第五夜「ソードオブジワン」(Bパート)③

 山本やまもと勘助かんすけ


 黒衣の侵入者はそう自らの名を名乗った。

 とっさにまず相手の正気を疑っていた。

 第一それはおよそ500年も前の人間。戦国時代の武将の名前だ。

 隻眼独脚にして槍の達人。築城と布陣との天才。神算鬼謀の大軍師。

 虚実の狭間を行き来する、その名前のドスの効きかたとしては十二分だ。

 ……だが、今や20世紀も終わり近い今その名が駄法螺でなくて何であろう。


 とりあえずの問題は、――山本勘助――カンスケさんがどうやら、ツカサさんに攻撃を仕掛けてきた〈第三者〉その人であるらしいこと。

 どうやら、ぼくたちは先刻の女の子を助けるためにまんまとおびき出されたらしいこと。

 加えて〈地獄道〉というその一言。

 面と向かって、高らかに名前を名乗るという行為。

 明らかに、それと憶えのある、周囲を包む敵意に満ちた感覚。

 ――まさか、こいつは、魔法つかいなのか?

 山本勘介が地獄道の魔法つかいだなんて話はもちろん初耳なのだけれど。

 ――「六道」で表されるものは、高位の魔法つかいの、それも、己の魂を現世に叩き付けるようにして励起させる、極まった自我の形そのもの。

 つまりは……必殺必勝の構え、である。

 そして彼が一体何者なのかわからないが、単なる同姓同名であるにせよ、自称子孫か何かが便宜上そう名乗っているにせよ、或いは自分が山本勘助だと思い込んでいる狂人であるにせよ、……その名前には、聞き捨てることができない単語が冠されていた。

 ――即ち〈火神帝國〉

 ――即ち〈九大騎士の第五騎士〉


かたるな、無法者がッ!」

 ツカサさんが、激昂した。

 既にその手には、首から下げていた鏃状の金属片が姿を変えた長剣が握られており、その抜き身の刀身が、目の前の槍兵に一文字に突き付けられている。

 ……知らない人に切っ先を向けてはいけない。

 というのは、少なくともこの場合は当てはまるまい。

 仮にも、ツカサさんは一回この人に殺されかけているのだし。

 おそらく、これでもかなりこの人なりに自制しているのだ。

 今すぐにでも斬りかかりたいであろうに、一応敵意の有無とか人違いでないかとか訊いてるのだから。

 どうも「問答無用」や「議を言うな」の類は、彼の好まざるところのようである。

 まあ、人間の犯罪者相手の警察官だって、見つけ次第即発砲なんてことはしないわけではあるのだけど。


「……その娘、こちらに渡してもらおうか」

 赤糸のあしらわれた槍の石突で、ぼくの抱えている女の子を示し、皺枯れた声で、「カンスケさん」はそう言った。

 一切こちらとの対話をする気はないようだった。

 ……相手にするまでもない。と思ったが、ツカサさんはそうではなかった。

「ああいってるが、おまえはどう思う。マモル」

「渡しちゃ……駄目……だと思う。だって……ひとを守るのが、教皇院だし」

 未だ荒い息を整えながら、マモルくんはそう答える。

「それに……その人が、この女の子を、傷一つつけず、家族の所まで送ってくれるひとのようには、思えないし」

 幼いながらに、彼も存外に意識が高い。

「では、教皇院ではない、昴一郎さんは?」

 ……まあ、ぼくはたった今命がけでその子を拾い上げて来たのだから、あまりほいほい渡したいものでもないのは確かだけど。

「……渡した場合、ぼく達にメリットはありますか?」

 と、こういうゲスっぽい事聞いてみるのはぼくの役回り。だろう。


 とりあえず還ってきたのは、

「渡せば……殺さない」

 という答えで。

「……どうでしょうか? 昴一郎さん」

「いや、論外かと」

 ……そもそも、殺される筋合いがこちらにはちっともないわけだし。

「それにほら、その約束守るような人が、横から槍投げつけてこないですよね」

 と、思うところを一応伝える。

 ツカサさんはなるほどと一度頷くと、

「というわけで、全員一致で却下だ。……この娘を渡せと言ったか」

 改めて、カンスケさんに向けた切っ先を、

「……この甲坂ツカサ、貴様のような愚物とこれ以上話す舌は持たんなァッ!」

 ……大きく、八双に翳す。

「この……外道ッ!」

 切っ先が視認できないほどの鋭い一太刀が、黒衣の槍遣いを襲った。

 振り下ろした刃の一閃は、黒い襤褸に包まれた矮躯を両断する――。


「……あ?」


 2つに分かたれたその影は……しかし血しぶきを上げることなくばらりとほどけた。 

 そしてその中から姿を見せるのは、無残な骸にあらず。

 赤い柄と、鋭い穂先を持つ槍が。

 ……槍が、無数に、ツカサさんに、その切っ先を向けていた。

「ツカサくんっ!」

「――――ッ!」

 瞬時に危険を察知したツカサさんが、大きく飛び退り距離を取る。

 つい数秒前まで、辛うじて胴体と四肢からなるヒトガタをなしていたそれは、無数の槍が寄り集まり、そうみせていただけであったのだと、ぼくは知る。


「……我が地獄道、その身でしかと受けよ!」


「こ――の――ッ!」


 冷たく告げると共に赤槍の群れは一度上空へと舞い上がり、そして流星群の如く、地上へと降り注ぐ。

 一体どういうことなのか、視界からは先ほどまで確かにそこにいた、黒衣のかたちが、完全に消え失せていた。

 加えて――ツカサさんが槍の穂先を避けて右にその身を逸らせば、右に。左に跳ぼうとすれば、左に。狙い澄ましたかのように、凶刃の驟雨が襲い掛かる。

 姿は見えないが、確かにこの場にいて、攻撃を加えてきているのは、間違いのない事らしい。

「この槍をばらまくのが貴様の地獄道か! ……小癪なッ!」

 叫びと共に放つツカサさんの雷撃が、それをひとつひとつ迎撃し、撃ち落としてゆく。

「姿を見せろ!」

 怒りの咆哮と共に、全身に微細な紫電を纏い、

「コード・ラクシャス!」

 ツカサさんもまた、超高速の世界に突入し、視界からその姿を消した。


「昴一郎さん、この子を連れて、一度下がります!」

 未だ意識を喪失したままの少女に肩を貸し抱えなおして、マモルくんがそう声を上げた。

「ツカサくんが、……えっと、「多分」本気で動きます!」

 もう一度、目の前の状況を整理する。

 ……差し迫った脅威である、カンスケさん。

 それにこの場では唯一対抗できるツカサさん。

 見ている限り、決定的に分が悪い、と言う事もなさそうではあるが、どうにも、ツカサさんとカンスケさんとでは、戦い方がまったくかみ合っていない。

 無数の槍たちはツカサさんを傷つけることはできていないが、逆にツカサさんの方も、敵の居所をまだ見つけられていない。

 そして背後には、名前も知らない半裸の女の子と、未だ息が荒い葵マモル君。

 ――現状、この二人を庇いながら後退するくらいしか、できそうにない。

 それしかできないなら、それをするだけ。

 だけど、その前に、ぼくにはしておくことがある。

 声を上げて、叫ぶ。

「くおんさん!」

 別れる前に言いつけられていた。

 「火神帝國」を名乗る者が現れたら、すぐに自分を呼べ、助けを求めろ、と。

 今が、その時だ。

「来てくれ、くおんさん! 敵だ! ――火神帝國だ!」


「昴一郎さん? ……呼んだのか?」

 高速での移動を一時解除して、ツカサさんが姿を見せる。

「聞け山本勘助! ツクヨミさまは俺ほど優しくないぞ!」

 降り注ぐ無数の切っ先を雷光と長剣で払いのけながら、叫んだ。

「それは重畳、133代の腕の程、拝見しよう」

 それに対し、相変わらずどこから聞こえるか判らない声が、槍の穂先の風切の音と共に返される。


 ――刹那。

 どくん。

 島全体が、大きく脈打つように、揺れ動いた。

 ……何だ、

 様子がおかしい。

 甲坂ツカサ。

 葵マモル。

 びゃくや。

 御剣昴一郎。

 おそらくは自称・山本勘助も。

 その場に居合わせた全員が、ことばにしなくとも時を同じくしてそれを感じていた。


 ざ。ざ、ざざざっ。

 まるで蟲の大軍が這いずるような音と共に飛び交い、虚空から降り注ぎ、地を這って、星の数ほどとも見えるほどの赤い槍。

 それらが一か所に寄り集まり、糸が布を編み上げるように絡み合って、再び黒衣の人型が姿を見せる。

「……チィ。……くなったか」

 フードを目深に被った、容姿の伺えないその立ち姿から洩れるのは、短い舌打ちのみ。

 咄嗟に身構えたぼくたちに肩透かしを食らわせるかのように、……或いはぼくたちへの興味を失ったかのように、彼、〈カンスケさん〉は踵を返し、大きく後ろへと跳び退って、背を向ける。 

「待て! 山本勘助!」

 その背中に浴びせられるのは、雷光の一閃と、

「逃げるか! この卑劣漢の恥知らず!」

 という痛罵。

「……安い、言い草……だな……」

 振り向きもせず吐き捨てるように応じ、雷光は木霊返しのごとき槍の射出でさばく。

 が、それで済むと思っていたのであれば、雷光の魔法つかいの殺意を甘く見積もっていた。

「逃・が・す・か――ッ!」

 続けざまに天から降り注ぎ、目が眩むほどの激しい雷光の一撃が、カンスケさんを襲う。

 目深に被っていたフードを跳ね上げ、片目を覆っていた眼帯を弾き飛ばす。

 そして、そこに見たものに、ぼくは、息を呑んだ。

 ……眼帯の下の、その眼窩には――蛍火のように揺らぐ、赤い光芒が、宿っていた。

 だって、だって、あれは……!

 あんなものが体の中に入り込んでしまったら、人間は……!

「甲坂……とか……言ったな……。その……小ぎれいな面……次まで預けておこう」

「待て!」

「……精々、気を付ける、ことだ」

 ぼくの動揺など、彼は知りはすまい。

 ただ只管に不機嫌そうなその言葉だけを残し、黒衣の影は、四散する。

 おそらくは、姿を見せた時と逆、無数の槍にその形を分散し、そしてそのまま、完全に姿を消した。

 最初からそこには何もいなかったかのように、彼の姿は消え失せた。


 そして……ぼくたちの方にも、差し迫った危険が、焦眉の急を呈していた。

 大地が、島全体が……軋み、揺らいでいる。

 一体何が直接の引き金だったのかはわからないが……それが、何であるのかはわかっている。

 蔦で、根で、島全体を覆い包み込んでいるウィッチが……一斉に、活動を開始している。

「昴一郎、きをつケロ! 押し寄せる力ガ、増しテいるぞ……!」

 稲妻で焼かれるのも恐れず、障壁に突撃し、灰と化してゆく茨の数も、先ほどまでの比ではない。

 次第に、障壁が焼き尽くす、それよりも早く次の茨が飛び込んでくるほど、そのペースが上がっていき、やがては障壁自体が軋み、悲鳴を上げ始める。

「判ってる!」

「範囲を狭めて、その代り、強度をあげてくれ!」

 追撃を断念し、守りを固めるべく、ツカサさんが鋭い声で指示を飛ばす。

「マモルくん……瞬間移動は?」

 と、一縷の望みをかけてみるも、

「……ごめん、まだ無理」

 ……どうも、それも難しいらしく。

「……まズイぞ、防壁が破らレる」

 ついに、、一本一本が容易に人間を噛み砕く咢門を備えた茨蔦、その大群の攻勢が一か所に集中して押し寄せ、防壁の防御力を上回った。

 緑色の奔流が、障壁の亀裂から、鉄砲水のような勢いで流れ込んでくる。

 大量の大顎が、緑色の鋭い牙が、真紅の花びらが、ぼくを目掛けて、一直線に押し寄せる。


「――昴一郎さんッ!」


 ひと呼吸遅れて、鼓膜に届くのは、ぼくを呼ぶ凛とした少女の声。

 そして薔薇たちは、刹那の間に、フードプロセッサーにかけられた野菜のように寸断され、白い燐光に焼かれて地に落ち、崩れ去る。

 茨蔦の咢を砕いたのは、白い燐光を纏ったままに、地に突き刺さった神剣。

 くおんさんの掌から投擲された、ツクヨミノ剣の彗星のような一撃だった。


「……くおんさんっ?」


 風を纏い、音を置き去りにして、瞬時にして、彼女はぼくの目の前に現れていた。

「何ですか、その驚いたような顔は」

 十数メートル毎に深く大地が抉れているところから、一足でその距離を駆け抜けたらしい。……と思われるのすら、彼女が現れてから判ったことである。

「……呼んだでしょう、わたしを」

 そう、彼女は、ぼくに呼びかける。

「……、わたしが、来た」

 いつもの、大人びた冷静な口調で、指示を出す。 

「びゃくや、防壁を再構成、範囲は狭めて、その代り、強度を上げて、……できるよね?」

 どこかきまり悪そうに、びゃくやが答えて。

「……もう、そウ努めてヰる」

 先ほどまでより一回り後退してはいる。だが、先ほどよりも眩さを増して、雷光の障壁が、形を成した。

 後は、入り込んだ茨たちを排除するだけ――だが、気づく。

 ツクヨミノ剣。

 くおんさんの愛剣たる虚空素刀スペシウムセイバーは、今、ぼくの足元に突き刺さっている。

 つまり――くおんさんの手には、今、愛剣がない。

「――くおんさん、後ろっ!」

 そう叫ぶ、ぼくの視線の先には、己の戦う意思の象徴、相棒ともいえる剣を、足手まといを助けるために放擲し、手放してしまったくおんさんの姿があった。

 その背後にはさらに数の大顎と、薔薇の槍の穂先が、群れをなし押し寄せていて。

 くおんさんは、未だ戦衣を身に付けてすらいない姿のままで。

 もう、緑色の牙は、くおんさんのか細い首を噛み切らんばかりの距離まで迫っていて。


「――なめるなぁっ!」


 白の少女は、ただ一声、叫ぶ。


「――〈王の聖剣〉ァーッ!」


 迫りくる薔薇たちを切り裂き一掃し、鋭い叫びと共に放たれたのは――手に愛刀を持たないくおんさんが放った、手刀の一振り。

 華奢な、小さな手のひらから、直に迸る光の奔流が、長く伸び、刃を形成。

 縦に一度、横に一度、それしか視認できなかったが。それだけのものなどではないということは、くおんさんの身に襲い掛かる薔薇たちが瞬時に微塵切りにされていくところから、伺えた。

 次いで呟く詞は――

「コード・ラクシャス」

 くおんさんの姿が、視界から消失する。


 一体どうやって加減をしているものか、ぼくとマモルくん、そしてぼくが抱えている女の子には寸毫の傷もつけないまま。

 超音速のソニックブームが叩き込まれ、防壁の内側に侵攻していた薔薇たちが吹き散らされ、千切り飛ばされてゆく。 

 ……なるほど、あの魔法、ああやって使うものだったのか。

 ぼくは、彼女を甘く見ていた。

 彼女の強さは精密性。その認識には変化はない。

 だが。これまで、くおんさんはその状況に応じ、びゃくやとの連携で形態を変化させて戦っていた。

 だからこそ、その臨機応変の対応力こそ、彼女のもう一つの強みであり、ここというところでは、その破壊力に頼らなければならないのであろう。


 そう思っていた。

 だが。……今のくおんさんは確かに、「飛翔形態」ほど迅くもなく、自在に空を駆けるわけでもない。

 確かに、「射撃形態」のように一撃でウィッチの群れをまとめて射貫く威力はない。

 確かに、「穿孔形態」のような特殊な武器も持たない。

 単独で使うところをまだ見ていないが、「複合武装形態」の両脚に付いていた大鎌じみた鉤爪だって、その形状の大仰さに違わず、恐るべき殺傷力を発揮するだろう。

 だが。――だが、それだけだ。

 びゃくやが言っていた通り。

「戦い方が違うことはあっても、単独のくおんさんが弱いと言う事はない」

 剣を手にしてすらいなくても、両腕に聖剣そのものが姿を変えて宿っている。そう言われたら信じてしまいそうだ。


 侵入した茨を、花弁全てを切り捨てて、黒雲を背に、問いかける。

「……それで、昴一郎さん、敵は……火神帝國の者は、どこですか?」


 その姿にぼくは、改めて思い知る。

 特別な剣を持っているから、ではなく、彼女自身がまた、一振りの〈神の武器〉であることを。

 彼女の背負うもう一つの名。

 ――〈剣の魔法つかい〉を。

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