第四夜「オオカミが来る」(Bパート)①
○
くおんさんと、狗戒さん。
言わずもがなくおんさんは当代最高峰の実力を持つ魔法つかいであり、そのくおんさんの言によれば、狗戒さんもまた「……かなり使いますよ」ということらしい。
そんな二人が並び立って、協力してことにあたる。
こうなると、もはや狩られるウィッチの方が気の毒になってくる気もするが、それが求められているならば、やはり相応の強敵とか難局とかが予想される。……少々気が重い。
ぼくに直接何ができるというわけではないが、少なくとも彼女たちの無事であるように期するのは惜しむまい。
「……そういえば」
思い立ったように、切り出してみる。
「くおんさんはもう、今回の討伐の内容とか、受けてるんですよね?」
こくんとひとつ頷き、くおんさんは
「はい、さっきお風呂場で、討伐勅令書は受け取っています」
と告げる。
「あの……こうやって、広げると字が浮かぶ奴ですか」
そうそうそれそれ、と、狗戒さんも応じてくれた。
「斎月ちゃん酷いんですよー、わたしが勅令書出すまでずっと刃物突き付けててですねー」
「事実と異なります、剣は向けてません」
「……そうでしたっけ?いや、わたしの主観的にはそのくらいの恐怖を感じたんですけど」
「……だから、事実と異なります」
話がそれそうだ、それにその一件に関しては、ぼくとしてはできれば掘り返したくない事例のカテゴリーである。
くおんさんにしても、そこまで怒りを持続させるほどのことではないであろうに。
まーまーと仲裁に入りがてら、本題に戻ってくれと頼みこむ。
「えーと、それで、今回はどんなウィッチなんですか?」
「んー……まあ、実際容易ならざる事態ってやつなのはたしかなんですよね。ツクヨミ様のご出陣をと言われるのも、わからなくはない」
そこまで言うと、狗戒さんは、
「……ああ、危険度、第二級のウィッチです」
と、付け加えた。
「つマリ、……いつゾやの蛞蝓野郎と同程度には危険だとされている」
「はあ、それで、今回は何のウィッチですか?蜘蛛?蝙蝠?」
「……ネズミ。鼠型のウィッチです。君、ネズミ好きですか? ……わたし大っ嫌いです。昔飼ってた猫が、可哀想に昼寝中に耳を齧られまして」
「名前は?」
「わたしの飼ってた猫の?ウィッチの?」
「ウィッチの方のです、猫の名前の方はどうでもよろしい」
そう言ったぼくに、狗戒さんの隣に立っていたくおんさんが答えてくれる。
「――Collapse(コラープス)」
「そっ、〈コラープス〉ってのが、そのネズミさんの名前です」
しかし……ネズミ……か。
「手ごわそう、ですね」
「ええ、ネズミってのは厄介ですよ」
「まあ……中世ヨーロッパじゃ、もっとも人を殺した動物かもしれませんからね、ペスト菌運んだとか、備蓄の穀物食いつぶすとか」
――初手からウニに殺されかけて以来、ウィッチの強さとその原型となった生き物の間にはそれほど相関関係がないという見解を持っている。
仮に、単純に原型になった生き物を人間サイズに拡大したものだとしたら、比率的に言えば昆虫や節足動物の方が始末が悪いだろうし。
下手すりゃオオカミよりも毒蛇よりも飛蝗の方が強いとか、鮫よりも猛牛よりもクワガタ虫の方が強いとか言う事だってあるかもしれない。
「それでまあ、今回は……どちらかというと、わたしのウィッチ退治の、手伝いをね、うん、お願いに来たんですよね」
という狗戒さんに、
「……話を聞いた限りでは、狗戒さん単独でも問題はないというか、むしろわたしはお邪魔なのではないかと思ったのですが」
斎月さんがそう付け加える。
「……実際わたしもそのつもりだったんですけどね、上の方から茶々が入ったんですよ」
「茶々?」
「――汚れ者一匹じゃ不安が残るってね、我ながら評判悪くて、参りますよ」
それは、特にぼくに向けた言葉と言うわけではなくて、びゃくややくおんさんにむけての、ほんの軽口、彼女にしてみればちょっとした仕事の愚痴ていどのものだった。……の、だろう。だろうと思う。
それでも、……狗戒さんの、その言葉の意味するところを理解した時に。
言いようのない嫌悪感が湧き上がるのを、禁じえなかった。
何なのだ、何なのだろう、それは。
全く訳が分からないぞ。
……心の中だけで、舌打ちする。
ウィッチの呪いを受けた、全体にとって有害な存在になった者を処分する。それは……いい。
その際の副産物として出る屍骸を無駄にせず、有効に活用する、それも……わかる。
魔法つかいでない人間を戦闘に伴うに際し、もしもの事態に備え自害用の短剣を渡す。それも…結構な話だ。
けれど、実際に戦いの場に立つ、それも自組織の人間に対して、……おまえはよごれているから? ……単独では行かせられない?
しかもその言いようは、純粋に能力が不足している、というのとも、人格的に信をおけない、というのともニュアンスが異なる。
(そうであるなら、そもそもその任を負わせなければ事足りるはず)
言ってしまえば、何かしらの過去の不可抗力による過失、それ以前の本人にはどうすることもできない、出自や経歴をダシにして蔑むための…もっというなら、蔑んで、嘲笑して、楽しむための言い草だ。
それは何か……違わないか?
その思考、その感情。
きっとそれは、「人類を守る正義の集団」には無用のものだ、不要のものだ。
……ほんの少しだけでいいから、慎んでもらうことはできないのだろうか。
そんなことを考えていたところに、
「……昴一郎さん」
と、声をかけられる。
どうも、ぼくの感じた苛立ちとか不快感とか、そういったものはまるで包み隠せていなかったようで、振り返れば、そこにはくおんさんがいて、
「昴一郎さん。……かなめさんは、友達、なんです」
それは、いつもの静かな声で、――くおんさんのそういう性格(ところ)は、一応理解していたつもりではいたのだけど、
「昴一郎さんが苛立たれるのは判りますが…わたしが力になれるなら、できるかぎりそうしたいというのは、わたしの意思でもありますから」
……彼女は、やっぱり、というか、案の定、というか、そんな風に、言うのである。
かなめさんの方に、一度目をやってみる。
何だか気まずそうに、申し訳なさそうに口元を噤んでいた。
かなめさん自身、くおんさんのことを心配していながら、自分が厄介ごとを持ち込んでしまっているのだ、まあ、そうもなるだろう。
大人の人の、こういう姿というのはあまり多く目にするものではないけれど、それは何だかどうしようもなく寂しげで、彼女の上司にあたる人たちの決定は、意図した通りに、このひとを貶めている。と思った。
――うん、ぼくはけして、このひとを責めたいわけじゃないから。
「――ずるいですよ、くおんさん」
だから、肩をすくめて、そう言って、
「そんな風に言われたら、ぼくはもう何も言えないじゃないですか」
少しかがんで、目線を下げて、そう、おおよそくおんさんと正面から向き合うなんてことはもちろん恐れ多くてできないのだけど、斜(はす)に、視線が交わる様にして、
「……くおんさんが、そう思うのであれば、そうすればいいんです。きっとそれこそがいいことなんだと思うし、ぼくはその為に必要なことなら、何だってします。ぼくは、あなたにお仕えする身ですからね」
そうやって、志すところを伝えてみる。
「……ね?」
「ん……っ……はい……!」
最後に一度、念を押すようにして締めくくると、くおんさんは、最後の方は幽(かす)れて消えてしまいそうな声ではあったけれど、確かに一度頷き返すと、はにかんだ様に、下に視線を落とした。
長い前髪で表情は伺えなくなったけど、僅かに見える唇は、すこし端が上がっていて、
――うん、あなたはそれでいい。と、思った。
さて、狗戒さんは――と、見やれば、何やら数歩後ずさっていた。
「あの、きみ、いつもこんな感じなんですか?」
「何のことでしょうか」
あまりにもくおんさんに対して飼い犬過ぎるとでも言うのであろうか、しかしこれは、大嫌いな言葉ではあるけどぼくなりの誠意であって、それは伝わっているはず。
「ねえ、くおんさん」
同意を求めるように視線を向けたくおんさんは、俯き気味に口元を手のひらで覆いながら、
「――「何だってする」って……! 「ぼくはあなたにおつかえする」って……!」
と、誰に言うでもなさそうに呟いていた。黒髪の間からわずかに覗く耳がほのかに赤く見える。 うん、わかってもらえてはいるようである。
「くおんさんはぼくに、乗り越えられる命しかお下しになりませんから。……ねえ」
「――「ぼくはあなたのものです」って……!「血も肉もあなたに捧げます」って……!」
「あの、くおんさん?」
ずざざ、と、さらに後ずさる狗戒さん。
「……わざとなんですか、ねえあれわざとなんですか!」
と、びゃくやに尋ねている、心なしか顔色が蒼い。
「わザとかどうか、微妙なとこロだ、心の底から言ってルンじゃないかとモとレルあたリ始末が悪い、過保護女に効くノは過保護返しか……」
「ああいうのね、早めに矯正しといた方が良いんじゃないかとお姉さんは思うんです」
「何がですか?」
「大人になってから大変ですよ」
「だから何がですか?」
「いやー知り合いにもそういう人一人いましたよ、結局あの人も、生きてていいことも楽しいことも何一つなさそうなままズタズタのボロボロになって19かそこらで早死にしましたっけ。あのひと一日だってああ今日はいい日だったと思って眠れた日があったのかなあとか思うとわたしはもう悲しくてなりません」
「良くわかりませんけど、そんな哀愁の塊みたいなひとといっしょにしないでください」
誰のことだろう、狗戒さんの昔の恋人か何かだろうか。
思ったことをそのまま口にしてみる
「……昔の恋人か何かですか?」
「恐ろしいこと言わないで下さいよ!あのひとに手を出そうなんて考えたこともないです!」
思いのほかオーバーリアクション気味に返された。
どうも違うらしいが、これだけの美人だから、それはそういう相手の一人や二人いただろう。
男女のすることだ、珍しくもない。
あの胸を自由にした男が人類史上に存在しているのかと思うと絶望しそうになるけれど。
「それはともかく、今回はこーいちくんにも同行してもらいますよ、色々手伝ってもらいますからね」
「えっと、狗戒さん」
ふと、思い浮かんだ単語を、試しのように口にしてみる。
「んぁ? 何ですか?」
「今回はアレ、ないんですか?」
「アレって?」
あんまり軽々しく口にするものでもないのかもなと思いつつ、尋ねる。
「ほら、
あれを使うならまあ、現地まで運ぶ要員が必要ではあろう。
危険物は信頼できる管理責任者の立ち会いの元、直接手渡し。基本である。
狗戒さんは、ああ、よく知ってますねぇと一つ頷くと、
「残念だけど、今回はありません、持ち出し許可が出なくてね」
と答える。
「もう作れる者がいない装置ダ、なるべく、状況を選んで、有効に使わントな、そレニ、今回のケースでは、あレハ使えん」
びゃくやもそう付け加える。
「あれ結局、〈爆弾〉ですから、戦部さんは確かに天才でしたけど、そこまで「あれば勝てるジョーカー」ってわけじゃあないんですよね」
生物を殺傷するための兵器を開発し運用することの天才、
以前にも聞いた名だけど、また耳にすることになるとは。
「今回は、市街地の真下なんですよ、景気よくドッカンドッカン行きたいところではありますが、そうもいかないんですよね」
「物騒なことをいわないでくださいよ」
――ああ、なるほど、それでは確かに気安く使えるものではあるまい。
実際に使用されるところを見たことはまだない物の、以前に聞いた破壊力と、そもそもウィッチを殺傷可能な、対ウィッチ用兵器であるという点から想像される殺傷力。
適切でない状況で運用されたらと思うと背筋が凍る。
「なに、まあやることはほとんど決まってるんですよ」
「――あの」
……そこまで話し合っていたところで、物理的にではなく精神的な意味でどこかに行ってしまわれていたくおんさんがお戻りになる。
「昴一郎さん、同行されるのであれば、これを身に着けてください、守護の魔法が籠めてあります」
手にはきれいに折り畳まれた、丈の長い、白い上衣が掴まれている。それに加えて、マフラーらしき長い布。
――ああ、いつものやつ。
「わたしが巻きますので、後ろを向いてください」
それじゃお願いしますと背を向けて、
「そういえば、くおんさんたちの魔法って、こうしたいああしたい、こうであればいいのに、っていうのが原動力になってるんですよね」
純然たる興味から、そう聞いてみる。
「これって、くおんさんがどう思って作ってるんですか?」
「ええと……そう……ですね」
くおんさんは、少し考えるように間をおいてから
「わたしの思いが、わたしの意思が、あなたを守護する様に、あなたがわたしの懐に在るみたいに、そう思って作りました」
と、別段特別な事でもなさそうに、淡々と、冷静な表情で答えた。
「何か変なことを言ったでしょうか」
「……いえ、くおんさんにそこまで言っていただけるなんて、何だか申し訳ないぐらいです」
「普段お世話になっていることを考えれば当然です、それと、まだ寒いですからね、風邪をひいたりしないよう、昴一郎さんが息災であるようにと、願わせてもらいました」
……まったく、くおんさんはぼくにはもったいないほどの主である。
生涯で、くおんさんと、あとひとり。…2人も心から尊敬できる人に出会えるなんて、ぼくにしては望外の幸運だ。
「――ケッ」
「……んぁ、あのお二人とも、終わりました?」
狗戒さんはどこか軽薄にすら聞こえるような明るい口調で、ぼくたちに告げた。
「さぁて、それじゃあ行きますか!」
○
狗戒さんが操縦士、くおんさんはサイドのカーゴにちんまりとその身を沈め、膝の上にびゃくやを抱える。それはいい、それはいいのだが。
「どうして、この配置なのでしょう」
残るぼくは、カーゴの中に投げ込んであったヘルメットの一つを目深にかぶり、
「…あの、何かすいません」
背中に何か嫌なものを感じながら、ハンドルを握る狗戒さんの胴体に後ろから両手を回してしがみつき、後部座席に座っていた。
「そレハ誰に謝っているのダ?」
びゃくやうるさい。
「……釈然としません」
「私は釈然としていル、こッちの方が楽でいい」
「んふふふふ、何かわたしに言う事があるんじゃありませんかこーいち君」
首を捻って、メット越しに狗戒さんが問いかけてくる。
表情はよく見えないが、口調と目つきで、今この人が人の悪い笑みを浮かべているのであろうことだけは想像がつくぞこの野郎。
「え、まあ…実際こうしてみると結構腰細いですね」
流石にむき出しのお腹に直にしがみつくのは気が引けるので、一番上に羽織ったモッズコートの内側をつかむような形にはなるのだが、本当にひとり分の内臓が詰まっているのか心配になってくる細さである。
何が言いたいかというと、他がこれだけ細いだけに、相対的にそうでない部分が、うん。
「ほかには?」
食い下がって来るなこのひと。そんなに感想が気になるのであろうか。
「スタイル抜群ですね!グッとくる体型です!」
「よし」
「やめロよなそういうノ、所詮こいツモ男なのカと思うト悲しくなってくル」
「……あの、昴一郎さん」
ぽつりと、くおんさんから、声をかけられる。
「……討伐終わったら、……帰ったら、一緒に本を読みませんか?」
「んぁ?……え、なに、君たちそういうコトするんですか?」
「……はい、昴一郎さんは、読書が趣味なんです」
「へー、でもそれって確か」
「そうです、わたしの趣味です。昴一郎さんは、わたしと趣味が同じなんです」
再度メット越しに、のどの奥で、いひひっ、と悪戯っぽく笑う声が聞こえた。
「……お? 何アピールでしょうね? あれ?」
「あまりくおんヲ挑発しないでくレ、狗戒」
いや、どうしてこれがくおんさんに対して挑発たりえるのか昴一郎さん判らないんですけどね。
……どうもさっきから、くおんさんの情緒が安定しない。
「あの、くおんさん」
あまりこういうやり方はよくないのかもしれないんだけど、
「今夜は、晩御飯何がいいですか?」
と、バイザー越しに尋ねてみる。
「くおんさんの好きな物、作りますよ?」
「好きな物……ですか?」
「……ええと、……ええとそうだな、煮込みハンバーグなんかどうでしょうか?」
「……に、にこみ、はんばーぐ?」
ここに来てから作ったことがないけど、まあ自宅で作った時には受けが悪くなかったメニューだ。
肉好きのくおんさんにも喜んでもらえるんではないだろうか。
「もちろん、くおんさんが嫌いでなければですけど……どうですか、ガッツリ」
「だ……」
「大好きです」
という答えは、カーゴとドライバー席、両方から聞こえてきた。
どうやら、食べていくつもり、らしい。
「昴一郎さんは、わたしの欲望を刺激するのが、上手です」
ぼそりと、くおんさんが呟いたのが聞こえた。
……あってるのかもしれないけど、なにか他の言い方はないですかね。
○
風を切って、マシンは走る。
狗戒さんがそういうルートを選んでいるんだろうけど、ほとんど人に会うこともない。
まあ、露出度過多気味の巨乳のお姉さま×執事服の男子高校生×黒髪の清楚で神秘的な美少女+白いカラスの組み合わせは人目を引いて仕方ないだろう。
しかしまあ、こいつに乗せてもらうなら、もっとこう、ウィッチとか出てこない、気楽で愉快なツーリングと行きたかったところである。
くおんさんもいっしょに、お弁当でも持ってさ。
ちなみに今回、いつも運転手を務めてくれている紙人形嬢(ペーパードライバー)さんはお留守番である。
屋敷の敷地の外に出るのも久しぶりだ。
そういえば今週はまだ父に連絡してないけど、ちゃんと生活できてるんだろうか。帰ってから、一度電話しよう。
「……ああ、そうだ、狗戒さん、ぼく、今回の計画書見せてもらってないんですけど」
高速で流れ去ってゆく景色を目で追いながら、ライダーに声をかける。
「今回のネズミのウィッチってのは……どんな奴なんです?」
「そうですねえ……今から向かうところ…まあ、古い地下施設なんですけど、どっから入り込んだんだか、巣を作りましてね」
「それは……結構大事なんじゃないですか?」
「ええ、既に繁殖を始めてる可能性があります」
「殲滅戦……という形になルナ」
狗戒さん、びゃくやが口々にそう答える。
さすがにぼくも身構える、ネズミが、その特性であるところの繁殖力を持ったまま人食いの性質とそれを可能にする力を持ったら……それは紛れもなく人間社会の危機と言えるだろう。
そんな事態を、こうして冗談めかして口にできるんだから、やっぱりこの人たちは本職だ。
「でも、ウィッチって、色んなのがいますよね」
この前に見た蛞蝓なんか、人間の言葉話したし。
「――案外、人間の心と感情が判るウィッチなんてのも、いたりして」
「それは……」
「それはあり得ません、絶対に」
答えようとした狗戒さんを遮るようにして、ぴしゃりといったのは、くおんさんだった。
「それは絶対に存在していてはならない、最も恐ろしいバケモノです」
「……くおん……さん?」
「二度と、そんなことを口になさらないで下さい」
くおんさんの口調が、いつになく硬い物で、ぼくは、それを言ったことを後悔する。
どうも、これは、口にしてはいけなかったことのようである。
「あ……はい、すみませんでした、変なことを言って」
「いえ……わたしの方こそ、きついいい方をしてごめんなさい、どうか気になさらないで」
くおんさんはすぐにそう返してくれたのだけど。
それでも、どこかその様子は物悲しそうで、このことはちゃんと頭に入れておこうと思った。
そんな一コマがありつつも――やがて、目的の場所に辿り着く。
それほど古くはなさそうな、と言っても廃棄されて既に数年が経過しているようで、コンクリートのあちこちにはひびが入り、元々、地下に大型の車両がそのまま進入するものであったとおぼしき通用門が固く閉ざされている
入口の前には、警官の制服を着た大柄な男性が二人、険しい表情で立っていて。
バイクから降りた狗戒さんが二言三言言葉を交わすと、頷いて退き、門を開けてぼくたちをその中へと通してくれた。
降りてゆく。
深く、深く、地の底までも。
……実際にはそんなはずないのだが、それでもそんな印象を抱かせるような暗闇の中を、なだらかなスロープを下って進んでゆく。
かなり天井が高く作られているようで、マシンの排気音だけが、反響を重ねて怪物の叫び声のように響いている。
流石に、軽口もはばかられ、沈黙したまま、ライダーである狗戒さんの挙動に気を配っていた。
そうして、いくらもしない内に、
「――
「はい」
「お願いします!」
ふたりが事務的にそうやり取りした、と同時。
――さくりっ!
一瞬にしてカーゴの上にその身を直立させ、くおんさんが鞘奔らせた剣の一閃が、何かを切り裂く。
それはべちゃりと地に落ち、白い燐光に焼かれ、灰化してその場に朽ちる。
サイズは…まあ、子犬程度。
形状は、想像通り、ネズミの体をそのまま肥大化させ、凶悪な様相の爪と牙を備えた、一目でまともな生き物ではないとわかる歪なそれ。
何より明らかなのは、ウィッチの証である、赤黒い光点を、その肉体に抱えていること。
そして、もちろんそれで終わりではない。
甲高い叫び声、そして地を蹴立てる音がして、ぼくは今更、それに気づく。
濁った灰色の――小さな獣の群れが、一固まりとなって押し寄せてきていた。
それは寸前でぱっと散開すると、ある者は跳躍し、ある者は壁面から天井へと駆け上がってそこから、一斉にぼくたちへと殺到した。
「びゃくや!」
「応ともッ!」
叫びに応え低空で飛ぶびゃくやが、くおんさんの元へと飛来する。
一瞬放たれる光が掻き消えたとき、びゃくやのすがたは、くおんさんの左手に、
久しぶりに目にする〈くおんさん・射撃形態〉である。しかし――〈飛翔形態〉じゃないのか?
弓を引き絞る様にくおんさんの指が構えられ、そこから発生した燐光は数十本の鏑矢と形を変え、
「射貫けッ!」
放たれる気勢、同時に燐光の鏃が空をつん裂いて飛ぶ。
狙いあやまたずそれらはネズミたちを抉り、数匹のネズミはそのまま数体の煤の塊へと姿を変える。
「狗戒さんッ!」
「はいはいっと!」
バイクのハンドルを片手で繰りながら、狗戒さんは片手を離し、グローブに包まれた掌を胸元へと差し込む、黒革のグローブが再び姿を見せたとき、その指先には、鋼色に鈍く輝く、鋭利な長針が、数本手挟まれていた。
手首から先が、ふっと消失した、そう見える一瞬の後、くおんさんの射線を掻い潜り、尚も残っていた数匹が絶叫をあげて倒れ伏す。
それらの体は例外なく、モズのはやにえの様に鋼鉄の針に貫かれていた。
バイクを運転しながら、しかも背中にお荷物を抱えながら、狗戒さんは片手でそれをやってのけたのである。どうやらこの鉄針が魔法つかいとしての狗戒さんの表芸らしい。
――してみると、狗戒さんの名は〈針の魔法つかい〉なんだろうか。
「っと……ひとまず終わりか」
「思ったより数が少ない、動きが気になりますね」
そう言葉を交わしながら、狗戒さんが一度マシンを停止させる。
びゃくやはいつの間にか手甲からカラスの姿に戻り、くおんさんの肩に泊まっている。
……翼と叫び声を共鳴させた音波砲で広範囲に渡ってウィッチだけを殲滅する。
確かにこの地下では空を飛ぶ能力はそれほど発揮されないだろうが、音波砲の方は十分有効だろう。
というのを想像していただけに、それとは食い違う選択である。
「こいつが……その、〈コラープス〉、ですか?」
恐る恐る、尋ねてみる。
「ええ、その、子供たちですね、ウィッチは高確率で、ウィッチの特性を持つ子供を産みます」
なるほど、魔法つかい2人、戦力を集中して投入しなくてはならない状況には違いない。
「でも、こんなに、堂々と、まっすぐ突っ込むなんてやり方でいいんですか?」
「さっきも言いましたけどね、今回はこれを根絶やしにしないといけないんですよ」
という狗戒さんに、くおんさんが続ける。
「これをわたしが駆除しようとしたとして……どれくらい手間がかかると思いますか?」
「……それは……」
「〈
「その間に、逃げ切るモノも、いルだロウな」
「今回は、それは看過できない。…一匹も逃がせない、徹底的に根絶する」
「だから、かなめさんが、もっとも適任です」
…そう、なのだろうか。さっき目にした狗戒さんの戦う姿は、どちらかと言えば…
「なるべく正面から派手に乗り込んで、何を仕掛けてこようが関係なく、叩き潰して駆逐するってのが今回の方針なんですよ、美意識の問題じゃなくて」
「状況によっては、こうやってできる限りウィッチの意識を引き付け、敵意を自分に集中させるなんてことが必要になることもありますし、その為の戦法も確立されてます。ウィッチは倒した、しかし集落は壊滅した、では意味がありませんからね」
「基本的には隠密行動なんですが、必要なら、わたしたちは高らかに名乗り上げて、正義の味方、魔法つかい此処にあり、ってことだってやりますよ、テレビの変身ヒーローってあるでしょ? あれも多分同じで、自分に攻撃を引き付ける為にやってるんでですよ」
なるほど、テレビで見る、鮮やかな原色のスーツを纏った正義のヒーロー。
確かにあのヒーローたちは、常に市民の生活域のただ中で戦っている、であるがゆえに、周囲の環境に身を隠し盾とすることはできないし、やってしまったらそれは敗北以下だろう。
敵対勢力との継続的な紛争状態ということであれば、「我々はここにいるぞ」とアピールすることも必要なはず。
派手なコスチュームも、大仰な名乗りも、あれはそれなりに、理に適っていたのか。
――しかし、何だろう、この違和感は。
くおんさんや狗戒さん、それから件の「教皇さま」や「代行」の言動から受け取れる高潔な倫理。
そしてそれとは真っ向から相反する「上層部」の腐敗ぶり。
どうも、印象が食い違うというか……ちぐはぐな感じがするというか。
そしてそれが起こったのは……次の刹那、だった。
足元が、ぴしりと音を立てる。
――まずい。
その場にいた全員が、それに気づく。
誰よりもそれに素早く反応を見せたのはやはりくおんさんで、
「昴一郎さん!――わたしに掴まって!」
手を伸ばし、ぼくに向けてそう叫ぶ。
しかしそれは……間に合わなかった。
小さなひびが瞬く間に大きな亀裂へと変貌し、ぼくたちの立っていた足場は音を立てて崩れ、闇の中へと、何もかもを飲み込んで行った。
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