第二夜「魔法つかい、斎月くおん」(Aパート)②

 〝魔法つかい〟それから〝教皇院〟


 彼女の口から出てきたその2つの単語。

 何となくだけど、多分これから先何度もその単語を耳にするのであろうということを思いながら、これまでの話を自分なりに頭の中で整理し、考えていた。

 人間を捕食する敵性種族。それはまあいい。

 実際目のあたりにした、襲われたし、殺されかけた。

 どんなに現実離れしていようとも、自分がこの身でその脅威に晒されている。

 創作の世界ではありふれている話でも、自分が現実にそこに巻き込まれたということで、流石のぼくも些か参っている。

 だが、受け入れなければならないのだろう。

 創作でそれが氾濫し、みんなが親しんでいる。

 ――いや、近世以前はそれこそ、そういう存在が一般に当たり前に信じられていた。

 人間が、そういう存在を完全に忘れ去ったことなど、まだ一度もないのだ。

 想像できる程度のことなら、現実にだって、起こりうる。

 ならばそれに対抗する術を身につけた人たち、がいる。

 それもまあいい。

 斎月さんの、そして彼女の前には一方的と見えるほどに容易く敗れたといえども、あの海栗ウニのウィッチの戦闘力も見せてもらった。

 あんなものが地上のいたるところを跋扈しているというのであれば、それと敵対することができる存在というのがなければ、現在の人間社会の繁栄に説明がつかない。

 わけてもその集団の司令部に当たる機関における直属ということは、彼女はやはり、その仲でもかなり特別な立場にいるということなのだろう。

 そんな風に考えながら、斎月さんが次の話を始めるのを待っていた。

「あの、御剣さんも、何か聞きたいことがあれば、どうぞ」

「流石ニ、今ノ話だケデすべてが呑み込めたわけデハあルマい?」

 しばらくは聞くのに徹していようかと思っていたのだが、そんな風に申し出たもらえたので、ここはその好意に甘えてみる。

「では、これはさっきまでの話とも、若干被ってくるとは思うんですが…」

 どれだけ彼女が配慮しながら言葉を選んでしゃべっているとしても、そもそもの互いの認識にズレがありすぎる。

 そのズレは何の弾みで致命的な行き違いになるかわからない。

 彼女にとっては当然であることでも、僕にとっては未曾有の衝撃だ。

 十全とは行かないまでも、できる限りここで認識の摺り合わせを行っておくに越した事はないだろう。


「――あなたたちのことも、ウィッチのことも、表ざたにはなっていない。僕たちの多くはその存在を知らない、人を襲う怪物も、それと戦う人間も、いいところ日曜朝のテレビか、カラフルな表紙の文庫本の中の存在程度にしか認識してない。それはなぜでしょうか?」

「わたしたちが、敵対種族の存在を社会に対して隠蔽している。そのようにお考えですね」

「そういうわけではありません、けれど」

 苦笑いする斎月さんに、何かこちらの方が申し訳なく感じるけれど。一先ずは話を続けてもらう。

「――確かに、わたし達は今のところ、積極的に自分たちやウィッチの存在を声高に喧伝しているわけではありません。ご指摘の通り、むしろ一部の政府機関と協調し、隠し通しているというのが正しいでしょう」

「……けど、それは本当に可能なんですか?」

 可能かも何も、実際そうなっているわけだろうと、自分でも言っていて思うのだが……

「それにはいくつかの理由があります。まず……まずウィッチは、人間の感覚と認識を阻害することができます。特別な措置を講じていない限り、目の前に見えていてもそれに気づくことができない。たとえ声が聞こえても、それを聞こえていると認識することができない。だから」

 ――たった今、かなり重大な事実が彼女の口から飛び出した気がする。

 特別な措置がなければ認識できない。

 ウィッチというのがそういう存在であるのは、納得いかないこともない。

 そういう事情でもなければ、市街地をあの体躯の野生生物が誰にも気付かれず営巣するなど一日だって不可能だろう。

 だが、それは即ち――


「でも、あいつは結構派手に建物壊したりもしてましたよね?ああいうのはどうなるんでしょうか?」

 それ以外でも、あの雄叫びが響けば窓ガラスがびりびりと震える、足音は地を揺らす。

 食事を…この場合人間を栄養として摂取すれば、その結果だって排出される。

 当たり前の人間が、当たり前の犬や猫を隠そうとしているだけでも、今日日一苦労であるはずだ。

 そう思い指摘するけど、それもまたすでにそうなっている以上、理由というのはあるわけで、


「ウィッチによる認識阻害は、行動から発生した二次的なものに関しても及び、そしてその場を立ち去ったり倒されたりした後、しばらくの間残留します。場合にもよりますが、実際にその場所でものが壊れていたとしても、それすら認識できない。後になってから原因不明の破損事故として伝わったり、後でわたし達や、事後にわたし達と協調体制をとっている団体が復元を行ったりします」

 と続くその説明で、ああやっぱり、「そうであるべきなのにそうなっていない」なんてことはこの世にないのだなあと思わずにはいられない。実際に起こっているのなら、それには必ず、そうなる必然性というものがあるのだ。

「魔法つかい以外にはウィッチを認識することができない、だから、ウィッチと戦えるのは、それを無効化してウィッチの姿を見ることができるもの。――魔法つかいだけです」

「なかナカに恐ろしいモノだぞ、目の前で、親ガ殺サレ子が食わレテも、当人以外はそレニ気づくこトスらできないのだから」

 そして、ならばそこから導き出される事実というのが、もう一つあって。


「じゃあ、さっき、ぼくがアレを見ることができたということは……その何らかの力というのが働いている。――そういうこと、ですよね」

 戸惑いながらそういったぼくに対し、斎月さんはともかく、びゃくやまでもが申し訳なさそうな口調で答える。

「それハマあ、言っテシまえば、われわれのミスだよ」

「――いまのあなたには、〝活性〟という、自然治癒力をはじめとした身体能力を全般的に向上させ、鋭敏な五感と――そして認識阻害の破棄を可能にする魔法がかかっています」

 その言葉に、思い返す。彼女と対面してからの経緯を、頭の中で辿ってみる。

「あ。――あの、ぼくのここ、触った時」

「その通りだ、感謝の意思を表すつもリダったのだが…すまなカッたな」

「遅くなりましたが、ここでお詫びしておきます。結果的にあなたを巻き込んでしまった」

「くおん、今言うのモ何だが、一体何故〝活性〟だったノだ。〝修繕〟で充分だったロウ?」

「わたしは〝活性〟の方が得意だし、それに〝修繕〟は血や細胞を固めて物理的に傷を塞ぐだけで痛みは消えないし。〝活性〟の方が傷跡がきれいに治るから…」

 またよく知らない単語が出てきた。いや、どちらも言葉の意味としては通じるのだが、この場合多分文字通りの意味ではなく、彼女らの専門用語なのであろうし。

 ぼくがそう思いながら見ていると、斎月さんは傍にあったスプーンを手に取り、

「あの…〝活性〟は今説明したようなもので、〝修繕〟は――」

 というと、指先でその先端を、軽く弾いた。すると、

 キン!

 固く澄んだ音を立て、金属製のスプーンの先端が真っ二つに割れていた。

「…いっ…!」

 いや、それは彼女ならその程度の事は苦も無くやってのけるではあろうけど、いきなり目の前でソレが為されるとさすがに面食らう。

「ええと、…いいですか?」

 斎月さんは特にどうということもないような顔をしたまま、先端が割れたスプーンをぼくの目の前に示すと、その鋭利な断面に指を添えて、すっとなぞって見せた。

 ――と、見る間に、そのスプーンが、元通りの…数秒前までの状態へと戻ってゆく。

「〈修繕〉は、こういうのです」

 ものの数秒で、真っ二つに割れていた先端が、何事もなかったように、楕円型の半球を取り戻していた。


「…まあ、この程度は手品に毛が生えたようなものですが」

 いや、手品だったらそれはあらかじめ先が割れたスプーンとそうでないものを別個に用意していたと言うだけの話に過ぎないだろうが、これは彼女の言うところの魔法であって、しかもその中でも初歩的なものなのだから。

 座りの悪い思いがしないでもない。

 ――大体何故、スプーンの先を割って見せる必要があったのだろうか?


 まあ、おかげでその二種類に関しては理解できた。

 色々と気を配ってくれたということが、この場合は裏目に出たということか。

 なら、それについては何も言おうとは思わない。

 斎月さんは戦闘要員だ。ならば彼女が身体機能を底上げしウィッチと戦おうとすれば、そこに当然ベーシックセットみたいな形で、ウィッチを認識できるようにする力も含まれていると考えればおかしくはない。

 もしもさっきの状態で、この間抜け面の男子高校生はウィッチの声を聞きつけ、しかもそれをたどってウィッチの巣に迷い込んでウィッチに出くわすかもしれない。なんてことが予測できるのだとしたら、彼女は正義の味方の看板を下ろして、今日から占い師にでもなった方がよほどいいだろう。


「あれ?ってことは…もしかして、びゃくや。…さんの言葉が判るのも、その効果なんですか?」

「ウむ。――この姿形で人前で喋るノハ聊か都合が悪いのでね、少々細工させテモらってイて、普段は基本的に私ノ声はカラスの鳴き声二しか聞コエんようにさセテもらッテいルノだよ」

 つまりまあ、今のぼくはウィッチの声も聞ければ、姿も見える。その作用によってびゃくやと会話することもできる。そういうことらしい。

「…では、次に私たちの使っている魔法についてお話します」

 そもそも、彼女たちの使っている「魔法」というのが何なのか。

 それを説明するのが実をいうと難しいらしい。

 斎月さんが、慎重に言葉を選びながら話していると言うのが、目に見えて伝わってくる。

「ええと。…一言でいうと、「目的を達成するための手段」です。頭の中にあるものやことを、現実の世界に持ち出す術。とも言えますね」

「…判っタ?判らないヨナ?一言で言うこトニ注力しすギダ。くおん、もウ少しハードル下げてやれンカ?」

 なかなかにぼくにはハイレベルな、斎月先生の個人授業であった。

「え?…えー…ええと…」

 ああ、今一生懸命ハードル下げようとしている。それがまたよく判る。

 しばらく考えた末に、斎月さんはこう言い直した。

「では、言い直します。魔法つかいが、こうなりたい、こうしたい、こうであればいいのに、そう望む。そう思う。それを現実にしようとする。――すると、そうなります。それが現実になります」


 今度は、飲み込めないことはなかったが、逆に平易な表現過ぎてこちらの方が面食らう。

「え…?そういうものなんですか?何かこう、複雑な学問を修めるとか、何か、儀式を行ってどこかからその為の力を持ってくるとか、そういうものじゃないんですか?」

「不満かネ?」

 と、苦々しげなびゃくやの声が聞こえた。

「君は、簡単に叶ウ願いに意味はないダの、苦労して目的を達成する事に価値があるだノ、果ては思えば叶ウなんて安っポい綺麗ごとだだのト、小利口な事を思っテイる口かネ?」

 言葉に詰まる。

 一瞬、一瞬だが、その手の言葉が脳裏をよぎらなかったといえば、嘘になる。

「立派だネエ、他人に頼らない勇気。自分の力だけで生きていこうと言う信念。だがナ、そレハ君が言うコトではなインだよ」

 それは…そうなのだろう。

 実際に、その願えば叶う便利な力で人を守る。そんな女の子に助けてもらった。

 その不思議な子がただの可愛い女の子だったら、ぼくは今頃潰れたトマトなのだから。

「…いや、そんな風に言うつもりはありません」

「びゃくや、そんな恩に着せるような言い方は…」

「いいんです。実際、それはその力で助けてもらったぼくが言うことではないはずですから。けど、すごいですよね。そんな力を持っていて、それを人を助けるために使って。…きっと、みんな斎月さんみたいに、すごい人たちなんでしょうね」

 僕がそういうと、斎月さんは少し戸惑ったような顔を見せた後、

「あ…。いいえ、みんな普通ですよ。――ふつう」

 と、答えた。

「ええと…時間はありますし、もう少しくわしく説明しましょうか。初めにあるのはまず、こうしたい、こうなりたいという意思と、目的。その目的から逆算して、過程を選んで、決めて、そこまでの空白を埋めて行くんです。例えば、――そうですね、御剣さんは…何が…好きですか?」

 斎月さんのぽつぽつとした喋り方のおかげで、最後の単語だけがやけに耳に残った。

 単体で女の子の口から聞くと味のあるフレーズだった。

「え?…あー…」

「…あの、食べ物で、という意味で。何でもいいのですよ」

 あっはい。そうですよねそりゃ。

「すみません、今はちょっと食欲が…あ、いや…じゃあ、サンドイッチで」

 とりあえず、つかえながらもそう答えておくと、斎月さんは続けてこう問う。

「では、考えてみてください。あなたが食べたいのはどんなサンドイッチですか?具は、バターは、パンは、その大きさはどんなものですか?できるだけ具体的に想像してください」

 では、と頷いて、それを脳裏に描いてみる。

 あまり食事をする気分ではないのは確かなので、小さくて、具も少なめなものでいい。

「…想像…。うん、できました」

「これで、完成象ができましたね。あとは、それを現実のものにしてゆくための具体的な方法を考えましょう。自分で作るのか、誰かに頼むのか、食べに行くのか。自分で作るなら、その素材をどうやって揃えるか…」

 何というか、知り合ってから抱いていた印象はずっと、寡黙な子、だったのだけど、今、こうして話をしている斎月さんはやけに饒舌だった。

「まず最初にあるのが、イメージする具体的な理想像。そしてそこに至る過程。その間隙を、ひとつひとつ埋めてゆく。望む到達点と現状を隔てているものを取り去ってゆく。魔法が行使されているとき何が起こっているかというと、そういうものになります」


 ――話を聞きながら、考える。

 それだけならば、確かに、それはむしろ世界中で当たり前に行われていることなのだろう。

 そこに、魔法という、どこかふわふわした耳触りの言葉が関わってくるかどうかという違いだけで。

「魔法つかいが、それを強く強く望み、それが当然であるかのようになる。自分にはそれが必要だ、ならばそれは必ずそうなる。否、すでにそうなっているべきだ。もしそうでないなら、それは現実の方がおかしいのだ。そう確信するに至る。そうなったとき、それは現実のものになります。…わたしの、わたし達の血肉は、そういうことができるようになっている。そういうことです」

「つまり、さっき見せてもらったもので言えば…早く動こうと思ったから、斎月さんは早く動ける、そういう感じですか?」

「はい、アレは、わたし達戦闘職の魔法つかいは大体みんな使える加速の魔法なのですが、お察しの通り、まず高速で移動したいという望みが最初にあって、…そのためには、強靭でしなやかな四肢が、安定した体幹が、それだけの出力を持つ心肺が、そして、重力が動きたい方向に対して働いていることが必要であって、ならばそうなっていなければおかしいと確信することによって、あの速度を出しています」

 重力?

 重力捻じ曲げてたのか、この子?

 聞けば聞くほど、とんでもない話になってくるじゃないか。


「それでは…何でもできるということなんでしょうか」

「そうですね、もちろん、現実からかけ離れた強力な魔法であるほど、魔法つかいにはそれだけの強い望みが、大きな欲望が必要になりますし、そもそもの資質の大小強弱もありますが、基本的には魔法つかいには能力の上限というものがあっても、理屈としては魔法でできないことはありません。だから、強いて言えばあまりに漠然とした願いや、過程や具体化する方法が絞れない願いは魔法にするのが難しいし、使い手の望む感情が弱かったり、願いを自分のものとして理解する感性が無かったりする場合、その魔法は使えません、逆に、恒常的にその願いが自我に強く影響しているようであれば、常時発動していることもできますし、その理想と過程が、心の中で明確に像を結んでいるのであれば、掛け声とか動作一つで、同じことを繰り返すことも可能になります。」

 なるほど、一応、枷というか、魔法つかいが魔法を使えるという、条件みたいなものはあるわけか。


「それに、本当にただ、念じるだけで全て叶うのなら、さっき見せたような戦衣も、掛け声だって必要ありません。そうであればただ、ただ、消え失せろと願えばいい。けれど、そこまで漠然とした願いでは効力を発揮できません。さっきの…ああ、戦衣フォースというのですが、ああいったものは、戦う必要と、それに勝ちたいという望みがあって、それを具体化しブーストして、そのために必要な強い自分、戦う自分を具現化するために必要なアイコンという意味も持っています。」

 言い終えた斎月さんを捕捉するように、びゃくやが付け加えた。

「……過去に一人だけ、そレを可能にし、しかもとんでもない規模と破壊力で行エル者がイタな」

「ええと、消えろと思うことで、ウィッチを消せたってこと?」

「ああ……そイツの欲望は「存在するな」だった。多くのウィッチを、その力をモッて滅ぼしたというぞ?」


 何か、ちょっと悪役っぽくないか、それ。

 では、ウィッチを消し去ることにどれだけの執念が必要だったのだろう。

 それも、殺すのではなく、消し去る。

 そういうものであれば、消される方だって、消されまいと抵抗するだろうし。

 その人はその人で、気苦労が多かったんではあるいまいか。

 まあ、そんな人の考えることなんて、ぼくには想像もつかないが。

「……ここまでが、わたし達の持つ力に関するおおまかな説明になります。イメージでもつかんでもらえればいいのですが」

 斎月さんはそこまで言うと、一息つく様にカップを傾けた。

 ……目的を見つけて、そのための方法を考えて、そのために努力して。

「じゃあ、僕たちとあまり変わりませんね」

「……はい。だから、わたし達の言葉に、魔法つかいでない人、と言うのを表す特別な言葉はありませんし、そういう言葉を作ってはならないことになっています。教皇さまが定めた掟です」

 ほんの少しだが、彼女の言う魔法つかいという存在が身近に思えた。

 そんな風に考えていたぼくに、斎月さんが問いかける。

「……究極の魔法。というものがあります。何だと思いますか?」

「究極の魔法?」

「そう、わたしにもできません。これまで沢山の魔法つかいが挑戦しましたけど、まだ誰も成功させていないんです」

「……うーん……わかりません、何でしょう?」

「さっきまでの話の中に、その答えがありますよ」

 すぐに教えてもらえるのかと思いきや、斎月さんはそこまで言うと、無言でぼくの答えを待つ。

 どうやら自分で考えて答えないといけないらしい。

「……「世界征服」?「永遠の命」?「死者の蘇生」?……どれも、違うかな」

 いや、もしかして……

「……もしかして「世界中の、すべての人を、幸せにする」……とか?」

「当たりです、それが、〈究極の魔法〉」

「……確かに、ちょっと難しそうですね」

「はい、少なくとも、私にはまだその光景を思い描けない。だから……想像できないから、信じることもできない。……それに、悲しいけど、それを本気で願った人がいなかったからじゃないか、って思っています」

 そう呟く彼女の瞳は本当に悲しそうで、

 ……けれど僕は多分、彼女と違うことをひとつ考えていた。


 そしてもうひとつ。

 「世界中が幸せで満ちた世界」

 ……たぶんそこには、ぼくの居るような場所は、ないのだろう。

「他に、今のうちに聞いておきたい事とか、知りたいことはありますか?可能な範囲で答えますね」

 そう申し出があったので、はっきりさせておきたかったことを、聞いてみることにする。

 知りたいコト。……そう。

「斎月さんのことを、教えてください」

 ぼくがそう尋ねると、今度は斎月さんの方が面食らったように、目を丸く見開いた。

 彼女にはさっきから、戸惑わされてばかりなので、反撃できたみたいでちょっとうれしい。

「わたしのこと……ですか?」

「はい」

 そう、彼女の、斎月さんのことが知りたい。

 どこから来たのか、どうしてこんなことに関わっているのか、そしてまず、

「……まず、ひとつ気になっていて……あ、聞かれたくなかったらごめんなさいなんですけど……斎月……さんって……何歳なんですか?」


「わたしですか?……11歳ですが?」


「11歳?」

 11歳?何百歳とかじゃなくて?

 そんな当惑は、随分はっきり僕の顔に出ていたようで。

「どうかなさいましたか?」

 と、斎月さんから問い返される。

「いえその、斎月さんが随分大人びていらっしゃるので」

「あの、御剣さん……確かにわたしはよく、鯖を読み過ぎだとかおまえみたいな小学生がいるか、自分を客観的に見れないのか、とか良く言われますが、実際わたしは11歳なのですから仕方がないでしょう」

「あ……じゃあアレ……?肉体的には11歳だけど実際に過ごした時間は!とか」

「御剣さん、あなたがわたしの存在を認めたくないと思うのは勝手ですが、わたしは確かにここにいます。確かにここに存在しています。……それと、わたしのことはくおんで良いですよ。何度も言いますが、所詮わたしは11歳の小娘ですから」

「いや……でもやっぱり、斎月さんは斎月さんですよ」


 まあ、そういう印象を受ける原因の大半は、実際彼女の纏う雰囲気とか立ち居振る舞いとかがその見かけの年齢からはかけ離れたものだからというか、容姿以外の部分なのだが。

 しかし、幼く見積もっていたのよりもさらに年下だったとは。

 それに、彼女は一体いつから、こんなことをしているのだろうか。

 少なくとも、昨日今日びゃくやと知り合って、その時にたまたま選ばれて戦っているというわけではなさそうな佇まいではあるけれど。

 組織だって敵対生物と交戦しているというなら、いくら彼女個人の戦闘能力が高いといっても、何故11歳の子供を実戦に投入しているのだろう。

 こと戦う集団において、未成年を戦闘に投入するというのはもう負けが確定してる状況において、上層部が自分たちの安全を確保するまでの時間稼ぎの為だけに用いられる最終手段だ。

 その内容いかんによっては、彼女個人はともかく、彼女の所属している組織に対しては、大幅に印象が変わってしまう。


「あの……怒られそうですが……もう一つ」

 彼女に対する侮辱と受け取られかねないので、カラスに警戒しながら、そう尋ねる。

「――はい」

「どうして、直接戦っているのが貴女なんですか?……その、もっと他に……」

 と、それに対しては、意外なことに彼女ではなく、ぼくが警戒していた側から答えが返ってくる。

「それは、くおんが一番強ク、そして一番多クウィッチを倒していルカらだ」

「びゃくや……」

 どこか咎めるように言う斎月さんを制し、びゃくやはぼくに向けて言った。

「くおん、わたしが答えヨウ。きミカらは言いづライだろう?」

「……っ」

 居心地悪そうに顔を背ける斎月さん、対してびゃくやは、些かもそこに恥じることはないという口調で続ける。


「彼女が名乗ってイタだろう?彼女は「ツクヨミ」だ。……ああ、ツクヨミというのは」

「…伝わっている限りで、史上一人目の魔法つかい、わたし達の創始者の名です」

「そう、そシテ、ウィッチ討伐において、もっとも優れていルと認めらレタ一人にノミ与えられる称号だ。……くおんは、現状我々の中で最強の魔法つかいだ」

「一応、そういうことになっています」

 びゃくやが言い終えると。斎月さんは固い声で付け加えた。

 …それは、納得するしかない……のか?

 幼かろうが、女の子だろうが、彼女が、現状の最強戦力であるなら……それを運用することを前提に戦い方を構築せざるを得ないだろう。だが、何か……何か今の斎月さんとびゃくやの態度から妙な違和感を憶える。

 そして、斎月さんが何か彼女たちの中でも特殊な立場にいるのだろうと言うコトはこれまでも言葉の端々から感じていたのだが、まさかそんなひとであったとは。

 ネパール辺りじゃそういう習慣があると聞いたこともあるが、まるで生き神さまではないか。


「そシテ、そロソろ本題に入ろう。君の現状につイテだ」

「いいよ、びゃくや。――わたしから話すから」

 びゃくやを遮って、斎月さんがその続きを、語り始める。

 さて、どうやらぼくに直接関わってくる肝心な部分。本題だ。

 斎月さんのその白貌に、さっき、魔法について語っていた時まで確かにあった、幽かな浮き立ったようなものが消えていくのがわかる。

「先刻も伝えたばかりですが、あなたは非常に危険な状態にあります」

 その声音も、口調も、固く張りつめたもので、こちらも自然と居住まいを正す。

「そうなったのは、紛れもなくわたしたちの、いえ」

 斎月さんはそこで一度言葉を切った。神妙な面持ちだった。

「わたしの失態です。貴方が今そんな目に遭っているのは、すべてわたしのせいです」

「くおん、謝罪は後にしヨウ、はっきりいってやらネバ……彼が可哀想ダ」

 びゃくやが、意外なことを言った。

 ぼくも、それに対して混ぜっ返すようなことを言う気にもなれず、次の言葉を待つ。

「ん。……〝ウィッチの呪い〟というものが存在します。戦い、傷を負って、助からないことが明らかになったウィッチが、最後の力を振り絞り、何らかの――記号のようなものを、その場で近くにいる、たいていの場合はその敵対している魔法つかいですが、その体に刻む。そういうものです」

 呪い。

 また、「いかにも」な言葉が出てきたものだ。


「呪われると、どうなるのですか?」

「ウィッチの呪いを受けた者は、他のすべてのウィッチにとっての、最優先での破壊および捕食の目標となります。まだその仕組みが解明されていなかった頃、わたしの数代前の〝剣の魔法つかい〟は、戦闘中にウィッチの呪いを受けて、数百体のウィッチに包囲され、食い尽くされたと聞いています。それが魔法つかいであれば、その場で際限なく現れ続ける敵と戦うことになり、そうでない……非戦闘員の場合でも、常に、ウィッチを引き寄せるようになってしまいます」


 さすがに、――慄然とする。

 一度呪いをその身に宿している限り、いつどこからウィッチが襲ってくるかわからない、その恐怖に、生きている限り怯え続けることになる。

 いや、それ以前に、そんな状態になったものはもはや、当人以外にとっては、ウィッチそのものと変わらないのではないか。

 先刻、斎月さんとびゃくやが、全速でこの館に引き上げてくることを最優先し、道中も警戒を解くことがなかったのもそれなら頷ける。

 あなたは、そんなものを自分のホームに連れ込んだのか、斎月さん。

 爆弾を抱えたようなものではないか。


 間を取り持つように、そしてその先の言葉を促すようにびゃくやが言う。

「通常の場合。巻き込まれてウィッチの呪いを受ケタ者の処遇は」

 そして斎月さんは、――冷たく感じられるほど、はっきりと言い切った。


「殺処分となります」


 ――まあ、そんなところだろうと思う。

「理由は、呪いを受けた人を守りきることが困難であり、二次的な被害が大きすぎること」

 ああそうだろう。これまで、ずっとウィッチを魔法つかいの、人類の生存競争が行われているというなら、そういうことは、当然あるだろう。

 ならば、


 仕方がない。


「今のあなたは。その記号を、体に刻まれています」

 しばらく黙りこんだ後、ぼくはぽつりとつぶやくように言った。

「ぼくの処遇は、これからどうなりますか?」

「――良く、聞いてください」

 斎月さんが静かな口調でそう言うのを、ぼくは見ていた。

 そうしながら、彼女がこれまで、ぼくに対して見せてきた姿とあり様を思い返していた。

「隠蔽を、します」

 そして、まさか。と思った。

 あるいは、ああやっぱり。と思った。

「あなたの存在を、教皇院から隠し、ウィッチから守り、元の暮らしに戻れるように、133代ツクヨミの名に懸け、力を尽くすとお約束します。あなたは元凶であるわたし達を責めてもいいし、酷く罵ってもいい。あなたには、その権利がある」

「…斎月さん…」

「けれど、わたしはあなたを助けたいと思っています、それだけは、――信じて頂けますか?」

 胸の前で、祈るように手を組み合わせ、斎月さんがそう問う。

「それは…」

 迷わず、そう答えた。

「それは、もちろんですよ、斎月さん。…言ったでしょう?あなたを信じると」

「…ありがとうございます、御剣さん」

「良かッタな、くおん」

 安堵したように息をつく斎月さんに、それに追随して嬉しげにいうびゃくや。

 ぼくが感謝されるのもおかしな話と思うが、そんな彼女らの様子は仲のいい友人同士のようで、ぼくは少しうれしくなる。

「…では、よろしくお願いします」

 ぼくが頭を下げると、斎月さんは

「ええ、しばらく不便な思いをするでしょうが、出来る限り快適な生活をできるようにします。お家の方にはわたしから後で連絡しておきますから」

 という。

「…ああ、いいですよ、それはぼくから伝えますから」

 …あんまり、斎月さんにミツヒデさんと関わらせたくない。

 ミツヒデさんはあまり干渉してくるタイプではないし、自分で言うのも何だがぼくは日頃品行方正にしているので、数日ならば、少し外泊するで通るだろう。

「びゃくや、君もよろしくね」

「ああ、ちョッと待っテクれ、君の名前を用例登録するカラ」

「用例登録?」

「この体で君たチノ言葉を操るノハ難しクテね。固有名詞やヨく使う単語は、その都度こうして登録してイるノだよ。しバラく共に暮ラスことになる、その間いちいち自分の名前を間違った発音で呼ばれたくはないだろう?」

「…そういう仕組みなのか」

「コウ、イ…ちろう。…こういちろう。…昴一郎。発音はコレで問題なイナ?」

「ああ、構わないよ」

「…今日から二階の部屋を使ってください。私は隣の、東側の部屋にいます。必要なものがあったらわたしかびゃくやに言ってくださいね。あと、わかっているでしょうが、けして館の外に1人で出ないように」

 甲斐甲斐しい口調で、そう語る斎月さん。

 ぼくはそれを聞き終えると、一つ息を吸ってから切り出した。

「では、――斎月さん。ひとつお願いがあります」

「…はい、何でも言ってくださいね」

 彼女の、その素直というのも気が引けるような物言いに、苦笑いする。

「何でも、なんて、軽々しく言ってはダメですよ」

 そうして、ぼくは、できるだけ平静な口調であるように、自然な感じであるようにとと心がけながら――


「――ぼくを、斬ってください」


 その希望を、彼女に伝えた。

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