチ戦の基本指針であり、基本戦術である。

「――ぬうん!」

 深く肘を引き、大ぶりの一撃を放つ。

 怒涛のごとく押し寄せる茨蔦の大軍に風穴を穿った。

 緑色の樹液をまき散らしながら、電圧と高熱によって細胞を破壊された茨蔦が燃え落ちてゆく。

 進路、オール・グリーン。

 同時に地を蹴り、その身を宙に躍らせる。

 届く、届き得る。

 拳ではなく、引っ下げた長剣を、勢いに乗せて――


「ッ!――ツカサくん、後ろに避けてッ!」


 すんでのところで、相棒の叫びは、甲坂ツカサの一命を救った。

 1秒に満たない時間差を隔てて、鼓膜を震わせるのは、夜気をつんざく風切の音。

 叫びに応え、瞬時の反射で数十センチのけ反った結果、さっきまでツカサの頭があった場所を、鋭利な刃を持つ何かが貫いていったのである。

 マモルの呼びかけがなければ、ツカサの頭部は上半分をごっそりと抉られていたであろうことは、想像に難くない。

「ツカサくん、まだ来る!」

 それで終わりではなかった。

 重ねて即座に、もう三度。続けざまに襲来する。

 心臓。鳩尾、それから眉間。

 一つでも凌ぎ損ねれば確実に致命の傷に至る箇所ばかりを目掛け、疾風の速度と無比の正確さを持って、空を裂き、凶刃が迫り来る。

 精神論ではなく、あえて言うなら友情と、身体に叩き込み覚え込ませてきた術技ワザが、ツカサを救ってくれた。

 また、二度目であるが故、その姿を視覚が捉える。

「――ヤリ、か」

 警告や牽制などではなく、掛け値なしの殺意を伴って放たれたそれは、先端から石突まで赤一色の、左右非対称に添刃の備わった奇妙な形状の槍の姿をしていた。

 薔薇のウィッチに叩き込んでやるべく電撃を纏わせていた長剣を、二度振るった。

 心臓目掛けて飛んできた一番槍を横薙ぎに、鳩尾を狙っての二番槍を返す刃で粉砕した。

 そしてこれが本命なのであろう、第三の槍。これは速度すらも第一、第二のソレよりも上回り、先行した二槍を凌いだ相手を必ず仕留めるという、明確な技術の存在を伺わせる切っ先が、長剣のリーチの内側に既に迫っていた。

 長剣でなく、徒手で対応した。

 剣を振りぬいたその勢いを殺さず、身体を半回転。その動作をそのまま繋げて穂先と添刃をいなし、肘を打ち込んで眼前まで至っていた紅の槍を払い落とした。


 ……「何だ、今のは」と思った。

 目前のウィッチの攻撃とは明らかに違う。

 己の流派に、こんなものを用いる者はいない。

 明らかに何者か、それも――〈第三者〉からの攻撃である。

「何者だ!」

 と、大声で叫ぶ。

いかずち流の甲坂ツカサと知っての事か!」

 とも、叫んでみる。それで名乗り返してくるようなタイプであれば、そもそもこんな闇討ちのような真似はしてこないだろうとは思ったが。

 感覚を総動員し、周囲に探知網を張り巡らせる。

 ――いない、ここにはおよそ、知的生命体、あんな風に、を使って攻撃を行うようなものは、何一つ存在しない。

 そして、僅か一合の攻防にして、相当の力量の使い手であること、明確な敵意と殺意を持った者であることを伝えながらも、続けての、それ以降の攻撃が、ない。


「――ツカサくん! 大丈夫、ツカサくん!」

 再度、そう安否を気遣うマモルの声が届いた。

 まったく、心配性な相棒である。

「ああ、心配ない、お前のおかげでな、やっぱりおまえは……」

 答えながら、己の本来の役目を思い出し、上空へと目線を向ける。

 そう、今は……

「しまった」

 目の前の状況が、ツカサの眉間に、深い皺を刻む。

「――取り逃がした」

 薔薇の怪異ローズ・ウィッチは、かき消すようにその巨体を消失させていた。

 あれほどの巨大な体躯が、最初から何もそこに存在していなかったかのように、風雨だけがその場を支配していた。

 怒りと自責に震える雷の魔法つかいの辛うじての自制で、一条だけの雷光が閃いて辺りを眩く照らした。


 湯気に煙る白い照明と窓から差し込む日差しをを眩く思いながら、温かいシャワーを浴びていた。

 ざっと汗を流し、ここに来てから随分伸びた髪を一つにまとめて、沸かし直した湯船に身を沈める。

 お湯の中で手足を伸ばすと、やはり一晩不安定な姿勢で寝ていた後らしく、節々に鈍い痛みが走る。が、それもしばらくのことで、やがて癒えてゆく。

 喉から絞り出すような吐息をつきながら、大きく伸びをした。


 今さらながら、あらためて、前回起こったこと、まとめ。

 教皇院からやってきた魔法つかい、狗戒かなめさん。

 サイドカーゴ付バイク〈ケルベロス〉を華麗に乗りこなす、ラフな身なりの、シングルテールの似合う饒舌で洒脱なおねえさま。

 武器はニードルショットと見せかけて、血肉に溶けて一体化した狼。

 あと美人で素敵に胸が大きい。

 彼女に、先生みたいに教えてもらった、魔法について、魔法つかいについてのあれこれ。

 彼女自体も色々と曲者ではあったのだけれど、くおんさんも折紙をつけるその実力は本物で。

 彼女と協力して、なんとかウィッチを殲滅することに成功した。

 ――そして最終的に、狗戒さんに、ぼくの秘密がばれた。

 一応、以上。


 こつん、こつん、と、硬いものが、浴室のガラス戸を数回叩く。

 続けて、向こう側から聞こえる声。

「邪魔すルゾ、昴一郎」

 ん、その声はびゃくやだな。

「はいはい……何だよ、ひとにあれこれ言っといて、自分も水浴びしてなかったのか」

 湯船から一度出て、闖入者を迎え入れる。

「失敬ナ、コう見えて私は綺麗好きだ、羽繕いと水浴びは欠かさン」

「知ってる」

「君と違っテナ」

 ひとこと多い。

「ぼくだって、普段は毎日ちゃんと入浴するよ」

「私は単に、君と二人デ朝湯としゃレ込もうと思っタだけなのだがネ。セっかク一つ屋根の下で、同じ主人に仕えていルノだ。そウイうコトがあってモいいものじゃないか。そレトも、君は私とごトきとは浴室を共にしたくないというのカネ」

 ……一言言い返すとこれだよ。

「わかったよ、いいよ、手桶でも洗面器でも好きなように使っていきなよ」

「では、ここを使わせてもラオう」

 そう一言言うと、びゃくやはふわりと舞い上がり、改めて湯船につかったぼくの頭に移動する。

「おい。それ意味あるのか」

「ふム……蒸気がいい感じだ」

「……随分風流な温まり方するじゃないか」

 苦々しく思いながら、びゃくやを頭にのせたまま背中をたわめ、口と鼻がお湯につかるかどうかのところまで、身体を深くお湯に浸けた。

「おお、湯気が近くなった、こレハ気持ちがいいぞ、昴一郎」

 はいはい、よかったですね。

「で、なに?」

「ン? 何とハ、何だ?」

「そろそろ本題入ってくれよ」

 まあここ数か月の付き合いで、びゃくやの性格はおおよそ判ってきたというか。

 彼がこういうわけのわからん行動をするときというのは、

「ぼくに話があるんだろ?くおんさんのいないところでさ」

「……ふむ」

「まったく、これじゃ、2人してくおんさんを裏切る相談でもしてるみたいじゃないか」

 まあ、今のところ、ぼくはくおんさんを裏切るくらいだったら死を選ぶつもりでいるし。

 びゃくやなんて、およそくおんさんに対する忠烈という意味では、ぼくすら及ばないと思っているくらいなのだけど。

「話というのはまア……君のこトサ」

「だろうと思ったよ」

 びゃくやを頭上に乗せたまま、ざぶりと湯船から身を起こし、壁に掛けられた姿見の前に立つ。

 そこに映る、自分の姿。

 生白くて肉付きの薄い男らしくない体に、今は我ながら異様なものがある。

 胸に赤黒く浮き上がった、古い傷のような跡だ。

 ぼくの人生の浮沈を左右している。――ウィッチの呪い、その証である。

 普段は肌に溶け込んだように薄れて見えないが、運動や入浴で血行が促進されたり、精神的に昂ぶったとき、……こうして、見えるようになる。

 今のところくおんさんの加護のおかげでこれ以上の浸食、拡大を抑えられて生き延びてはいるが、本来ぼくは、この痕がある限り、ウィッチに殺されるか、魔法つかいに殺されるか二者択一、どちらがマシかを選ばなければいけない身の上、である。

「……さテト、どうしたものカネ」

 しかし何でばれたのか、どの時点でか…と言えば、意識を失い、しばらく彼女に抱きかかえられていた時があったから、まあその時なんであろう。

 今の所、ぼくは変わらず、この館に住まわせてもらい、くおんさんの厄介モノという立場に居座り続けている。

 そう、今のところは。

 どうやら、狗戒さんは教皇院付きの魔法つかいでありながら、ツクヨミがウィッチの呪い持ちを匿っていると言う、多分そうはないであろう不祥事に対して干渉するつもりはないらしい。

 ぼくにとっては願ってもないことながら、彼女の考えを未だ測りかねている。

 人類を護る砦、正義の組織たる教皇院ではあるのだけれど。

 その上層部は、どうにも舌打ちしたくなるような、身勝手で都合のいい冷酷さに満ちていて……。

 くおんさんの名誉のため、尊厳のためというならばまあ良しとしても、さしたる必然性もなく教皇院のお偉い方々のお気持ちひとつを満足させるために嬲り殺しの憂き目にあうのはどうか遠慮させてもらいたい。

 ……というのが、正直なところである。


「少なくとも、狗戒さんは不誠実な事はなさらないと思います」


 と、くおんさんは言っていた。

 ぼくも、そうであると信じたい。

 狗戒さんには助けてもらった、色々な事を教えてもらった。

 彼女自身の人格には、好感を持っている、彼女のことを悪く言いたくはない。


 ただ――どうも、狗戒さんというのは、教皇院の組織内において、汚れ仕事、表ざたにできない、したくない、後ろ暗いあれこれを隠密裏に治めるための人材であるらしいということも、ぼくは狗戒さん本人から、意図は不明ながらそう勘づくように仕向けられていて。

 ……その、彼女の背負ったものを思う時。

「狗戒さん、確か言ってたよな」

「ン?」

「自分は生きるために、勝つために卑劣なこともするって、だけどそれを当然だって容認するなって、そういうニュアンスのこと」

 あれは、どういう意味なのだろう。

 もしかして彼女には彼女の思惑みたいなものがあるんじゃないか。

 そういう念が頭をよぎるのを、ぼくは禁じられずにいた。

「まあ、とりあえず、様子を見るしかないだろ。だからさ、いよいよ危なくなったら、ちゃんと全部ぼくのせいにしてくれよ? ……ぼくが、我が身かわいさで卑劣にもくおんさんを、11歳の女の子を脅して保身を図ったとか、そんな感じで。まあその時はぼくもできるだけそれらしく、クズ野郎っぽく振る舞うからさ」

 鏡に映る頭上のびゃくやに、そう答える。

「後はまあ、くおんさんがそれで納得するようにも君から言ってね」

「……君は、君はまた、平気でそウイうこトヲいう」

「いや、君にもくおんさんにも、悪いとは思うけど、それはやっぱり元からだしさ。……びゃくや?」

 つらつらと思うことを言葉にしてゆく。と、びゃくやの返事がない。

 日ごろあれほど口の達者なやつなのに。

「……びゃくや?」

 もう一度、名を呼んでみる

「……君は本当に、それデイいのか?」

 少しの間をおいて帰ってきたのは、そんな言葉で。

 もういつの間にか聞きなれたはずの、別々に録音した音声を繋ぎあわせたような、ところどころ奇妙なイントネーションのその声は、どこか硬く、震えるように聞こえて、

「まあ、……嘘は嫌いなんだけどね」

 とだけ、返した。

 くおんさんの名誉には多少傷がつくかもしれないが、表だって叛意を疑われるだのするより、よほどマシだろう。

 やはりあまりにも幼い魔法つかいを単独で難しい局面に投入するというのは問題だ、と見直す切っ掛けにでもなってくれれば、御の字だ。

 もともとそうであれば、ぼくなどその場で即座に殺処分だ。

 教皇院のえらいひと達における自浄作用というものを、高く見積もり過ぎかもしれないけど。

「……そウか」

 ぽつりと、頭上からそんな声が降ってきた。

「せっかくの料理番を失うのは、心苦しいガな」

 そうそう、ぼくたちには、こんなやりとりが合っている。

「まあ、次はちゃんとした本職をさがしてよ、こんな素人じゃなくてさ。ぼくがいなくて不便になるの、せいぜいそのくらいだろ?」

「あとハそう……この際君でいイいかト思ってたンだが、くおんの為の害虫避けも、また探さんとネ」

「……ああ、そっち?」

 ……そう、個人的に頭が痛いことがもう一つあって。

 件の、狗戒さんとのやりとり。

 その中でぼくは、教皇院最強たる133代目ツクヨミ・剣の魔法つかいである斎月くおんさんという11歳の女の子が、組織の中で非常にデリケートな立ち位置にいるということを、伺い知ってしまった。

 まあ、メイドさんたちの彼女への接し方とかを見るに、これまでも感じないわけではなかったのだけど、……何というか立場が不自然に不安定だ。

 もちろん、戦闘能力が高いというだけで多大な権限を与えられてしまうというのはそれはそれでリスキーな話だし、人格不問、経歴不問とはいかないだろう。優秀な戦士が組織運営においても優れているとは限らないし。

 まして教皇院はいちおう「人類を護る、正義の組織」だ。

 単純な戦闘力だけではなくて、人類と魔法つかいの未来、かくあるべしというビジョンを示し、正しい道だの希望だのを提示し続けるような資質も求められるはず。

 大体において、くおんさんはともかくとして、あまりにも最初から群を抜いて優秀な方というのは、その過剰な優秀さが仇となって、大半を占める優秀でないひとの心情が判らなかったり、自分にできることが誰でもできると誤認してしまったりもするものだし。

 あくまで最強の戦士としての名誉は与えるが、組織の中での実権というのはまたそれとは別。とするのもひとつの見解ではある。

 だが、それにだって限度がある。

 優秀な戦士であれば、個人的な戦力以外にもその知識と経験自体が財産になるだろう。

 より有効に、適切にその力を発揮させるためその意見を容れるのも必要となるはず。

 現状のくおんさんは、と見ればほとんど拒否権も一切なしに連日西へ東へ。

 ひとを守るため、悲しむひとを増やさないためなら己の労苦は惜しまない、協力がなかろうと己ひとりの努力で普通なら不可能なことだって成し遂げる、単にくおんさんがそういう性格だというだけでは、収まらない気がする。


 加えて、はっきりとは聞きづらいからどうも程度がよくわからないけれど、血縁・血統に重きを置く魔法つかいの社会と教皇院において。斎月家・斎月一族というものが組織立った勢力としては存在していないらしいのである。

 つまりどうなるかというと。

 ――くおんさんは、近い将来。婿を取って血筋を繋げなければいけなくなる。

 それも、できるだけ由緒正しく、魔法つかいとして優秀である男性を特に選んで。

 それこそ、くおんさんに弟でも従兄弟でもいてくれれば済む話なのだけど、そうはいかないらしい。

 この20世紀も終わり近くになって些か時代錯誤というか、そういう感がある。

「その害虫避けって言うのは、どういうことをすればいいのかな」

 くおんさんが自身が望む相手であれば、それは喜ばしいことなのであろうけど、問題はそうでない場合。

 権力闘争で勝ち残ったというだけの、狗戒さん言うところの永久に軽蔑されるべき輩をなし崩しに押し付けられる場合、である。

「アレか? 社交パーティとかで、くおんさんが穀潰しどもに言い寄られて迷惑してるときに、さっと割って入って「くおんさま、あちらで教皇さまと戦部卿がお呼びです、ご挨拶を」とでもかましてその場をぶち壊すとかすればいいのか? 少女マンガみたいにさ」


 教皇さまも戦部卿も見たことないけど名前をお借りしてみました。


「君は、少なくとも口先ではソういウのは社会を回すための方便として受け入れルカと思っていたガ、存外に殊勝、存外に協力的じャナゐか」

 「女の子」としてのくおんさん自身を権力ゲームの材料にするような、そういうひと達の存在を親くおんさん武闘派の狗戒さん辺りは面白くなく思っているらしくて、そういうときには庇ってやってくれ。できれば周りが暗に慮って自重するように振る舞ってくれと、折り入って頼まれてしまったのであった。

「ほかならぬくおんさんのことだよ? ぼくだって気になるさ。君だってそうだろ?」

「私はくおんのアシストが使命ダ、くおんの魔法つかいとしテノ力を常にベストの形で発揮できるよウ維持するのガ役割ダ、くおんの士気を低下させル可能性が高い申し出ハ拒否を進言することもあル」

 時代劇とかを見ていて、あまりにも臆面もなく、「(作り手の脳内における)現代女性」のように「自分の目で確かめとうございますう」とか「会ったこともないお方のところには行きとうありませぬぅ」とか言ってるのを見たりすると、馬鹿野郎劇中何年だよと突っ込みたくなるものだったけど、それはやっぱり他人事だから言えることであって――

 いざ実際に、知り合いの女の子が〝諸事情〟で意に染まぬ相手を押し付けられるとなれば、こんなにも気分が悪い。

 まあほら、御剣昴一郎は一応二十世紀の生まれだしさ。

 

 くおんさん。――ぼくの大切な、ご主人様。

 どうかあの子には、よき今日とよりよき明日が訪れますように。 

 非力な身ながら、そんな風に願わずにはいられない。

 となればやっぱり、くおんさんに自ら見初めた想い人のひとつもできてくれれば、ぼくも安心できるのだが。

 ああ、どこかにいないものであろうか。

 ぼくから見ても、くおんさんをお任せしても良いと思えるようなとてもとてもすばらしい殿方。

「ねえびゃくや」

「ン?」

「知り合いでいない? 強くてハンサムで、頭が良くて、人柄も高潔で優しさと思いやりに溢れてて、できればおまけで後ろ盾になってくれるような大層な家柄も付いてくるような素敵な男性、それでいてくおんさんがにっこり微笑みかけたらコロッと落ちてくれそうなチョロそうなの。あ、でも誰にでもチョロいのは駄目だよ、一途にくおんさんのことだけ大切にして、くおんさんにだけ尽くしてくれそうな人」

「そういう質問ヲ投げかケル相手が私しかイナいってのガ君の不幸だよなァ……」

「……あと、ぼくから見ても、この人ならいいなって、納得できるようなさ」

 という条件を、もうひとつ付け加える。

 途端、頭上から、びゃくやが小刻みに振動するのが伝わってくる。

「……ヱ、まず、君の感覚で? 待テ、地球上に実在するのか、それは」

「いやいや、流石に地球人に絞ってよ。何だ、そんな難しいか? だってくおんさんとの交際を希望するって言うんならそのくらいは満たしててもらわないとさー」

「最後の奴がナー……ナー……」

 小刻みな振動が続く。何だこいつ、何かを堪(こら)えてるのか。

「じゃあさ、質問変えるよ。くおんさんって、好きな男の子とか、いそうにないのかな? そういう相手がもう本人にいるんなら、自然と外野の声は耳に入らなくなるだろ?」

 くおんさんだって、ぼくよりはびゃくやの方がまだそういう相談をしやすいだろう。

 突如、頭上の小刻みな振動が「強」になった。

「何だ、具合でも悪いのかびゃくや」

 と尋ねてみれば、

「……ン-、まア? ……気になッテル相手? ……くラいは? ……いルみたいよ?」

 という答えが返ってくる。

 ちょっと意外、……というか。

「え、何だよそれ」

 だったら話は早いじゃないか。

 そんなひとがいるんだったらこの御剣昴一郎、ひと肌もふた肌も脱ぎますよ。

 うんうん、そうだよな、11歳だもんな、そういう相手くらいはそりゃいるよな。

「で、誰? ぼくも知ってるひと?」

 ――ぼちゃん!

 小刻みに振動し続けていたびゃくやが、ついにぼくの頭上からずり落ちて湯船へ滑落した。

 びゃくやをお湯の中から掬い上げ、手で抱えて聞いてみた。

 白い羽毛が水をかぶり、全体的に一回りカサが減って面白いシルエットになっている。

「なんだよー、教えろよこいつー」

 どうしたんだろうこいつ、何ふざけてんの?

「でハ……デは昴一郎、君も私の問いに答ヱてくれまイカ?」

「おー、なんだよ。くおんさんと関係あること?」

 と、予想していなかった発言である。

「昴一郎。……おメー誰が好きなんだヨー」

 どうした、口調が違うぞ。ここは修学旅行の男子湯じゃないぞ。

 びゃくやはぼくの手の上で、首を捻ってぼくの顔面に嘴を突き付けるみたいにして尋ねてくる。

「……いや、特にいないけど」

 と、思わず正直に答えてしまう。

「アー、そーユーノ、楽しくなーイ、おーしーエーローよー」

 びゃくやはそう言いながら水を蹴立てて飛びあがり、今度はぼくの頭上ではなく顔面に飛び乗ろうとして来る。蹴爪が顔に刺さって地味に痛い。

「何だよ、ほんとにいないって!」

 だから、それがくおんさんと何の関係があるんだよ、無関係だろ!

 腕を伸ばしてびゃくやを捕まえようとする。

 びゃくやはそれを掻い潜ってぼくの顔の上で足踏みする。

 お風呂場に似つかわしくない喧騒。

 そんなやり取りは、

「びゃくや? 昴一郎さんと一緒にいるの?」

 という、脱衣場からの声に遮られる。

 え?

 えええ?

 ええええええ?

 ――この館には、ぼくとくおんさんとびゃくやしか住んでいなくて、

 そのうち二人がココにいて、外から声がかかるってことは、来客でもない限りは、くおんさん以外ではありえないのだけど。

 まさか、と思う。

 脳裏をよぎるのはつい十分ほど前のやり取り。

 ――一緒に入って背中を流すとか言い出さない内に行って来い。という、びゃくやの冗談。

 そう…流石に冗談だと思っていたけど。


 むむむ。

 しまった、少し前に、「ちょっとしたトラブル」が発生したせいで、相談の上で「入浴時は必ず内側から鍵をかけること」「やむなく急ぎで開け閉めするときは必ず声掛けとノックを」という、この共同生活を円満に送るための約束事を設けていたのだけど、しまった――びゃくやを迎え入れたときに鍵を開けて、そのままだ。

「おいびゃくや……こういうことはしないように、言ってくれてるんだよな?」

「えヱと……私は退散しよう」

 ぷるぷると身を震わせて羽の水を払い落とすと、びゃくやは脱衣場の反対側の天窓から、外へその身を躍らせた。

 おのれ裏切り者!

 あいつこういう時、いつも躊躇なく逃げるよな。

「……昴一郎さん、そこにいらっしゃいますか?」 

「あ……はい、御用でしたら今あがりますので、少し待ってもらえますか」

「いえ、そのまま、お湯につかったままで結構です」

 くおんさんはいつもの、落ち着いた、大人びた声で、

「少し、わたしとお話しませんか?」

 と、言った。

 一体これはどういうことだ。

 お風呂場で、あられもない格好で擦りガラス一枚隔てて、11歳の女の子、しかも加えて言うなら、〈とてもかわいい〉11歳の女の子と言葉を交わす。

 ガラス戸に映る影の形からすると、一分の節度と慎みか、背中を向けて立っているようだ。

 あまり強硬に断るのも気が引けるのは事実だけど、……実際はずかしいし。

「ちゃんと一人でお風呂までたどり着けたか、心配になったので」

「どこまで信用ないんですかぼくは」

「……というのは冗談ですけど」

 普段まじめな人の不意の冗談は破壊力がある。一瞬真に受けてしまった。

「びゃくやは?」

「……窓から、いっちゃいました」

「そうですか、昴一郎さんとびゃくやは仲がいいですからね。あんな風にお風呂場で二人きりで、わたしがいないところでないと話し難いこともありますよね。……わたしは別に気にはしていませんけど」

 ……うう、どうしたのだろうか、今日のくおんさんは妙に意地悪だ。

 それとも朝の一件で、まだ機嫌を損ねていらっしゃるのだろうか。

「……でも、良かったです、できれば、昴一郎さんにだけ聞いてほしい話だったので」

 というか、こういう状況シチュエーションに追い込まれてしまっては、何を聞かれても取り繕おうとするだけみっともなくて、隠し事などしようもないと言う状態に追い込まれてしまった気がする。

 くおんさんが策士というよりも、単にぼくが勝手にドツボにはまったのだけど。

「わたしだって、横槍の入らないところでお話ししたいことくらい、あるんですよ?」

 確かに、これまでくおんさんと本当に二人だけになる機会って、意外となかった気がする。

 大体びゃくやか狗戒さんが一緒だったし。……そうなると、その辺のひと達が茶々を入れたり、横から囃したりするのが何となくパターンとして成立してしまってるというか。

「さっきの話のことですが。……あまり真に受けないでもらいたいんです。ほら……お母さんとか、お姉さんとか」

「あ…ああ、あれですか、うん、確かにそういう話もしましたよね」

 あれもなかなかに破壊力がありました、はい。

「変なことを言ったんじゃないか、変な子だと思われてしまったんじゃないかって、心配になって」

「けど、あれは冗談で」

「って、思いましたか?」

 ――え。

 いや、冗談だと思ってました、思ってましたけど。

 アレが冗談じゃなかったらと思うと困惑するしかなくて、ぼくはお湯につかったまま硬直する。

 答えを返すことができないままでいるぼくに続けて投げかけられたのは。 

「わたしには前から、昴一郎さんにお願いしたいことがあるんです」

 というくおんさんの言葉だった。

 これは居住まい正して傾聴すべきことである。

 くおんさんが、ほかならぬくおんさんが、ぼくに頼みごととは。

「何ですか? くおんさんの願いだったら、ぼくにできることなら何でも、何でもします。天竺の火鼠の皮を取って来いでも、ネメアのライオンをぶち殺してこいでも、冥王星まで行ってこいでも」

「冥王星には行ってもらっても仕方がないですけど」

 聞きなれた、少し困ったような、苦笑を含んだ声で、答えが返される。

「その前に、ひとつ答えてください。――昴一郎さん、わたしは、頼りないですか?」

 重ねて、もう一度くおんさんは問いかける。

「わたしでは、頼りになりませんか? 信頼できませんか?」

 それは――空をかけ、地面を返し、手にした一刀を持って異形の魔物を屠る教皇院最強の魔法つかい。

 そして、自分のことさえ見捨てようとしまっていたぼくを「とりあえず、生きられるだけでも生きてみるか」と思わせてくれた女の子の言葉とも思えなかった。

 ――どんな人にも、本人でないとけして判らない、窺い知れない悩みや葛藤があるものらしい、なんて、今朝方思ったことが、改めて脳裏に浮かび上がった。


「……そんなことはないですよ」

 だから、そういうしかなくて、

「ぼくは、くおんさんを、信じています」

 思った通りを、口にする。

「心から、信じています」 

 恥らうように、では、と間を置きながら、くおんさんはぽつりと呟いた。

「わたしのこと、憶えていてください」

「……それって」

 ぼくたちの間での、共通認識。

 もともと取るに足らない粗悪物、投げ売り価格の御剣昴一郎は、自業自得で世間の皆様に迷惑をかける有害物体と成り果てた。

 それが有害物体のまま処分されちゃうか、ただ役に立たないだけの粗悪品に戻れるか不明ながら。いつか、ぼくはこの館からいなくなる。

 どうも、くおんさんは、そのことを言っているようである。

 確かに何というか、普段、話題に上げづらい事柄ではあるけど。

「はい、だから、今のうちにお願いしておきます。――できれば、ここを離れた後、わたしのこと、少しでいいので、憶えていてください」

 声の調子から、冗談とも思えない。

 どうも本当に、普段けして表に出さない密やかな胸中を、小さなころに負った傷口を見せるように、そっと覗かせているみたいだった。

「……もしここにいる間、昴一郎さんが、わたしをお母さんみたいに思ってもらえれば、わたしはより長くあなたの心に残れたりするのかな。と思ったんです」

 ぼくは無言のまま、くおんさんが紡ぐ言葉を聞いていた。

 ちょっとこれは、さっきびゃくやと話していた、色恋の話なんか切り出せる雰囲気ではない。

「わたしはその……自分でも思うくらい、普通の子供らしくないというか、女らしさに欠けるというか、どうも、女の子として覚えていてもらうのは難しいのかなと、思ったもので。……だったら、せめて、あなたを護ってあげられる力の方だけでも信じてほしい。頼って、何かあった時には何でも相談してほしい、と思うんです」

「……お母さん、みたいに?」

「……はい」

 まあ、ぼくは本当の母のことを覚えていないし、そういう意味では、既にくおんさんには血縁上の母以上にお世話になってしまっているのだけど。

 擦りガラス越しの背中が、何だか。

「くおんさん、その、たぶん、ですけど」

 何だか寒風の中で、たった一人で立っている姿のように見えて。

 それでも、決して弱弱しくはないと、そう言えるもので。

「今さら、くおんさんのこと忘れるなんて、できないと思いますよ」

 と、答えていた。

「……そう」

 くおんさんは短く言って、

「そう言ってくれるんですね」

 と、言葉をつなげる。

「いつかお別れしても、その後昴一郎さんには、自分の人生が待っています。だから、この話は前にもしましたけど、この世界にはウィッチがいるけど、ちゃんとそれに立ち向かう力はあるって、わたしがいるって、そう思って生きていってもらいたいんです」

 ああ、確かにくおんさんはそういってくれた。

 くおんさんがそう言ってくれたこと自体が、ぼくにとっては、衝撃的な出来事だった。

「己が世界を肯定する、生きてゆくためのよすがとなる、――それがきっと、わたしの役目だし、わたしの考える、わたしのなりたいツクヨミなんです」

 と、くおんさんは締めくくった。

 まったく、どこまでも献身的というか、理想を求める意志が固いというか、何というか。

 ……ああもう、これだから、これだからぼくはこのひとから目が離せないし、気になって仕方がないのだろう。

 どうか、負けないで。

 ウィッチにも、教皇院にも、あなた自身の運命にも。


 湯冷めしないようにしっかり温まって、とくおんさんに念を押されて、肩までつかって100数えてからお風呂場を退出。

 身支度を終えて脱衣場から出ると、そこには案の定というかやっぱりというかくおんさんがいて。

「……待ってたんですか?」

 と聞けば、無言でこくんと頷いて返される。

 どこかきまり悪い思いを覚えながら二人並んで廊下を渡り、食堂へと。


 一歩前に出て、重い食堂のドアを開けてくおんさんを中へとお通しすると、

「戻ったばかりのとこロ悪いガ、ウィッチだ、くおん。――ああ、昴一郎、君にもきてもラウぞ」

 と、びゃくやに出迎えられた。

「本当に…気を付けてくださいね」

 と、ぼくは言い、

「はい、わたしは、どんなウィッチが相手でも、けして負けませんから」

 と、くおんさんは返した。

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