第二夜「魔法つかい・斎月くおん」(Bパート)②

「……では、本当に良イのだな、くおん」

「ん、わたしはもう、決めたから」

 びゃくやが念を押すように尋ねるのに答えた後、斎月さんはぼくの方に向き直り、

「外に出ることになります、付いてきてくださいね」

 と、言った。

「……ええと」

 いや、ちょっと待ってほしい。

 おそらく、少なくとも彼女の中ではぼくの処遇は既に決まっているのだろうけど、まだぼくはそれを伝えてもらっていない。

 当惑しているぼくに向き直ると、斎月さんは

「心配いりませんよ、わたしも一緒ですから」

 とだけ付け加えた。

 …確かに、それがぼくの逃亡を防ぐ意味でも、正式に教皇院に引き渡すまでは現状を保たねばならないという意味でも、いずれにせよ、それに勝る保険はないだろう。

 後は、可能性はごく小さいが、教皇院にぼくの助命を許可してもらえるようお願いしようなどと考えているにしても。

 と、そんなわけでまだ手を繋いだままでいたぼく達に、皮肉っぽい口調でびゃくやが言う。

「くおん、ソうシッかり捕まえておかなクテモ、昴一郎は逃げハセんだろう」

「わたしは、そんなつもりではありません。……ええと、あの……御剣さん」

 びゃくやも冗談半分であったのだろうけど、斎月さんの方はそれを酷い、とんでもない言いがかりだと受け取ったようで、ぼくを見ながら、困ったように柳眉をひそめる。

 彼女がそんなことで気に病むこともないだろうと思うのだが、自分がそう思っているからと言って相手もそう思ってくれるとは限らないというのは、世の常である。

「ああ、大丈夫です、わかってますから、ぼくを心配してくれてるんですよね?」


 すみません。斎月さん。

 本当は、少し、思っていました。

「……ところで、まだ、〝活性〟効いてますよね?」

「はい、びゃくやの声もその間は聞き取れます。今の御剣さんはそもそも増強するための体力自体が落ちていますから重ねがけはあまり意味がありませんが、効果が切れそうであればかけ直します。そうでなくては意味がありませんし」

 ふむ、どうも、ぼくをどうにかするにしても、ちょっと館の裏手でばっさりと言うわけには行かないらしい。

 人をひとりを生かすには、労力も時間もかかる。

 詭弁を承知で言うなら、人ひとりを処分するにしても、手間と時間がかかるのは当然だろう。

 例えそれが、「生きているべきでない」人間であっても。

「……それと、これを羽織ってください」 斎月さんが示したのは、あらかじめ用意しておいたのか、部屋の脇に立っていた衣装掛けにハンガーで吊られていた、上等の生地で仕立てられた、真っ白なコートだった。

 現状ぼくの上半身は穴の開いたワイシャツと、廃品同然の制服の上着だけなので、たしかに外に出るには不向きな状態である。

 ごく真っ当にそれを手で受け取ろうとした、…のだが。

 斎月さんはそれを手に持ったままぼくの背中に回り込み、

「……少し、かがんで頂けますか?」

 なんてことを言う。

「……あの」

 斎月さんに手伝ってもらいながらコートに袖を通すと今度は前側に来ると、

「……どうかなさいましたか?」

 不思議そうに問いながら、斎月さんは一つ一つ丁寧に胴体前面の留め具と紐を括ってゆく。

 遠慮しても聞いてはもらえなそうなのでそれに甘んじることにしてはみたものの。

 ……まったく、このお嬢さんの甲斐甲斐しい事と言ったら!

 万が一この状況から先があったとしても、その時にこれに慣れてしまっていたら、ぼくは彼女なしでは生きていけなくなってしまうのではあるまいか。

 ……それに、この子は、こんなことをして後々辛くならないのだろうか。

 他人事ながら、そっちの方が心配になってしまう。

 コートの布越しに、斎月さんの指が胸や腹に当たってくすぐったい。

「車を用意している、乗りタまエ」

 着付けを終えると、今度はびゃくやに促され、館から直接行けるようになっている駐車場に向かった。

 運転席にはさっきと同じ、目つきの鋭い女性が座っていて、いつでも出られるようにエンジンを吹かしハンドルを握っていた。

 今はこの女性が本当は一枚の紙だとわかっているけれど、そうでなければこの館までの帰りの車に乗ることすら、かなり薄氷を踏むような状態であったのであろう。

 今のところぼくの存在を知っているのは斎月さんとびゃくやだけだけど、それはラッキーの産物に過ぎない。

 そんなのは、どう考えたって、そう長くは続かないのだ。

「それほど時間はかかりませんから」

 さっきと同じように、後部座席にぼくを座らせると、斎月さんはぼくの隣に腰を据え、運転席の女性に発信を指示した。

 車がもうすっかり暗い屋外へと走り出し、館の裏手に広がる山の中へと進んでゆく。

「家族との話は、済んダ、ノか?」

「ン……ええ、まあ」

 今ぼくが受けているのは破格の待遇である。

 目や耳を潰されても、手足を折られても、縛り上げられてもいない。携帯電話すら結局取り上げられていない。

 彼女たちの方がぼくを助けるつもりでいて、ぼくの方にそこまでして生き永らえようとしていないという妙な状況だから、そういうおかしなことになってしまっているのだろうけど。

「しばらく帰れない。と、伝えておきました、それで信じてもらえていると思います」

 実務的な事にしても、食事の支度なんてミツヒデさんはぼくより余程上手くこなすのだ。

 そのくせ何かにつけてぼくに炊事をさせたがるというのが全く意味が分からないのだが。

「ご家族というのは?」

「父と2人暮らしです」

「……心配されていた、ことでしょうね」

 斎月さんのその問いに、ぼくは口ごもる。

「……あ、ぼくの父というのは、その、ちょっとくせの強い人だったので」

 だから、あまりその人となりについて今つまびらかにする意思はないというのを言外にしめしておく。

「……わたしにはびゃくや以外に家族と呼べる相手はいませんが、それでも、家族の身に何かしらあれば、落ち着いてはいられなくなってしまうだろうというのはわたしにもわかります。きっと、貴方のお父様だって」

 お父様……。ぼくがミツヒデさんに対して持っている印象からはほど遠い語彙である。

「もともと実の親子でもありませんでしたから。……そう、だな。決してつらく当たられていたわけではありませんが、初めから、お互い、いつかどっちかがふいっといなくなる日は来るんだろうって思いながら一緒にいた気がします。今はたまたま一緒にはいるけど、また道が分かれるときは必ず来る。……そんな感じです」

 だから、あなたがぼくの家庭の事情まで斟酌し、責任を感じようとすることなどない。

 そんな気持ちを込めてそこまで告げると、ぼくは口をつぐんだ。

 斎月さんも、びゃくやも、しばらくの間何も言わぬままでいた。

「……一つ確認させてください、御剣さん」

 しばしの沈黙を破って、斎月さんがぼくに尋ねかけた。

「……はい」

「あなたが、あなた自身の身命を全うするのを断念せざるを得ない理由というのは、さっき仰っていたことだけですか」

「……そうです」

「では、それ以外に、あなたが生きるのを阻むものは、何もないのですね?例えば、あなたが、わたしには解決してあげられない問題を私生活で抱えていて、積極的に今の生活が終わってくれることを望む気持ちの方が強いということは、ないのですね?」

 ――くどい。

「ええと、その、…信じてもらえるかどうか、自身がないんですけど」

 くどいぞ、…斎月さん。

「ぼくは、嘘をついたり、人を騙したりするのが嫌いです。…だから、さっき言ったのはぼくの本心だし。ぼくが思うことというのはアレで全部です」


 そうでなくては、いけないのだ。


 例え、どれほど他に思うところがあるのだとしても、現実に、具体的に形にでき行動として示すことができるのは、結局、自分を切り捨てるようなやり方しか、思いつかなくて。

 あってしかるべき代案は、一つもなくて。

 どこまで行っても、何も感じず何も思わないのと同じだ。

 ぼくの身命は、もうぼく自身にとってさえ、最優先して護るべきものではない。

 いわんや、ぼく以外の他人においておや。

「…そうですか」

 運転席越しに、前方に広がる暗闇に目を向けながら、斎月さんは言う。

「ならば、もう結構です」

 …そう、それでいい。


 そんなことを話しながら数十分林の中を通り、車はさほど急傾斜でもない坂道をのぼる。

 一応車で通行できるように踏み固められているようではあるものの、うっそうと草木が生い茂り、それほど頻繁に人が訪れる場所ではないようだった。

 ……何か、昔話で、こういうのあった気がするな。

 ココに置きざりにされるんだとしたらさすがにちょっと悲しい物があるが。

 一応、むしろそういうことをこそ、ぼくは望んでいるのだけど。

「びゃくや、このあたりでいいかな」

「ふム、ヨかろウ」

 運転席の女性に声をかけ車を止めると、斎月さんはぼくに降車するようにと促した。

 ぼくが言うとおりにすると、斎月さんもそれに続く。

 周りを見回すと、木々の中に多少の開かれたスペースがあった。

 いつの間にやら大分町から離れてしまい、民家の明かりも幽かにしか見えない。

 暗い森の中、人影はぼくと、斎月さんとの2人だけ。

 物音と言えば、車のアイドリング音と、風の草ずれくらいである。

 こんなところに、教皇院なり、その連絡路なりがあるとも思えないが。

「館まで戻っていて。次に呼ぶまで、そのまま待機」

 斎月さんがそう指示すると、車のドアはばたんと閉まり、元来たのと同じ道を引き返し走り去っていく。

「では、始めたいと思います」

 車が完全に見えなくなるのを確認すると、数歩先、ぼくの前を歩く斎月さんはそう告げる。

「いま羽織っているそれを、脱いでください」

 頷いて、それに従おうとしたけれど、数十分前に斎月さんの手によって着せ付けられたそれは、複雑に金具と紐に止められていて、すぐには解けなかった。

「首のところの留め金を先にはずしてください。それで外れます」

 ……なるほど、凝ったつくりではあるが、そう説明してもらえれば。

 と、言われるままに留め金と結い紐を解いてゆき、ふと違和感を覚える。

 彼女の性格だったら、手ずから留め具も紐も外しそうな気もしたが。

 見れば、車から降りるときに手にしたのか、斎月さんは片手に、例の、白い布に包まれた細長い棒状のものを握っていた。

 なるほど、出来るだけ手はフリーにしておきたいということか。

 ……さすがに、甘え過ぎだったようだ。

 そもそも、彼女がその手に握っているものの存在感が並みではない。そろそろ、腹ぐらい括らなくてはなるまい。

「これでいいでしょうか?」

「では、預かっておきます」

 脱いだコート折りたたんでを手渡すと、斎月さんはそれを、手ではなく、握った棒状のものの先端で引っ掛けて受け取ると、小脇にはさむ。

「そのまま、少しの間待ってくださいね」

 彼女の言うのに従い、そのまま待つこと、数分間。

「……あの、斎月さん」

 そろそろ、教えてもらえないと、観念というもののし様に困る。

 彼女の手にしているブツの存在感がとにかく大きいので、正直、気の小さいぼくは話しかけづらい。

 たどたどしくそう尋ねたぼくには顔を向けず、周囲に視線を巡らせながら、斎月さんは冷ややかな口調で答えた。

「……呪いの波長を遮断し、隠蔽する方法はあると説明したのを、覚えておいででしょうか」

 ……それは、確かに斎月さんの口から聞いた。

「あのビルから館まであなたを連れ帰るときは、わたしの上着にそれをかけて、あなたを保護していました」

 なるほど、館までの帰り道、斎月さんがまず行ったのは、あの上着をぼくに頭から被せることだった。

 ならば……ならば、今は?

「そして、さっきまでは、このコートにそれと同じ魔法が掛けてありました」

「ま……!」

 斎月さんが、白いコートを無造作に放り投げた。

「待ってください!」

 呪いの波長を遮断する効果を持つ魔法。

 今、それがなくなった。と、いうことは……

「そう。いま、あなたから放たれている呪いの波長は、隠されてはいません」

「斎月……さんっ?」

 一瞬、彼女の言葉を、己の耳を疑った。

 だが、次の瞬間に訪れる感覚に、それが冗談でもなんでもないのだと思い知る。

 いつのまにか、否、今この瞬間、周囲の空気が、一変していた。

 間違いない、現に一度経験している、これは…

 ――キィィィィィッ!

 鼓膜が張り裂けてしまいそうな、甲高い叫び声が響き渡る。

「ほう……早いな。やつらめ、君に気づイタようダぞ?」

 たん。

 斎月さんが、撥ねるように飛び退り、ぼくの前に立った。

 荒く空気をかき回す、獣の息遣い。

 金属を鳴らすような、甲殻のすれ合う音。

 羽ばたき、唸り声、そして絶え間なくたたきつけられ続ける、殺意による圧迫感。

 闇の中からも、木立の向こうからも、そして星の輝きにも紛れて、無数の眼光が、ぼくひとりに向けられている。


 それは、大昔にどこかか現れて。

 人類を食い尽くし、地上から絶やしてしまいかねないという、ぼくたちの敵。


 がさがさ、がさがさ。


 甲殻に全身を鎧ったもの。

 幾本もの足を持つもの。

 背中に翼を生やしたもの。

 ぬめぬめとした肌と、のたうつ触腕を振り回しているもの。

 全身を針金のような獣毛に覆われ、牙をむいて唸り声をあげるもの。

 同じ姿のものは一体もいないながら、共通するのは…ぼくにむけて突きつけられる敵意。

 四方八方から無数の刃を突き付けられているような、憎悪の念。

 見られている、見張られている。

 殺す、殺す、殺してやる、バラバラに引きちぎり食らってやる。欠片もこの世に残さない。

 それは単なる生理的な反射や、獣の欲求にあらず。

 たとえどのような障害があろうとも、踏みつぶし叩き壊して、その先の標的を、……ぼくを、この世から葬り去ってやろうという、絶対の意思。

 ……何故だ?

 ……屋外、夜間、それもどこにウィッチが潜むかわからない山中。

 その状態で、遮蔽を外せばこうなると…彼女もその供も、承知しているはずだ。

 いや、単に、ぼくを処分するのに手っ取り早い手段であるにしても……

 こうして、自身が側に着いてしまっていては、彼女自身も、只では済まない!

「斎月さん、何を……!」

 けれど、斎月さんは一声、

「びゃくや、〝鳥籠〟――形成!」

 そう叫ぶ、そしてそれに応じ、びゃくやが甲高い鳴き声を響かせる。

 それによって、何が起こったのか、ぼくには理解が及ばない。

 ただ、これまで聞きかじってきた彼女たちの用語の中で、それはおそらく、侵入阻害や遮蔽の効果を持つだと想像する。しかし、それもここまで事態が悪化してしまってからでは何の意味があるというのか。

「心配しないで、御剣さん。――大丈夫です」

「さテト、ひとまずコれ以上増えることはなくなったところダガね」 

「斎月さん!……斎月さんっ!」

 自分でも滑稽に思えるような、上ずり裏返ってしまった声で、彼女に向けて呼びかけた、しかし、

「ぼくを置いてここから離れて。とでも言う気ですか?……聞けません」

 …背中越しに返ってくるのは、そんな言葉だけで。

「わたしはどうも、口ではあなたに敵わないようです」

 一度向き直り、そう言うと、斎月さんは苦笑いのような表情を、ぼくに見せる。

「ならば、こちらで納得していただくまで」

 すらり。

 いつの間にか包みを解き、手に握っていた鞘から、抜剣の音を鳴らした。

 ……ぼくは、彼女の腕のほどを知っている。

 その戦う姿を目にした。

 あの黒いウィッチとどう戦い、どのように容易く倒したか。

 それでも、今目の前にいるウィッチは、総数――31体。

 しかも、一体の例外なく狂暴な殺意に満ち、一瞬でも斎月さんが隙を見せれば、我先にと襲い掛かってくるだろう。

 戦うつもりなのか!あの数のウィッチと。

「斎月さん、もういい!こんなことは止めてくれ!」

「言ったでしょう、わたしは、あなたのことを護ると」

 一体、この子は何を考えているのだ!

 あらゆる意味でぼくの想像を絶しているぞ、斎月くおん!

「びゃくやも!」

「すまナイねえ、私はくおんに逆らウコとはできンのだ、本当にすマナい」

 彼女が手にするその刃は、ぼくひとりを護るためでなく、多くの人々を護るために振るわれるべきもののはずで、その為ならば、ぼくに対し振るわれることすら、あって然るべきものだったはずだ。

 それなのに……!

「わたしは、それを撤回したことなど――」

 いったい、向こうはこの状況をどこまで理解しているのか怪しいけれど。

 それは種族包みでインプットされた攻撃指令と、その前の障害の持つ戦力を秤にかけるようなものなのか、圧倒的多数でぼくたちを取り巻くと言う状況ながら、何かのきっかけを待ちかねるかのようにじりじりと沈黙を守っていた中、二足歩行の、獣の頭と大きな鉤爪を持つ一体が、臥せていたその身を起こす。

 どう。

 爆音が響いた。

 咆哮とともに、蹴り足で地を抉って砂塵を巻き上げ、そして一直線にぼくを目掛けて突き進んでくる。

「一度もない」

 それはただ、無造作に、横に剣を滑らせたのみ。

 少なくとも、ぼくに理解できたのはただそれだけ。

 〝活性〟によって常人よりはるかに向上しているはずの五感をもってしても、そうとしか映らなかった。

 けれど、その結果として、獣型のウィッチは上半身と下半身を分断されて地に転がり、先刻見たウニのウィッチ同様、白い、陽炎のように揺らめく光を放ちながら、燃え尽き崩れ落ちてゆく。

 それはまるで、自分からその刃に向かって突進し、己の突進力を持ってその身を切り裂いたようにすら見えた。

「見事なもノダな」

「…こういう見世物まがいの戦いは好きじゃない」

 あいも変わらず、どこか冷え冷えとしたようにすら感じられる澄んだ声で、斎月さんは肩の上の相棒にそんな風に言った。

「でも、そういうことも時には必要。…そうだよね?」

「ああそウトも、どこカの馬鹿に君が如何に強イか思いしラセてやるとかな」

 やれやれというような口調で、びゃくやがそう答える。

 同時に、ぼくの周囲には、光る文字列が現れ、隙間なく包み込んだ。

「たダ、こんなことは、これキリにしておイテくれヨ?くおん」

「……そのつもりだけど」

「斎月さん……まさか…!」

 まさか、彼女が、こんな人気のない山の中を選んだのは……

「そうとも!周りの心配をせず、全力で戦うわたしを、あなたに見てもらうためだ!」

「喜ベヨ御剣昴一郎! 今宵より先。…当代のツクヨミ、斎月くおんが君の庇護者となる!」


「…ハァッ!」

 鞘から抜き放たれた白刃の切っ先が、天に架かる満月をなぞるように弧を描く。

 無数の細かい文字で編まれたその軌跡が真円を為した。

 次の刹那、円から降り注ぐのは眩いばかりの光の奔流。

 オーロラを思わせるそれは、瞬時に斎月さんの全身を呑み込む。

 その動作はまさしく、開戦の砲火だ。

 遥かな昔から続くという魔法つかいとウィッチの闘争。ゆえに、彼らは知っている。

 ――絶対に、その動作を完了させてはならない。

 雄叫びをあげ地を蹴立て、または夜気をつんざく風切りの音とともに、数体のウィッチが、斎月さんへと躍りかかる。

 そのタイムラグは一秒にも満たないわずかなものではあったけれど、彼女は、未だ戦闘形態への変異を完全には終わらせてはいない。

 しかし、正にその爪牙が届かんとする瞬間――

 光を纏った変身途上の斎月さんは、自らに迫るウィッチの数と同じ回数だけ、縦横に剣を閃かせた。

 断末魔の咆哮があげることすらななかった。

 粘液にまみれた皮膚も、堅牢そうな甲殻も、針金のような獣毛も、悉く、薄紙と変わらぬものであるかのように、ウィッチたちは的確に急所を切り裂かれ、倒れ伏しその身を焼かれ散る。

 ……ぼくは思い知る。

 これは、非力な少女がその身を変えることにより強者へと転じるのではない。

 彼女という、既にしてヒトの域を超えている存在が、己の意思と身を持って、絶対たる守護者とも呼べる領域に足を踏み入れる行為であると。

 そして、次の刹那、光が収まった時、斎月さんの姿は、仄白い燐光と、あの神々しいばかりの戦装束に包まれていた。

「御剣さん」

 斎月さんは、どこまでもまっすぐに、前方、ウィッチの群れを見据えながら、ペースを乱すことなくその歩みを進めてゆく。

「あなたは言ったな、あなた自身の命を諦めてほしいと、これは仕方ないことだと、……よくもそんなことを、わたしに言えましたね」

 そして――澄んだ声で、高く叫んだ。

「例えあなたが仕方ないと思っても、わたしはけして、仕方ないとは思わない!」

 彼女が走り出すのは、それと同時。

 ほんの一瞬、白い影が鮮やかに閃く。

 ざん、ざん、ざん

 奔りながら、三度、剣を振った。

 表現するなら、ただそれだけ。

 ただそれだけで、首をはねられ胴を両断され頭を二つに分かたれ、最期の叫びすらあげられないままに三体のウィッチがその活動を停止する。

「あなたがそれを、やむを得ない、仕方がないと物分り良く受け入れてしまったら、……それは、わたしにとってはもう敗北と同じなんだ!」

 あきれたことに、斎月さんは、白い衣に返り血の一滴すら受けず、まるで無人の野を行くがごとく、数多の魔獣の群れの中へと突き進んで行く。

 …それが、彼女の選択。

 健気、だの、一生懸命、だのとわざわざ評することがむしろ侮辱にあたってしまうと思えるほどに、強靭でしなやかで、激しい思いと、それを現実のものに変えるだけの技、それを己のものにするため、彼女は一体どれだけの研鑽を重ねてきたのだろうか。

 〝犀〟の突撃槍ランスも、〝剣蜂〟の刺突剣レイピアも、粘液にまみれた〝豹紋蛸〟の触腕も、彼女の柔肌には届かず、毛ほどの傷をつけることすらかなわないまま、その持ち主ともども斃れてゆく。

 持てる能力を、フルに近い形で殺しに活用する彼女の、何と強い事か。

 雨の日に体育の授業で見せられた、数年前亡くなった合気道の達人の立ち回り。

 掴みかかってゆく組手相手が、自分から跳ね飛ばされてゆくようにしか見えなかったアレが、こんな感じだっただろうか?

 これは、確かに、あのビルの中で見せた戦闘力が、どこまでも周囲への影響を考慮しセーブしたものであったと言うのが頷ける。

 先刻、まるで処刑方法であるとも思えた精密を極める剣技。

 今やそれは、矢継ぎ早に彼女に襲い掛かるウィッチたちが、自らの意思で彼女にその首を差し出し、その刃の軌道上に身を投げ、断ち切られてゆく如き異様な光景を、この月の光の下に出現させていた。

 彼女の剣技と立ち回りは、相変わらず実利により過ぎて、舞うように、とはとても呼べない。

 けれど、精密であり理屈に合っているものが備える機能美のようなもの、――彼女自身の持つ剣の切っ先にも似た、どこかぞっとするような美しさがあった。

「……ッ!」

 小さく呼気を吐き出すとともに、斎月さんが小さく飛び退る。

 次の瞬間、それまで彼女のいた場所が爆ぜた。

 大地を割り現れたのは、〝花水母ヒドラ〟のウィッチ、だったろうか。

 管状の体の先端に丸い口と凶悪な牙を幾つも備えたそれが真上に向かってその身を伸ばし、硝子を擦りあわせたような声で叫びをあげると、その4・5メートルはあろうかと思われる長大な体に、赤い一直線の筋が走った。

 斎月さんは、と見れば、彼女の左右の手には、一本づつ剣が握られ、その刀身を赤く濡らしている。

 ――ひゅん。

 双振りの白刃を斎月さんが振るうと、刃にまとわりついていた赤黒い血膿は飛散する。それだけで寒々しくどこか艶めかしい刃の肌には、拭ったように一点の染みも残っていなかった。

 〝花水母〟がその胴体を開きにされ、二つに分かれて炎を噴き上げたのは、それと同時。

 つまり、斎月さんは飛び退きながら、既にその管のような胴を二刀を切り刻んでいたようだった。

「御剣さん」

 不意に、斎月さんがぼくの名を呼んだ。

「……は、はいっ!」

 それはあまりにこの場にそぐわない、凪の海を思わせる静かな声で、最初それが自分に対する呼びかけとぼくは気づかず、それでも数秒遅れて、そう叫び返す。

「あなたはこう言った。大勢の人を危険にさらしてまで、わたしの力をあなたを守ることに振り分けるなと言った。そうなるくらいなら自分を切り捨てろと言った。…たとえ螺れていても、それはあなたなりの誠実さで、やさしさだと思いました、――けれど」

 彼女の動きが止まり、わずかに静寂が戻る。

 今の斎月さんは、戦闘の際中にもかかわらず、隙だらけである、…ように見える。

 ただ立ちつくしているだけで、攻撃にも回避にも、意識を割いていない。……ように見える。

 けれど、相対している群れ為すウィッチたちは、距離を保ち、忌々しげに唸り声を上げ続けているものの、攻撃を仕掛けようとはしなかった。

 否、しない、ではなく、したくてもできない。

 ぼくでも、理解できる。

 彼女が剣を握った左右の手を垂らし、前を見据えたままでいるからだ。

 それはおそらく、彼女が自ら斬りかかってくるよりもなお恐ろしい。

 …うかつに寄れば、斬り飛ばされる。

 打ちかかったところでその一撃は彼女を捉えず、返す刀で臓腑を抉られる。

 しかもその斬撃は、姿からおそらく高い再生能力を持つと考えられる〝花水母〟でさえ、ただ一度斬られればその切り口から焼かれ塵に帰した。

 そんな、敵対者にとっては死神そのものの姿で、彼女はぼくに告げる。

「やさしくて誠実な人から死を選んでゆくなど、わたしには認められない! あなたを護ることが困難な道だとしても、それを理由に恩人を見捨てるような臆病者をツクヨミであると認めることもできない!ならば、あなたを護って、尚それ以外のひと達も護るに足るほど、わたしが強ければすむことだ!」

 斎月さんがそう叫ぶのと同時。

 聞く者の心を砕く様な雄叫びが轟く。

 ――ウォォォォ!

 彼女の放った気勢に対し、ぼくか斎月さんか、どちらかの意思を呑まんとしたか――あれは〝豹〟か、それとも〝狼〟か、獣の姿のウィッチが大きくその顎を開き、猛々しい大声をあげた。

「邪魔をするな、魔法つかい!――と、言ってるヨウだぞ?」

「邪魔させてもらいますよ。わたしは――魔法つかいですから」

 くるんと身を翻し、斎月さんが向き直って、正面からこちらを見る。

 そして、叫ぶ、たった一人の観戦者である、ぼくにむけて。

「御剣さん、あなたも……あなたも抗って!」

 …どうして、

「自分の命を最後まで生きたいって、叫んで!」

 ……どうして、あなたは、そんなにも、

「それとも、わたしに言ってくれた言葉は、嘘っぱちだったのですかッ!」

 再度鳴り渡る轟音。

 獣の巨躯が、弾丸に劣らぬ速度で迫りくる。

「例えどんな生き物であろうとも、生まれてきた以上はその命を全うするべきだと、生きるために抗ってもいいのだと――あなたがそういったのではありませんか!」

 それは、確かに、ぼくがそう言った。

「あれは、心にもない、その場を繕うためだけの、戯言だったのですか!」

 両手に持っていた白刃、その左の一方を惜しげもなく放り投げて放つ。

 その切っ先は正確に、迫る凶獣の顔面をとらえた。

 聖剣に顔面を貫かれ、獣のウィッチが悲鳴を上げる。

「確かにこの世界にはウィッチが、理不尽な悪意と脅威が存在する!」

 語りながら、なおも歩みを進める。

「怖い、おぞましい、嫌悪と恐怖とでいっぱいだ!ああ、そうでしょう。……わたしだってそう思う!」

 己の突進力と、放たれた聖剣の速度、その両方で顔面を砕かれ、のた打ち回る獣の顔面から刀身を引き抜き取り返すと

「でもそれに抗う力はちゃんと存在する、わたし達がいる」

 左右の剣が、獣の命を絶ち斬る。

 その背後から、声もなく、別のウィッチが円月刀のような爪を振るい斬りかかる。

「この世界には、魔法つかいがいる!」

 聖剣が一閃する。

 血飛沫を上げて、また一体、角の生えたウィッチが斃れた。

「その為に、……その為にわたし達は生まれてきたのだから!」

 一度剣を振り、血に濡れた刀身を清めると、斎月さんはニ刀の一方を前に向け、もう一方を担ぐように肩に掛けて、もう一度、こちらを見すえた。

「わたしは、あなたを護ることができる、けど、今はまだ「できる」だけだ。――「護ってみせる」には、あなたの言葉が、あなたの意思が必要、です」

 その真っ直ぐな瞳が、ぼくに向けられる。

 ……ああ、なんて

 なんてきれいで、なんて気高くて、

 そしてなんて未熟で、危なっかしい。

 現在最強の使い手、教皇院の名を背負った最強の戦士ともあろう彼女が。

 一時の感情に流されて、こんな非合理な答えを出すなんて。

 そんなのは、文字通りの、耳触りがいいだけの子供の正義感。


 それでも。

 ……それでも、

 誰も見捨てない、だれにも犠牲を強いない。

 〝みんな〟を護る。

 できるはずのないそんなことが……もしかしたら本当に、この世にあったって良いのではないか、なんて。

 反吐の出るようなぼくの思想を、ぶち砕き、叩き斬って、粉々に消し飛ばしてくれのかもしれない、なんて。

 ぼくにそう、思わせるほどに。

「ぼくは、……何をすればいい、斎月さん」

「……そうですね、ただ、信じてくれると言ってほしい、必要なのは、後、それだけ」

 穏やかな、聖者のような瞳で、斎月さんは、そう告げた。


 ……今、ぼくはかなり間違った選択をしようとしている。

 ゲームだったら、バッドエンド直行の、見えてる地雷だ。

 そのセリフだけは、けして、吐いてはいけない。

 例え、彼女自身の望みであろうとも。

 そして、ぼくは――


「あなたを信じるよ、斎月さん」


 そう、答えた。


「――ありがとう、わたしを信じてくれて」

 斎月さんは、少し口元を緩め、そう言って、

「心配しないで、わたしは……負けない!」

 いかにもぼくを安心させるためだけに作ったようなものではなく、自然な感じに――笑った。

 ああ、本当はこの子は……こんな風に、笑うのか。

 彼女が高らかに、己の名を名乗ったのは、次の瞬間だった、

「我は斎月くおん!――133代目ツクヨミにして、御剣昴一郎の守護者であるッ!」

 ――轟ッ!

 彼女を中心に、夜気を巻き込み、風が吹き荒れる。

「……コード・ラクシャス!」

 その叫びとともに起動するのは、超加速の魔法。

 対する相手はただ一人でありながら、未だ十数体の数をそろえたウィッチは、もはや彼女にとっては、刈り取られるのを待つ藁束に過ぎない。一方的な殲滅戦の様相を呈していた。

 嵐が、吠える。

 斎月さんが駆ける、その軌道は、残ったウィッチを、只一人で包囲せんがごとく、円を描いていた。

 既に、傷を負っていないウィッチは、何体も残っていない。

 通り過ぎたその軌道上の物体を悉くなで斬りにしてゆくそれは、まるで地獄の烈風。

 彼女の称号たる「剣の魔法つかい」。

 それは、剣を使って戦う魔法つかい、というだけのものではない。

 疾走する斎月さん自身が、剣そのものだ。。

「んっ!」

 地上のウィッチを斎月さんが斬り伏せ尽くした、そう見えた瞬間、何かが地面をえぐり斎月さんはそれを避けて横跳びに退く。

 夜空、星の瞬きの中から、羽ばたきと甲高い叫び声が聞こえた。

 翼をもつ、何体かのウィッチは上空に避難し、彼女が動きを止める瞬間を狙って空から狙い撃ったらしい。

「――びゃくやァァァッ!」

「おウともッ!」

 斎月さんに劣らぬ速度と、予測困難な不規則軌道を持って、びゃくやが風を切る。

 白い翼と、白い衣が交錯する次の瞬間。

 斎月さんの左腕には、白く硬質な手甲が融合していた。

 そこからびゃくやの翼であった部分が上下に長く伸び、拳側には、嘴に当たる部分が刃のように鋭く突出していた。

 否、白く金属質な輝きを放ち、先端に溝の掘り込まれたそれは、

「射!」

 発射口だ。

 ――シュンッ!

 斎月さんの叫びに応え、そこから弓の弦に似た音が二度上がる。

 放たれた何かが、上空向かって飛ぶ、そして標的を捉え、闇夜に白い炎の花を咲かせた。


 残るウィッチはもう、上空の数体のみ。

ここから出スナよ!」

「わかってる!」

 斎月さんは戦衣フォースの袖を翻して応えると、真っ直ぐに伸ばした二本の指で、上空にくるりと円を描いた。

 指先の軌跡に沿って現れるそれは、清浄な輝きを放つ白い光のリング。

 初めは数十センチほどの直径でしかなかったその光輪は、指先で軽く触れられると1メートル程にサイズを増し、大気を裂いて回転を始めた。

 幼い少女の頭上できれいにほの白く光り輝きながらくるくると回る姿は、どこかメルヘンチックにも見えなくもない。

 けれど、それを手繰る斎月さんの一切の遊びのない表情。さらには回転する内外周に沿って発生する、鋸刃状の細かい無数の鋭い凹凸。

 判っている。斎月さんがこの状況で放つのなら、それはどんな姿や見た目をしていようと、即ち必殺の技だ。

「逃がさない――」

 斎月さんはタクトを振るように縦横に指先を翻す。それに従い、光輪は一層回転の速度を増しながら、星空を背景に旋回、金属をすり合わせるような硬質な音をかき鳴らしながら飛ぶ。

「八ツ裂きにしてやる」

 純白の魔法つかいは、宣告すると共に大きく振りかぶり、そして上半身全体で反動をつけるようにして、叫ぶ。

「光輪よ!行けッ!」

 放たれる気勢、同時に高速回転を続ける光輪が標的めがけて疾走を開始した。

 数十体のウィッチが、数十体の消し炭の塊と化していくのを、無言のまま見ていた。

 多分ぼくは、取り返しのつかない決断をしてしまったに違いない。

「帰るぞ、早くシロよ、昴一郎」 

 木立の向こうに車のヘッドライトが見えた。

 どうも、斎月さんは最初から、数分で片付け、迎えの車を来させるつもりでいたらしい。

「さあ、こちらです、御剣さん」

 前に立ち、そう招くのは、狩衣風の戦衣装を解き、平服に戻った斎月さん。

 その体に傷一つ負っていないにのもさることながら、呆れたことに、斎月さんは先ほどふうと軽く息をついたのみで、疲労の色すら見せていない。

「……御剣さん、わたしは今、館の中で働いてくれる人を探しています」

 再度あの白いコートを手渡しながら、斎月さんは、そんなことを言い出した。 

「……できれば住み込みで、掃除や食事の支度をして、時々、私と一緒にご飯を食べて、時々、私の話し相手をつとめるだけの簡単な仕事ですが、なかなかなり手が見つかりません。できれば女のひとの方がいいですが、……そうですね、少しくらい年上の、男のひとでも構いません。こう見えても、わたしは結構一人で長話をしてしまう方ですので、気長に付き合っていただける方だと、尚良いのですが…心当たりは、ありませんか?」

 ああ、まただ。

 この子は今、ぼくに一方的に負い目を持たせたくないだとか、何もしないでいることで精神的に行き詰らせたくないとか。そんなことを考えているに違いない。

 まったく、よく気の利くことだ。

「そう……ですね、暇な、というか、これから先、しばらく暇になる男がいるので、そいつでよければ」

 だから、そう答える。

「それは良かった、では、館で労働条件とかの話をしましょうか」

「給料安イぞ」

「びゃくや」

 時計を見れば、時刻は、10時を少し回ったところ。

 公園で初めて彼女を見てから、5時間ほどしか過ぎていなかった。

 今日から、斎月くおんは、御剣昴一郎の雇用者になる。


 彼女と出会った最初の一日は、こうして幕を閉じた。

 状況は、何一つ好転していない。

 この子は、ぼくを案じてくれるがゆえに、ルールに背いている。

 「いけないこと」をしてしまっている。

 ぼくが良かれと思ってすることなど、どうせろくな結果にならない。

 いつか、この子の力に限界が訪れたとき、この関係は、ひどく残酷な形で破綻し、終わりを迎える。

 それでもいいと、最期の瞬間がどんなものであっても受け入れて見せようと、――今は、そう思えた。


 空では、星々の中で、銀色の満月が輝いていた。

 その時のぼくは、彼女の気高さに感嘆し、その高潔なあり様に、こんなにもきれいな生き物がこの地上にいるものだったのか。と畏敬の念を覚えるばかりで。彼女のことを本当には何も知らなかった。

 彼女がぼくの為に下した決断、ぼくを勇気づけてくれた言葉。

 それが彼女にとって、どれだけの意味を持っていたのか。

 その言葉の一つ一つを、彼女がどれだけの思いで口にしていたのか。

 本当の意味でそれを知り、彼女の背負うものの重さを理解したのも。

 ぼく自身が、どれだけ軽はずみで、愚かで、無自覚に彼女を傷つけていたのかを思い知り、血ヘドを吐いてのたうち回ることになるのも。

 すべて、ずっと後になってからのことだった。


 そして、それを聞き飛ばしてしまっていた。

 聞こえていたはずなのに。

 ちゃんと、その言葉自体は聞き取れていたはずなのに。

 何かの聞き間違いだろうと、問い返すこともせず、勝手に納得してしまっていた。


 少しだけ前を歩く斎月さんが、

「――、御剣さん」

 と。

 そう、小さく呟いたのを。


 第二夜「魔法つかい 斎月くおん(Magyckal Girl Cuon)了

 次回に続く。


 次回予告


 次回、第三夜

「彼女の護るもの」


「御剣さん、塩加減を見て頂けますか?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る