第三夜「彼女の護るもの」(Aパート)③

 そこに立っていたのは、2人づれの女性。だった。

 黒いワンピースの上に身に着けた白いエプロン、頭部にはそれと同じく白い、フリルのあしらわれたカチューシャ。

 身なりに関して明確に違うところをあげるのならば、それぞれ紫色と鉄灰色の色違いのリボンで、長く伸ばした髪を束ねていることか。

 ……たぶん、世間一般ではこういう出で立ちの若い女性を、給仕……いや、メイドさん、と呼ぶ。

 ぽつりと、口の中で小さくつぶやいた。

「実在……したのか……」

 都市伝説か、さもなくば人々の寂しい心が産みだした想像上の生き物かと思っていたのに。

 ……まあ、魔法少女が血肉を持ってぼくの隣に存在するのだ。

 メイドさんがいたって、けして不思議ではないだろう。

 頭から黒いフードをすっぽりかぶったいかにもな一団がぞろぞろ入ってくる様を想像してしまっていたが故、些か拍子抜けな感もなくはない。

 容姿の点を言うならば、鉄灰色のリボンをしているひとりはやや目尻が下がり気味の純朴そうな童顔で、もう片方の紫のリボンの方は何が楽しいのか切れ長なのであろうと見える瞳を弓なりに細め、柔和な雰囲気を漂わせている。

 付け加えるなら、2人とも、なかなかにおきれいでいらっしゃった。

 その片方。……紫のリボンの女性が、ついと前に歩み出て、

「はじめまして。みやこ、と、申します。お見知りおきくださいませ」

 と、名乗る。

「……えーと、御剣、昴一郎です。昨夜から、ここでお世話になっています」

 先に挨拶をした方が礼儀に叶っていただろうか。しまったなと思いつつ、ひとまず名乗り返した。

「んー……失礼ですけど、御剣さまは……」

「あ……その」

 鉄灰色のリボンをした、童顔のメイドさんが不思議そうにそう尋ねられ、口ごもった。

 確かに、ぼくは「ここで働かせてもらうことになった者」それで行こう、と言うことは打ち合わせで決めてはある。

 しかしここにきてでふと気にかかる。

 それ自体が、かなりグレーゾーンな行為なのではないのか?

 ぼくがそれを肯定してしまうことで、斎月さんが不利益をこうむることは、本当にないのか?

 そんな風に考えてしまい、一時逡巡する。

「御剣さまー?」

「……御剣さんは、魔法つかいではありません、昨日働いていただくことになった、外の方です」

 これ以上黙っていると不審がられるというギリギリのところで、斎月さんが口をさしはさんだ。

「はい。……そうでしたかぁ」

 斎月さんがそう率先して答えてくれたことで、それ以上にはどうやら詮索されることは避けられた…ようだけど。

 外の方。今、斎月さんはそう言葉を選んだ。

 魔法つかいとそうでないものを区別する特別な言葉……たとえば、「ノーマル」だの「ヒューマン」だのという言葉を作ったり使ったりすることは、掟として禁じられている、らしい。

 現在進行形でそれとは別の深刻なルール違反をしでかしてはいるにしても、斎月さんは基本的にはルールや決まりごとは遵守する気質であるだろうから。あえてそれを説明しなければならないとしたら、どうしてもそういう表現になるようだ。

 とりあえず、斎月さんはぼくに先んじてそう明言したということは、それ自体は即座ペナルティを受けることではないらしいが……

「……実は恥ずかシながら、我々は昨日の討伐を彼に見らレてしまっていてね」

 びゃくやが付け加えたことで、それはより確信に近づく。

 ……ああ、大体、もしもそうでなければ斎月さんが、外部の人間であるぼくがここにいることに対してもっと言い訳のたつ他の名目を考えるはずではないか。

「不測の事態でもあったし、特別なことでハないとおオもうが?」

 本物の魔法つかい相手に、ぼくを魔法つかいであるように見せかけるなんてことは、どう考えてもできるわけがないのだから。

 ……自分では冷静でいる気であっても、いざ突っ込まれるとこのありさまか。

「そう……そうです、その時、ぼくは完全に狼狽していて……放っておくと危険な状態だったそうです、あまりよく覚えていませんが、ひどく暴れたようで」

 ――現在進行形ですけど。

「……ああ、すマン君たち……昴一郎はまダここに慣れていなくテね」

 ぼくの頭上へと移動すると、びゃくやがそう告げる。

 言外に、堂々としていろといっただろう…と叱られているようだが。

「そうイったことは、あるものなのだよ、……言ったダロう?」

「……いや、言われてませんし」

「おかゲでこの通り、まだ我々を完全には信用してくれておラン。今も、自分が魔法つかいではないとばれたら即座に君たちが襲い掛かってくるのではないかと怯ヱている」

「まあ……!きちんと伝えておいてあげてくださいな……」

 まったくだ。

 斎月さんを責める気は毛頭ないが、彼にはもう少し何とかならなかったのかという気分がなくはない。

「魔法やウィッチを目撃してしまった方や、ウィッチによる被害者を、一時的に魔法つかいが自宅や、協会の拠点に保護することは、ケースとしてはございますので」

「目撃者ヲ片っ端から口封ジノためにあノ世に送ったリ脅しヲかけテイたのでは、どちラが悪者か判らなくなッてしマウだロう?」

「……傷を負っていて、至急の治療が必要であったり…混乱が激しく、放置するのは危険と判断されたり、そういうケースはある程度起こりえます。……だから、あなたがここにいることは、けして不正なことではありませんからね?」

 と、斎月さんは、これは明らかにぼくに対して、メイドさん方に不振がられないような形で、助け舟を出す。

 ……なるほど、ではその前提で話をさせてもらうとしよう。

「昨晩話をしましたが、御剣さんは信頼できる、立派な方です。形式上はわたしのお客様で、友人でもありますから、この館の一員として接していただけるよう望みます」

「ええ、心得ております」

「そういうことならって、教皇様からも言われてますからねー」

 流石は斎月さん、アドリブもきく。

 ぼくの「愚鈍で応用力に欠ける」という短所をあっという間に「正直で不正や不義を嫌う」という美点へと置き替えてしまった。

「ですが、御剣さま、いずれお戻りになられるのであれば、ここで見聞きしたことに関しては……」

「はい、もちろん、そのあたりは承知しています」

 ……現状、ぼくは魔法つかいのこともウィッチのことも、そしてくおんさんのことも、いつかどこかでのたれ死ぬまで懐に収め、墓場まで持って行くつもりでいる。

 例えば、ここで見聞きしたことを、報道機関なりに告げて表ざたにしようだとか、その見返りを得ようだとか、その類のことは、一切するつもりがない。

 何故なら、それがまったく無意味な行為だと思うからだ。

 ウィッチは人類そのものの普遍的かつ恒久的な敵性種であり、その道の専門家である魔法つかいがそれに対抗している。

 ……ウィッチに襲われて命を落とす不幸は確かにあるが、当面、人類がウィッチに食い尽くされて滅ぶことはない。

 犠牲が出ることはあっても、それに対しては魔法つかいが動き、被害を減らす。

 その戦闘による影響は……

 ――国家黙認。

 たぶん、……そういうことに、なっている。

 もう、そういう仕組みが出来上がっている。

 ウィッチも、魔法つかいも、その存在を「知っている人は、もう知っている」

 報道機関なりに垂れこもうが、ネットで拡散しようが、もみ消され、あるいは与太話として終わる。

 ならば、ことさら利益を生むソースにはならない。

 つまりもう、それでうまくいっているのだから。

 十分ではないか、それ以上、何を望むことがある?

 ……普通に考えれば、そうなるだろう。

 ぼくに判断できる程度のことが、世間の賢明なる皆様にできないとはあまり思わない。


 けれど、けれど……同時にこうも思う。

 そんなに、うまく行くものだろうか?

 ――あるいは、目の当たりにしてものを信じることが出来なかったり。

 ――あるいは、それを受けとめる心の余裕がなかったり。

 ――あるいは、……単純に、ひどく愚かであったり。

 そういった理由で、自分の置かれた状況をまともに判断することができず、周囲も自分も不幸にする、そんな誤った行動をとってしまう…

 大多数はそうでないにしても、…そんなひとが一人もいないなんてことが、本当にあるものなのだろうか?

 たかだか「共通の敵」ごときで……、人類がそこまで一体になれるだろうか?

「例えば、……たとえばの話、ですけど」

 そんな疑念が、ふと、口の端から零れる。

「もし……ぼくが悪いやつで、口をつぐんでいることの見返りだの対価だのを要求したりしていたら…どうなったんでしょうか」

「……まあ?」

 みやこさんが、にこりと微笑むと、その歩を進め、ぼくの間近に立った。

「……あまり、意地悪を仰らないでくださいな。そんなことを言われたりしたら、……みやこは困ってしまいます」

 息がかかりそうな、至近の距離。

 こうして並んでしまうと、彼女が女性にしてはすらりとした、170㎝近い長身であることに今更気づく。

「……みやこ、さん?」

「できるだけ、こういった事を口にしたくはないのです。…言葉にせずともお察しいただくことができるのならば…とてもうれしいのですけれど……」

 あまやかな声で言って、彼女は、片手をすっともたげる。

 ゆったりした袖口から伸びるその掌は、白絹の手袋でもはめているのかと思うほどに、てらてらと濡れたようで。


「――やめて、みやこさん」


 鋭い、といっていい声が一度かかり、みやこさんの差し出した手は、ぼくのおとがいの寸前で停まっていた。

「御剣さんから離れてください。その人は私の大切な友人で、今はこの館で働いてくれる人でもあるといったはずです」

 みやこさんを制していたのは、斎月さんの一声、だった。

 彼女にしては珍しく、「わきまえよ」と叱責するような、というか。そんな口調。 

 敵意とか、攻撃の意思とかとも、また違う。

 何というか……、単純に不機嫌そうにも、見えるのだが……。

「申し訳ありません、ツクヨミ様、少し馴れ馴れしすぎたようです。……脅すような物言い、御剣さまも、どうぞお許しくださいませね」

 ぺこりと会釈を一つして、みやこさんは引下がる。

 ……何なんだろう、これ。

「あのー……喧嘩はだめですよぉ、ツクヨミ様もみやこちゃんも、みんなかよくしましょうよー」

 メイドさんの片割れ、童顔の方が、戸惑いながらそんなことを言う。

「あー……いや……ぼくがいけないんです、喧嘩とかじゃ…」

「そうだ、君がいランことを言うからだゾ?」

 返す言葉もない、御剣昴一郎は、もう少し、思ったことを口に出す前に、それが言っていい事かどうか考えるべきだ。

 そして、察しの悪いぼくも、確信する。

 ここで見たり聞いたりしたものごとを流出させるとか、それをしないことに見返りを求めたりとか、……それをやったら。

 多分、消される。

 だから、

「あの、今、つい言ってしまったけど……そんなことはしません、約束します」

 改めて、目の前の3人に、はっきりとそう伝える。

「外でふれまわったり、ですかー?そんなことしたら……」

 メイドさんの片割れが、のんびりした声で言う。

「御剣さまが、頭がかわいそうな人だと思われるだけだと思いますー!」

 ああ、うん。

 そういうのもありますよね。


「アー……ところでダ、くおん、彼女たちがよこされたというコとは」

「……ええ」

 いつまでも玄関先で話をしていても仕方がない。と言うコトでまずびゃくやが口を開いた。

「ひとまずは、きちんとした場所に移りましょう、…御剣さんも、ご一緒に」

「はい、では私たちも」

 まず斎月さんが、それに従って、みやこさんが踵を返す。

 と、よく考えたら今のぼくはこの館の使用人で、このメイドさん方は主である斎月さんの賓客ではないか、お茶の一杯なり、お出ししなければなるまい。

 頭にびゃくやを乗せたぼくと、少し遅れて、メイドさんの童顔の方がその後を追う。

「んふふー、ねえ御剣さま?」

 随行しながら、よく考えたらまだこの人の名前を聞いていなかったことなんかを思い出す。

 妙に声を潜めて、ぼくに親しげに声をかけてくる。

 そんなことをしたって前の2人だって耳はいいだろう、し、聞こえているんではあるまいか。

「……何でしょう?」

「さっきのツクヨミ様、ご覧になりました?」

「……?ええまあ一応。それが何か」

「何か?って……さっきみやこちゃんが御剣さまに触ろうとした時ですよぉ」

「はい?」

 ……バカにしてるんだろうか、この人。

「あんな風にやきもち焼いちゃってー……ツクヨミ様ったらあんなにおきれいなのに、本当、かわいいですよね~」

「いや、アレは……そういうのとはかなり異なる気がするんですが……」

 第一、斎月さんは他人が使用人に話しかけたりした程度で機嫌を損ねるほど狭量ではないだろう。

 ……今のぼくは普通の使用人とは多少状況が違うんだけど。

「でもぉ……なら、御剣さまは、ツクヨミ様のことどう思われますー?」


 御剣さんそういうむずかしいことはよくわかんないです。


「まあ……確かに……すごくきれいな子だなとは思いますけど……」

「わぁぁぁぁ~♪へぇぇぇぇ~♪」

 何が嬉しいのだか知らんが、ふっくらした頬を両手で覆い、体をくねくねさせ始めた。

 こうして見るとメイド服のデザインのせいで判りにくかったが、結構肉付きがいい。

 とりあえず、この人は放っておくことにする。

 どうも、みやこさんは何かおっかないし、こっちはこっちで絡みづらい。

「あの……ぼくは、お茶の支度でもしてきますので…お先にどうぞ」

 相手をしていても仕方がなさそうなので、ひとまず厨房の方へと足を向けた。

「おい……おイ!」

「なんだよ」

 ようやく一人振り切れたかと思ったら、今度はこっちか。

 頭上からびゃくやの不機嫌そうな声が聞こえてくる。

 どうもいつの間にかそこが定位置になりつつあって、誠に遺憾に思う。

「馬鹿だな、何故あんなことを言った。わたしはきみが縊り殺さレるんではないかと冷や冷やしたゾ…」

「まさか……確かに何か凄みはあったけど、そこまでするような人には見えなかったぞ?」

「ハァ……鈍いと言うことは恐ろしいなあ。……一応くおんの庇護下にある君をいキナり縊り殺スというのはないニシても、アレは結構荒っポイ女だぞ……」

「……そうなの?」

「でキル限りフォろーはすルガ、限度がある。気ヲつけてくレよ」

 ということは、やっぱりさっき感じたのは俗に殺気とかいうものか。

 せっかく斎月さんやびゃくやがぼくを助けようとしてくれているのに、ぼくの方が関係ないところで墓穴を掘ったのでは元も子もない。

「判った、善処する」

 まで言ったところで、後ろから声が追いかけてくる。

「御剣さまー、待ってくださいよぉー」

 ……ああもう、せっかく振り切ったというのに、追いつかれてしまった。

 今のやり取り、聞かれていなかっただろうか?

「……先にいっていて下さいと申しましたのに」

「いえいえ!お茶を用意するのはわたし達の本職ですからね、ここはお手伝いさせてくださいなー」

「それはそうでしょうけれど」

「では、一緒に参りましょうかー」

 ええと……参ったな、彼女についてこられてはびゃくやともうかつなことを話せないのだが。

 頭上に目をやる。

「……どうした?特に疾しいところなど我々にはないはずだが」

 とりあえず普通にしていろ。と、そういうことらしい。

 ……当たり障りのないことだけ話して、ひとまずしのぐしかないか……

「……そうですね、では、ポットでも運んでもらえれば…」


「ところでー、御剣さまはウィッチの呪いというのをご存知ですかー?」


「えっ」

「ヲっ」

「あ、あー、割と直近、そういうニュアンスの言葉、聞いた覚えがあるかもしれませんね」

「そうそう、もしそんなことになっちゃってたらたいへんですー。今頃わたしたち、御剣さまの首と胴体別々にして、こっそり山の中で燃やさないといけなくなっちゃいますー」

 ……いきなりピンポイントできたな。

 ぼくが対処を思案しようとした、その瞬間。

「えぐ」

 だろうか、

「ぉう」

 だったろうか。何かの生き物の断末魔みたいな悲しげな声が、短く放たれる。

 みぞおちに、人差し指(軽く第二関節まで)。

 いつの間にか現れていたみやこさんが、相方に一撃食らわせていた。

「不用意な発言はお止めなさい、御剣さまが不安がっているでしょうに」

 ごろんごろんのたうちながら、いたいよういたいようと呻く、童顔の方のメイドさん。

 失礼ながら、しばし無言のまま見守る。

「つれが失礼いたしました」

 ……やっぱり聞こえていたんじゃないか。

 この人たちは……非常に、心臓に悪い。

「ふふ、なかなか来られませんでしたもので、ふふ」

「ああ……お茶を運ぼうと思いまして…」

 最初と最後にふふがついたのは何なんだ。

 背中に嫌な汗を感じながら彼女を見守っていた。

 悪いけど、そうすることしかできなかった。

 しばらくすると彼女は起き上がって、

「はー……痛かったよう……苦しかったよう」

 と、切なげに呟いた。

 眼がしらに水滴が貯まっているが、ついでに鼻水も垂れている。

 年齢の良くわからない童顔だが、なまじ可愛らしいつくりをしているがゆえに痛々しい。

「やめてやめてみやこちゃん、いたいよういたいよう!」

 さらに悲鳴が上がる。

 みやこさんが相方の柔らかそうな頬を抓んでつねりあげていた。

「……早く御剣さまにお詫びしなさい」

「申ひ訳ありまへんでしたぁー!」

 口を横に引っ張られながら、懸命にぼくにそう許しを乞うてくる。

「あの……ぼくは気にしてはいませんので…やめてあげてもらえませんでしょうか……」

 ……みやこさんは、基本的には教皇院の側のひとのようだ。

 つまりその組織としての方針に照らせば、さっきのぼくの余計なひと言だの、彼女の発言だのは、口にするべきではないことであって。

「まったくあなたときたら……ツクヨミ様に知れたら、このようなものでは済まないのですからね…?」

 ……つまり、ぼくも下手をすればみやこさんにみぞおちに指を突っ込まれ、口を横裂きにされていたかもしれないということではないのか。

「あー……うー……ろうかろうかツフヨミ様にはご内密にー……わたひ何でもひまふからぁー」

「……女の子が何でもとか軽々しく言わない!」

「ひぃっ!」

 しまった、つい声を荒げてしまった。

「御剣さま、わたしからも申し上げます、ご容赦ください」

「だ……だからその、ぼくは特に気にしてはいませんから、もうやめてあげてください」

 ……これでは何だかぼくまで一緒になって彼女を痛めつけているみたいではないか。

 ぼくがたどたどしくそういうと、みやこさんは不承不承と言う感じに手をおろす。

「……そう仰るのであれば……」

 ようやくに折檻から解放された鉄色リボンのメイドさんは、抓りあげられていた箇所をさすりながら、

「うー、御剣さまは優しいですー、それに引き替えみやこちゃんは残虐で冷酷ですー、陰湿で狂暴ですー、悪魔超人ですー」

 なんてことを唸っている。

 これだけ虐げられていてよくそういう軽口が叩けるものだと多少畏敬の念を抱かないこともない。

 ……何となく、この二人の関係が判ってきた。

「あの……そういうことがあるって話も、一応、斎月さんから聞いていますから」

「ああそウそう、君など危なイとこロだったのだぞ?」

 他人事のように付け加えるぼくの言葉を補強するように、びゃくやがそう冗談めかして繋ぐ。

 ……よし、そう不自然ではないだろう。

「……ええ、そう言った悲しいことも、我々にはついて回ります、けれど、ご理解ください」

「もちろんですよ」

 簡潔に、当たり障りのない言葉で答えておく。

「総ての犠牲者をゼロにすることが不可能な以上、〈現実的には〉〈仕方のない〉ことですので」

「……そうですね、正しいと、思います」

 そうだね。

 まったくそうだね。

 心の中でだけ、そう続ける。

「…ですが、御剣さまにはあまり関係がない話ですね、今後も心配はいらないと思います、何しろ…御剣さまの後見は、当代のツクヨミ様なのですから」

 彼女の庇護下は、世界で一番安全な場所。

 斎月くおんというその名は、やっぱり彼女たちの組織の中では、それだけの重みをもっているらしい。

「はい!大船、そう、戦艦大和に乗ったつもりでいいと思いますよー」

 みやこさんに追随して、片割れの方もそう付け足す。どうも、あれほど虐げられていても仲は悪くないらしい。

 ――いや、でも、その艦(ふね)、沈んだじゃん。

 というのは口に出さずにおいた。

「あの……3人とも、どうかしたのですか?中々来ないようでしたが……」

 長話をし過ぎていたようで、噂をしていた当の斎月さんが、ひとり引き返して廊下の角で、首をかしげていた。


 ようやく4人+1羽そろって、応接間に当たる広間に場所を変え、テーブルに、ポットやカップを並べ、落ち着いて話ができるように準備を整える。

「あ、そうそう、御剣さまに申し忘れておりましたー!」

 沸かしたお湯を魔法瓶からティーポットに注いでいると、メイドさんのみやこさんじゃない方が、だしぬけに明るく声をあげた。

 あれだけ痛めつけられてからいくらも立っていないだろうに、頑丈な人だ。

「わたしの名前はですねー…」

 ああ、そういえば、この人の名前聞くの忘れてたな。

 おうとも、それじゃ聞かせてもらおうじゃないかあなたのお名前を。

「ところで、本題に入りましょうか、ツクヨミ様」

「え」

 ……あ、流しにかかった。

「…あ、あの、みやこちゃん…」

 見れば、斎月さんまで、どうしたものかと問いたげにぼくの方を窺っている。

「どうかしましたか、私語は慎みなさい」

「でも、……その……ん……いいです……」

 ……引き下がったか。まあ、気の毒ではあるけど、彼女に勝ち目はあるまい。

「くおん、君はもう話をきいテイるのか?」

「おおまかな内容だけは。詳細は資料でもらってきたよ」

「はい、ですので、教皇さまから正式な討伐指令書と、討伐に必要な機材をお届けに参じた次第です」

 びゃくやの問いに斎月さんが答え、みやこさんが補足する。

「で……では……!」

 未だ不満そうにしていたもう一人の方が、みやこさんに促され、懐にしまっていた封筒を開き、その中身を開示した。

 広げられたその紙は、最初、白紙に見えた。

 ……が、それもほんの一瞬、真っ白なその表面に、斎月さんが伸ばしたひとさし指の先で軽く触れると、僅かに波紋が広がるように揺らぎ、きれいなフォントで印字された文字列が一面に浮かび上がる。

「……さすが、こういうのも魔法で書かれてるんだね」

「……この程度は魔法に入らンヨ。そノウち、液晶画面でこういウコとができルヨうになるぞ」

「面白いかもしれないけど、別にそうしなきゃならない理由ないんじゃないかな」

 液晶画面を操作するなら、キーボードとテンキーで十分じゃないんでしょうか。

 まあ、そんなことはどうでもいい。

 特に止められることもないので、そこに書かれている文字に目を走らせてみる。

 そして、みやこさんたち二人が、声に出してその主文を読み上げた。

「133代ツクヨミ「剣の魔法つかい」斎月くおんに、ウィッチ討伐を命じる」

「形態は蛞蝓型、行動様式は営巣型。教皇院の定めた個体名称は「綱手姫」。最初に活動を報告されたのが一週間前、山中に潜み、近隣の住民を捕食していました。既に幾人かの魔法つかいが挑みましたが、討伐には今のところ成功しておりません。危険度は…第2級となっています」

「ほう、集団のリーダーか、それに類するもノカね?」

「いいえ、ですが、調査の結果、高濃度の因子保有個体です」

 形態だの、行動様式だのは判らないことはない…まあ、その通りだろう。 

 ……だが、インシホユウコタイ?

 また知らない単語が出てきた。

 首をかしげていると、それを見た斎月さんがぼくに教えてくれた。

「ウィッチを発生させるのは、通常の生物と、それに入り込んだ記号や因子のようなものと説明したと思います。……通常の個体よりも、それを多量に体内に蓄積している、という意味です」

「……そウだな、君も見た、あの海栗のウィッチもそうだ、とりあえず、平均して通常よリモ強力な個体と思っておけば良い」

 まあ、その言葉の意味はわかった、わかったが…。

「あの……ちょっと、待ってください」

 ――さしたる考えもなしに、ぼくはまたしても、そんなことを口に出す。

「……どういうこと、でしょうか?」

「斎月さんは、昨日もウィッチと戦ったばかりです。その際にも、イレギュラーなことがあったということですし…負担がかかっていると思います。……少し、休息を取らせてもらうことは、できないのでしょうか?」

 昨日の斎月さんの撃破数(スコア)は、報告では1体。

 けれど、それは、本来ならもっと堅実に彼女が戦えるはずの前提が崩され、不確実な状況の中での戦いを強いられた上でのものだ。

 今日は違うとはいえ、二日続けてそういった強敵に彼女をぶつけるというのは、……組織としてどうなんだろうか?

 そして現実にはそれに加えて、公にできない、誉とならない、数十体のスコアが存在する。

 ならそれは単なる徒労でしかないし、彼女の負担も疲労も、大きかったのではないのか。

 最悪ぼくのことなどどうなったっていいのだが、それが原因で、もしものことがあったなら。

 結局昨夜のぼくの、そして彼女の行動が、本来あるべきでなかった、と言う事には変わりはないのだ。

「それも、普通より強いウィッチが相手だというなら尚更……例えば……ほかの魔法つかいに代わってもらうわけには…」

「いナくはナいが、別の命で行動している。そレニ、戦力的に彼らはくおんには及バナい」

 びゃくやが、少し硬い口調でそう答える。

 斎月さんは少し困ったような顔をしているし、みやこさんは、不思議そうに首を傾げていた。

「……御剣さまは何故、そのように思われるのですか?」

「いや……だって、斎月さんは」

 ……何だ?ぼくは何を言う気だ?

 ……女の子だ、か?

 …未成年だ、か?

「ツクヨミ様は、我々の有する最高戦力です」

 みやこさんが、簡潔に口にした。

 ……判ってはいた。ぼくが言おうとしたのは全部、その一点を持って退けられてしまうであろうことだ。

「だから、わたしが行くのが、一番確実で、適切です」

 重ねて、斎月さん自身がそう告げる。

「けど……」

「一晩休んだし、疲れも取れていますから、心配はいりません」

 ぼくはそのまま口ごもるしかなく、斎月さんも、それ以上のことは言わなかった。

 しばし、沈黙が流れる。

 ……まあ、そうだろうさ、……戦ってるんだもんな。

 使い道のない人間を適当に生かしておくのは別に構わなくても、優秀で有能である斎月さんを休ませておくわけにはいかない。

 ……正しいじゃないか、教皇院。

「……その、御剣さま、お優しいんですね」

 誰かが、そう口にした。

 予想していなかったそれに驚きながら、声の元を見る。

「そう……そう、ですよね、確かにわたし達……ツクヨミ様には、いつも大変なことをお任せしてしまってばっかりで……」

 少しだけ肩を落とし、鉄色のリボンのメイドさんが、そう呟いていた。

 斎月さんは、彼女と、そしてぼくとを一度づつ、見た。

「……わたしがやらなければ、誰かが傷つくし、誰かが悲しみます」

 そして、少し言葉を探すように目を伏せてから、

「なら、わたしは、わたしの役目を果たしたいとおもいます、それが一番正しい事だとも、思います」

 と、告げた。

 その声には、それは彼女の中で既に堅く強く定まった行動指針であって、ぼくごときにはけして覆すことなどできないのだと、はっきりと感じさせるような力があった。

「いや、素人の分際で余計なことを言いました。ご容赦を」

 もう、そう認めるしかなくて、何となく、物理的にも一歩引き下がった。

「……その、御剣さん」

 少しの間をおいて、ぽつりと、斎月さんがぼくに声をかける

「……わたしたちには戦術の蓄積というものがありますし、技術も発展しています、それに……」

「……それに?」

「それに、わたしも、頑張りますから、……大丈夫ですよ」

 言って、斎月さんは、口の端をあげて、笑顔を作って見せる。

「(それは、誰にとっての大丈夫ですか)」

 ――というのは、口の中に留めておいた。

「……話の続きをしテモ、いいだろうか?」

 びゃくやが、そう切り出す。

「……ああ、こっちこそ、口を挟んでごめん」

「……まア、君にも君ノ意見を言う権利はあルしな……構わんヨ」

 軽口じみた口調でそう言う彼は、いつの間にか再びぼくの頭上に移動している。

「……でハくおん、わたし達がこれから討伐に向かうというのは、もウ確定事項ということデ、良いナ?」

「……ん、だから、その為の資材も、借り受けてきたから」

「そうイウことだ、少し外すが、待っていテくレヨ、昴一郎」

「夕飯の配膳でもして、待っていてください。そんなに遅くはならないと思います」

 びゃくやが、次いで斎月さんが穏やかにそう告げる。

 何か、いかにもぼくを安心させようと気を使っているのが明らかにわかる。

「だガ、これは少々……荷物が出ルな」

「ん、だから、どうしようかと思って」

「君たちに運んでもラウわけにはいカンのか?」

「はいー……わたしたちは、同じものを、もう一か所、別のところにも届けないといけなくて…」

 話題はひとまず進んだが、こんどは目の前でそんなやりとりがなされる。

 何か不都合でもあるんだろうか?

 重い荷物運ぶのなんか、それこそ魔法つかいたる彼女ならどうということもないだろうに。

「……ああ、その今回使う機材と言うのが、あまりそういった術と相性が良くない物で。ここまでは運んでもらったけれど、現地までどうするか、びゃくやにも相談したくて、それで一度戻ってきたんです」

 説明されれば、理屈が判らないことはないが。

 単に荷物運ぶってだけなら、僕が手伝わせてもらってもいいが、そうもいくまい。

 と思った矢先。

「では、御剣さまに同行していただいては如何でしょう」

 みやこさんの口から、そんな言葉が出る。

「え」

「現在御剣さまの扱いは、ツクヨミ様の従者と言うことになっていますし、ご協力、願えませんでしょうか?」

 ……これは、まずい。

 まずい流れだ。

「それに、御剣さまは昨夜ウィッチに襲われたのですよね?それに、先ほどから、わたし達の組織に十分な信頼を持って頂けていないようです。でしたら、わたしたちのツクヨミ様がどれほどの腕をお持ちか改めて間近でご覧になっていただけば、心強く思っていただけるのではないでしょうか」

 それはその……既に十分、この目に焼き付けている。

 言えないんだけど。

「それには賛成できません、」

 そして、ぴしゃりと撥ね付けるように、斎月さんが短く口にする。

「ただの荷物運びならともかく、現地ではウィッチとの戦闘になります。他に術がないわけでもないのに、御剣さんを危険に晒すのは本意ではありません」

「我々の任務には危険を伴わないものなどない、そうではなかったでしょうか?」

「そうです、ですからこそ、徒に危険な場所に伴うことは本意ではありません」

「教皇さまも仰っていました、ツクヨミさま、あなたは、守勢の戦いをもっと経験するべきだと」

「御剣さんはわたしのための教材ではありません」

 ……どうも斎月さんの機嫌が悪い。

 今のところは冷静で大人びた態度も物言いも崩してはいないが。明らかにいつもと雰囲気が違う。

 さてと、どうしたものか。

 殊更強硬に拒んだとして、「何かダメな理由あるんですか?」の一言が怖い。

 少しでも斎月さんに負担をかけないで済むなら、それが一番なのだが……

「ええと、これ、ちょっと、ぼくが見せてもらってもいいものでしょうか?」

「かまいませんよー?」

 手に取った資料、……こうして見ると、本当に一枚の紙だ。

「これ、どうすればみられるの?」

「表示を送るときはこう、指で表面をなぞる。ページを送るときには、隅を抓むようにして、斜めに」

 ……結構面倒くさいな、慣れれば別かもしれないが。

 将来的に液晶画面でこういうことが出来るようになっても、多分流行らないだろうと思う。

 表紙から一枚ずつ、そのページを繰ってゆく。

 専門用語が多くて判らない部分もあるが、平易で事務的な文章故におおよその内容はつかめた。

 ウィッチの発見から、ここまでの経緯、作戦目的、作戦内容。

 件の蛞蝓のウィッチは、発見されてから数回にわたり教皇院旗下の魔法つかいと交戦、市街地に接近しないように誘導されながら、現在は使用されていない閉鎖施設の指揮内まで追い込まれるものの、教皇院側も確実に彼女を仕留める決定力に欠け、現在はその状態で地中に潜伏中。そういうことらしい。

「こコだ、この施設の構造物内にウィッチをオびき寄せ、逃亡が不可能とした状態で建物ゴと打撃を与える、しカル後にくおんが近接戦で片を付ける。というのが今回の計画だ」

「打撃を与えるってのは?」

「まア、そうだナ、そレモ手はある」

 それは……どうも、やり口にスマートさがないというか、あまり斎月さんらしくないというか、そういう感がある。

 やはり、結構切羽詰った状態なのではないのだろうか。

 ページをそのまま送ってゆく。所在地、見取り図、そして、――施設名。

 そこで、ぼくの指が止まった。

「……えっと、その、斎月さん」

「はい」

「あなたは、ぼくを助けてくれた恩人で…今は、保護者で、雇い主で、家主でもあります」

「御剣……さん?」

「だからというわけではないけど、ぼくはできる限り、あなたの為に役立ちたいと思っています」

「……どウシた?」

「……荷物持ちが必要と言うコトでしたら、どうぞ申し付けてください」

 こつんこつんと、びゃくやの嘴がぼくの頭頂を繰り返しつつくのを、甘んじて受けていた。

「……びゃくや、御剣さんに意地悪をしないで」

「ああ、中身が入ってイないのではなイカと、他人事なガラ心配になってね」

 二人のメイドさんが引き揚げて行ったあと、ぼくたちは彼女らの残して行った荷物を引き継いで預かり、ガレージで昨日も世話になった自家用車の後部に積み込んでいた。

「……そレトも、まタ君の病気が出たのではないだろうな?」

「……斎月さんを困らせるようなことはしませんよ……」

 びゃくやが苦々しげに言ってくる。

 やれやれ、信用がない。

「……それに、下手にごねたら余計に勘ぐられるだろ?」

「体調が悪いとか適当なことを言っておけばよかったではないか、得意だロソういうの」

「ひとを稀代の嘘つきみたいに言わないでもらえるかな、大体僕は嘘は嫌いだし」

 一番大きな金属ケースを積み込み、後は細かい部材のケースらしいものだけ。

 詰み付けを考えながら、トランクに上半身を突っ込んでいると、

「……御剣さん」

 と、斎月さんに名前を呼ばれる。

「はい?」

「……あの……大丈夫……ですよね?」

 ……いや、ちょっと待って。

 びゃくやはまだしも、あなたにそう思われているのは辛い。

「あー……勿論です。……それに、斎月さんぼくのこと、友達だし、この館の一員だって言ってくれたじゃないですか」

「……はい、そうです、御剣さんは、大切な友人です」

 失礼ながら、作業をしながら、その声を背中で聞かせてもらう。

「あれ、すごく嬉しかったし、少なくとも、ぼくは、あなたには嘘をついたりしません。斎月さんがそうしてほしいって言うんだったら、ぼくはどこまでだってお供するつもりでいますからね」

 たぶん、今変な顔をしているだろうと思えたので、上半身をトランクに突っ込み背中を向けたままそう答えた。

「……んっ!」

 …何だろうか、明らかに斎月さんのだけど、くぐもった妙な声が聞こえた。

「……ぁぅ」

 振り向いてみると、そこでは斎月さんが、頭痛でも堪えるかのように、白い額を掌で覆っている。

「……あの、斎月さんこそどうしたんですか?ちょっとでも体調が悪いんだったら、少し休んだ方が」

「……ええと……ええとその、今日も、御剣さんに危険が及ばないように、しっかり戦いますから」

 珍しく早口でそこまで言い終えると、斎月さんはくるんと背中を向けてしまった。

「……君は……わザとやってるんじゃあルマいな?」

 ……何のことやら。

 まったく、よくわからないことを言う鳥さんだった。

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