第五夜「ソードオブジワン」(Aパート)①

 ――前回起こった事、まとめ。

「昴一郎さん、まだわたしが話している途中です。……こちらを向いて下さい」


「……すみません」

 さて。くおんさん、ぱっと見、表情からは伺いにくいものの、微妙に下唇をはむっと噛んでいる。

 まあ、ぼくレベルにならないと気づかないだろうけども。

 さすがに今回ばかりは罪悪感で胸が痛い。

「つまり、わたしが部屋を用意していることをわかっていて、帰り方がわからなかったわけでもなく……にも関わらず、昴一郎さんは部屋に帰らず、この台所の椅子で眠って一晩過ごしてしまった。ということになります」

 ……これはまさに神をも悪魔をも恐れぬ所業と言えよう。

 自分がこれほどに豪胆な男とはついぞ知らなかった。

 御剣昴一郎、一身是胆也。

「……ん。ここまではいい、ここまではいいのです。良くはありませんが」

「す」

「す?」

「……すみません」

 くおんさんは、眉をひそめ、

「どうも、誤解があるようですが、わたしはけして昴一郎さんを責めるつもりはないのです」

 という。

 であるのならば、これ以上問い詰めずにいただければ幸いなのですが。

 既に十分反省はしています。

「ですから、すでに犯してしまった過ちの話ではなく、これからの為に、どうするかを考えましょう」

 過去の過ちを云々されてしまった。

 小学生女児にである。

 しかしここは甘んじて耐えねばなるまい。

「つまり、今後どうすれば、昴一郎さんがきちんと布団に包まって、横になって睡眠をとれるのかと言う事です」

 まあ、そういうことになるであろう。

「……ですから、今夜から、わたしが部屋までついていきましょう」

「じょ、」

 冗談ですよね、そう言おうとした声は

「冗談で言ってるわけではありません」

 と、遮られる。

「……昴一郎さんは、ちゃんと目をつぶって、寝息を立てるまでを確認した方がよさそうですから」

 おはようからお休みまで、ぼくの暮らしを見つめるくおんさん。

 申し訳なさ過ぎて涙が出そうだ。

「……それともいっそ、昴一郎さんのお部屋というのは廃止してしまいましょうか」

 貴様のような自堕落な男に個室はもったいない、そんなにも台所が好きであるらこの台所で寝起きするがいい、貴様にはそれが似合いよと言う事か、それは流石につらい物がある。

 ……が、というわけでは、もちろんなくて、

「……そうですね、昴一郎さんのベッドをわたしの部屋に運び込んで、一緒の部屋で寝起きしましょう」

 さらに想像を上回る答えを、くおんさんは有していた。

「いや、あの、くおんさん?」

「それに、以前に魘されていたようですが、ああいうことは頻繁にあるのでしょうか」

 ……ええ、と?

 夢見が悪くて、うなされたこと?

 それでそれを、くおんさんに見られたこと?

 あった……かな?

「でも、くおんさんに寝てるところ見られたことありましたっけ」

「少し前に、悪い夢を見たといって、具合悪そうにしていました」

 ……ああ、でもあれはその。

「あとは、狗戒さんに聞きました」

 ……おのれ狗戒。

 くおんさんに何告げ口してるんですか。

「……気づいておられないと言う事なら、多分実際の頻度はそれ以上ですよ」

「そういうものでしょうか」

「なら、苦しそうな声を上げているとき、すぐ起こしてあげられますし、それも利点ですね」

 妙な現実感を伴って、脳裏に像が浮かぶ。

 悪夢にうなされ、汗だくになってうめく己と、心配そうにその枕元に寄り添い

 ――大丈夫です、わたしがここにいます、怖い夢はもう終わりました。と、宥めるように声をかけ続ける、寝間着姿のくおんさんの姿、である。

 いくら何でもあんまりだ。ぼくにも最低限の……最低限の、何かがあるはずだ。

 そう思い、くおんさんの肩に視線を送る。

 いない、びゃくやがいない。

 ……逃げたか、いや、こういう状況ならどこかで高みの見物を気取っているはず。

 ばさばさと羽ばたきの音に、視線を向けてみれば、びゃくやはいつのまにやら、調理台の隅の、食器棚の脇に移動していた。足元には、広げたメモ帳。

 びゃくやはさらさらと爪に挟んだペンを走らせると、嘴でメモ帳を咥えて、放ってよこす。

「その辺にしておいてやってくれ、くおん!」

 と、走り書いてあった。

「君の憤り、怒りは私も我が事のように判る、もはや堪忍袋の緒も限界、怒髪天を突かんばかりというところだろう、だが流石に少しかわいそうになってきた、これ以上いじめてやるな」

 と続く

「わたしは、昴一郎さんをいじめるつもりなんて」

 くおんさんはそう反駁するのだが、それは、

「クァー、クワァクワァ」

 という鳴き声に、妨げられる。

「何て言ってるんですか?」

「え……」

 口ごもるくおんさん、何かよっぽど辛辣なことでも言ってるんだろうか。

「わたしからいうのは流石に……」

「いや、気になりますし……教えてください」

 少し逡巡するも、くおんさんは言いづらそうに眉をひそめて口に出した。

「……悲しいなくおん、昴一郎にも反抗期が訪れたらしい、もう君だけのかわいい昴一郎ではないのだなあ。だがそれが成長というものだ。――だそうです」

「ぼくを七つかそこらのショタっ子みたいにいうのやめろよな!」

「……びゃくや、わたしは真面目に話をしてるの」

 口々に言うぼくたちに、びゃくやは澄ました顔を少しも崩さず、

「クワっクワっ」

 と答える。

「言いたいことがあるならちゃんと紙に書けよ!君が何言ってるかまだ判らないんだよ!」

 と詰め寄れば、びゃくやはしゃあしゃあと片足を動かす仕草をした。

 「書くものをよこせ」らしい。

 とりあえず、求められた通りにしてみる。

 さらさらとペン先を走らせ、広げたページに何事か書きつけると、びゃくやはそれを示した。

「君がハイハイしながらくおんの後をついて回っていた頃を思い出すなあ、昨日の事の様だよ」

 と、書いてあった。

「変な物見るんじゃないよ!」

 しかしびゃくやはいささかも動じず、次のページを開いてペン先を走らせる。


 いちまいめ。

「何だ、本当に忘れてしまったのか?」

「……えっ?」

 あ、あれ、そうだっけ?

 そう、……ぼくはこの邸でくおんさんに育ててもらって…

 いや、ないよな、大丈夫だよな?


 にまいめ。

「君はどんなにぐずっていても、くおんが抱き上げるとすぐに泣き止んだではないか」

「……くおんさんこいつれてます!ぼくの過去を捏造しています!」

 ああ危なかった、そう、おもえばぼくにはちゃんと幼い日からの思い出が、

 ――例えば、ミツヒデさんの、

 ――例えば、あの養護施設の、

 ――例えば、マサト兄さんの、

 それから……

 ……まあとにかく、間違いのない明確な記憶が、あるのだ。

 流石に強い口調でそういうと、びゃくやは鼻で笑うように

「カーッカッカッ」

 と一声鳴くと、羽ばたきひとつ、食器棚の上に飛んでぼくを見下ろす。

 まったく筆癖の悪いカラスさんである。

「ほんとにもう……いいか、ぼくはくおんさんの息子でも弟でもないからな?」

 言った、その直後。

「――お嫌なんですか」

「へっ?」

「昴一郎さんは、わたしの弟や息子と言う立場はお嫌なのですか」

 困惑する。予想外の角度からの一撃である。

 何なのだろう、くおんさんの表情が、露骨に「不本意である」という無表情である。

 けれど…まあ確かに、内容からして、そこまで嫌悪を前面に出すのも失礼ではあるかという部分も、まったくなくはなくて。

「あ、いやその、今のはですね、けしてくおんさんの弟とか息子とか、そういう立場が嫌だとか、そういう趣旨の発言ではなくてですね」

「では、どういう意図なのですか?」

「ええと、その、」

「わたしでは、昴一郎さんのお姉さんやお母さんには、なれませんか?」

 ――だってくおんさんランドセル背負ってる御年ですし。

 というのは、口には出せず。

「いや、その、ぼくはくおんさんに仕える身ですから……弟や息子みたいに扱ってもらうのは…」

 と、お茶を濁そうと試みるモノの。

「……そう思われるのであれば、自己管理はきちんと。昴一郎さんが色々とわたしの為に工夫してくれていることは知っていますし、嬉しくも思いますが、まずは自分の体を労わってください、まずはそこからお願いします。そうでないからあなたのことを弟みたいに心配してしまうのです」

 と、やっぱり話はソコに帰結する。

「昴一郎さん。……自分の体のことは、わかっていますよね」

 くおんさんが、改めて、穏やかな声で問いかける。

「いいですか? あなたは、不意に、意識が途切れたということですよ、……そんなことがあれば……」

 彼女の身としては、心配にもなる。……か。

「あなたにとっては特別な事ではなかったのかもしれませんが、あなたは、二度もわたしを助けようとしてくれました、わたしは、二度もあなたに血を流させてしまいました。そんなことがあれば、わたし自身がわたしをけして許せません」

 そこまで言ってくおんさんは、

「あなたはわたしにとって、特別なひとです」

 と、付け加えた。

「――あなたが体調を崩されたりしたら、わたしが心配するということだけは、どうか、ちゃんとおぼえておいてください」

「……肝に、銘じます」

 居住まいを正し、もういちどはっきりとそう告げる。

 ぼくの答えは、どうやら彼女の求めるところを満たしていた。……ようで。

「本当に、――ほんとうに、これからは気を付けてくださいね?」

 口元に人差し指を寄せて、「仕方のない子ね」とでも言いたそうな、年上の女のひとみたいな微笑みをみせると、岩をも貫き鉄をも引き裂くはずの指先が、繊細な美術品にそっと触れるような優しさで、とん、とぼくの額に触れた。

 どうやら、納めてもらえた……らしい。

「それで、遅くまで、何をされていたのですか?」

 と、問われ、

「ああ、ローストビーフ作ってたんですよ、くおんさんにおいしく食べてもらおうと思って」

 と、応えてみる。

「……ろっ…!」

 くおんさん、息を呑んで、目を見張っていた。こういう時の顔は子供っぽくて、普段にないかわいさがある。

「あれ、もしかしてお嫌いですか?」

「い……いえ、嫌いではありません。……いえ……むしろ大好きです」

「そうですか、良かったです!……じゃあ、どうしようかな、サンドイッチとかどうですか?」

「え、ええと……」

 しばし、と言っても数秒、目を泳がせるくおんさんだが、それもわずかのこと、どこか自分を叱りつけるように、

「……んっ!」

 短く言うと、

「毎回毎回、肉を食べさせればわたしが機嫌を直すと思われているんじゃないですよね」

 と、ぼくに疑いの目を向ける。

「それは、その」

 ――ちょっと思ってました。

「その点、どうなんですか」

 ちょっと詰問口調のくおんさん、そこに割って入る様に、

「ハハは、こレデ話ができルナ、昴一郎」

 という言葉と羽ばたきの音と共に、頭上に感じる質量。

「ああ、そうだね、君はずいぶん好き勝手言ってくれたけどな」

 びゃくやが、ぼくの頭に移動していた。

「……そこ、好きだねぇ」

「前々から言おうと思っていたけど、昴一郎さんの頭にのるのを止めなさい、失礼でしょう」

 いや、ぼくがびゃくやの立場だったらと考えるとですよ、くおんさんの頭は腰掛けにはできないけど、御剣昴一郎の頭だったら腰掛けにしても心が痛まないで済むかなって。

「ところでダ、昴一郎、沸かし直していいから風呂に入って来い、匂うぞ」

「えっ?嘘」

 腕を顔に近づけ、匂いを確認する。

 ……焼き肉と、ニンニクと、コショウの匂いがした。

 いやまあ、料理してましたもので……

「……匂いはともかく、いちどお湯につかって体をほぐしてきた方がいいと思います」

 と、くおんさん。

 しかしながら、朝湯というのはどうも…

 何というか、どうにも拭い難い「放蕩行為」のイメージがあるのである。

 そう思って逡巡していると、あろうことか、

「……お風呂場の場所を忘れてしまいましたか?」

 と、くおんさんが仰る。

「……わたしがお風呂場までついていきましょうか?」

「急ゲ昴一郎! 一緒に入ッテ背中を流すトか言い出す前に!」

「イエッサ!マイフレンズ!」

 くるりと身を翻し、浴室へと歩を進める。

「ほんとうに、ひとりでお風呂場まで迷わずに行けますか?」

「行けます!」

 そう答えるも、どうやら本格的にくおんさんにぼくの自己管理性を疑われてしまったらしい。

 ……ああ、まったく、何て日だ。

 昨日の夜に、変なことを思い出したせいだろう。

 顔も知らない、どこかの老人の、人生最後に胸に去来した思い。

 あのエピソードからぼくが得られる感銘は、「どんな人にだって、本人でないと絶対判らない悩みというものが、あるものらしい」ということくらいだ。

 他人からはけして窺い知れない、悩みや葛藤。飢えや渇き、満たされない望み、そういうものがあるのだとしたら。

 例えば――

 例えば、ぼくは、

 ……それから、このひとは、どうなのだろうか。

 そんなことを、思ったりもする。


「昴一郎さん? どうしてわたしをじっと見ているのですか」



 数時間前

 御剣昴一郎が未だ、夢の中にいた時刻、である。


 嵐が吹き荒れていた。豪雨と暴風とが、絶え間なく叩きつけるような、狂騒の夜。

 闇の中、動くもの2つあり。


 両者は激しく争い、風を払い、荒れ狂う稲光が幾度も走る。

 一方は巨大であり、悠然とその質量を誇示するかのように、嵐の夜の王のように傲然と坐していた。

 そのもう一方は、軍装めいた厳めしい、黒に金のラインの走った戦衣フォースを纏った、勇壮な青年の姿をしていた。

 手には鉄塊じみた長剣を引っ下げ、もう片方の手は堅く拳を握りこんでいる。

「来いウィッチ。――我こそは雷の魔法つかい、甲坂ツカサなるぞ!」

 握った拳に、白き雷電が走った。

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