第三夜「彼女の護るもの」(アバン)
○
前回起こったこと、まとめ
人類を害する異形の敵性生物・〈ウィッチ〉。
それに立ち向かうべく、超常の力を身に宿した守り手〈魔法つかい〉。
本来人知れず行われるべきその戦いに巻き込まれたことで、ぼくたちは関わりを持った。
133代ツクヨミの称号を持つ、剣の魔法つかい・斎月くおん。
彼女に救われた、もとい彼女の厄介者としての立場に甘んじる間抜け、このぼく、御剣昴一郎。
そう、あくまで「関わりを持った」だ。
その程度にしか言いようがない。
本来、公共の利益を考えるなら、ぼくは即刻処分されなければならない身の上となったはず、であるのだが、斎月さんはそうすることを良しとしなかった。
――そもそも、絶対に死ねないというだけの理由もこれと言って思いつかなかった。
――そういうものなら仕方がないと、受け入れるつもりでいた。
それでも彼女は「あなたが仕方ないと思っても、わたしは仕方ないとは思わない」と。そう言った。
彼女の熱意と真心に動かされてとでもいうのか、ぼくも少々、気が変わった。
生きて何をなそうというわけではないが――ひとまずは、もう少しだけ生きてみることにした。
○
目蓋越しに、朝の陽ざしを感じて、おぼろげに意識が戻る。
まず視界に入ったのは、昨日の朝まで見ていたのとは違う天井。
体を包み込む、上等のシルクでできたシーツと、清潔な毛布。
柔らかいスプリングのベッドマットは、全身が沈んでしまいそうだ。
我が家の万年床の煎餅布団とは随分な違いだ。
布団の中で手足を軽く動かし、四肢とそれぞれの指が五本ずつ揃っているのを確認する
どうやら、ぼくは、まだ生きている。
昨日己が身に起こった出来事を顧みれば、それがすでに奇跡の領域と言ってもいい。
……いや、そうではないか。
今ぼくが生きているのは、斎月さんという一個人が、あくまで個人的な好意と善意に基づいて、ぼくを助けてくれた結果だ。
感謝するなら、奇跡ではなく、彼女に対してにしておこう。
山中からこの館に引き揚げ、一息いれた後、この部屋を使ってほしいと案内された。
そこまでしてもらうわけには行かない、物置の隅でも使わせてもらえればいい。と一応の抗弁をは試みたものの、斎月さんがそれで納得してくれるはずもなく。
今のぼくの身なりにしても、さすがにボロボロの制服のままベッドを使わせてもらうのは忍びないなあなどとと思っていた矢先に「これをどうぞ」という言葉とともに、高級百貨店の包装紙に入ったこの綿の寝間着を渡された。
昨日、山中に出立する前には備品を扱う部署に連絡し、おおよそのぼくの体型を支持して届けさせてたということである。
……教皇院。いや、斎月さん、侮り難し。
その後はと言えば?……実のところ、ほとんど記憶にない。
斎月さんの薦めで風呂を使わせてもらい、寝間着を身につけてこの部屋に戻った後、意識が完全に飛ぶまで、5分とかからなかったと思う。
我ながら、たった一日であれほどのことがあったというのに、図太い物だ。
時計を見る。――現在、午前6時半。
普段だったら起きて2人分の食事を作り。登校の準備をしなければならない時間ではあるが、今ここにミツヒデさんはいないし、ぼくも学校に行くどころの状態ではないが、人様の家でいつまでも惰眠を貪っているのも気が引ける。
とりあえず、起きて挨拶でもしに行くか、と身を起こそうとして――
背中側に存在する、この個室の出入口から物音がした。
「――斎月、さん?」
とっさに振り返り、そう問いかけるが、
「……クァァァ」
帰ってきたのは、真っ白なカラスの、小馬鹿にしたしたような声だった。
「……何だ、びゃくやか」
悪かったな。とでも言われるかと思ったのだが、
「カーッ、カーッ」
聞こえてくるのは、そんな、当たり前のカラスの声だけである。
「あー……ごめん、何言ってるか判らないや」
「カァー」
――そうか、昨日かけてもらった〝活性〟が切れている。
だから、もうぼくには彼の言葉が判らない。
というか、これが本来の状態だ。
少し寂しくはある、斎月さんに頼んで、かけ直すかしてもらわないといけないが、ここで一つ思い立つ。
「……えーと、君の言葉は分からないけど、ぼくの言ってることは君に通じるんだよね?」
「クァッ!」
びゃくやが甲高い声をあげた。
馬鹿にしてんのか、とでも言いたげだ。
「びゃくやって、字は書ける?」
「カァ」
くちばしを動かして、びゃくやが頷いた。
「……ちょっと待って」
荷物の中から筆記具とノートを取出し、サイドテーブルの上に真新しいページを広げ、びゃくやにシャープペンを差し出してみる。
くちばしで咥えるかとおもいきや、びゃくやはそれを右足で握ると、器用にペン先をノートの上で踊らせ、さらさらと一文を書き上げると、白いページにしるされた文字列を示す。
「どれどれ」
……と、手に取ってみる。
「おはよう御剣昴一郎。いい身分でいらっつゃいますね」
と、書いてあった。
ところどころ癖はあるが、なかなかに達筆だ。
「いや、まったくその通りなんだけどね」
…ので、以下、筆談。
「でも良かった、一応、これで君とも話ができるな」
「素人にしては気が回るじゃなゐか」
「活性かかってない一般人と話すときはどうしてたの?」
「そう言うことは、ほぼないな、わたしと筆談を試みたのは君がはレ〝めてだ」
「ああ…なるほど、そんなもんか」
「だが、いちいち書くのは面倒くさい。不便だからはやく活性をかけてもらえ」
「えーと……斎月さんは?」
「下に行けば会える」
「ああ。……って、着替えるから少し外に出てってもらっていいかな」
「ここでよかろう、安心しろ、君の体に欲情したりはしない」
――それはそうだろうけども。
「君自身、自分の体に自信がない、とても人様にお見せできる体ではないから見せたくないというのならそれは汲むが」
「……別に、どっちでもいい」
別段変わった痣だの未だ精神的苦痛を惹起する傷跡だのがあるわけでもない。……そう、昨晩抉られた胸の傷さえ、何もなかったかのようにいまは消えている。
そこでもめても仕方ないし、びゃくやがこっちを見ている前で寝間着を脱ぎ、通学カバンの中に丸めて突っ込んであった私服に着替える。
綿のスラックスに足を通し、長袖のTシャツの上に着古しのパーカーを羽織った。
「何だそのクソだっせーパーカーは。その格好で異性の前に出る気か。自分を見苦しくないよう、よく見せようという気はないのか」
「だってこれしかないんだぞ、寝間着で出てくよりはマシだろ?」
…何となく着慣れているというだけの理由でここ数年普段着としてよく着ているこのパーカー、ぼくとて別にファッション性に優れているとは思わないが、どうも評判がよろしくない。
そろそろ、捨てることを考えるか。
「まあいい、くおんが普段着を用意している、後で受け取りたまえ」
そうノートに書きつけたページを足先で示してぼくに見せると、びゃくやは白い翼でふわりとはばたき、ぼくの頭に舞い降りた。
……何故、頭なのだろうか。斎月さんと移動するときは肩とかだった気がするが。
ぼくと斎月さんでは、扱いが違うのは、まあわかるけど。
さしあたり、文句を言っても始まらない。ぼくには彼の言葉を聞き取れなくて、筆談では口論するのもひと手間だ。
足場を兼ねた移動手段としての役回りに甘んじて、斎月さんのいるという食堂に向かうことにする
○
カラスを頭に乗せたまま、広い廊下を歩く。
昨日はあまり気づかなかったけど、これほどの大きな屋敷だというのに、整備も掃除も実によく行き届いている。
斎月さんが本物の魔法つかいであることを考えても、最低限は人手が必要であろう。
通いで館の中のことをしてくれる人がいるとするなら、彼女の身分を考えるとそれは事情を把握してる、つまりは魔法つかいやウィッチの存在を把握しているひとたちであろう。つまりは、そういう人たちには、ぼくのことが知られるとまずいわけで。
そういうことも、斎月さんに聞いておいて、いざという時には口裏を合わせられるようにしておいた方がいいだろう。
……ああ、でも、昨日の運転手嬢みたいなのもいるのか。
そうやってあれこれ考えながら歩いているうちに、目標の場所に辿り着く。
「ここ……だったよね」
「カァ……」
一応聞いてみるが、確認しなくても部屋割りくらいは覚えている。間違いはないだろう。
食堂のドアを開けて、中に入る。
「あ……おはようございます、御剣さん」
そこで、――斎月さんが、エプロンをつけて、台所に立っていた。
「失礼しました」
とっさに、食堂のドアを閉ざし、廊下に飛び退いてしまった。
なかなかインパクトのある光景。ではあった。
いや……だって、朝起きたらエプロン姿の小学生が朝ごはんを作って待っていたことって、これまでの人生にはあまりなかったし。
もっというと、昨日と同じシンプルな仕立てのブラウスとプリーツスカートの上に、華美なものではないけどそれなりに刺繍やフリルのついた真っ白なエプロンを身に着け、長い黒髪を首の後ろでひとつに束ねた斎月さんがおたまと菜箸を持って立つ姿は、昨日見てきた勇ましく凛としたものとは正反対であるものの、何というか、とても可愛らしくて。
今更ながら、彼女の容姿が並はずれて整っていることを思い知って。
朝一番で見るのが、そんな相手ならば。……そんなことがあれば、誰だって多少は取り乱すものだろう。
だから、ぼくが思わずたじろぎ口ごもってしまったとしても、それには深い意味などないし。
人からとやかく言われるようなことでもないと思う。
ないはずだ。
ないんだよ。
呼吸を整え、もう一度ノックするとともに、食堂のドアを開いた。
○
「……あの、どうかなさったのですか」
案の定、静かな口調で問いかけてくる斎月さんに、
「いえ……何でもありません」
とだけ、答える。
例え本当にそう思っているとしても、
「そのエプロン似合ってますね」
なんて、そうそう言えるものではないだろう。
「そうですか、それなら良いのですが、まだ体も本調子ではないでしょうから、わたしが呼びに行くまで眠っていて頂いていてもよかったのですけど」
「いや、それはちょっと…」
御剣昴一郎は平凡な男子高校生。
寝姿を女子小学生に見られ、起こしていただくのは流石につらいものがある。
ここでやってしまったら、毎朝斎月さんに起こしてもらうことになる可能性すら、考えられる。
「あ……」
そう答えたぼくに、ふと、斎月さんが何か言おうとして、それをひっこめたように見えた。
びゃくやは、と見ると、片足で立ち、もう片方を縦横に動かしていた。
「書くものをよこせ」
と言いたいらしい。
ひとまず要望に応えてみる
びゃくやがノートの上にペンを走らせたあと、見ろと、こちらに示す。
「くおんは昨日の大立ち回りのせいで、きみ│二怖がられているのではないかとレんぱいしているのだ」
と、書いてあった。
ええー……
ぼくがコメントしかねているのをみると、斎月さんはおたまを鍋に戻して、
「見せてください」
と、こちらに手を伸ばした。
「あ、いえ、でも…」
「見せてください」
交互に斎月さんとびゃくやに視線を向け、逡巡した末に、ノートを斎月さんに開陳した。
「……びゃくや?」
斎月さん、声が低い。
しかしびゃくやはそれをものともせずに、もう一度片足を動かす。
「書くものをよこせ」か。
ひとまず要望に応えてみる。
もう一度書き込まれた文章に目を通した。
「あな恐ろしや」
と、書いてあった。
仲悪いのかしら、この人たち!
首筋に、冷たい物を差し込まれたような感覚を憶え、斎月さんを見る。
判りにくいが、軽く下唇をかんでいた。
……結構、本気で怒っていらっしゃる。
「あー……その」
何だかものすごく気まずいのだが、ここで黙っていてはいらない誤解を招くだろう。
「その……ぼくは」
「御剣、さん?」
伝えておかなければならないことは、その場で伝えておこう。
「斎月さんのこと、怖いなんて思いませんから」
念を押すように、付け加える。
「……絶対です、この先も、ずっと」
斎月さんはそれを聞くと、
「そうですか」
クールな、いつもの声で、そう答えた。
○
「何か、手伝うようなことはありますか?」
エプロン姿の斎月さんと、並んで火元の前に立つ。
ぼくは部屋着のパーカー姿なので、場違いなことこの上ないのだが。
「そう……ですね」
斎月さんは、少し考えてから、
「では、お汁の塩加減を見てくださいませんか」
と答えた。
手渡される、一口分の味噌汁のよそわれた小皿。
それを受け取って、口に運ぶ。
適度の塩味と、香ばしいだしの香りが口の中に広がった。
「どう……でしょう?」
「あ……おいしい、です。」
「だしが特別なんです。煮干しがいい物なんですよ」
態度や風貌から、白味噌に鰹節のだしを効かせた上品な味付けがお好きかと思いきや。
斎月さん、存外に味の好みは庶民派らしい。
「……うん、塩加減も、ちょうどいいと思います」
「良かったです。わたしも、このくらいの味付けが好きなんですよ」
ぼくの隣でどこか嬉しそうにそう言う斎月さんに、何だか面はゆい物を感じながら、食器を並べ、仕上がった料理をよそい、テーブルに並べてゆく。
今朝のメニュー。
白米にわかめと油揚げの味噌汁。
鯵の塩焼きにだしまき卵。
ほうれんそうのおひたしと浅漬けまで添えてある。
並んで席に着き、
「いただきます」
オーソドックスではあるが、オーソドックスであるというのはそれだけ大勢に好まれるということである。
……この朝食は、とてもおいしい。
と、ふと気づく。
向かいに座る斎月さんが、あまり箸を進めず、ぼくのほうにちらちらと視線を向けていることに。
「ええと……あの」
「あ……その、如何でしょう、ちゃんと作ったつもりですが、所詮子供のつくったものですから。……お味噌汁は味見をしてもらいましたが、他のものは、どうでしょうか? 魚の骨も、取りづらくないですか?言っていただければ、わたしが解しますが……」
……斎月さん、それ、過保護すぎます。
「いや……そのくらい出来ますから……それに、どれも本当においしいですよ」
「そんなこと……。わたしも、教えてもらった通りに作っているだけですから……」
たどたどしく、気を使いあうようにしてやりとりするぼくたちを止まり木で眺めていたびゃくやが、小馬鹿にするように、欠伸をするように…大きくくちばしを開閉させていた。
……こいつ、どっかいってくれないかな。
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